2/24/2015

砂漠・砂丘の美しさとは

砂漠・砂丘の魅力とはなにか。
それは、人の手が加わることなく、ただ風と砂と空という最小限の構成要素によって、これほどまでの美しさが織り成されるということ。
これに尽きると思う。




人生で3度目の砂丘・砂漠を訪れた。
リマからバスで南に向かって4時間、ナスカにほど近い都市、Ica(イーカ)。
そこからすぐにある砂丘とオアシスの町、Huacachina(ワカチナ)。
ここは、僕の親友が昨年夏に訪れて、
「オアシス(宿が集まっている場所)を見失って遭難しかけた…」
と語っていた場所。彼の話を聞いてみて「行ってみたい!」と思った、今回の旅の目的地の一つ。


今まで僕が訪れたことがある砂丘・砂漠は、カリフォルニア・デスバレーの砂丘、チュニジア南部のサハラ砂漠、そして今回のHuacachinaで3度目となる。


そもそも、砂丘と砂漠の違いってなんだろう?そう思って調べてみると、砂丘で有名な鳥取の観光サイトを見てみると、次のような説明があった。
[Q]砂漠と砂丘の違いは?
[A]鳥取砂丘は砂漠ですか?とよく聞かれます。この答えはノーです。
鳥取砂丘は砂漠ではありません。そもそも日本には、砂漠は存在しません。
では、砂漠と砂丘の違いは、何でしょうか。
一番の違いは、雨の量です。砂漠は乾燥地気候の中で乾燥が著しい地域にあります。乾燥のため生物の活動がほとんど維持されない不毛の地です。
一方、砂丘は、風によって運搬された砂が堆積して丘などの地形を作ったものです。鳥取砂丘は、中国山脈から千代川によって日本海まで運搬される土砂がやがて砂となり、北よりの風により海岸に吹き上げられ堆積してできた海岸砂丘です。
鳥取砂丘では、雨もたくさん降るし、冬には雪も積もります。植物も育ちますが、砂の動きが激しいところでは、植物が生長しにくく、広大な砂の面が広がっています。
この広がりを見た方は、その広さに感動し、思わず砂漠を連想します。
よく知られている風紋だけでなく、砂がしめったときに強い風が吹くと砂柱と呼ばれる砂の造形を見ることもできます。
また、湿った砂の斜面が、乾燥して砂が崩れるときには砂簾を見ることもできます。
鳥取砂丘王国-砂丘のヒミツ(Q&A)

もう少し調べてみると、年間降雨量が250mm以下、または降雨量より蒸発量のほうが多い地域などの定義もあるという。

砂漠と認定されるには雨が多すぎるようなHuacachinaの砂丘。
しかし、見渡すかぎりに砂山が続く様子、美しい風紋、友達が遭難しかけるような距離感と方向感を失うような環境は、砂丘か砂漠かなどの定義などいざ知らず、ただただ魅力的だった。



ブログのタイトルに用いた「砂漠で」。これは、僕が一番好きな本、サン=テグジュペリ『人間の土地』の章題の1つ。

砂漠、砂丘…
これらの言葉に、草木が芽生えることのない無味乾燥な不毛地帯を思い浮かべる。
しかし、ただ砂と、風と、空によって、息を呑む美しさが生みだされることを改めて見知った。

美しさは実は、やっぱり、シンプルなもの。
そして、一見あり得なさそうな場所にひっそりと存在している。
そう思った。
砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているから
What makes the desert beautiful is that somewhere it hides a well..
-『星の王子様』



2/21/2015

リマの街角

ペルーの首都、リマ。
世界遺産に登録されている旧市街であるけれど、鳴り止まないクラクション、排気ガスのスモッグ、溢れるほどの人が乗るバス…美しさよりも混沌さに目が止まった。
思い返してみれば、自分が今まで訪れた都市の多くは日本と同等の先進国。中進国というか、これから大きくなっていくのであろう国々を訪れた経験は少なく、写真で見たリマの都市との違いに、久々のカルチャーショックを受けた。


街には、たくさんの街角がある。旧市街の騒がしさもリマの一つの姿であるが、それとは全く異なる趣を放つ場所もある。
東京で言えば新宿は多くの旅行客が足を運ぶセンターであろうが、浅草や谷根千にあるような下町情緒はなく、また代官山のような洒落た雰囲気も少ない。
初めて訪れる大きな都市では時間の許す限り街を歩き回る。地図やガイドブックには載ることのない、思いがけない素敵な街角と出会うこともままある。

リマを歩き、僕が見つけた素敵な街角は、中心部からはバスで30分、南部のBarranco地区にあった。
今回泊めて頂いた家からすぐのこの地区は、昔はヨーロッパ系の人々のお屋敷街であったり、別荘宅が集まる地域だったという。現在もスペイン統治時代の面影を残す伝統ある家々が散見される。
現在はナイトクラブや瀟洒なお店が点々とし、若者も集う少しハイソな街となっている。滞在した2日間、時差ボケで早起きしてしまった早朝に1〜2時間、店はまだ閉まり、通りも少し閑散としている時間に散歩をした。










屋台で朝食を済ます人や、海岸沿いをランニングする人。
壁に描かれた色彩豊かなアート、ポップな色の街灯。
白と原色の壁を彩るハイビスカス、ブーゲンビリアなどの熱帯の花々。
静かで、少し歩くと太平洋が眼下に望める場所もある。

旧市街の喧騒にへこたれていた矢先であったので、静けさと彩りに落ち着きを取り戻し、一層と気に入る場所となった。後から見たガイドブック、地球の歩き方には、この地区はほんの少しだけしか紹介されていなかった…。

初夏のリマ。
気温は28度ほどで蒸し暑く、歩くと汗ばむ気候。
それでも、太平洋からの心地よい風が朝夕にはそよぐ。
夕刻には、美しいオレンジが綺麗に海岸線を染めていた。




2/18/2015

遥けき土地の基準

中東はイスラム
北欧は福祉
アフリカは貧困
北米は先端
アジアは新興
ヨーロッパは伝統

幾つもの国を包括する「地域」、決して一言で形容することなどはできようもないのに、多くの人は一括りに表現できる言葉を探し、使う。未知なるものを理解するときに、これらの言葉は偏見として忌むべきものにもなりうるが、基準として便利なものになることも多い。ここから、たくさんの「やっぱりね」と「意外だ、イメージと違う!」を見つけていく。基準となるべきものがあると、そこからの差分が見つけやすくなり、異文化理解が進む。そんなこともある。

さて、南米の基準となる言葉はなんだろう。
貧困だろうか。しかし、ブラジルの首都の物価は既に東京よりも高いと聞く。国の成長のポテンシャルも高く、世界は日本より南米の大国を意識する。
陽気だろうか。しかし、標高4000mの高地で穏やかに暮らす人々もいる。静かな人々の声をすくい取ることは難しく、声の大きく派手なものが印象としては強烈に残りがちになる。
歴史だろうか。しかし、僕は南米の国々の成り立ちをほとんどと言っていいほど知らない。世界史で、アルゼンチンやブラジルやチリといった国々の歴史的経緯を学んだ記憶はない。

日本からの直行便の飛ばない、遥けき大地、見知らぬ人々。
書店へ図書を求めに行っても、南米の国々を取り上げた旅行雑誌、ガイドブック、紀行文は他の国々を取り上げたものと比較にならないぐらい少ない。遠すぎて、訪れる人が少なく、そのような書籍を買い求める人が少ないからだろう。人々の関心が向かないものは、価値にも情報にもならない。情報が溢れるほど存在する現代においても、僕達の知らないこと、知ろうとしないことは山ほどある。

5週間ほど、南米へ一人旅。
ペルー、ボリビア、アルゼンチン、ブラジル…。
マチュピチュやウユニ塩湖などの有名な土地=情報が溢れ価値ある場所にも訪れるけれど、できたら知らなかったこと、行かなければ気付かなかった新たな価値を見つけられたらいいなと思う。

アメリカ、ダラスでトランジット。
これからリマへ。
行ってきます。