12/14/2015

『峠』司馬遼太郎

長岡での生活も残り10日間と少しになった。
年明けからは同じ新潟県内であるけれど、別の地へと移動する。
わずか4ヶ月の滞在であったけれど、僕にとっては人生ではじめての東京以外の「地方」と呼ばれる場所での生活、それがここ新潟県長岡市だった。


はじめてこの土地を歩いて、先ず目についたものが「雁木(がんぎ)づくり」。
雪国で、通りに面した軒からひさしを長く出して、その下を通路としたもの。
現代語ではアーケードとなるだろうか。
駅から自分が住む場所まで、ほぼ途切れることなく雁木づくりが連なっている。雨に濡れることなく生活ができた。そしてもうすぐ訪れる豪雪の時期には、日々の生活を守る手段となる。
東京や南国では見られない雪国の工夫のひとつ。



長岡という土地をもう少し知りたいと思い、何冊かの本を手にとった。
その中の1冊が、司馬遼太郎の『峠』
司馬作品には『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』といった大作があり、それらは以前に読んでいたけれど、『峠』については全く知らなかった。


時代は幕末。
峠の書き出しは、越後の城下、長岡の様子を書き出すことから始まる。
 雪が来る。
 もうそこまできている。あと十日もすれば北海から冬の雪がおし渡ってきて、この越後長岡の野も山も雪でうずめてしまうに違いない。
(毎年のことだ)
 まったく、毎年のことである。あきもせず季節はそれをくりかえしているし、人間も、雪の下で生きるための習慣をくりかえしている。
(中略)
 継之助は、町をあるいていた。
(北国は、損だ)
 とおもう。損である。冬も陽ざしの明るい西国ならばこういう無駄な働きや費えは要らないである。北国では、まち中こうまで働いても、たかが雪をよけるだけのことであり、それによって一文の得にもならない。
 が、この城下のひとびとは、深海の魚がことさらに水圧を感じないように、その自然の圧力のなかでにぎにぎしく生きている。この冬支度のばかばかしいばかりのはしゃぎかたはどうであろう。
季節としては、雪の到来間近のまさにこの時節の描写である。
それだけで、この本に惹かれた。
スタッドレスタイヤに変える、消雪用散水機のメンテナンスをする、スノーポールを立てる、木々に雪吊りを施す…時代は移り変わったが、人間が自然と相対する姿勢の根本的な部分に変化がないことを知る。
損で、面倒な冬支度だが、それを施す長岡の人々はどこかはしゃいでいるように感じられた。


ところどころに表される長岡のかつての描写もさることながら、この本の主人公、越後長岡藩の藩士・河合継之助のという人物が良かった。その生き様が美しかった。
幕末という乱世において、行動を第一義とした人。
時勢に流され「楽なほう」「得なほう」に与するのではなく、志を貫いた人。
先見の明をもって藩主と家臣の封建制が崩れ去ることを知りながらなお、「人は立場のなかで生きる」という信条を持ち、最後まで藩のために、侍として生きた人。


その結果は、ここ長岡を戊辰戦争・北越戦争に沈め、焼け野原にした。
竜馬や土方歳三のような明快な英雄ではない、幕末の「負け組」といっていい。
彼の墓碑が建てられたとき、長岡ではそれを破壊する人まででてきたと言う…。


人物を評するとき、事を為さんとするとき、何を判断基準とすればよいか。
「損得」は束の間のまやかし。
「好き嫌い」は感情のいたずら。
「正しい正しくない」はエゴのおしつけ。
河井継之助の生き方を知り、それは「美しさ」であるべきだと思った。
彼の生き方は、損をし、嫌われ、正しくなかったかもしれないが、ただひたすらに美しく、最後の瞬間までその美しさを貫いた。
日本的な感覚であると思うが、僕は彼の成し遂げたことではなく、その生き様に感動した。


長岡で生まれ、長岡のために生きた歴史上の偉人、河井継之助。
その人の思想と生き方に触れられる司馬遼太郎の『峠』という名作。
是非多くの人に読んでみてもらいたい。



12/05/2015

スペイン語と"Pepe" Mujica

スペイン語の勉強を始めました。

今年の初めに、卒業旅行として訪れた南アメリカ大陸。5週間という限られた期間であったが、ペルー、ボリビア、チリ、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンを見て回り、日本とも欧米社会とも異なる文化・価値観・歴史、問題点や美徳を見知った。
(→All Over Coffee:遥けき土地の基準


旅の最中、僕は適当なスペイン語を学び使いまわした。というのも、南米ではほとんど英語が通じなかったから。

「英語は世界語」。
世界中のどこにいても英語は少なからず通じるという思い込みを、アメリカやヨーロッパやアジアにいると感じてしまう。ヨーロッパ諸国、アジア各国は一つ一つの国に固有の言語を持つことが多い。タイ語、日本語、ドイツ語、中国語、イタリア語…などなど。僕らは隣接する国、繋がりの深い国の人々と交流を図るときには、自然と「他国の人とコミュニケーションを取るための言語」として英語が口から出てくる。それが当たり前となっている。

中南米における国際共通語はスペイン語。英語ではない。
南米で出会った人の多くには、右・左という非常に初歩的な英語も通じないことが多かった。
スペイン語だけで成り立つ大きな経済圏が中南米には広がっていて、他の国々の人と日頃接する必要がないせいか。あるいは、大国アメリカが勧める新自由主義や覇権主義に反抗する一種の政策なのか。その理由は定かではないし、様々な理由が国々人々の内にはあると思う。しかし、旅人として、南米諸国の英語に対する感度の低さには驚きと共に苦しめられ、そして新鮮さを感じた。英語を学ぶだけでは世界を知るには不十分であることを身をもって知り、それがスペイン語を学ぶモチベーションとなった。


スペイン語を学ぶ過程で、深く知りたい人がいる。得たい知見がある。
それは、ウルグアイの元大統領、「世界で最も貧乏な大統領」として有名になったムヒカ大統領が2012年のリオ会議で訴えた心構え。そのスピーチは多くの人の心を捉え、絵本にもなった。その本はアマゾンの2015年上半期「絵本・児童書」ランキングで、1位になっている。

スピーチの全文和訳が、リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)としてブログに掲載され、日本でも少し話題になり、書籍化もされている。
和訳文章は、転載自由との事だったので、このブログの最後に転載した。
是非、多くの人に読んでみてもらいたい。


2ヶ月前に公開されたドキュメンタリー映画「HUMAN」に関連したyoutube動画で、ムヒカ元大統領は彼の考えるあるべき社会、美徳を訴えかけている。
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。 
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか? 
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」 
人は物を買う時は、お金で買っていないのです。そのお金を貯めるための人生の裂いた時間で買っているのですよ

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
深く、優しく、心理をついた言葉であると僕は思う。 
彼の言葉をスペイン語で直接理解できるように、いつかなるだろうか。
ゆっくりと、新たな言語と、その言葉が与えてくれる学びを、この身に吸収していきたいと思う。





ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)
会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。 
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか? 
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。 

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか? 
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。 
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか? 
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。 
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。 
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。 
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。 
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。 
昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています 
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」 
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。 
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。 
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。 

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。 
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。 
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。 
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。 
ありがとうございました。
参照元 Read the original here: http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/#ixzz3tRIwtbTt Under Creative Commons License: Attribution Non-Commercial Follow us: @hanabiweb on Twitter | hanabiweb on Facebook




10/07/2015

撮ることと描くこと

写真を撮ることと絵画を描くことについて。
2つの行為は、美しさに対する並行する行為であると知った。



先日、東京に帰った際に東京都美術館で開催中のモネ展を訪れた。
《印象派》という言葉を世に送り出したモネの《印象、日の出》が展示されており、開催初日にもかかわらず大盛況の様子であった。


《印象派》という絵画の流派について、中学生の頃の美術の授業で学び、ヨーロッパを旅しながら実際に見て回った。また、モネの連作である《睡蓮》や《ルーアン大聖堂》は国内外様々の美術館で巡りあった。
色彩の美しさ、自然光の尊重、描写される空気感などが印象派と言われる画家の作品に通じる部分である。写実的であることを良しとしていた19世紀中頃のサロンで、書きかけのように見えるモネらの作品は「印象的」と批評された。しかし、後の落選展や印象派による展覧会で彼らは徐々に人々からの支持を得ていき、現代にまで残る名声を得ることとなる。


印象派が市中の人々に高く評価されていく過程において、カメラの存在が影響するところは大きいと思う。
第一回の印象派展覧会の開催は1874年。
一方で、カメラが世に出回り始めたのは日本の歴史人物で写真が残されているのが明治時代を生きた人であることからもわかるように、1850年前後から。
「今日を持って絵画は死んだ」という台詞をフランスの画家ポール・ドラーシュはカメラの出現に際して放ったように、ただ写実的で緻密であることに関してカメラは絵画を凌駕した。


画家は、そして人々は、絵画に現実的ではない何かを求め始めた。
それが芸術家の主観的な感覚を表現する「印象派」「フォービズム」を生み評価した。そう考えてもおかしくないだろう。科学の台頭に、こころが抗う。科学・宗教に代表され、現代のデータ社会でも頻繁に出現するそんな対立構造が18世紀中頃の美術界にもあったように思える。
しかし、人間の「美しさ」に対する本質的な欲求に対して、カメラ・写真の出現は絵画に対する破壊的イノベーションとはならず、異なる手法で補完的・相補的に存在し続け現在に至っている。
撮ることと描くことは、美しさに向かう並行した行為であり続けている。


従来の写真はひたすら受動的な創作だった。瞬間を切り取るためにひたすら待ち続け、リアリティーを追い求めることが中心。
しかし、デジタル化と共にレタッチや合成といった作業が容易になり、写真に対しても絵画のように《印象》を与えることが可能となった。表現の幅は大きく広がった。
そして僕のように絵心がない人にとっても、行動と観察と瞬間を切り取る少しの時間があれば、心が捉えた感動を描くことができるようになった。
なんとも嬉しいことである。


昨日のこと。
信濃川を自転車で走っていると、突如一面のススキ畑に巡りあった。
夕日に照らされ、穂は輝き、金風に揺れ、ただただ美しかった。
そのときの《印象》を残したいと思った。大切な人に伝えたいと思った。
カメラを取り出し、印象が写るように設定をする。
露出を下げ、色温度を上げる。シャッタースピードは穂の輝きが写るように。
息を止めて静かにシャッターを切った。





…似たようなブログを、2年前にも書いていた。
この時はターナー展。季節はやはり秋。
秋は人の心を掻き立てるもの、らしい。
『ターナーの記憶色と空気感』

8/23/2015

夏休みの宿題

夏休みの宿題といえば、自由研究か読書感想文と相場は決まっている。
その名の通り、どんなことでも許される自由研究とは異なり、読書感想文は制約が多くて難しい。
先ず、本を読まなければ始まらない。更にその感想を、文字に落とし込まければならない。
夏休み終盤のこの季節、小学生の僕は読書感想文などの執筆系の夏休みの宿題に頭を悩ましていた。
(ちなみに、夏休みの期間と時期は、東京都ではだいたい7月18日(土)~8月24日(月)まで。まさにこの週末に駆け込み宿題消化していた子たちも多かったのではないだろうか)


幾千もの言葉をつらつらと表層的に並び立てるより、目頭が熱くなり、心がぎゅっとなり、読み終えた後にはぁーっと息が漏れる。そんな感情を抱くことが大切。 感想をどうやって表現するかは、人それぞれ異なってもいいのではないだろうか。

感想文も、よし。
感想ペイントも、よし。
感想写真も、よし。
感想ダンスでも、感想ソングでも、感想シャウトでも、よし。
僕が先生だったら、ガラスの瓶に感動して流した涙を持ってきたら、それだけで「よし」にしてあげたくなる。

最近読んだ小説の中から、5冊。新潮文庫の100冊に選ばれてた、女性作家のもの。(→「この感情は何だろう。」
どれも、柔らかく、優しく、良かった。
昔あれほどさぼった、夏休みの宿題、感想文を少しだけ書いた。書きたいなと思った。
でも、やっぱり感想を言葉に落としこむことは難しい。
今度は感想写真を撮ることにしようかな。


1.レインツリーの国 有川浩
「綺麗どころだけを見せない関係」
 心に残った本と、インターネットのブログを介して、男女が出会い、恋に落ちる。僕自身もブログをこうやって書き(さらにこのエントリーは読書感想文)、一人ひとりがネット上に様々な私情を綴ることに抵抗感のない時代、街なかで一目惚れするよりも、ブログを読んで面識のない誰かの思想に惹かれる。そんなことは、珍しくなくなっているのではないだろうか。この小説も、そうやって2人の男女が出会う。
 外見ではなく趣味やSNS上の投稿から誰かの中身を好きになる。とても素晴らしいことのように聞こえるけれど、そこに少しの危うさも感じるのはなぜだろう。ブログやメールやSNSで吐露された感情は、誰かに読んでほしいという思いによって綴られた洗練されたものばかり。お見合い写真のように少しすました、そとっつらの良い写真に過ぎない。僕達の世代の若かりし頃の「盛れてるプリクラ写真」のようなものかもしれない。
 本当に誰かと通じ合うということは、相手の良い所だけではなく、悪いところも、弱いところも、盛れていない素の部分を理解するということ。そんな関係性が素敵な男女関係。小説の主人公たちも、お互いの弱さを共有し、さらけ出し、深まっていく。


2.楽隊のうさぎ 中沢けい
「音と音楽を読む本」
 目に見えない音楽の感動を、言葉で表現する。それも、中学生の、音楽をやったことがほとんどない子供の心を通して。小説を読んでいるはずなのだけれど、心の奥で音が流れてくる。多分に、僕が通っていた中学校の放課後に響きわたっていた吹奏楽部がこの小説の様子が似ていたからであるだろう。それでも、10年も昔の音を読者に想起させる表現手腕に脱帽。そして、あのとき夢中に吹奏楽にのめり込んでいた友人たちが感じていたであろう音楽の素晴らしさ・美しさを追体験できたことに感謝。
 音楽に感動するとはどういうことなのかと、耳が聞こえない彼/彼女に尋ねられたら、この本を読んでみれば少しはわかるかもしれないと、そっとプレゼントしたい。


3.西の魔女が死んだ 梨木香歩
「歳を重ねるということ」
 「人はみんな 幸せになるように できているんですよ。」西の魔女こと、おばあちゃんが、孫のまいに魔女修行として伝える言葉の数々。それは、人生を長く長く生きた過程で得られた知見。生活を整えること、生活を守ること、意志の力を持つこと…。年頃で、周りの環境に左右される中学生の少女は、魔女修行としてそのひとつひとつを実践していく。
 まいの悩みは、本当に思春期特有のものなのだろうか。周りの友達とうまくやっていけない。認めてもらえない。やりたいことができない。これらの悩みは、実は人生の節目節目で多くの人が陥っている。歳を重ねるとそんな不都合と向き合うことをせず、酒に逃げたり、諦めたりすることが多くなるだけ。みんな本当はどうやって変化する周りの環境と、自分に向きあうべきかを悩んでいる。この本は、少女の悩みと読み手の悩みを重ねあわせ、おばあさんの啓示を頂きハッとする。そんな本。だからこそ、幅広い年代の、人生に思い悩む人が読み心に残る本となっている。
 思春期の頃の悩みと、26歳になった僕の悩みが根本的には変わらぬことを知り、なーんだと、ホッとした。考えてみれば大人と子供への変化は連続的であり、実はそれらの間には大きな差はないのかもしれない。大人には、いつまでたっても子供の名残がどこかに残っている。


4.しゃぼん玉 乃南アサ
「田舎とおばあという、現代に効く処方箋」
 小さな犯罪を積み重ねた不良少年が、田舎とおばあという遅効薬でじんわりと癒されていく。小さな更生ストーリー。そんな様子を読みながら、僕自身も癒やされていく。そして少しだけハッとする。僕も現代という病に侵されているのではないか、と。
 しゃぼん玉は、ビル風吹き荒む都会や、人が多く行き交う場所、アスファルトの上ではいともたやすく弾け飛ぶ。その美しさに見惚れる前に。その儚さに心寄せる前に。人の心の中には、そんなしゃぼん玉のような弱さがあると思う。その弱さを隠そうと、上辺ばかりをつくろって、強がって、生きる。それが現代病。都会病。
 あ、都会病かも…。そう思ったのなら是非この本を。


5.ツナグ 辻村深月
「死者を求めるのは生者の消費か」
 亡くなった人のことを思い偲ぶ。どんなに思いを込めたとしても、泣け叫んだとしても、返答は、ない。ツナガラナイ。だから、「亡くなった◯◯はきっとこう思っているはず」という勝手な解釈は、生き残った人のエゴであり、死者を都合よく消費しているに過ぎない。そんな問題提起をこの小説から投げかけられて、どきりとした。
 小説の中では、一生に一度だけ、生者は死者と”ツナグ”を通じて面会することができる。一生に一度だけ。あなたなら誰に会うか。父、母、祖父、祖母…これ以上増えることのない血縁のある者か。かつての彼女、親友…愛や絆という目では見えない何かでつながったものか。読み進めるうちに、死というものを身近に、しかし恐怖感なく考える、素敵な機会を得られる。良書。
 心に残った言葉を、本文中から抜粋。
それは確かに、誰かの死を消費することと同義な、生者の自己欺瞞かもしれない。だけど、死者の目線に晒されることは、誰にとっても本当は必要とされているのかもしれない。どこにいても何をしてもお天道様が見ていると感じ、それが時として人の行動を決めるのと同じ。見たことのない神様を信じるよりも切実に、具体的に誰かの姿を常に身近に置く。
あの人ならどうしただろうと、彼から叱られることさえ望みながら、日々を続ける。

7/19/2015

池袋、天井の低い通路、その先の本屋。

「東が西部で西、東武」

電器量販店のCMでお馴染みのこのフレーズは、池袋を表現している。
東武デパートは池袋駅の西側に店を構え、西武デパートは東側に。どちらも素敵な品揃えの百貨店であり週末には息が詰まるほど混雑している。しかし、デパート以外の店舗は圧倒的に東側が優勢。サンシャインシティに映画館、そして大規模な本屋さんは池袋には東側にしかない。その一角、西武デパートの中にある「リブロ池袋本店」がその40年間の歴史を明日で終える。

蟻の巣のように張り巡らされている池袋地下道を歩き、南東の端、西武百貨店の入り口へ向かう。デパ地下の熱気と香りを左手に感じながら天井の低い通路を抜けると、文庫や新書、ビジネス本が揃う池袋リブロの別館に着く。入り口ではブックフェアや、その時々のおもしろい催しが開かれている。さらに奥へ向かうと、地下一階から四階まである書籍館へ。英語の本は3Fに、ブルーバックスなどの理工図書は2Fにある。
池袋リブロをくまなく見て、目当ての本や面白そうな本が見つからなかったら、一旦外に出て、無印良品をちらりと覗いた後に、斜向かいにあるジュンク堂書店へ…
池袋近郊に住む本好きの人の「本を買い求める動線」は、ほとんどみんな、このような感じだったのではないだろうか。




大の本好き・読書家の池上彰さんも、日経新聞の月曜日に持っているコラム「池上彰の大岡山通信 若者たちへ」の5月18日付け版で、「本棚は志を映す~リブロ池袋本店の閉店に思う」と題してリブロ池袋本店の閉店について書かれていた。
この書店、他の大型書店と同様に多数の書籍を並べているものの、品ぞろえには独特のものがありました。「誰が買うんだろう」と思うような高価な専門書が並ぶこともあれば、書店がテーマを決めたブックフェアも実施され、立ち寄るたびに新たな発見がありました。
長くじっくりと売れる“長距離ランナー”は早々と姿を消し、スタートダッシュが得意な“短距離ランナー”は生き残る。でも、短距離ランナーばかりになってしまったら、書店の景色はつまらないものになるだろうなあ、と思うのです。
「売れる本なら何でもいいだろう」とばかり、世のブームにおもねった本ばかりを並べた書店に出くわすと、店長や書店員の志を疑い、早々に店を出てしまうこともあります。 
 その一方、「この本を売りたいんだ」という志が見える棚があると、嬉(うれ)しくなって、つい店内に長居をしてしまいます。 
 池袋のリブロは、そんな“長期滞在”が心地よい書店でした。場所を変えての再出発に期待しています。
(以上、5月18日付け日本経済新聞より引用)

池袋リブロの後には、同じく書店の三省堂が入ることになっているという。でもやはり、20年近く通った池袋のリブロがなくなってしまうこと、天井の低い通路を過ぎた後に待ちかまえているブックフェアとリブロのロゴが見えなくなってしまうことが、なんとも寂しい。

実質的にAmazonは日本一の本屋となった。
インターネット書店、電子書籍、リコメンド機能の功罪に関する議論は既にかなり出尽くされ、僕もこの4年間、様々な書店の浮き沈みから大好きな本屋についてぼんやりと考えてきた。
(→All Over Coffee『City Lights Bookstore』
(→All Over Coffee『それでも、僕は古本屋に通い続ける。』
(→All Over Coffee『「本」と、それにまつわる様々な「ストーリー」』
日本では、ネット書店が実際の本屋を淘汰するにいたらず(それは多分に日本人の「本」好きと、、駅構内など日々の動線上にある小さな本屋やコンビニで図書を購入する文化にある)、調和してきたかのように思われた。
しかし、ここに来て少しずつ出版業界や実際の書店で再編や変化が見られる。出版取次業界では日本出版販売、トーハン、大阪屋に次ぐ第4位の売上高を誇っていた栗田出版販売が先月、倒産した。大型書店や新規書店では、入り口に近い、いちばんいい場所が雑貨コーナーになっていることも多い。本を中心にして、書店、取次、出版社、作家が、互いを育て信頼関係を深めてきたのものが、脆く崩れやすくなっているように思う。

本と、音楽と、食事は、「人生における無駄で優雅なもの」(僕の元バイト先、Brooklyn Parlorの標語)である。無駄なものは、淘汰される。しかし、その結果、優雅さに欠けた、単調でつまらないものになってしまってもいいのだろうか。
便利だから、効率的だから、楽だから、タダだからという考え方を、「無駄で優雅なもの」にはなるべく適用させずにいきたい。優雅なものを作る人に報いることができなければ、泉は枯れ、巡り巡って僕達の人生を苦しめる。

テイラースイフトやサカナクションの山口一郎さんが、最近、様々なシーンで「音楽」のあり方について語っている。それと同じくして、本のあり方についても、僕らはもっと考えていかなければならない。

7/11/2015

「この感情は何だろう。」

幼いころの夏の思い出がある。

家から数分の場所にあった(今は閉店してしまった)書店へ向かい、涼しい本屋で、握りしめた500円かそこらで小説を買うこと。
重松清の「エイジ」、山田詠美の「僕は勉強ができない」、湯本香樹実の「夏の庭」…国語が大嫌いであった当時の僕でも、同年代の主人公が悩み苦しみ冒険し成長していくストーリーには感情移入でき、文章を読むことが苦痛ではなかった。

本を買うこと、それがなぜ夏の思い出になるのかというと、上であげた本はすべて新潮社の夏のブックフェア、「新潮文庫の100冊」に選出されていたから。
Yonda?君というパンダのキャラクターグッズを本を読み集めてもらったりしていて、実はかなり本を読んでいたのかもしれない。だから、僕にとっての夏の思い出は、もちろん炎天下で友達と遊びまくったこともあるけれど、涼しい本屋をでたときのムワッとした空気とともに選び抜いた小説を小脇に抱えて、家に帰りそれを読んだことだったりする。


昨日、会社からの帰りに書店に立ち寄ると、今年も「新潮文庫の100冊」フェアが行われており、そんな僕の夏の思い出がよみがえってきた。
読んだことがある変わらない名著もあり、全く知らない作家の小説もたくさん選出されていた。何れの本も名著で、読んだことがある本は今でも僕の心に強く残っているものが多かった。

http://100satsu.com/

幼き頃の夏の思い出とは変わっていたこともある。

一つ目はキャラクターがYonda?パンダからロボットのQUNTAになり、人のココロを理解するために本を読み、様々な感情を見つけていく…というPR方法。
もう一人の登場人物「書店のおじさん」は、未来からきたロボットQUNTAに本を読むことの素晴らしさを語る。

「本のなかには人間のいろんな
感情がつまってる。 
ワクワク。ドキドキ。モンモン。
自分って?生きるって?幸せって?
読んだあと、何かわかるかもしれない。
わからなくなるかもしれない。
でも、これだけは言える。 
キミの心は、
ちょっぴりだけど、
優しく、強く、
ユーモラスになってる。
毎日の景色が
違って見える。なんてね」

二つ目は、僕が大人になったということ。
今でも本はよく読むけれど、感情を育む小説ではなくて、社会派小説や新書、ビジネス本なんかに手がのびるようになった。
成長して社会人になったんだな、と思う。
でも、内面は、感情は育まれているのだろうか、と考えた。

「新潮文庫の100冊」の図書を、今年の夏はなるべく沢山読んでみよう。
「この感情は何だろう。」
そうやって、自分自身の中に芽生えるものと向き合うことは、ロボットでなくても、子供でなくても、とても大切なことのはず。

夏休みを終えた子どもたちが一回り大きくなって学校に帰るように、成長、できるだろうか。
26歳になる夏、大人の夏休みの宿題。


6/17/2015

ラマダーンが始まる

イスラム教の断色月、ラマダーンが明日から始まる。
今年は6月18日(木)頃から7月16日(木)頃の日没まで(予定)。
僕が入社した会社の同期には二人のイスラム教徒(二人ともインドネシア人)がいて、常日頃からハラールフード(イスラム法において合法なもの)を食べるようにしたり、定期的にお祈りをしている。
トルコ、チュニジアをバックパックで旅しながら、イスラム世界のことを勉強し体験したつもりでいたけれど、身近に一緒に過ごしているとまた気がつくことは多く、普段の言動や意識の違い、説明してくれる彼らの宗教観から学ぶことが多い。



明後日には、一緒に東京にあるモスク、代々木の東京ジャーミイへ行くことになった。
「ラマダーン」という言葉はかなり広く日本でも知れ渡ったように思えるけれど、まだまだ僕の知らないことも多い。
ラマダーンについて、インドネシア人の同期から昼ごはんを食べながら学んだこと、実際にイスラム圏を旅して経験したこと、調べたことを少し書き留めておく。


「ラマダーン」の意味を「断食」だと思っている人も多いけれど、実はこれは皐月、Januaryといった月の名前。イスラム暦の9月がRamadanと呼ばれる。
「断食」は「サウム」で、信徒の義務とされる五行の一つ。五行は、
  1. シャハーダ/信仰告白
    アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イッラッラー。ワ・アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー。(アッラーのほかに神なし。ムハンマドはアッラーの使徒なり)という言葉を唱えること。
  2. サラート/礼拝
    ムスリムは毎日、ファジュル(夜明け前の礼拝)、ズフル(昼の礼拝)、アスル(午後の礼拝)、マグリブ(日没の礼拝)、イシャー(夜の礼拝)と5回の礼拝が義務付けられている。
  3. ザカート/喜捨
    貧しい人々のために1年間で貯蓄できたなかから喜捨を行うこと。ザカートは制度化され料率も決まっており、現金ならその2.5%を供出する。
  4. サウム/断食
    ラマダン月に、ファジュルの礼拝から日没までの間、一切の飲食を避ける。基本的には大人の義務で、病人、旅行者、生理中の人などは後日まで猶予できる。断食中は飲食のほか、喫煙や性行為も禁止。
  5. ハッジ/巡礼
    生涯に一度、可能なもの義務とされる巡礼。イスラム暦第12月の8日から10日にかけ、定められた方式と道程に則りメッカのカーバ聖殿などに参るというもの。


イスラム暦は完璧な太陰暦。
つまり、月の満ち欠けで1月を定めているため、1ヶ月はほぼ29.5日。
その結果、僕達が使っている太陽暦とは1年で約11日ずれが発生、そのためラマダンも1年間で11日ずれる。
今年のように夏至をまたぎ、太陽が昇っている時間の長い(過酷な?)ラマダーンもあれば、断食時間の短い冬至ラマダーンも存在する。


断食といっても1ヶ月間という期間を完全に絶食するわけではなく、日没から日の出までの間(=夕方以降から翌未明まで)に一日分の食事を摂る。
実は、ラマダン月はサウム(断食)を行うのだけれど、イスラム教徒は太ることが多いという。それは日没後の食事がいつもにも増して豪華になるからとか、偏った食生活になるからとか。


「断食」のことを、インドネシアでは「Puasa」といい、断食月は「Bulan Puasa」と言う。「Berpuasa」とは「断食をする」という意味で、「puas」とは「満足する」という意味なので、断食によって、食のよろこび(満足感)を認識することがインドネシア語での「断食」の意味。
本来のイスラームにおける「断食」は「ヒジュラ」の道中の苦難を追体験するために行われるもの。



街を歩いていても、ハラールのお店や、ひと目でイスラム教だとわかる人が増えてきた。多種多様な人種、宗教、国籍の人々がともに暮らし、互いの文化を理解し尊敬しあう社会こそが僕は健全なものだと思う。
在インドネシア日本国大使館のHPにはラマダン(断食月)期間中の注意喚起が掲載されている。以下に配慮を掲載。

これから一ヶ月、イスラム教徒の気持ちに少しだけ意識を向けて理解を深めたい。ぜひ、みなさんも、身近にイスラム教の人がいてもいなくても。
他者を理解しようとする心が、世界を少し、幸せにするはず。
配慮
○ お互いに相手の宗教に敬意を払うという気持ちが大切です。
○ 周囲のインドネシア人の多くが断食(プアサ)を行いますので、非イスラム教徒も断食中のイスラム教徒の面前での飲食・喫煙を控えるのが礼儀とされています。
目につく形で日中に飲食する場合は、一言断る程度の配慮が必要です。
○ 仕事は平常どおりにするのが義務とされており、必要以上に遠慮することはありません。
○ 病人や妊婦・出産後・生理中の女性、旅行中などは断食を行わなくても構わないとされています。
○ 当地での生活ペースが大きく変わることになりますが、イスラム教徒にとっては通常月とは異なる期間であることに十分留意し、周囲の人、特に部下や使用人、
その他立場の弱い人に不行き届き等があっても、いつも以上に寛容の態度で臨むことが必要です。

6/09/2015

『悲しみに終わりはない。』

涙を流した。

ハフィントンポストに掲載されていた、Facebook最高執行責任者(COO)シェリル・サンドバーグの手記。彼女は『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』が一昨年ベストセラーになり、日本でも知名度が高い。
そんな彼女が最愛の夫を事故で亡くした。そして30日後に、悲しみと憎しみと感謝と愛を綴った言葉をFacebookに載せた。


以下、記事より引用。
「私はこの30日間で30年分、年を取りました。そして、30年分の悲しみを味わい、30年分賢くなったように感じています。」 
「私は未だに救急車を通すために脇に避けてくれなかった全ての車を憎んでいます。救急車を先に通すことより、自らの目的地に1分でも早く到着することを優先した全ての人々を憎んでいます。   
私はいかに全てのことが、はかないのかを学びました。実際に全てのことは、はかないのでしょう。
「私は回復力について学びました。アダム・M・グラントから回復には3つの重要なことがあり、その3つ全てが実行可能だと教えられました。 パーソナライゼーション(個人化) - 自分のせいではないと認識すること。彼は「ごめんなさい」という言葉を使わないよう私に言いました。これは私のせいではないと何度も何度も自分に言い聞かせました。パーマネンス(永続性) - この感情が永久に続くわけではなく、徐々に良くなっていくと覚えておくこと。パーベイシブネス(普及性) - このことが自分の人生全てに影響を及ぼすわけではないと理解すること。他のことに影響しないように分けて考える能力は健全です。」
人の命のはかなさに絶えず気を揉み心痛めるほど、僕たちの生活は暇ではない。
日々の生活、仕事、束の間の楽しみに紛わされながら毎日を懸命に生きている。
それでいいのかな、とも思う。

でも、だから、僕たちは忘れてしまう。
『出逢ったのなら必ず別れがある』
そんな至極当たり前の真理を。
愛する人との死別は、遅かれ早かれ誰にでも訪れ、そしてそこから多くのことを学ぶのだろう。
命について、愛について、身近にある儚く脆く目に見えない、けれど大切なものごとを。

シェリル・サンドバーグの手記を読み終え、顔を上げると、目の前を老夫婦が歩いて行った。
目が、少し潤んだ。




5/26/2015

帰り路のマジックアワー

会社での研修は毎日ほぼ定時に終わる。
通勤時間は1時間弱で、地元の駅に到着するのは7時少し前。大学院で研究をしていたときには毎日不規則な時間に帰っていた。だから、こんなに規則正しく夕刻に外を出歩く機会はあまりなく、帰路に地下鉄の階段を上りきったときに広がる空色が新鮮で、思わず目がとまる。


今の季節、6時半頃にはちょうど日が沈み、空がしっとりとした雰囲気に包まれる。
写真用語ではこの夕焼け直後の時間のことは『マジックアワー』として知られ、多くの風景写真家が好んでシャッターを切り続ける。
外はまだ明るい。しかし、沈んでしまった太陽からの光には指向性がなく、足元には影ができない。
気が付くとなんだか不思議な気分になる。街や人から影が消え、立体感を少し失う。
映画のワンシーンを見ているような錯覚に陥るのは、影なきゆえの平面視、金色から群青へのスタティックな流れ、そして夕凪による空気の固定なんかを無意識に身体が感じるからだろう。

写真がドラマチックに映る貴重な30分間。
東京の、日本の空も美しい。



ちなみに、日の出の前の、空が静かに青く染まる時間帯は『ブルーアワー』或いはブルーモーメントという名前が付いている。マジックアワーとは異なり、人がまだ活動していない事が多く、よりいっそう静寂感に包まれる。
朝と夕の景色は、どこか特別な場所に行かなくても見ることができる。
自宅の窓から、近所の公園で、少し早い出社や帰宅途中にも。
いつもの街が少し変わって見える瞬間に、少し意識を向けてみてほしい。

帰り路の信号待ちでは、マジックアワーの空を見上げる人が多い気がする。
スマホ時代、待ちゆく人々の後ろ姿はほとんどいつも俯いていて、せわしなく、なんだか鬱々とした気持ちになることが多い。静かに空を見上げる人の姿に心が救われる。
この時間が好きなもうひとつの理由だったりする。
上を向いて歩こう。

4/20/2015

ニューストピック

先週で終わった全体研修。
その朝礼時に、「ニューストピック」と題して同期同士で新聞の気になる記事を共有する時間が設けられていた。人事の方の意図ととしては新聞を読む習慣を身につけてほしいとのことであったが、この時間がとても楽しかった。
自分とは異なる価値観・視点を持つ友人が選んだニュースと、そこから考えたことを聞き、「これほどまでに自分とは異なるのか!」という驚きや「うんうん、俺もそれが気になったよ」という共感、そして深い考察をできる優秀な同期に対する尊敬など、たくさんの発見があった。

今日からは、事務系・高校卒業間もないオペレーションを担う同期達とは離れ、大学院を卒業した人の多い技術系研修が始まった。先週までの心地良い騒がしさと初々しさが少し減り、物悲しさを感じながらの研修。楽しかったニューストピックもなくなってしまったけれど、新聞を読み、そこから様々なことを考える習慣はこれからも持ち続けていきたい。

もしも、今日、「ニューストピック」があったならば。
僕は次の記事を以下のように紹介したい。

「僕は日曜日の新聞が好きです。
土曜日、日曜日は経済活動も休みであるため、新聞は文化的なコラムや視点をすこしマクロにとった記事が多く、日常のニュースを追いかけるだけではない深く面白い記事が多いからです。
4月19日、日曜日の読売新聞の朝刊一面と二面、『地球を読む』というコラムにて劇作家の山崎正和さんが興味深い文明論について言及していました。私達はアナログ時代からデジタル時代への急速な転換期を生き、本当に多様な価値観を経験してきました。その中で、急激な変化についていけず保守的な考えに陥っているひとが僕の周りにも多くいるように感じます。それを、山崎さんは次のように説明します。
資源と環境の制約から、また金融資本主義の破錠から、近代社会の発展はもはや限界に達しており、今や人類はこれ以上の進歩を前提としない社会を築くべきだというのが「定常型社会論」
それに対して、正反対の考え方を持つ人もいます。デジタル・IT・ロボットなどの出現による未知で新たなる時代の幕開けに期待を寄せる人々です。「科学技術万能論」とコラムでは定義し、次のように説明されていました。
「科学技術万能論」、科学の急速な進歩が人類の無限に近い繁栄を保証するという主張だが、現に相当の雄弁さでマスコミをも巻き込んでいる。
このあとに、科学技術万能論の先人といえる未来学者レイ・カーツワイルの『ポスト・ヒューマン誕生』という著書を紹介し、 ナノロボットによる人間の生物的限界突破と、そこから導き出される「人間とは?」という問いを少し難解に投げかけます。

「定常型社会論」と「科学技術万能論」、これら2つがMECEに位置する概念であるとも思えませんし、どちらか一つを選択しなければならないわけでもありません。しかし、多くの人々はやんわりとどちらかの概念に「うんうん、そうだよね」と心傾く気持ちが生まれるのではないでしょうか。

国の政策などにもこれらの考え方の片鱗が反映されています。
西洋諸国は概ね「今までの生活、歴史、伝統という資産を大切にして生きていきたい」という政策を取り急進的な概念に対しては懐疑的です。昨今のグーグルの取り締まりやウーバー禁止というニュースが欧州から始まったのも、定常型社会を政府も人々も求めているからではないでしょうか。
「科学技術万能論」の先鋒は当然、アメリカです。建国からの歴史が短いためか、やはり未来志向な政策を取ります。グーグル、アップルに代表されるような先進的な企業、特に最先端テクノロジーに惜しみない投資を行う企業が生まれる土壌がアメリカにはあり、それは「科学技術万能論」を多くの人々が支持しているからだと言えます。

翻って、日本はどうでしょう。
このまま立ち止まっていては、人口は減少し、産業は衰退し、年金制度は崩壊し、定常できるような状態ではありません。しかし、長い歴史を持つために新たな価値への投資に意識が向きづらく、また第二次世界大戦の原爆、福島の原発など「科学のしっぺ返し」と言える事象を多く経験しているため手放しで科学を受け入れることも難しい。

気になるあの国は、日本は、社会は、自分は、どのような未来を求め目指しているのでしょうか。普段の忙しい生活からは考えることがないようなこんな大きな文明論、ちょっとのんびりできるような日曜日に、少し考えてみてはどうでしょう。」


4/11/2015

守破離

新人研修で会社の各部署の方から様々な説明を受けている。

部署の人数、プロジェクトの数、構成...そんな話を聞くたびに、今まで漠然と全体像しかイメージできなかった「企業」が因数分解され、要素が抽出されていく。途方もなく大きな金額を動かす会社という法人格も、つまりは「個人」の集合体であるという当たり前を知る。
その過程で得られる感覚は、「すごい!!」と「なーんだ」の中間。外部からは見知ることができないヴェールが剥がされ、自身が担うのはその中の一部であることを知った時の気持ち、高揚感と虚無感が入り混じるものを感じるのは、僕だけではないはず。


昨日は、「学習」についての講義があった。
新人社員としてどのような意識で学び、業務に接していけばよいかを軽く、楽しく、しかし深く教わった。

新人社員に期待される「学習」には、「獲得」と「参加」がある。
「獲得」は先人の知恵(文字情報)、周囲の人々(伝聞情報)、自分の経験(体験)から何かを得て自分の糧としていくこと。
興味深かったのは、「参加」について。日本では同調圧力が強く、同調=学習のサインとみなされることが多い。「下山は学んだな」と自身の学習を周囲が認めるシーンは、僕が自身の意見を法人格としての大所高所から論じるのではなく、個人の集合体の中に同化させたとき。つまり、「会社に染まる」ことが「学習」とみなされるということ。
どんなに意欲的に知識を獲得したとしても、成果を残そうと主張をしていても、「参加」なくしては学習を認められないのだ、日本においては。

とても日本的だなーと思いながらも、この感覚が僕は嫌いではない。
日本伝統の「道」の精神、守破離の精神にもとづく成長の過程であると考えれば、社会人になるということを一種の精神修行のように捉えることもできる。

「守」:指導者の教えを忠実に守り、聞き、模倣する段階
「破」:指導者の教えを守るだけでなく、自分の考えや工夫を模索し試みる段階
「離」:指導者から離れ自分自身の形を作る段階

社会人人生は、長いのだ。
今後40年ほどは続くキャリアの第一歩を踏み出したばかり。
まずは守ること、参加すること、染まることから始めたい。

4/01/2015

「挑め。失敗しても起き上がり、また挑め。」

「挑め。失敗しても起き上がり、また挑め。」
伊集院静 
新社会人おめでとう。
今日、君はどんな職場に立ったのだろうか。
どんな仕事であれ、そこが君の出発点だ。
すぐに目を瞠(みは)るような仕事をしなくていい。
本物の仕事はそんな簡単なものではない。
すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる。
それでも今、君たちに社会の皆が大いなる期待をしている。
どうしてだかわかるか。それは新しい人でなければ新しい道は
ひらけないんだ。そのことは私たちの歩んできた道を振り返れ
ばわかる。百の新しい道には百の歩み方があった。
しかし共通していた点がひとつある。
新しい人が、毅然と、困難なものへ挑んだことだ。
何度も失敗を繰り返したんだ。でもあきらめなかった。
挑め。失敗しても起き上がり、また挑め。
失敗をおそれるな。笑われても、謗(そし)られても、挑め。
困難に立ち向かう人間の生き方の中には真理がある。
己だけのために生きるな。仕事は誰かのためにやるものなのだ。
それが仕事の品性だ。生きる品格だ。
疲れたら、夕暮れ、一杯の酒を飲めばいい。
酒は、打ち砕かれたこころをやさしく抱いてくれるものだ。


2015年4月1日。
新社会人生活の一日目が終わった。
2000年より成人の日、新社会人の入社の日に、僕の好きな作家、
伊集院静さんがサントリー新聞広告に熱いメッセージを掲載している。
それらをまとめた『伊集院静の「贈る言葉」』も僕の好きな図書の一つで、
心に残る言葉がいくつかある。

今朝、新聞を開いた。
日本経済新聞、読売新聞の両紙に掲載された今年のメッセージを、
新入社員になった身に刻む。
入社式で、役員の方もこの伊集院静さんの言葉を全文引用し、
僕らに語り聞かせてくれた。
「挑め。失敗しても起き上がり、また挑め。」
忘れずに、折に触れて振り返り思い出したい言葉となった。




3/21/2015

『世界は一冊の本』

旅に詩集を持っていく。

旅は非日常の連続であるがゆえに、同じ詩であっても読む度に解釈が変わっていく。その変化が楽しい。
以前にインド旅行に持っていった『メメント・モリ』藤原新也はひどく心に刻まれた。今回の相棒は『教科書で覚えた名詩』。国語大嫌い少年でただ念仏のように(と念仏を無用の長物の代表例としては失礼だけれど)音読していた詩歌であったけれど、人生を少しは歩んだ結果だろうか、言葉の美しさ、比喩の優しさを噛み締めて心打たれる。

教科書で習った記憶はないけれど、『世界は一冊の本』という詩に惹かれた。帰国したら長田弘の詩を読み漁りたいと思う。



『世界は一冊の本』長田弘

本を読もう。

もっと本を読もう。

もっともっと本を読もう。


書かれた文字だけがほんではない。

日の光り、星の瞬き、鳥の声、

川の音だって、本なのだ。


ブナの林の静けさも、

ハナミズキの白い花々も、

おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。


本でないものはない。

世界というのは開かれた本で、

その本は見えない言葉で書かれている。


ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、

地図のうえの一点でしかない

遥かな国々の遥かな街々も、本だ。


そこに住む人びとの本が、街だ。

自由な雑踏が、本だ。

夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。


シカゴの先物市場の数字も、本だ。

ネブド砂漠の砂あらしも、本だ。

マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。


人生という本を、人は胸に抱いている。

一個の人間は一冊の本なのだ。

記憶をなくした老人の表情も、本だ。


草原、雲、そして風。

黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。

権威をもたない尊厳が、すべてだ。


200億光年のなかの小さな星。

どんなことでもない。生きるとは、

、 、、 、、、 、、、

考えることができるということだ。


本を読もう。

もっと本を読もう。

もっともっと本を読もう。



3/19/2015

停電とサザンクロス


「悲観は気分であり、楽観は意思である」
アラン『幸福論』

僕の好きなアランの言葉。必要最小限の言葉で、人生を楽しむための秘訣を惜しみなく伝えていると思う。
どんな悲劇、苦痛、トラブルに見舞われたとしても、もちろんその直後は悲観に支配され涙流し怒り狂うことがあろうとも、そこから先は意思の力で楽観的に考えることが『幸福』につながる。この言葉に出会ってから、僕は意思を強く持とうと決意した。気分に従い続けていては悲観に陥る。『どうすればこの状況を楽しめるかな、ハッピーにできるかな』、意思の力で考え方や見方を少し変えるだけで、突如として楽しさが倍増する。
今日は小さなトラブルの後に見つけた楽観、思いがけない幸福の話。

イグアスに来ています。
世界的に有名なイグアスの滝を観光し、その迫力に圧倒されながらも、とてーも観光地ナイズされてしまっている自然公園にちょっぴりがっかりしながら帰ってきた観光拠点の街、プエルト・イグアス。リオデジャネイロ行きのバスチケットを買うオフィスで3人の日本人と出会い、夕食を共にした。
世界一周の旅の終盤を迎えたダイキ君(夕飯は彼が作ってくれた、酢豚!美味。)、そしてデフ、難聴でありながら同じく世界を旅するユーヤ君、チハルちゃん。後から加わった異国情緒溢れる美人・みゆきちゃんとともに、手話のこと、写真のこと、旅のことなどを語り合い、とても楽しい時間を過ごした。

時刻も11:00を過ぎ、僕が少し離れた宿へと帰ろうと思った矢先に、ホステルの明かりが突然落ちた。街全体が停電し、真っ暗闇に襲われた。インドやチュニジアなどで何度か経験してる突然の停電なので、あまり焦ることなく、携帯のライトを点け、「じゃあね、お互い良い旅を!」と声をかけあって外に出た。何も見えないな、無事に宿に帰れるかなと思い空に顔を向けた瞬間、目を奪われた。そこには満点の星空が広がっていた。

昨日は新月。さらにプエルト・イグアスはさほど大きくない街で、周りは自然に囲まれているため、星がよく見えた。停電というトラブルに慌てたり、不安な足元に気をとられる人も多くいるのだろうけれど、視線を天に向けると停電したからこそ出会えた景色が広がる。どうすれば停電というアクシデントを楽しめるか…。自分が南半球に来ていることにハッと気づき、すぐにiPhoneを取り出して、"StarChart"を起動し、星空に向け、日本本土からは見えない南十字星、サザンクロスを探した。

ケンタウロス座の足元に控えめに光る4つの星。サザンクロスは小さく、思いがけず高い南東の空にあった。それから停電が復旧するまでの数分間、側から見れば変なアジア人と思われていただろうほど夢中にiPhoneを空にかざしていた。冬の南天を飾るオリオンは北の空に横たわり、大熊座の額の上のPolaris・北極星は地平に隠れていた。自分自身が日本とは離れた場所にいることを星空が教えてくれた。

停電は当然、トラブルであり歓迎することではないけれど、僕はそこから満点の星空を眺める機会を見つけた。これは些細な(そしてちょっと子供じみてロマンティックな)例であるけれど、どんなトラブルに見舞われても、気持ちを切り替え、そこから新たな楽しみを見つけ出す。そうやって常に学び常に楽しむ生き方をこれからもしていきたいと思う。
「悲観は気分であり、楽観は意思である」



3/17/2015

『地球の歩き方』という地球の上

パソコンとカメラを盗まれたと同時にアルゼンチン・チリの地球の歩き方をも失ってしまった。ウユニ塩湖で出会った日本人(18歳の世界一周バックパッカー!)と、「地球の歩き方がないと物価の目安も地図もなくて旅が大変だよね」なんて話をしていたけれど、前言撤回したいと思う。地球の歩き方なんかなくても、旅は楽しい。

チリのサンティアゴの街中を歩いていたら、美しい漢字で名前を描き銭を稼ぐ日本人パフォーマーがいた。話をしてみると、彼/彼女達も世界一周旅行の最中であるという。どこに泊まっているのかという話になり、街の外れのブラジル人街(アタカマのホステルで知り合ったイスラエル人オススメのホステル。綺麗、安い、しかしラブホテルの隣という立地)だと言うと、驚かれた。
「そんな場所があるんですか!私たちは街の中心のパレスホステルです。歩き方に書いてあったところで、日本人の方も多いですよ」と。どうやは僕は『地球の歩き方』の外側の地域に宿をとっていたらしい。確かにアクセスは悪かったが、この町に生きる人に近い楽しい場所だった。



その後のブエノスアイレスでも現地の友人が終日ツアーガイドとなってくれ街を散策、夜は彼女の家で友人も集めたパーティを開いてくれ、『歩き方』には掲載されていないであろうローカルを満喫した。アサード(アルゼンチンのソウルフード、ステーキ)を購入する目安は1人につき0.5kgとか、闇両替が横行している理由とか、フィレテと呼ばれるブエノスアイレスの美しき装飾文化とか。



『地球の歩き方』は確かに非常にコンパクトに、たくさんの写真で、超わかりやすく、初めて訪れる都市や観光名所を紹介してくれる。けれど、この本はあくまでも日本人向けの観光ガイドであり、決して『地球』を歩かせてくれるのではない。ペルー、ボリビアで多くの同じ本を持ち合わせた日本人と出会った経験から、僕も彼らもみんな『地球の歩き方』という日本人のために最適化され過ぎた狭い地球の上を歩かされていたのだな…と気付かされた。東京で言えば地元民はほとんど行かないロボット酒場に白人観光客が押し寄せているようなもの。楽しいのだろうが、やはりそれはガイドブックのページのように薄っぺらい。本当の東京は、旅先は、地球はもっと人間味豊かで深い文化に溢れている。

時間の限られた弾丸旅行にはガイドは必須かもしれない。しかし、時間に余裕があるのなら、旅の最中、1日だけでもガイドブックを置いて、気ままに街を歩いてみたい。地図の外側に、未知なるものが広がっているかもしれない。平凡な家々が連なっているだけだとしても、その事実をみずから気づけたことに意味があり、それは案外記憶の深いところに残る。

3/13/2015

南米、ラテンなバスの旅

LimaからIcaまで、8時間。
IcaからCuscoまで、16時間。
CuscoからPunoまで、7時間。
PunoからLa Pazまで、10時間。
La PazからUyuniまで、12時間。
UyuniからAtacamaまで、10時間。
AtacamaからSantiagoまで、23時間。
SantiagoからBuenos Airesまで、25時間。
これら全て、バスの乗車時間。

そんな長い時間乗ってるの、疲れないの、馬鹿じゃないのと言われてしまいそうだけれど、僕はこのバスの旅がとても楽しくて、さらには贅沢だと思っている。

チリ、アルゼンチンの長距離バスはほとんど全てがロンドンのダブルデッカーのような二階建て。二階の最前列(値段は一番安いsemi-cama)を押さえることができれば眼前にはパノラマが広がる。メンインブラックのオープニングを想起させる悲しくも交通事故に遭われた虫が多数ひっついているのはご愛嬌。隣の席にマラドーナ風の暑苦しいおっさんが神の手で変なことしてこなければ快適なこと、この上ない。今のところ、メッシ似のおばさんがサンティアゴで汗だくになりながら乗り込んで僕の隣の席に座り音楽をガンガンにかけていたけれど、アルゼンチン国境で税関とスペイン語でワーワーやって、入国させてもらえずいなくなったというファールにしかかかっていない。レッドカード一発退場だったのか。グッバイ、ファンタジスタ。

それよりも、バスの旅だから感じられることがたくさんある。
南米最貧国のボリビアのインフラ状況は悪路の続く無限振動地獄より全身で(おもに臀部で)実感した。
ペルーにおけるインカコーラ、オロナミンCからビタミンCを除いたような摩訶不思議な炭酸飲料のシェアの高さを、地の果てと思える場所に立つ無数の黄色い広告から推測できた。
アンデス山脈の雄大さを、いろは坂を凌駕するヘアピンカーブの連続(チリ側ではカーブ毎に"curve ◯◯", と番号が記されており、その数まさにアルファベットと同数の26であったような。ABC坂「アーベーセー坂」と名付けたい。)と破裂寸前までに膨らんだポテチの袋から推し測れた。

窓から見えるローカルピーポーの姿も、しっかり観察すれば民放が作る下手なドキュメンタリー番組なんかより面白い。
排ガスまみれ、ドライバーから丸見えの路肩のベンチで抱き合うカップル達。ラブホなどの個室、清潔なシーツの上でしか愛を確かめ合えない日本人との対比に苦笑。
南米名物、信号待ちの物乞いアクロバット。ドラム缶の上に乗って、バナナや小さな桃を5、6個ジャグリングするおばさんを見て驚愕。凄い。それ、売り物じゃないの?
高地で多数出会ったビクーニャ、アルパカ、リャマの見分け方も身についた。それぞれ、スリムで毛並が美しい(食べるところ少なそう)、フワフワで可愛い(毛を刈ったら身なさそう)、中肉中背(昨晩のステーキ美味しかったなぁ)。バス移動、何せずとも腹は減る、そんな人間の真理にたどり着く。

飛行機のように目的地と目的地を点で結ぶ乗り物からは得られない経験が、バスの車窓からは得られる。でも、欲を言えばダブルデッカーの二階よりももっと目線を下げたい。以前に書いた人間の速度を感じられるスピードのような自転車での旅はこの広大な南米では難しいだろうけれど、やはりもう少し自分の意思で進み止まり、そこに生き暮らす人々と同じ目線に立ち、現状を見通せる視座が欲しかった。アルゼンチン生まれのチェゲバラが相棒とバイクにまたがり、南米を旅をしながら革命運動へとつながる仲間であるカストロと出会いや、様々な問題意識に目覚め、理想主義にひた走るようになったように。

旅とは、改めて、ただ見たいものを見て写真を撮るだけの行為ではないと感じた。
目線の高さを下げ、移動する速度を遅め、そしてそこに生きる人々と同じ空気をめいいっぱい吸い込んだときに入ってくる極めて受動的な気づき。これこそが旅の魅力だと思う。

3/11/2015

メモ帳断片

メモ帳断片

アタカマからサンティアゴへの24時間のバスの中。右手の窓から延々と続く太平洋の海岸線を眺めながら、携帯電話のメモ帳に記録していた言葉の破片を読み返していた。
実はチリ入国後に貴重品を入れた鞄を盗まれた。カメラ、パソコン、紙のメモ帳などを喪失してしまった。
幸い自身に怪我がなく、モノは保険やお金を出せば返ってくるので、まぁいいか、旅を続けよう…と前向きに考える。けれど、写真とメモ帳がなくなってしまったことに未練が残る。

紙のノートに何を記していたのだろうか。心を揺さぶる景色も言葉も、時とともに人は忘れる。忘れたほうがよいことも、雑音も多いのだろうけれど。
メモ帳断片。iPhoneが盗まれる前に、言葉を残す、備忘録。
また、共感してくれる誰かと、次に会うときの酒の肴となるように。

2014/3/8
スプリング・エファメラル
春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花の総称。

2014/2/xx
私の履歴書-日揮会長の言葉
企業経営の最前線に立っていると、「儲(もう)かるか、儲からないか」という二元的な視点でものをみがちだ。だが、企業が活動する基盤は社会であり、人である。社会が安定し、人が充足しなければ、経済は成長せず、企業の発展も止まる。海外で様々な会議に出ることで、ビジネス以外の視点の必要性をますます感じるようになっていた。

人生は旅であり、人類が歩んできた道が歴史になるのだろう。

2014/2/21
世の中は空しきものと知る時し
いよよますます悲しかりけり
大伴旅人

2014/2/16
多くの人が自分の価値やアイデンティティーを測る基準を求めている

2014/2/8
近年、和食文化が国内外で注目されている。明治時代の文明開化以降、日本は積極的に海外、特に西洋の文化を取り入れ、先進国へ仲間入りしようと駆け抜けてきた。その過程で蔑ろにされてきた日本の文化。

一度失われた文化は戻らない

和服は私達の身の回りからはほとんど消えた

和食のたどる道も、和服と同じ

2014/10/19
表現とは、他者を必要とする。しかし、教室には他者はいない。

伝えたいという気持ちは「伝わらない」という経験から来る。

2014/9/7
岡本太郎の本より
明治以来、奇妙に西欧的な文化意識に目ざめ、日本にもこんなものがあるぞ、と対抗的にもち出した。向こうの価値観で自分の方を作りあげてしまったのだ。日本の文化史とか美術史とかいうものは、まことにそのようにして作りあげられた、つまり西欧文化の影にすぎない。「物」とか「ある」という前提にたって対立させては、日本文化の本質は捉えられないと思う。

2014/9/6
人は、権力と娯楽とお金には、すごく簡単に従ってしまう

2014/7/19
「弱いつながり」東より
社会学者ディーン・マチャーネル
ネットは記号でできている世界です。文字だけの話ではありません。音声や映像が扱えるようになっても同じで、結局はネットは人間が作った記号だけでできている。ネットには、そこにだれかがアップロードしようと思ったもの以外は転がっていない。

ミシェル・フーコー
『言葉と物』
人間の現実は要は言葉とモノからできている。
モノの世界が大事だと考えるひとたちがいます。「やっぱり人間、直接にいろんなものを見て、他人とも面と向かってしゃべらないといけないよね」という考え方です。
それに対して、むしろ言葉こそが大事だと考えるひとたちもいます。「人間の現実はすべて言語で構成されているのだから、その外部なんて考える必要はない、他人との会話だってしょせんは言葉だ」という思想です。

国民と国民は言葉を介してすれちがうことしかできないけれど、個人と個人は「憐れみ」で弱く繋がることができる。

2014/7/10
塩野七生の著書?
ギリシア・ローマに代表される多神教と、ユダヤ・キリスト教を典型とする一神教のちがいは、次の一事につきると思う。多神教では、人間の行いや倫理道徳を正す役割を神に求めない。一方、一神教では、それこそが神の専売特許なのである。

人間よ行動原則の正し手を、
宗教に求めたユダヤ人
哲学に求めたギリシア人。
法律に求めたローマ人。

2014/7/1
人間にとって、害あるものか否かは、水との親和性で測れる。


3/10/2015

月の谷の鼓動音

パキッ。…パキッ。

ツアーガイドの指示に従い、ポーランド、ベルギー、ドイツ、そして日本からきた僕ら旅行客は息をひそめ、耳をすませると、白壁が音を鳴らした。
南北に長いチリの北端に位置する砂漠地帯、アタカマ。そこで僕は大地の鼓動を聞いた。



世界で最も乾燥した砂漠として知られるアタカマ砂漠、その端に位置するSan Pedro de Atacama。ここは隣接するボリビアのウユニ塩湖ツアーの発着地。南米最貧国であるボリビアと比べると街並み、インフラ、人の装いなど全てにおいて洗練されており、西洋人が多く集まる観光地となっている。

南米旅も折り返しを迎え、当初の目的であったマチュピチュ、ウユニ塩湖を経験し、さて、次にどこへ行こうか…と考えあぐねていた矢先に友人が言った。
「アタカマが面白いらしいよ」
チリを訪ねるつもりはなかったけれど、ウユニからバスで12時間、悪路と国境と露天掘りの銅山を通り、アタカマへ行くことにした。

アタカマではボリビア側まで抜けるウユニ塩湖ツアーを始め、乾燥し空気の揺らぎが少ない条件を活かしたスターゲイザーツアー、近隣の遺跡を訪ねるツアーなど数多くのレジャーがある。その中で僕は"Valle de la Luna"、月の谷を訪れる夕方のツアーに参加した。

「月の谷」と称される土地は街からすぐの距離にある、起伏に富んだ谷。月面のように見えるから…と地球の歩き方には書いてあるが、ガイドさんの説明によるとその通りではなく、この特異な地形のほぼ全域を形成する天然の鉱石セレナイト(Selenite)の語源がギリシア神話の月の神、セレネに由来するからとのこと。岩肌には無色透明の鉱石が露呈し、鈍く光っていた。また、この土地では塩の結晶・ハーライト(Halite)も豊富に採れ、岩塩の鉱山跡もあるという。

月の谷を上から眺め、セレナイトとハーライトが豊富に見える洞窟を歩き、少し開けた谷あいの地に来たときに、ツアーガイドが突然声を低くした。

「…ここで、皆さん静かにしてください。音が聞こえてくるはずです。」

15名ほどの参加者はず会話をやめて耳をすました。すると、どこからともなく、小さいけれど確かに、パキッ…パキッ…と音が聞こえた。

「聞こえましたか?これは鉱石が砂漠の昼と夜の温度差によって膨張・収縮することによって小さな割れ目が壁の中で入っている音なんです。」

「通常の鉱山は地上から数百メートルの地下の定温部にあるのでこのような音は聞こえません。世界中でも、寒暖差の大きい砂漠地帯に近いこの土地ならではの現象、そして知らなければ聞こえない小さな秘密の音なんです」

決して大きな音ではなかったけれど、その音は僕の胸には強く響いた。不動の象徴とされる大地が鳴らす、小さな鼓動音。
静かにし意識を向けなければ聞こえないそれは人間の鼓動音と同じであり、大地もまた生きている。そう主張され気付かされたようであった。

「美しさは細部に宿る」
マチュピチュやウユニ塩湖の魅力はその漠とした美しさでよく知れ渡っていて、僕も全身とカメラでそれらを体験した。しかし、写真には収まらない美しさ、細かく小さくけれど力強い魅力も世界にはたくさん存在する。月の谷の鼓動音は、まさにそのような美しさだった。




3/07/2015

月を共有した時代

孤独をまぎらわすために、人は共有する。
言葉を、写真を、声を、身体を。
ビットの波に流され、流され、地球の裏側にいても
人は孤独を共有できるようになった。一瞬で。光の速さで。

電話をかけてもタイムラグはなく、
手紙を書いたら間違いなくとどく。
孤独を紛らわす方法は幾千もあるのに、
僕たちは今でも寂しがりやで、怖がりだ。

太古の友人はネットを持たず、手紙は使わず、
写真も撮らず、言語すら残さないものもいた。
そんな彼らも人間で、寂しがりやで、怖がりだ。
旅に出た太古の友人は、愛する人に、どうやって共有したのだろう。

見上げた空に満月。
あの人もこの月を見ているのだろうか。
そうやって、月を共有した時代があった。
時差もあって、不確実で、なんとも自分勝手な寂しさの媒体。

それでも、いいな…と思ってしまう。
ビットの時代を生きる僕。


2/24/2015

砂漠・砂丘の美しさとは

砂漠・砂丘の魅力とはなにか。
それは、人の手が加わることなく、ただ風と砂と空という最小限の構成要素によって、これほどまでの美しさが織り成されるということ。
これに尽きると思う。




人生で3度目の砂丘・砂漠を訪れた。
リマからバスで南に向かって4時間、ナスカにほど近い都市、Ica(イーカ)。
そこからすぐにある砂丘とオアシスの町、Huacachina(ワカチナ)。
ここは、僕の親友が昨年夏に訪れて、
「オアシス(宿が集まっている場所)を見失って遭難しかけた…」
と語っていた場所。彼の話を聞いてみて「行ってみたい!」と思った、今回の旅の目的地の一つ。


今まで僕が訪れたことがある砂丘・砂漠は、カリフォルニア・デスバレーの砂丘、チュニジア南部のサハラ砂漠、そして今回のHuacachinaで3度目となる。


そもそも、砂丘と砂漠の違いってなんだろう?そう思って調べてみると、砂丘で有名な鳥取の観光サイトを見てみると、次のような説明があった。
[Q]砂漠と砂丘の違いは?
[A]鳥取砂丘は砂漠ですか?とよく聞かれます。この答えはノーです。
鳥取砂丘は砂漠ではありません。そもそも日本には、砂漠は存在しません。
では、砂漠と砂丘の違いは、何でしょうか。
一番の違いは、雨の量です。砂漠は乾燥地気候の中で乾燥が著しい地域にあります。乾燥のため生物の活動がほとんど維持されない不毛の地です。
一方、砂丘は、風によって運搬された砂が堆積して丘などの地形を作ったものです。鳥取砂丘は、中国山脈から千代川によって日本海まで運搬される土砂がやがて砂となり、北よりの風により海岸に吹き上げられ堆積してできた海岸砂丘です。
鳥取砂丘では、雨もたくさん降るし、冬には雪も積もります。植物も育ちますが、砂の動きが激しいところでは、植物が生長しにくく、広大な砂の面が広がっています。
この広がりを見た方は、その広さに感動し、思わず砂漠を連想します。
よく知られている風紋だけでなく、砂がしめったときに強い風が吹くと砂柱と呼ばれる砂の造形を見ることもできます。
また、湿った砂の斜面が、乾燥して砂が崩れるときには砂簾を見ることもできます。
鳥取砂丘王国-砂丘のヒミツ(Q&A)

もう少し調べてみると、年間降雨量が250mm以下、または降雨量より蒸発量のほうが多い地域などの定義もあるという。

砂漠と認定されるには雨が多すぎるようなHuacachinaの砂丘。
しかし、見渡すかぎりに砂山が続く様子、美しい風紋、友達が遭難しかけるような距離感と方向感を失うような環境は、砂丘か砂漠かなどの定義などいざ知らず、ただただ魅力的だった。



ブログのタイトルに用いた「砂漠で」。これは、僕が一番好きな本、サン=テグジュペリ『人間の土地』の章題の1つ。

砂漠、砂丘…
これらの言葉に、草木が芽生えることのない無味乾燥な不毛地帯を思い浮かべる。
しかし、ただ砂と、風と、空によって、息を呑む美しさが生みだされることを改めて見知った。

美しさは実は、やっぱり、シンプルなもの。
そして、一見あり得なさそうな場所にひっそりと存在している。
そう思った。
砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているから
What makes the desert beautiful is that somewhere it hides a well..
-『星の王子様』