5/14/2012

"Love"と"Like"の違いから

滅多に見ないテレビをこの前見ていたら、天声人語のCMが流れた。
「Love」と「Like」はどう違うのか。
おお、なんと面白そうな内容ではないか。ということで、この天声人語を調べた。2010年11月10日の朝日新聞より。
 「Love」と「Like」はどう違うのか。何で読んだか思い出せないのだが、ある説明に感心して書き留めたことがある。LOVEは異質なものを求め、LIKEは同質なものを求める心の作用なのだそうだ。
辞書的に正しいかどうかはおいて、なるほどと思わせる。言われてみれば「愛」には不安定な揺らぎがあり、「好き」にはどこか安定がある。その安定感は、自分と同じものを相手に見いだした心地よさかもしれない—。そんなあれこれを、群馬のいじめのニュースに思い巡らせた。 
この後の内容も、いじめに関する興味深い「愛」と「好き」に関する考察であったけれど、ここでは割愛。
ここでの愛と好きの定義は、じゃあ家族愛や、ペットに対する愛はどうなの?安定を求めてるんじゃないの?という反駁の余地がたくさんあるけれど、とりあえず面白いし興味深い。本文にもあるけれど、辞書的な内容はどうでもいい。
さて、この元となった 文章はなんだろう、と思って調べてみた。
『深代惇郎エッセイ集』(朝日新聞社刊)に収録されているものらしい。以下に、その全文を引用。

 「LOVE」と「LIKE」はどう違うのかと聞かれて、「ラブ」は「ライク」より強いのだろうと答えたら「程度の問題ではない」、と人に教えられたことがあった。その先生は、「LOVE」は異質なものを、「LIKE」は同質の物を、求めること。そこが違うのだという説明の仕方をした。
このはなはだ哲学的な解釈が、言葉の説明としても正しいのか、どうかは知らない。しかし、聞いていて、なるほどと思った。 
 神への愛であれ、異性への愛であれ、「愛」には不安定な激しさが感じられる。それは、自分と異質なもの、対極にあるものに立ち向かうために起こる燃焼のせいかもしれぬ。これに対し「好きだ」ということには、何かしら安定感がある。自分と同質なもの、共通するもの、同一線上にあるものを知る喜びであるためのような気がする。
 いいかえれば、「LOVE」は、異質な相手と合体することによってはじめて自分が完全になれるという欲求だとすれば、「LIKE」は、自分と同じ物を相手の中に確認したい願望だといえようか。

以上は、天声人語に掲載された内容と一緒。面白いのは、この後。

 「愛」ももっとも深い、本質的な情念にして、人間が造られたのだとすれば、やはり驚嘆すべき造化の妙にちがいない。
 しかし、人間には、もう一つ「知恵」というものが与えられた。知恵があるので、一万メートルの空を飛ぶこともできるし、原子を破壊する秘密さえ知っている、知恵があるので、目標を立て、それを達成するためにもっとも効率のよい組織をつくり、もっとも便利な方法を編み出す。
 このようにして物事を合理的にしてゆくことで、さまざまな問題が起こってくるが、その一つは万物を数字にしてしまうことだろう。数量化しなければ物は合理的にならないが、数字にすれば、一つ一つの持つ意味や質は無視されることになる。
 あなたにとってかけがえのない人も、他の人とまったく同じように「1人」として数えられるにすぎない。「小鮒釣りしかの川」も、水量何トン、長さ何キロの川になってしまう、このようにして、人も物もすべてが「統計数字」になり、同質化されていく。
 「愛」が人間のもっとも本質てきな情念とされたのは、実は、異質のものと対することにより人間は自己発展することができる、という仕組みを内蔵させるためではなかったのだろううか。その意味で、人間の知恵は「愛のない世界」をつくることに一生懸命になっている。
 たとえば、日本全体が画一的になり、地方の個性が薄れて行くことがよくないのは、旅の楽しさがなくなるといったことからではない。異質なものがなくなることは、愛を喪うことであり、自己発展のエネルギーを失うことになるからである。 
 地方選挙で、国政をそのままコピーしたような選挙をみながら、こんなことを考えていた。

この哲学的で難解そうな話は、ほとんどの哲学的な話がそうであるように、しっかりと噛み砕いて読んでみると心にすっと染みこんでくる。タイプしながら、「なるほど」と考えて手を何度も止めてしまう。

感情の言語化や数値化は、人間がここまでの文明を気付き上げてくるのに必要不可欠なものであった。しかしそれと同時に、恋や愛といった感情も言語化され、理解してしまったような気持ちにヒトを錯覚させ、そして死や喪失というものも数値化され、機械損失やお金や数えられる時間でしか測れなくなった。
知恵というものの陰陽を、考えてしまう。

この文章を、もう一度読み返して飲み込んで、今日の備忘録とする。

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