2/20/2014

5km/h、人の感情がしっかりと働く速度

日本経済新聞の総合面の下部にある「迫真」。
記者がルポルタージュ形式でニュースの裏側に迫っていく連載で、一昨日から開催されたのが「リニアに賭ける」。超電導磁石で浮上して最高時速500キロメートルで疾走するリニア中央新幹線という巨大プロジェクトの実像に迫る内容で、とてもおもしろい。今年から工事が着工し、2027年に東京-名古屋間、2045年には大阪まで延伸されるリニアは、東京、大阪、名古屋を1時間以内で結び、通勤圏内にしてしまうという。


そんな500キロの高速鉄道に関する記事を読んだ昨日、日帰りで大阪へ行ってきた。交通費が支給されたので、ぜーたくにも指定席の新幹線に乗って。実は新幹線に乗ったことは数えるぐらいしかなく、大阪行きの新幹線の勝手がよくわからない。関西出身の彼女から「のぞみにの乗らないとダメだよ!」という初歩的なアドバイスをもらうまで、のぞみ、ひかり、こだまのどれがどのような路線であるかもわからなかったぐらいだ。(今はわかる)


1年前、僕は初めて大阪を訪れた。(⇒くいだおれと笑いの街の裏側
鈍行列車に揺られ、時間をかけながら日本を横断したときのこと。この後に、東京へ帰るのも各駅停車の鈍行で、寄り道しながらで半日以上かかった。
2年前には、東海道を自転車で走り通し名古屋まで行った。(⇒東海道の旅路
3日間かけ400kmを自力で走破し、400年前の中世から続く路に思いを馳せながら進んだ。


僕がかつて進んだ道を、時速250kmで駆け抜けていくN700系。そしてその倍の速度で行こうとするリニア。純粋に、この速度は革命的だと感じた。自分自身が汗を流し、多くの時間を費やした道をほんの数時間で結んでしまうのだ。時速5kmで中世の旅路を進んでいた人にとっては想像もできない文明の進化なのだろう…そんな思いに浸っていた。


文明の進化とは、速く、早く、とにかくスピードを追い求めていくものなのだろうか。
移動手段に限らず、衣食住、コミュニケーション、生き方、その全てはどんどんと高速化しているのだろうか。そんな気がする。現代はしょっちゅう引っ越しをし、その住居もあっといまに建てられ、取り壊されていく。より多くの人と接触を持つけれど、その関係もすぐに終わる。ファストフード、忙しい毎日に追われ5分以下で食事を済ませることも多い。ファッションの流行も、次の年には忘れられるようなものばかり。


目新しさ、移ろいやすさ、多様性、スピード。
これらが文明生活を表す主要な言葉となっているのはどうやら間違いがないようで、特に文明生活の最前線であるネット社会を生きる僕達の世代ほど、このような概念に取り付かれているように思える。決してそれが絶対悪だと思っているわけではない。しかし僕が危惧しているのは、5km/hから500km/hへと生活の速度が100倍早くなったとしても、僕達の脳が100倍ものごとを処理できるようになってはおらず、その結果生まれてしまうのが情報過多による思考停止なのではないか、あるいは人間として大切な感情をどこかに置き去りにしていってしまっているのではないか、と。


どんどんと早くなる乗り物、生活、文明。
新幹線に乗って、純粋に、僕は便利ですごい!と感じた。これからもこの恩恵を自ら進んで受けていくことになると思うし、それをあえて遠ざける必要は当然ない。
けれど、この速度が当たり前となる以前の人々の感情や経験も大切にしたいと、僕は思う。5km/h、人の感情がしっかりと働く速度、その中での経験を。




2/19/2014

【就活生への注意(自分にも言い聞かせていること)】

facebookにポストした内容を、備忘録としてこちらにも。


【就活生への注意(自分にも言い聞かせていること)】

就職活動をしていると、「めちゃくちゃフレンドリーな人事の人」と出会う事がよくあります。あるいは「欲してもいないのに様々なものをプレゼントしてくれる会社」や、「私も昔は◯◯だったんだよー」と自分との共通点をとにかく引き合いに出すOBもたくさん見受けられました。

本当に親切で、就活生のことを思いそのような対応をしてくれる企業もあるのでしょう。しかし、よく考えてみてください。多くの人事の方の任務は「定められた採用の枠をうめるために、出来るだけ優秀で自分の会社を理解してくれている人材に、『YES』と言わせること」です。企業は僕らを選考しますが、僕達も企業を選べます。そして最終決定権を持つのは僕達です。そのため、一部の人事や企業は、様々な手段・手法を用いて、人材を競合他社に取られないためのアピールをしてきています。

そのために用いる説得の方法=『YES』を導き出す方法=企業を選択させる方法が、図らずとも保険のセールスや自動車販売の営業マンの用いる様々な心理テクニックであったり、グリコのオマケ商法、アイドルが登場するテレビ広告が及ぼす影響力と似ているのです。お菓子などの商品を購入する際に、実は一番大切なその商品自体がもたらす便益を考えたり考察することなく、◯◯が宣伝していたから良いものに決まっている!と考えてしまう心理と一緒です。

ある企業に、自分が思っていた以上に好意を抱いていたら少し立ち止まって、なぜ自分が好意を抱いたのかを考えなおしてみるべきです。広告に騙されていたり、過剰に反応しているだけなのかもしれません。もしかしたら自らの利益の最大化に囚われている誰か・何かに騙されているのかもしれません。疑心暗鬼になってしまうかもしれないけれど、就活の『YES』は、車や保険を購入すること以上の一生ものの選択となりえます。就活の本質(であるのかわかりませんが)である就職先の業務内容や実際に働いている人の様子にも着目するべきでしょう。

父親から勧められて読んでいる「影響力の正体」(ロバート・B・チャルディーニ)(社会心理学の古典「影響力の武器」の新訳版、こっちのほうが読みやすい)、これからどこかに『YES』を言う僕のような就活生、賢い消費者になりたい人、或いは広告や営業で多くの人から『YES』を引き出す仕事をする人、とにかくすべての人にオススメの一冊です。



影響力の正体 説得のカラクリを心理学があばく [単行本]

影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか [単行本]

2/14/2014

論語と算盤と就活

12月から始まった就職活動も、早2ヶ月半が過ぎた。
様々な会社で働く社会人の方とお会いして、その中からは面接を受けさせていただく会社もあり、けれど残念な連絡もあり、なぜか次の一歩を進められる会社もあり、一喜一憂を繰り返す。
これからますます増えていくこの特別な機会、経験を、惜しみなく受け止め、自らの成長につなげたいと心から想う。


就活中、縁あって出会った一冊の本、渋沢栄一の「論語と算盤」。

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書) [新書]

数日前の日経新聞で、某企業の社長がこの本を座右の書としてあげていて、「読みたいなぁ…」と考えていた。そんな矢先に、尊敬する先輩の、そのまた先輩をOB訪問した際に再びこの本を紹介され、手に取ることになった。


商業に論語の道徳観を組み込み、短期利益を追い求めるような経営・実業ではなく、「利潤と道徳の調和」を謳い、数々の企業を立ち上げた渋沢栄一。氏の精神性に惹かれるものが多くあった。そして何より、人の「徳」や「仁」を本気で感じ考えている人でであることも感じ取れた。


以下、本書より抜粋。
『道徳というのは、他の理学や化学といったもののように、少しずつ進化していくものなのだろうか。言葉を換えれば、道徳は文明の進化に従って、みずからも進化できるのだろうか。』第5章 理想と迷信 p109 
『だいたいにおいて、人を評価して優劣を論じることは、世界の人の好むところであるが、よくよく真相を見極めるむずかしさは、さまざまな事例からも窺われるもの。人の真価というのは、簡単に判定されるべきものではないのだ。本当に人を評論しようと思うならば、その富や地位、名誉のもととなった「成功か失敗か」という結果を二の次にし、よくその人が社会のために尽くそうとした精神と効果とによって、行われるべきものなのだ。』 第6章 人格と修養 p129
『もし富める者も貧しい者とともに「おもいやりの道」を選び、そして「おもいやりの道」こそ人の行いをはかる定規であると考えて社会を渡っていくなら、百の法律があろうと、千の規則があろうと、そちらの方がすぐれていると思うのだ。』第7章 算盤と権利 p154
『昔の学問と今の学問とを比較してみると、昔は心の学問ばかりだった。一方、今は知識を身につけることばかりに力を注いでいる。また、昔は読む書籍がどれも「自分の心を磨くこと」を説いていた。だから、自然とこれを実践するようになったのである。さらに自分を磨いたら、家族をまとめ、国をまとめ、天下を安定させる役割を担うという、人の踏むべき道の意味を教えたものだった。』第9章 教育と情誼 p193 
『今日の時代は高度な教育を受けた人物の供給が多すぎる傾向が見受けられる。学生は一般的に、高度な教育を受けて、立派な事業に従事したいとの希望を持っている。だから、たちまちそこに人が集まり、供給過剰を生まずにはいられなくなる。(中略)今日の学生のほとんどは、その少数しか必要とされない、人を使う側の人物になりたいと志している。つまり学問をしてきて、高度な理屈も知っているので、人の下で使われるなんて馬鹿らしいと思うようになってしまったのだ。』第9章 教育と情誼 p202

就活中、よく問われる言葉がある。
「就職活動の軸はなんですか?」 
「グローバル」「お金」「若い頃からの成長」「安定」「大都市での勤務」「挑戦」「尊敬できる先輩」「整った福利厚生」…その全てが、もちろん僕も欲しい。
けれど、もし最終的に決断をしなければならないときには、評価をするときには、僕が軸に据えたいものは渋沢栄一が「論語と算盤」の中で説くような「徳」になるのだと本書を読み終えて改めて思った。

「徳」を涵養する環境自らを磨き、尊敬する人と働き、愛する人を幸せにし、会社に貢献し、日本を元気にし、世界を安定させること。
キレイ事すぎて具体性ゼロであるけれど、そんな風に生きられたと、死ぬ瞬間に思えるような人生を過ごしたい。

就活の終わりまで残り2ヶ月ほど。テストセンターの勉強とか、会社研究とか、自己研究とか、そして、「徳」の有無を見極めることとか。やることは山積み。
しっかりと、一歩づつ。丁寧に、楽しみたい。

2/01/2014

"break the bias"

インターンシップに参加して、TEDスピーカーにもなった濱口さんからレクチャーを受けた。


"break the bias"
固定概念や常識を打ち壊すこと(すなわち、先ずはそのバイアスを構造的に見つけること)が、全く新しく、実現可能で、議論を呼び起こすビジネスのアイデアやイノベーションの種となる。そんなことを学んだ。
今月号の雑誌「ブレーン」の特集になっているらしいです。
(⇒ブレーン 2014年 03月号

とても有意義でワクワクする時間であったけれど、僕はまだビジネスをしているわけではない。そんな僕がビジネスに関することを思考実験的に仮定して考えてプレゼンしてみても、いまいちリアリティがないのが本音でもあった。そんなわけでレクチャーを聞きながら、もっと身近な、僕達人間が抱いている日々の感情や感覚のバイアスについて考えていた。
なぜか、インドでの日々を漫然と思い出しながら。


人は、ほかの人が同じことをしていれば、それがより適切な行動だと思う傾向があり、それは通常うまくいく。概して、社会的な証拠に従って行動するほうが、それに反して行動するより間違いは少なくなるからだ。その案外正しい行動や思想が、当たり前となり、常識となり、バイアス=固定概念を生み出す。それはときに不条理で、見る人によっては非常に不気味な現象となる。
(⇒「みんなの意見」は案外正しい(ジェームズ・スロウィッキー)


知恵の足りない僕は、固定概念の存在を「はっ!」と導き出すことが、あまり出来そうもない。でも、持ち前の行動力と、人並みの好奇心なんかを持って、海外に一人旅に行くと、「当たり前が当たり前でないこと」に度々気がつく。そんなことを何度も経験してきた。その中でも、インドに言って感じたことや気づいたことの多さと深さは今思い出してみても格別だった。


手足に障害があったり貧しい人がいたら助けること。
若者は元気に学び将来に夢を持つこと。
夜の街は明るいこと。
人生は長く永遠に続くものだということ。

そんな僕の人生の中での「当然」が、インドではみるみる崩れていった。

僕を騙すために、お恵みをもらうために、わざと自らの手足を切断する人がいた。
6歳の子供が、学校に行く時間を惜しんで田畑で作業をしていた。
夜の街に灯りがともらない農村もたくさんあった。
人生は有限であることを、ガンジス川で焼かれる死体を見て気がついた。

人として生きることってなんだろう。
そんなことをやんわりと考えるきっかけとなった。







「はっ!」と気づくことができない僕みたいな人でも、気づくことができるようになる方法というのが、インターンシップで濱口さんが伝えて下さったことだった。
しかし、まだこんなに世界が多様で楽しいのだから、そして人間は他者を理解する力を本質的に備えている(と、僕は信じている)のだから、自分の属する人との会話や観察、実験からイノベーションを見つけられたら面白いだろうとも感じる。

イノベーションにも色々な種類があるけれど、人間の「相互作用」によって生まれたイノベーションのほうが、僕はなんとなく好きなんだと思う。

また、無性に、インドに行きたくなってきた。