8/25/2011

Colloseo


ローマに滞在できた時間はわずか10時間ほどだったけれど、歩きに歩いて街の雰囲気を感じ取ることが出来た。
路地を抜けると、思わぬところにローマ時代からある古い建築物や、アーチに遭遇する。
このコロッセオもその中の一つ。
全ての道はローマに通じる。そして、現在も多くの人がそのローマを目指す。

8/21/2011

ヨーロッパで感じた「風」part1

文章を綴ったり、日記を書くということが本当に苦手で、写真をfacebookにアップロードすることで生存報告をしていた。
しかし、写真を載せるだけでは伝わらない、自分が経験したことや感じたことというものも、まだその感覚が自分の胸の中に残っている間に、綴って置かなければならないと感じ少し長めに筆を執ることにした。
10ヶ月のSan Franciscoでの留学生活と、その後の2ヶ月半のヨーロッパ滞在。
留学生活中に感じたことすらまだまとめていないのだけれど、今はもうすぐ終わるこのヨーロッパでの滞在記を、ざっと、まとめてみたい。

そもそも、どうして留学後にヨーロッパへ向かうことにしたのか。理由はいくつかある。

まず始めに、留学中にたくさんのヨーロッパからの友人が出来たということ。
僕が通っていたSFSUは留学プログラムがとても盛んで、世界中のいたるところから留学生が来ていた。その中で、僕は留学生と現地生からなる団体(日本で言うサークル)、International Education Exchange Council、通称IEECにオフィサーとして働くことにした。
留学生達が、自分たちの留学生活をより楽しく充実したものにするために、自ら働き様々なイベントやプログラムを企画する。そういった活動を行っていたことで、自然と留学生たちのコミュニティに入ることができ、友だちになることができた。
そして留学が終わり別れるときに、「いつか遊びに来いよ」とお互いに言い合う。社交辞令だったのかもしれないけれど、僕はそれを留学直後に実行したのだ。

他の理由として、就職活動をしなくてよいという気楽な理系学生だったということもある。
留学中に出会った多くの友人は、留学後にすぐに帰国して就職活動を始めるなければ、と話していた。しかし僕は大学院進学を考えているので、就職はまだまだ先で、そういった将来のことを考える必要がなかった。
将来のことを考える必要がない分、現在できることを考える余裕があり、さらには親からの支援もあり、夏休み中にヨーロッパへ向かうという考えが浮かんだわけだ。

もう一つ理由がある。これは僕が留学前に3年間働いていたレストランバーの常連であった芸術家の方が、アメリカに留学に行くと話したときに言った台詞によるものだ。
「アメリカを見たら、次はヨーロッパを見るといいよ。歴史や文化をより強く、見て感じることができるだろうから。」
当時は、その台詞の意味がよくわからなかったのだけれど、アメリカに行き、ヨーロッパからの移民や留学友達から、彼らの母国の文化・風習といった話を聞くうちに、「聞くだけじゃわからん。見に行かなければいけない。常連さんが教えてくれた通りに実際にこの目で。」と思うようになった。

以上が、僕をヨーロッパへ向けさせて主な理由だろう。

そして2011年6月15日、10ヶ月のSan Franciscoでの留学を終え、鉄道でアメリカ大陸を1週間かけて横断した後に、ボストンからロンドンへ、人生で初めてのヨーロッパへ向かった。

続く

8/19/2011

Amalfi


世界遺産に登録されているアマルフィ海岸。
リアス式海岸で、入江という入江に多くの観光客が、世界中から集まってきている。
狭い土地を有効活用しようと壁に張り付くように上に上にと建てられた家々は壮観だった。

8/12/2011

Venice


Venice, Italy. Automobiles are prohibited to run here, so I’m really surprised that the town can be such quiet and calm without traffic. Tourists’ pleasant voices, sounds of water and the ring of a bell to announce the time are pretty much everything I can hear in Venice.

8/02/2011

the Berlin Wall

I cannot judge anything with my poor history knowledge, but I know the wall did separate family once before.
So I would just be happy no separation anymore today.



8/01/2011

Best Friend

留学中の親友、Timoと。
人種も国籍もバックグラウンドも異なるのだけれど、似た価値観を持ち、ビールを飲みながら語り合ったSFでの思い出、キャリア、夢、女の子のこと…
話は尽きなかった。

7/28/2011

ケルンにて

スペインでの陽気な日々から一転、曇り空と肌寒さを感じるドイツはケルンに到着。
スペインでは持ってこなければよかったなーなんて思っていたダナーのブーツと、ノースフェイスのジャケットを着て街を散策。
わずか3時間たらずの飛行機で、全く違う言語を話し、文化を持ち、気候も違う場所に来てしまった。

ドイツの中でも比較的大都市と呼ばれてるここケルンは、大聖堂が街の中心のそびえている。
ケルン大聖堂Domは、ドイツ最大級のゴシック建築。街のどこからでも見ることが出来るその尖塔は、どこかバルセロナのサグラダファミリアを思い出させる。

街を二日間ほどあてもなく歩いて思ったことが、どことなくこの街は日本と似ているということ。
旧市街もあるけれど、新市街では日本の原宿のようなショッピングストリートがあり、建物も近代的。
人々のライフスタイルも、lazyでhappyなスペインやサンフランシスコのものとは違い、どこか規則正しく、レールの上を淡々としかし力強く走りゆく鉄道のようなイメージを感じた。

留学中に、僕の親友はドイツ人であった。
それは、彼のなかになぜか似た雰囲気や価値観を感じたからだ。
いま、このドイツの街で、その時に感じた雰囲気を町の人々からも感じる。

7/26/2011

Ever-growing country

長い長い帝国の時代と、イスラムの歴史と、内戦と…
時代時代に激変があったスペインは、強く強く輝く太陽のもとで、成長・進化・変化をし続けている。



7/16/2011

Montserrat

For whatever reason, I climbed a mountain after visiting and praying at the Basilica in Montserrat.
The highest point on the mountain at St. Jeromo 1236m - COMPLETED-


7/13/2011

カタルーニャの空気

カタルーニャは、スペインではない。
カタラン語は、スペイン語の地方訛りではない。

この二つのことを、ホストしてくれる友達に何度も何度も何度も聞かされた。
スペインの北東部に位置するカタルーニャ州は、スペインの中でもかなり異質だ。
ここに住む人は、スペインの他の州と同一視されることを本当に嫌い、彼らの文化や言語を大切にしている。

サッカー好きの人は、クラシコという名前で広く知られているバルセロナ対レアル・マドリードの試合をもちろん聞いたことがあるだろう。
この試合が伝統的だと言われている背景には、ただその両チームがスペインを代表する強豪チームであるからという理由だけではなく、このカタルーニャ州の首都バルセロナとスペインの首都マドリードという同じくにないであるけれどお互いに忌み嫌っている地区同士の戦いであるから、サポーターも応援に熱が入る。

今滞在している友人の家は、バルセロナから電車で2時間弱程のところにあるジローナ。
ここはバルセロナほどの観光地ではないために、より一層、カタルーニャ愛の強い人が多いと友達は言う。
なるほど、街をあるけばカタルーニャ州の州旗と、FCバルセロナのチームカラーが至る所で見られる。

スペインの中の異国、カタルーニャ。
ここの空気は他のスペインとは似て異なるもののようだ。

7/11/2011

Under the Spanish Sun

今、僕は今スペインのサラゴサにいる。日差しが本当に眩しく、昼過ぎのシェスタの時間には街はゴーストタウンのようになる。
しかし、夕方8時を過ぎて日差しが弱まってくるとどこから湧いてきたのか...と驚いてしまうほど人が街に溢れ、カフェやタパスバーでたむろしている。

アメリカのどの都市とも、ロンドンともパリとも異なった、とてもユニークな文化と空気がこの国には溢れている。

この街でも、友人の家に泊めさせてもらっている。
彼女のお父さんお母さんは英語喋れないのだけれど、とても素晴らしいもてなしをしてくれる。
日曜日の昼にはお父さんが本場のパエリアを大鍋で作ってくれた。今までで食べたどんなパエリアよりも美味しかった。

昨日は車で2時間ほどのところにあるテルエルという街で行われるフェスティバルに友達と行って来た。
それはパンプローナの牛追い祭りと並べて称されるほどスペイン人には有名な祭りで、ほとんど旅行者の来ない、とてもローカルな祭り。
町の人や参加者はみな白い服装を来て、ワインを片手に街の広場に集まる。
そこにある高さ5mほどの塔。そのてっぺんにある牛の銅像。
この塔を登り、街の若者が赤いハンカチを牛の首に巻きつけると、フェスティバルははじまる。
広場を埋め尽くす人々は一斉にワインをぶちまけ、水鉄砲に入れたワインを辺りのひとに噴射し、ベランダから水やワインを浴びせかける。
とにかくもうクレイジーとしか形容のしようがない祭りであった。



7/05/2011

from Paris

現在、パリ。
6月の頭にサンフランシスコを出発して、もうすぐ一ヶ月。
家なし生活で、ホステルに泊まったり友人の家を渡り歩いたりさせてもらっているけれど、まぁなんとか生きている。

自分の性質を一言でたとえるならば、水。
どんなところでもサラサラと流れていき、無難に馴染むことが出来る。
放浪旅行やバックパッカーというのが性にあっているようだ。

6/16/2011

Good bye, America

10ヶ月を過ごしたアメリカをあと2時間で出発する。
今はボストンレーガン空港、イングランドへ向かう飛行機をロビーで待つ。

6/12/2011

Crossing American Continent: Day6

電車でアメリカ大陸を横断する。6日目。
ボストンへ向かうAmtrakの中。
今度の電車は、イリノイ州シカゴから、インディアナ州、オハイオ州、ペンシルベニア州、ニューヨーク州、マサチューセッツ州を抜けていく、Lake Shore Imited号。
予定乗車時間は24時間。

Terminal

シカゴでの滞在48時間を終え、再び電車に乗る。
飛行場も、長距離バス乗り場も、鉄道のターミナルも、そこにいる人たちには何か意味がある。
これから新境地へ向かう人、故郷に変える人、ただ移動する人、それぞれにストーリーがある。
街の中ですれ違う人からは感じることのできないそれぞれの人生、ストーリーが、ターミナルでは内面から外面から垣間見ることが出来る気がする。

6/09/2011

Crossing American Continent: Day3

電車でアメリカ大陸を横断する。3日目。
昨日よりも、さらに寝付きが悪かった。眠っては起き、起きては眠り。
浅い眠りの中で何度も何度も夢をみたけれど、忘れてしまった。楽しい夢だったと思う。

6/08/2011

Crossing American Continent: Day2

電車でアメリカ大陸を横断する。二日目。
夜中に何度も何度も目が覚めた。眠っている間にネバダ州を越え、ウタ州に入ったようだ。州都ソルトレークシティーも知らぬ間に通り過ぎていた。
景色は依然として赤褐色の山肌、雪の残る森、拓けた草原を繰り返す。

6/07/2011

Crossing American Continent: Day1

電車でアメリカ大陸を横断する。一日目。
使う電車はAmtrak、アメリカ全土を網羅している鉄道だ。
その中でも今回使うのは、San FranciscoからChicagoへと向かうCalifornia Zephyr号と言う名前の人気の路線。
所要時間は、約60時間。間違いなく人生最長の電車の旅だ。

6/06/2011

Yosemite National Park

San Franciscoでの留学の最後の週末、念願だったヨセミテ国立公園へキャンプに行って来た。

6/03/2011

Consulate-Genaral of Japan

自分が参加していた震災地への義援金ボランティア活動で集まった募金を、日本の総領事館に持っていった。
活動代表の友人が電話でアポイントメントをとったら、以前に面識のあった猪俣総領事に直接お会いしてお渡しするように手配していただけた。


6/01/2011

Last week in SF

来週の月曜日に、San Franciscoを旅立つ。
この一週間が文字通り、last weekとなる。

サンフランシスコが、自分にとってこんなに思い入れ深い街になるとは留学前は思ってもいなかった。
先輩がここに留学しており、アメリカの中でも特に多様な街であるという情報だけで決定したこの街。
来た当時はスペルすらままならなかった記憶がある。

しかしここは、生まれ育った東京とは全く違う、極端に言えば正反対の性質を多く持つ街。
人々はみなリラックスしており、仕事や勉強よりも日々の生活や家族との時間の充実に重きを置く。
人種は本当に多様であり、Asian, European, American, Hispanicが入交る。バイリンガル、トリリンガルは当たり前。

この一週間は荷造り等に追われながらもなるべく外出して、ゆっくりと街を歩いたりバスに乗ったり。
聞きなれたバスのアナウンスも、ほら、英語、中国語、スペイン語の3ヶ国語だ。

5/31/2011

Sunset

San FranciscoのSunset District.
霧やフォグが多いこの地域は、西側に海が面しているけれどあまり夕焼けを拝むことができない。
"Sunset area never sunsets."
なんて冗談を留学生同士では言い合ったりしていた。
しかし、すごく晴れた日に見える夕焼けは、それは息を飲むほど綺麗。


東京では気付かなかった空の青さ、広さ、日の沈む速度、儚さ、光、色、波の音色。
そのすべてが、SFを旅だったら恋しくなるだろう。

5/29/2011

Euro Trip

今日、帰航空券を購入した。
しかしその航空券はSan Franciscoから日本に帰るものではなく、8月の終わりにイギリスから帰国するためのものだ。
あと10日弱で僕はSFを発ち、電車でアメリカ大陸を横断した後、ヨーロッパへ向かう。

5/25/2011

5/24/2011

The Pursuit of Happyness

映画、The Pursuit of Happynessのワンシーンに出てくるバスケットボールコートで、
留学生たちとバスケをしてきた。



場所はチャイナタウンからツーブロック内側に入った、中国系の託児所。
そこのプレイフィールドの屋上がバスケットボールコートになっている。


5/23/2011

Vivez la langue.

ASLのクラスメートだった、今セメスターで一番キャンパスで一緒に過ごしたであろう友達たちと最後のご飯を食べた。
ミッションでメキシカンを食べ、ヴァレンシアのカフェでまったりして。

別れの時にアメリカ人の友達が、CDと手帳と手紙をくれた。
MOLESKINの旅手帳-パリ-。

そしてこの動画を、facebookにポストしてくれた。
Live the Language -PARIS-

ヨーロッパ旅行が、フランスが、パリが、すごくすごく楽しみになった。
ありがとう。

5/22/2011

GALA

昨日はIEECの最後のイベント、GALA。
学期末の最後のパーティーで、みんなオシャレに着飾って飲んで踊って。




5/15/2011

White Canvas Party

おそらく留学生活最後になるハウスパーティーに行って来た。
ドレスコードは、白いTシャツ。
みんなでお互いのシャツにコメントを書きながら飲んで騒いで。
このTシャツはきっと一生の思い出になる。

Black Cat

野良猫と仲良くなること。特技。


5/14/2011

Intramural Champion

大学内で開かれたテニスリーグに学期中参加しており、優勝した:)
日本人、ドイツ人、メキシコ人、フランス人のインターナショナルチーム。



5/11/2011

O.K.Y.

ASL(American Sign Language)で書かれた落書きを見つけた。

O.K.Y.
一体どういう意味なのだろうか。

5/07/2011

Memories

San Franciscoを旅立つまで、残り1ヶ月となった。
今までに撮った写真をふと見返すと、様々な思い出がよみがえる。
多くの写真をfacebookにアップロードしているけれど、その中でも今年のニューイヤーからのものを数枚ここに。


5/04/2011

End of semester

月日が立つのはなんとはやいのだろうか。

気がつけば、すでに5月。あと2週間と少しでこのセメスターも終わり、
留学生活も終わりだ。

10ヶ月という短い時間であったけれど、多くのものを得ることができた。
留学生活を振り返ることはまた今度、時間のあるときにゆっくりと。

今後の予定は、
6月6日にSFを発ち、電車でアメリカ大陸横断。
シカゴ、ボストンを経て6月15日にボストンを出発。
その後はヨーロッパをほぼほぼノープランで周遊してきます。

この旅行についてもまた次回、詳しく。

では、勉強に戻ります。

4/12/2011

Communication Skill

留学して8ヶ月が経って、留学前と何が変わったかなと考えたとき、以前よりも頭が柔らかくなったかなと感じる。

pieces of yesterday




集中して勉強するときは、いつもひとつの曲を延々とループさせる。
今回の勉強ソングはこれ。

4/03/2011

new life

4月、新生活の季節

こちらにいると、4月は特別な区切りの季節ではないために、何事もなかったかのように一日が過ぎてしまった。

しかし、たくさんの先輩方が社会人となり新しい職場や環境で、新しいスタートを踏み出す。
学生は新学期が、会社は新年度が始まる。

地震発生以来なんとなく沈んでいる自分の気持ちも日本の経済も一緒に、心機一転して再び元気に回りだせ!

3/27/2011

At San Mateo

さて、スプリングブレークが始まった。
何もやる予定がなかったけれど、昨日は先日のシリコンバレーカンファレンスでお世話になった、こちらに駐在員として働きに来ている方に誘われて焼き鳥を食べに行ってきた。


3/23/2011

Spring Break

もう何日かすると、Spring Break、春休み。
といってもこちらでいうSpring Breakは1週間ほどで、感覚で言うとゴールデンウィークのような感じだ。

3/20/2011

遠く離れたアメリカから出来ること。

今回の地震で日本は本当にたくさんのものを失った。
昨日の夜に母親から来たメールで、東北地方のまさに地震と津波に襲われた地域に旧友が住んでいたことを知った。同じ社宅に住んでいて、毎日遊んでいた幼馴染だ。未だに連絡が取れないという。

地震発生以来、全くもって生産性のない、不抜けた人間になっている。
毎日寝込んでるとかそういうわけではない。授業にも出て、友達と遊んで、チャリティー活動にも参加している。
しかし、なにか一つに集中することができていない。

日本のためになにか行動をしよう、という気持ちと
今できる生活を普通にこなそう、という気持ちと
何もかも忘れて知らぬふりして過ごそう、という気持ちが交錯している。

今回の災害は長期戦になる。
発生から一週間が経った今は本当にたくさんの人がボランティア活動やチャリティーを通じて日本のことを考えてくれている。
でも、2ヵ月後、3ヶ月後はどうだろうか。
忘れることはないだろうが、きっと普段の生活を取り戻している。

でも、被災地の崩壊した街はそんな短期間では元には戻らず、
失われた命は一生戻らない。

この先ずっと、そんなことを考えながら生産性のない日々を過ごすことになるのだろうか。

3/10/2011

Escher´s waterfall

だまし絵が3次元になった!

昨日から、youtubeやvimeoでアート系動画をずーっと見てます。
そんな中で気に入った動画を一つ紹介。

3/07/2011

The Kids Are All Right

映画を見ました。


"The Kids Are All Right"
「母二人子供二人」という家庭の中に、精子ドナーとなった男(バイオロジカルファザー)が 出現。
レズビアンの両親を持った思春期の子供達の、不安定で純粋な心情の移り変わり描いた作品。

映画のテーマは、「家族愛」「同性愛」「セクシャリティ」。
日本にいた頃にはあまり興味もなく関心も向かなかったであろうこれらのトピックが、
ここアメリカの特にSFではとても身近であり、考えさせられることや発見が多かった。


3/04/2011

SFMOMA

毎週木曜日の夕方から、SFMOMAは入場料が半額になります。
(ちなみに毎月第一火曜日は無料!)



SFMOMAには先学期に既に行ったのだけれど新年の東海岸旅行で、
ニューヨークのMOMA、ボストン美術館、ハーバード美術館、ワシントンDCのスミソニアン…
と有名美術にたくさん触れることができ、ど素人なりにもなんとなく絵画鑑賞の楽しみが分かってきた。というわけで本日再度訪問。


3/01/2011

What you can feel in America

週末は英語の出来ない家族のために完璧にツアーガイドとなり、
SFの有名な観光名所を再び見て回ってきた。

家族、特に母と弟は初のアメリカであったために観る物全てが新鮮であったよう。
それと同時に、時差ぼけ&外部からの情報量の多さ(街行く人やバスの中の音も文字も日本語ではないために、知らず知らずに聞き耳をたてたりしていて、集中している状態が続いて頭がいたくなる。僕も来た当初は同じ現象に悩まされました)でかなり疲れてもいた。


2/28/2011

More face-to-face, less Facebook.

このエントリーは、僕のmixiに載せたもの。
これからはこのブログをメインに、情報発信をしていけたらいいなーと思っています。
もしもこのブログを始める以前の留学生活や、小っ恥ずかしい高校時代の日記などが読みたい方は、気軽にmixiで友達登録をしてください。
お待ちしてます◎


Japanese Snacks

アメリカで生活をしているけど、正直あまり日本食が恋しくない
だからといってアメリカンなハンバーガーばっかり食べてるというわけではなく、
ほぼ毎日料理をしています。


2/25/2011

random pics

撮った写真を適当に。
明日の夕方から家族がSFに遊びに来ます。週末は終日ツアーガイドになりそう。
そして雨続きのサンフランシスコに異例の雪予報が。
聞いた話では、最後に雪が降ったのは50年ほど前だとか。
温暖化による異常気象なのかなー。SFの交通網は恐ろしく雪に弱そうだから、積もらないといいが。

2/23/2011

rainy days

彼女や友達が滞在していた先週一週間
珍しく一週間雨が振り続けていた。

サンフランシスコの雨は本来だったら霧のような小雨で
傘をさして歩く人はいない。
けれど先週はどしゃぶり&強風。
傘をさしてはひっくり返るといったシーンに何度も遭遇した。

かと思うと、今日は快晴。
山の天気並に変わりやすいのがSFの天気。

2/17/2011

Valentine Day in SF

SFのバレンタインデーには、羽毛が飛び散ります。
いつから始まったのかわからないけれど、毎年バレンタインデーになると、フェリープラザに枕を持った人が集まり、
6時の鐘と共にPillow Fightが始まる。笑




なんともまぁ、サンフランシスコらしいイベントだった。

ちなみにバレンタインデーはアメリカでは休日
日本のように女性から男性にチョコレートをあげるのではなくて、
夫婦や恋人、家族の間で日頃の愛を表現する日だそうです。
人気のレストランなんかは、何週間も前に予約でいっぱいになってるらしいです◎

ちなみに自分は、サンフランシスコで有名なチョコレート屋XOX trufflesのチョコレートと、カリフォルニアワインを飲みながら家でまったりしました。

2/14/2011

「On」と「Off」

日本にいた頃の僕は、とにかく忙しかった
いや、忙しい「ふり」をしていたと思う

理系で年間に50単位の授業を履修し、アルバイトを2つかけ持ちし、
サークルにも所属していて、その合間に留学の準備をする。
常に何かしらの予定が入っており忙しく移動し続けて、
たまの休日にもなにか予定を入れないと気が済まない
典型的な「何かをやっていないと無駄だと思ってしまう日本人」だった。

そして実際に本当に死ぬほど忙しいのかというとそうでもなく、
理系の勉強や仕事を、未解決な個人的な問題に直面するのを避ける理由にして
何も得ることのない日々のルーティーンワークを過ごしているだけ。
ある種のworkAholic。

時間には追われているが、自分自身が何かを追い求めているわけではない、
すごく薄っぺらい生き方だったと思う。

この「薄っぺらい」という表現、言い換えるなら「OnとOffの中間」
あるいは「常に弱ーいOn状態」とかそんな感じ。


メリハリのない生き方だ


ここアメリカで、アメリカ人の生活様を観ていて凄く気持よくまた羨ましいのが
彼らの中の「On」と「Off」の切り替えの速さと「Off」の時の楽しみ方だ。

Weekdayはとても集中して仕事や勉強をする。しかし一日中働くわけではなく、
適度に休息や趣味を取り入れて「Off」を作り、「On」の時の効率を上げている。
そして週末は、思いっきり「Off」を満喫する。
公園や海辺でのんびりしたり、スポーツをしたり、美味しい食事を食べにでかけて家で映画を見る。
彼らが余暇を満喫しているときには、勉強や仕事といったような言葉からは
すっかり解放されていると思う。
そうやって週末に英気を養い、また新しい週で充実した仕事をする。

「On」と「Off」のある人生

日本での僕の大学生活とは、全く対照的な生き方だ


どちらの生き方が良いとか悪いとかではないけれど
、今までメリハリのない生き方を無意識にしていた僕にとってこの「On」「Off」のスイッチの発見は凄く意味のあるものだった。

そして見よう見まねで自分の日々の中にメリハリを作ってみると、とても生産性が上がり
また日々感じるストレスも減ったように感じる。

さらには今まで僕が出会ってきた人の中で凄く魅力的だった人は、みんなこう言った生き方をしていた気がする


「On」と「Off」


人生を楽しむための、大事な大事なTipかもしれない。

2/11/2011

Thursday Night Socialites

毎週木曜日には、自分が所属するIEEC(International Education Exchange Council)の飲み会がある。

飲み会と言っても日本の飲み会とは全く違い、ただ時刻とバーの場所がアナウンスされるだけ

大体その時刻から1時間遅れて徐々に留学生が集まりはじめ、2時間後にバーは人で溢れる。

座って待ったり喋るのではなく、カウンターで買ったビールを片手にバーの中をブラブラ歩き、知り合いを見つけてぐだぐだと近況報告

友達の友達を紹介されて固く握手とハグをするけれど、そんなことがずーっと起きるので家に帰る頃には名前すら覚えてないという始末。笑

なんともまぁ、アメリカらしい表面だけの薄っぺらい関係

でも、この薄っぺらさが絶妙に心地よく感じる事もあるから、不思議だ。

2/10/2011

American Society

今朝、facebookを開いたら友達のwallに下のポストが、、、

"Just got mugged on the street on the way home from school. 3 guys jumped on me, took my bag and ran away. I wanna get out of this fucking country and go home now."


彼女は僕と同じ大学から来ている留学仲間なのだけれど、昨晩、強盗に襲われたのだ。




電話をかけて詳しく話を聞いてみると、大通りから一本入った彼女の家のすぐ目の前で、
後ろから3人組の男に急に押し倒され鞄を引ったくられた、と。
時刻はそんなにおそくない夜の9時過ぎ。
彼女の住むSunsetは静かな住宅街で、とてもそんな事件が起きるとは思えない場所だと思っていたのだが。。


今までこちらで過ごして来た6ヶ月間、自分の身の回りでこういった事件が全くなかったために、
「サンフランシスコは平和だよー、アメリカじゃないね!」
などと呑気に言っていたけれど前言撤回せねばならない。
やはりここもアメリカだった。


幸い彼女自身には怪我も無く、取られた物もテキストや財布などのみだった。
しかし、もし相手がナイフや銃を持っていたら。。
こちらでは抵抗するとかしないとか関係なく、グサッとやってから強盗をするなんていうこともよくある。
そんなことを考えると寒気がする。
本当に、友達が無事で良かった。


こちらでの生活も折り返し、ちょっと生活に慣れて来たなと思った矢先に自分の身内に起こったこの事件。
もう一度、気を引き締めて生活しよう。

2/09/2011

facebook connections map the world

先日ゴールデングローブ賞を受賞したThe Social Network。日本でも公開されて人気のようですね。

僕はこちらで公開された初日に観に行ったのですが、いやー英語が難しかった。笑
ストーリーのメインラインはつかめたけれど、法的なやり取りの最中に出てくる専門用語や、チキンのジョーク(?)は正直チンプンカンプンでした。(後々友達が解説してくれて、なんとか理解)

2004年に起業しわずか7年足らずの一企業の成り立ちが映画化
そのドラマチックな成り立ちには本当にびっくりだけれど
何よりも驚くべきはその後の影響力。

アメリカに留学をしている学生にとっては携帯電話以上に大事であり、
友人との遊びの約束から大事な大学の情報まで、全てfacebookで事足りてしまうほど。

ある調査によると、ニュースを広く伝搬するという役割においては、米国ではgoogle newsよりもfacebookの方が大きいと報告されているほどだ。

これは、ついに総加入者が5億人を超えたfacebookの人々のつながりを線で繋いだもの。
キレイに世界地図が描かれている様が見える。

全人口の15%以上が加入しているこのSNS(Social Networking Service)は、この先どこへ向かうのだろうか。

2/07/2011

Super Bowl

全世界で最も多くの人が観ると言われている試合、American Football LeagueのSuper Bowlが今日開催された

自分の通っていた高校が日本の中でもかなり強いチームであったこともあり、アメフトはルールも熟知している

プレイヤー同士のパワー溢れる闘いと、監督やコーチの緻密なタクティクスや心理戦

とてもアメリカらしいスポーツで大好きだ。

どこかのバーに行って騒ぎながら観戦しようかと思ったけれど、友人に誘われて大学のラウンジでゆっくり観戦

それでも、ファインプレーがあるとみんなで声を上げて盛り上がり、タッチダウンが決まると歓声と落胆が入り交じる

とても良い試合だった。

2/06/2011

夕焼け

このブログを夕焼けブログにするつもりはないけれど、
高いビルがなく、東側が海に面しているサンフランシスコのサンセットが本当にきれいなもので。写真を数枚。

Running

土曜日の朝、お気に入りのキャップをかぶってランニング。


Westportal からFerry Plazaまで。
オーシャンビーチ、ゴールデンゲートパーク、ヘイトアシュベリー、フィッシャーマンズワーフと2時間半、25キロのロングラン。

サンフランシスコには「LIVE SIMPLY」という言葉が良く似合う。

2/05/2011

夕焼け空を見上げて

サンフランシスコは夕日が綺麗だ。

自分の住んでいるWestportalはサンフランシスコの中でも少し標高の高い場所に位置しており、
太陽が沈む西側のオーシャンビーチまで一望できる。

勉強を終え家まで帰る途中の道でふと西側の空を眺めたら
心が洗われるような赤く、深く、輝くような夕焼けが見えた。



昔見たドラマ「オレンジデイズ」の中で主人公の女の子が言った台詞

「やりたくもない仕事で一日働いて、帰り道に見上げた空の夕日がキレイで、
それだけで生きていて良かったとは私は感じられない。」

人生における「岐路」は誰にでもあって、多いに悩むもの。
常に自分の好きな事ややりたい事が自分の進む道の先に続いているのであれば、それほど幸せなことはない。
けれど時には岐路に立ったときに決断を強いられて、不本意な決定をしてしまうことも沢山あると思う。

やりたくもない仕事に就いたとしても、投げ出さないこと。
目の前の現実に、全力になること。
そして、やり直しはいつでも出来るんだということ。
それがきっと、自分のやりたいことへの最短ルートになるはずだから。

大変で辛い日々を少しでも幸せにするために、綺麗な夕日を眺める。
夕日の存在意義がそうであっても良いような気がする。



2/03/2011

February

Come to think of it, it is already February.
It means, one-twelveth of 2011 have already finished.

Time flies.

and the time I have to leave San Francisco is coming day by day.