12/30/2013

「和魂洋才」を目指して

2013年を振り返ってみると、日本に対する意識がまた一層深まった1年だった。
タイトルに「日本」と付くブログ記事をたくさん書いた。その多くは留学やバックパック経験から得た様々な気づきを、比較文化論的に書いたもの。自分自身の日本に対する無知を恥じるような内容でもあったようにも思う。


僕だけではなくて、社会的に「日本」を意識する風潮になりつつある。
2020年に開催が決まった東京五輪は、世界に対して東京や日本をどのように売り出すかを考えるきっかけとなる。日本らしさについての論議が深まる。
僕のように海外を経験する若者は、みな口をそろえて「日本の文化を知らなかった」と言う。彼らは日本を知ろうと努力する。
そして、僕の祖父が亡くなったように仕事一筋で高度経済成長を支えてきた団塊の世代の父母が亡くなっていく。身近な人の死と、それに伴う葬式などで初めて向き合う仏教などの文化。自らが生を受けた意味を感じ考えるときに寄り添う宗教に、人の意識は向かう。
若者も、年長者も、そして経済も、日本を意識し始めている。
これから数年、どんどん「日本人らしさ」がキーワードとなるだろう。


社会の成熟に呼応するように、日本の伝統文化に回帰しようという動きも目立っている。僕達がものごころついてからの社会は、デフレだの、失われた20年だの、経済が青天井に成長するような風潮を欠いていた。その結果、必然的に意識は未来ではなく過去に、物質性ではなく精神性を重視する。そんな傾向は特に若者に多いという。
神社仏閣を訪れる20代、30代が増えている。テレビ番組では「和風総本家」「謎解き江戸のすすめ」「ケンミンSHOW」のような日本らしさを看板にしたものが目立つ。お正月、花見、花火大会などの日本特有の季節行事を大切にしたいと考える人も多い。


僕はこの日本に意識が向かう傾向は概ね良い傾向だと考えている。
今まで、様々な国のコンセプトに乗ってきた僕達日本人。僕は「米国西海岸の〜」「ジャズが似合う夜の〜」「伝統的な欧州の〜」そんな広告を無意識にいいね!と考えてしまっていた。でも、日本のことも知らないのにそんな海外のブランドを信仰してしまうのはなんだか悲しいな…と最近感じ始めた。日本の美意識やブランドを、まずは見つめなおすべきではないだろうか。


そして、できることならこの傾向を一時的なものにしたくない。
スターバックスの抹茶ラテや、花火に浴衣を着ていくこと。美味しい和食食べました!刹那の日本を楽しむ、そういった商業ジャパニーズも悪くはないけれど、もう一段階深く、僕(と、僕が大切だと思う人)が生まれ育った国についての理解を深めてみたい。なぜこんな文化があるのだろうと、身近な日本を時系列にそって体系的に紐解いてみたり、50年後、100年後に残したい日本はなんだろうと考えてみたり。


決して、日本を唯一崇高なものだと考えろ!と言っているわけではない。
考えることなく自分の国を大切だと思うことは、危ないナショナリズムに直結してしまうものだから。けれど、もう少し、自らの文化を苦しみながら学んでみてもいいのではないかな…と思う。


2014年。
日本の文化や歴史をしっかりと考え感じ、自らの芯となるものをより強く、より深くしたい。単純な日本ブランドに流されるのではなく、なんでこれがいいのかな?守らなければならないのかな?という意識を持ちながら、しかし大切にしたい価値観を見極め、たくさん学んで行きたいと思う。


長々と書いたけれど、2014年の自らが拠り所としたいものを一言で表すと、「和魂洋才」。
「洋魂和才」でも、「和魂和才」でも、「洋魂洋才」でもない。
海外と日本を対比し、日本の劣ってるところを見つけ考えていくけれど、魂はあくまでも和風で生きたい。


一年の始まりを祝うお正月。
それは日本の文化をさらに強く感じる季節でもある。「歳神さま」を家庭で迎えるために、目印である門松を立て、御節を用意し神と食事を共にしつつ、福を招き災いを打ち払う願いを込める。


皆様が、日本が、そして世界がよりよい1年となりますように、初詣では神にそうお願いしようと思う。


11/28/2013

人を好きになるとき

好きな人ができました。
そんな話をすると、必ず周りの友達から聞かれることがある。
「可愛いの?」
「どこが好きになったの?」
そんな質問を受けると、僕は考えてしまう。良いところが見当たらないからではない。条件付きで誰かを好きになりたくない、こと友人関係や恋愛、家族に関しては…って、そう思っているから。世の中には評価によって成り立つものと、評価では測れないものがある。


社会を生きていくなかで、僕たちは常にだれかに評価され、だれかを評価する。
うまくできたらAをあげよう。内申書に○をあげよう。人事評価に反映しておこう。判断され、分別し、選択する/される。そんな利害関係がときにはひっそりと、ときには露骨に僕らの目の前にあらわれる。しかしそれは社会が持続可能なシステムとして稼働するためには必要不可欠なことでもあると思うし、自らの行動が評価されない社会の失敗なんかはソ連崩壊の姿からも感覚的にわかる。みんなが同じ服、同じ食べ物、同じ作業をする評価を欠いた世界からは生産性が生まれないだけでなく、何よりも多様性がなくつまらない。様々な人の意欲や感情を奮い立たせるものにあふれる社会のほうが活気があり、なにより人間らしく生きられる。


しかし、評価をしてはならないものも僕にはたくさんあるように感じられて、その一つが恋とか愛とか友情とか。本当に大切な人を条件付きで愛したり信頼していいのだろうか。
「性格がやさしいから好き」その人が鬱になってギスギスし始めたら別れるの?
「可愛いから付き合ってる」事故で顔に怪我を負ったらさようなら?
そんなの、友情じゃない。愛情じゃない。社会を支配している、大切だけど心苦しい「評価」。それらを使って判断してはいけないものが、人間をミクロに見たとき、一対一の関係を築くときには往々に現れる。


以前どこかで読んだストーリーにこんなものがある。
おばあちゃんが、家に訪れた小学生の孫にこのような言葉をかけられた。
「おばあちゃんは、英語しゃべれないってことは、バカなんだね。」
大切な親類との関係を、幼い子供が英語できる・できないで評価してしまったという話。英語が初等教育の教科になった以上、「評価」せざるを得ない。そのため、英語ができない人=劣った人と教育されてしまう幼い小学生。でも、英語ができようが、できまいが、おばあちゃんとか大切な人に、英語能力という単一の物差しを当てて評価をしてはいけないと、僕たちは知っていなければならない。


この小学生と同じようなことを僕たちも日常的に行ってしまっていないだろうか。友人をその語学能力で、家族をその稼ぐ能力で、恋人をその見た目だけで。
僕たちは知らず知らずのうちに、評価してはいけないものに対しても、格をつけたり点数をつけたりして、プラスマイナス、損得で考えてしまっていないだろうか。


「うまくいってもいかなくても、わたしにとってあなたの価値はかわらないよ」
条件付きの愛が蔓延している世の中で、みんなが心の奥で求めているのはそういうもの、そんなふうに言ってくれる人なんじゃないかと、僕は思う。


人のなにかを1ミリだけ動かす

表現することを褒められる機会が昔に比べて増えた。
このブログを書き始めて様々な人が読んでくれて意見を言ってくれたり、こういうことではないですか?と投げかけた質問が面白いねと言われたり。何かを表現することが苦手だった僕にとって、これはとても大きな変化。そしてその楽しさと自らの満たされる気持ちを日々感じている。


Discover21の干場社長とのお話で伺ったことがある。

「私は”感動”というものを大切にしている。ただ”感じる”だけではなく、その後に”動くこと”があって、初めて世界が変わるのだと思う。」

人は、もっと、何かを表現するべきだと思う。

テレビを見る、漫画を読む、勉強する…それらすべての”感じる”ことの次に、”動き”を起こすことが大切。それは僕のこのブログのようなちょっと概念的で稚拙なものでもいい。家族との食卓や電話での久しぶりの元気?っていう話でもいい、大切な人との寝る前の今日あったこと報告会でもいい。もっとシンプルに、「ありがとう」と口にだすことも僕はすばらし”動き”の一つだと思う。自らの内側にたまった感情を、動かすこと、外にだすことがなによりも大切なのだと常々思う。
表現の使命はひとつ。 
その表現と出会う前と後で 
その表現と出会った人のなにかを 
1ミリでも変えること。
電通のエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターの高崎さんの言葉。


私はこの旅でRyuの表現力の深さに脱帽しました。 日本語でも英語でも人に伝わる言葉を紡げるあなたはすごい。私のコミュニケーションは言葉よりもパフォーマンス中心なので、「もっと自分の(言語)スキルを高めないと」と新たな目標を得ることができた旅でした。 
ジャーナリスト会議で出会った素敵な人に、こんな嬉しいメッセージをもらった。
1ミリだけれど、僕の表現が誰かを変えた。そして彼女のメッセージという表現が、僕のなかのなにかを1ミリ変えた。


こうやって、人は、互いに互いの心を1ミリずつ動かしあっている。
思ったことを、伝える。考えたことを、発表する。
ただインプットを増やして、「俺はいろんなことを経験して、学んでるんだぜ、すごいだろ」って世をシニカルに見るのはやめよう。そんな姿のままでは、なにも動かさないし、なにも返ってこない。



人のなにかを1ミリだけ動かす。
たっとそれだけのことだけが、難しく、恥ずかしく、めんどくさい。
でも、それが何よりも大切なのではないだろうか。
誰かのなにかを1ミリ動かせればいいなと思いながら。


11/23/2013

日本的なものに、ぐらり、揺れた

この2週間の間に出会った、僕の2倍も3倍も長く人生を歩んできた方との会話から。


先週までのインターンシップで、印象に残るお話をしてくれた方がいた。
企業の話そっちのけで、歩んできた人生の話や、結婚のこと離婚のこと再婚のことを話してくれた方。「絶対に結婚は一回にしなさいね、みなさん!」と茶目っ気混じりに伝えたあとに、少し、声のトーンを変えていった言葉。
「私はね、神様ってものを信じてるんですよ。毎日正しく生きていれば、きっとそれは自分に帰ってくる。そう思って毎日を過ごしていますよ。」
「人に関心を持つこと、人から関心を持たれること、それが何よりも大事です。」
様々な哀しみと努力をしてきたからこそ心の底から伝えようとした言葉であるように思えた。本当にそのとおりだな、毎日をしっかりと過ごして行こうと背筋が伸びた。人間として尊敬できる素晴らしい方から頂いた言葉だった。


すべてを流された石巻の漁港へ科学ジャーナリストの国際会議の通訳として赴いた。風評被害と闘いながら会社の再建を目指す水産会社の社長へのインタビュー。
「震災後はね、家族は大丈夫だったかとか、そんな話、大々的にはできませんでしたよ。みんな何かを失って辛かったのだから。だから、漁港では哀しかったけれど仕事の話だけをしてました。でも、従業員の目を見て、その中に暗いものをみたら事務所に呼んで二人で話して。泣きながら誰がなくなったかとか、私にできることはないかとかを聞いたり…そうやって、少しずつ少しずつ良くしていくしかありませんでした。」
目に涙を滲ませながら話してくれた。社長の言葉を通訳する僕の声も、震えた。


このお二人の言葉は、最初、全くもって相反しているように思えた。一方は神や仏が善行を見ているからしっかりと生きていなさいという。しかし、もう一方は、日頃の行いが悪かったとか罰が当たったとかそんなことでは納得できないほど突然に、多くのものを失った。
それなのに、このお二方が話してくれたことはどちらも「日本的なもの」だな、と。そのただひとつの精神性、常に行い正しく生きていく姿勢も、哀しみ怒りを露わにせず密かに涙する心も、そこのところが通じているのかな…と、感じた。


小雪。
津波被害で多くの建物が流された女川。真新しい外壁の家々の合間にある、野草が茂る空き地には、花束が添えてあった。漁港の横には5階建てのビルが横倒しになったまま残されていた。オオタカか鳶が、静かにその上空を飛ぶ。


土地の魚には、土地の酒が合う。
放射能に対する風評被害、僕はあんまり気にしない。放射能は含まれているかもしれない。でも、それがどれだけ危険かどうかは科学的に立証されていない。出荷されている食品の放射能量に統計的有意差が見られるほどの危なさはない。なのに、ただ放射能があるかもしれないということで人々は恐れる。僕も、正直、自分の奥さんとか子供ができたら食べさせるかと言われたら悩むけれど、少なくとも、僕は、食べる。漁港で風評被害に負けないように働く人々の涙を見た。自らの安全性なんかよりも、大切にしたい繋がりが僕にはある。


「東日本大震災被災慰霊之碑」に手を合わせる。
被災地の空は悲しいぐらい青く、澄んでいた。










11/01/2013

絵本を読まない日本の大人たち

AKBとか、ゆるきゃらとか、可愛さや幼さがいつまでたっても認められ続ける日本の文化にちょっと飽き飽きしている人もいる。今日の記事はそんな人達の心に響くものになるかもしれない。


「世界一の本の街」と呼ばれる神田神保町の古書店街で開催されている「神田古本まつり」へ行ってきた。読書週間に合わせた東京の秋の風物詩は、今年で54回目。目抜き通りに設置されたラックに古本がどっさりと積まれた「青空掘り出し市」は、なんとなくパリのルーブル美術館対岸の古書通りを彷彿させる。「本の回廊」は国関係なく人々を魅了するものなのだろう。


僕が訪れた日の空模様は生憎の雨。青空の下の乾いた本の匂いを嗅ぐことはできず、ブルーシートで覆われた回廊を横目に、少しだけ安くなった本屋さんの前をぶらぶら歩く。そんな中でふと立ち寄った書店の一つがとてもユニークだった。「絵本の本屋さん」。壁一面に設置された本、平積みされた本、それらがすべて絵本のお店。なつかしいタイトルや見たこともない絵本をパラパラと眺めながら、童心に戻ったようにシンプルな本に見入り、「小さいころはこの本が好きだったよ」なんて話をしながら思いがけず長くそこにいた。

見覚えのある本を見つけた。僕の家の本棚にある2冊の絵本。小さい頃に読んだ記憶があまりないので、ぼくが少し大きくなってきたぐらいに父さんか母さんが買ってきたものなのだろう。シンプルな白い背景と線だけの絵本。文字は本当に少しだけ。
「ぼくを探しに」
「ビッグ・オーとの出会い」

シェル・シルヴァスタインの本を訳した倉橋由美子さんのあとがきが、印象的だった。以下引用。
「考えてみると大人の大部分はうまく大人のふりをしていけるようになった子供か、それがうまくできないでいる子供か、そのいずれか」
「シルヴァスタインの童話がアメリカで人気が高いのは、大人を演じるのに成功しているにしろ失敗しているにしろ、アメリカ人が自分の「子供性」を鋭く意識している人間であることを示すものかもしれない。」
 「これに対して日本人の場合は、子供がそのまま大人として認められるように世の中ができていて、自分の中の子供を余り意識しないで済むし、またそのことで悩んだりすることも少ない。それどころか、日本では、大人を演じることが下手な人間はその純真さや童心、要するに幼稚さを売り物にして生きればかえって珍重されるのである。そういう日本人にはシルヴァスタインのような発想は案外なじめないのかもしれない。」

このあとがきで書かれている「子供性」について、ちょっと考えた。僕は海外に何度も赴くことで、逆に日本のことをたくさん知ることができた。僕が小さい頃から当たり前だと思っていた当然目の前にある日本の感覚が、実は特殊なものなんだなって知るきっかけを得た。それは、僕だけでなくたくさんの海外旅行や留学に行ったことがある友達ならわかってくれることだと思う。


それと同様に、僕たちは小さいころの子供性から、ある日に急にスイッチが入って大人性を得るわけではない。連続的な日々の中で子供から徐々に大人になっていく…はずなのだけれど、それはやっぱり難しい。倉橋さんが述べているようにどこか日本には子供性を引きずる基質は誰にでもある。さらに日本には子供性がいつまでたっても認められる環境があるように僕は感じるのだ。自分自身が子供性を引きずっているかどうかは、日本の素晴らしさや自らがそれらに関して無知であることに気づくのと同様にして、いっぺんその同質なコミュニティから這い出て、客観的に自らのポジションを俯瞰しないと気づかない。


「おおきくなるっていうことは ちいさなひとに やさしくなれるってこと」
この文も、絵本からの引用。おおきくなるっていうことは (ピーマン村の絵本たち)
おおきくなって、大人になれるってことは、自分の中の子供を意識できるようになって、それゆえに悲しくなったり辛くなったりすること。 でもそれは、僕達のつぎのちいさなひとに、子どもたちに、優しくなれるってことなのだと、中川ひろたかさんは伝えている。


さて。AKBとか、ゆるきゃらをもてはやす日本の文化は、自分自身が子供だと認識している人が楽しんでいるのか。それとも、子供だと気がついていない子供のままの大人がはしゃいでいるのか。後者ばっかりの日本が続いたら、他の人に、弱き人に、マイノリティに、ちいさなひとに、やさしくなれない日本になっちゃうんじゃないかなって、僕はちょっと悲しくなる。


読書の秋。
新書、哲学書、小説、就活本…そういう本は、おとなになるための子供が読むための本。でも、ときにはその反対の、こどもを思い出すための大人の本を、人は読む必要があるんじゃないかな。3分ぐらいで読み終わる絵本。どうぞ手にとって見てください。やさしい人になるために。子供の心を思い出すために。
本当に大切なことが、絵本には詰まっていて、僕は涙が流れました。

10/29/2013

共有じゃなくて話したい

週末は、たくさん話をした。
土曜日には小学校の先生をやっている友達と。GoogleのCMに出ているダンスの苦手なのび太くんみたいな風貌の彼にどことなーく似ている僕の友達は、国語の先生2年目。今年は5年生を受け持っているという。


小学校5年生ともなると憎たらしさやずる賢さを発揮し始める年齢。
「先生と◯◯ちゃんを教室で二人っきりにしたら先生捕まっちゃうんだよ−!」
とか言われたり、早い子にはもう始まってる女の子のできごとのこととか。悩みも多いみたいだけれど、その分楽しみも多そうで。日々学んでいる彼に負けないで過ごしたいな…と思わせてくれる大切な友人だ。


彼は数ヶ月に一度、『邂逅(かいこう)』と名した集まりを企画していて僕も参加している。要は酒と食いもん持ちよって、友達の友達の友達とかと狭い部屋で色々と話しをするだけ。アメリカでは頻繁に見られるハウスパーティのようなものだけれど、日本でのんびり住み暮らし学生をしているとこんな機会はさほど多くない。毎回楽しみにしているしゃべりの場。出会いの場。


そんな彼から借りている一冊の本『ザーヒル』パウロ・コエーリョの中に、こんなセリフがある。
人間同士の関係において一番大切なのはおしゃべりをすること。なのに、人はもうおしゃべりをしなくなっている―すわって話をしたり、人の話を聞いたりするのを。みんな劇場や映画館に行ったり、テレビを見たり、ラジオを聞いたり、本を読んだりするばかりで、ほとんど話をしない。
(『ザーヒル 』p188)
この一節に、ギクッとなった。僕は、人間同士の関係で一番大切なおしゃべりをしなくなっているんじゃないかって。


テレビやラジオなんかよりも、もっと僕らのしゃべりを奪っているものがある。ネットだ。もちろんネットのおかげでたくさんの人に発信をすることができるようになったり、旅先で救われたこともたくさんある。どこかに出かければ、写真をアップロードする。ブログも書く。Likeの数にウキウキするし、コメントは待ち遠しい。それでも、こうやってあることを一般公開して、僕は誰かに情報は共有しているけれど、そのことについて誰かと話をしていないんじゃないかって。気になる人が何をしているかは知っているけれど、話してよって言わないし耳を傾けていないんじゃないかって。


久々にあった友達の近況がどうなっているのか、ネットを介して僕らはかいつまんで知ることが出来る。でも、僕は、改めて、会ったときにたくさんの思い出話や、嬉しかった話、悔しかった話、悲しかった話、これからどこに行きたいか、これから何をしたいか、いま何に興味があるのか、なにがつまらないのか…そんな他愛もないけれど、聞かせたくて仕方がない気持ちをため込んで、いざ、会ったときに、これでもかというぐらい、話をしたいと思う。


そんなことを思いたって、日曜日、おばあちゃんに会いに行った。僕はメキシコ旅や留学の話をして、おばあちゃんは昔話をしてくれた。のんびりと、たくさんの話ができた。大切な人とそうやって話すことは、その人の存在を大事に大切にすることのように思える。ブログやfacebookで何やってたか知ってたよっていうのは、なんだろう、嬉しいと同時になんだか物悲しい。


本ばっかり読んで、共有することばっかりして(今もこうやってしているわけだけれど)、誰か大切な人と話すことを疎かにしてないかな。
のんびりと話したい、秋晴れの下で。寒空の中で。



10/23/2013

教養は「当たり前の木」を愛すること

週末にあった留学報告会、そして今夏に研究留学を行っていた友人との立ち話で、「教養の大切さ」について話す機会があった。「教養」って聞くと難しく感じるけれど、僕はそれは「当たり前の木」を愛するとても楽しいことだと思っている。そんなことについて。


「『いただきます』って、どういう意味?
宗教的なものなの?
日本人ではない僕はやってはいけないのかな。」

僕の友人はアメリカでそう問われて答えに困ったという話をしていた。確かに僕達が当然のように言う「いただきます」は、日本人にとっては何も考えずにおこなう習慣となっていて、どのような意味であるかを考える機会はほとんどない。「当たり前」なのだ。みんなが知っている「当たり前」に関していちいち「なんでだろう」と考えたり疑問提起をすることは和を重んじる日本のコミュニティの中では異端の目を向けられることでもあるし、体力的にも精神的にも疲れる。だから、当たり前を疑わない。僕らは知らず知らずそう育ち生きてきたように感じる。


でも、その「当たり前」が「当たり前」ではない人と接するときには話は異なる。

「いただきます」を言わない人と話をするとき。
「神」という厳かな言葉を気軽に若い女の子グループには使わない人と話をするとき。
「民主主義」という国の良さを知らず、民主主義国家の力によって愛する人を亡くした人と話をするとき。
「平和」が当然ではない地域の人と話をするとき。
「桜」を見て美しいと感じない人と話をするとき。
「ヒロシマ・ナガサキ」の悲劇を悲しんでくてる人と話をするとき。

ぼくたちは、「」の中の当たり前を、しっかりと説明ができるだろうか。語るべきことを持たないのを英語ができないせいにしていないだろうか。生まれた国が違うから仕方ないと勝手にあきらめていないだろうか。


日本列島に生まれ、単一民族国家である日本人に共通していることは、その日本や日本国籍などにまつわる自明なものへの素朴なもたれかかりであるように感じる。その結果、民族的少数者や外国人、障害者や同性愛者といった社会のマイノリティに生きる人々は自明性から生まれるさまざまな抑圧や排除の矢面に立たされ、苦しんでいる。昨今のヘイトスピーチ問題なんかも、自らのことを知らず他者批判することで「当たり前の木」にただよりかかっている人々の虚しい声にしか僕には聞こえない。


一つの文化=「当たり前の木」がそこにあるのならば、その種を巻いた人がいて、育てた人がいて、長い長い年月の風雨を経験して、その木の恵を授かって生きた生物がいて…年輪の数だけ、木の幹の傷の数だけストーリーがある。僕は、図らずとも日本という当たり前の木のもとに生まれた。これからずっと付き合っていくつもりのこの木は絶えず身近にあるのだから、その木に刻まれた様々な物語を知りたいなぁと思っている。そしてこの木が今後もこの場所で立派に立ち続けるためにはどうすればいいのかと漠然と考え始めた。それが、そんなことが、僕は教養の始まりであると考える。


ちらっと見かけた広告に、こんなフレーズが書いてあった。
知らないことが多いってことは
これから知ることが
できることのほうが多いってことさ。
教養を意識して学び始めると、その量の多さや知らないことの多さに愕然としてしまうこともあるけれど、それだけ知ることができること、「当たり前の木」をもっと愛することができるようになるってことだと僕は思う。


とても概念的な話で終始してしまったけれど、教養の大切さについて、考えたこと。

10/13/2013

ターナーの記憶色と空気感

秋空が心地よい週末に、上野・東京都美術館のターナー展を訪れた。
先週スタートの企画展示は以前から行きたいな…と思っていたもので、あまりメディアに露出していないためか、混み具合もさほどでもなく、ゆっくりと見て回ることができた。


初めてJ.M.Wターナーの名を知ったのはおそらく中学生の頃。当時聴き始めた山下達郎の楽曲の中にあった『ターナーの汽罐車』、歌詞を口ずさみながら、ターナーってなんだろう、それが知ったきっかけ。
退屈な金曜日 埋め合わせのパーティー
お決まりの場所に 吹き替えの映画さ
まるで 気のない声
 虹色のシャンペインを 傾ける君の
見つめる絵はターナー
おぼろげな汽罐者が走る 音も立てず
こんな夜の中じゃ 愛は見つからない
こんな夜の中じゃ 愛は戻ってこない
知っているのになぜ
夏目漱石も愛したターナー。代表作の坊っちゃん、教頭の赤シャツが美術の先生・野田と瀬戸内海に浮かぶ島の松を見て、ターナー島と名付けながら教養自慢を皮肉る描写なんかは印象的だった。初めて読んだときは僕も坊っちゃんと一緒に、「聞かないでも困らないことだから黙っていた」。

それでも、留学後に様々な美術館を訪れて西洋絵画を見て学ぶようになり、僕の知る数少ない画家のひとりとしてその名前は心に刻まれ、「あ、ここにもターナー」とその出会いを喜ぶようになっていた。ロンドンにあるナショナル・ギャラリーで見た山下達郎の楽曲の題材となった"Rain, Steam and Speed"に出会ったときは、思わず心躍った。


さて、ここから写真の話。

ターナーの絵を見ながら、以前に写真や撮像素子、デモザイクに関して勉強をしたときに学んだ2つの言葉を思い出した。『記憶色』と『空気感』。

記憶色とは、被写体の持つ現実の色に対して、僕達がその被写体に対して「こうであろう」あるいは「こうあるはずだ」という思い入れを含む記憶に基づく色合いのこと。例えば、空の青さに関する記憶色。空の青さも、夏に見える白っぽい色合いよりも、秋や冬の抜けるようなコクのある青空のほうがイメージが強い。だから、スマホで撮った写真を加工してfacebookにアップロードするとき、僕たちは空の色を青くしてくれるフィルターを好む。同様にして、桜の色はピンクを強く、葉っぱの色は緑を強く。
人間の、何かに対して「こうあるはずだ」と思う気持ちは無意識の中にも強く現れている。

空気感は、写真を評価するときに使われる言葉。空気は透明だから写真には写らない。それなのに、”空気感が感じられる写真”という言葉が一般的に使われている。でも、空気感の定義というものは僕の知る限り存在していない。空をノイズ無くスムーズに撮れた写真がよしとされる場面もあるし、シャープなエッジなんかが際立った写真の空気感が評価されることもある。評論家や写真家それぞれが思い描く空気の雰囲気や形によって異なる。だから、空気感という言い方にはそこに個人の思い入れが大きく作用している。

ターナーは、今回の展示でも紹介されていたけれど、その絵の多くに黄色を多用する。朝焼けに照らされる木々を薄い黄色で塗ったり、建物の色味も黄色がかっていることが多い。光や雰囲気の効果を得るために、絵具を拭ったり、擦ったり、洗ったりまでしてその黄色を描いている様子から、ターナーが心に描く空気や世界の記憶色は、僕達が実際にみるそのものよりも黄色いフィルターがかけられているのだろうな…と感じられた。

時代と地場の顔料・染料のせいもあるとは思うけれど、日本の伝統的な絵画には見られないような空気感と記憶色としてターナーは黄色を使う。それなのに、世界中の人々がTurner’s yellowといって称賛するその色味と雰囲気は、美術に疎い僕なんかでも、なんだかいいなぁと思わせるものがある。写真を撮り、色みを調整するときに少し黄色を足してみようかなぁと思ってみたりする。


SNSと高性能のスマホに搭載されたカメラで、誰もがみんな「いいなぁ」とおもった目の前の雰囲気を写真に撮って、シェアできるようになった。そのときに、各種あるフィルターから好みのものを選択して、自分の思い描く記憶色や空気感を添加する。
なにげなーく、かっこよく、かわいくするために選択している様々な効果は、自分の心の中にある記憶色を表現している。それは、小さいけれど一人ひとりの記憶や感性に裏付けられて行っている自己表現。僕はそれがとても良いと思っている。

写真にフィルター効果をかける前に、少し手を止めて考えてみる。
なんで、空を青く表現したいのか。どうして空気が黄色く感じるのか。
自らの記憶の中にその答えがあるかもしれない。
そんな一瞬の追想を、次に写真を誰かに見せるときにふと行ってみてはどうだろう。
写真を撮ったり見たりするのが楽しくなるかもしれない。


10/08/2013

「きっと、うまくいく」

週末に、映画館で映画を見ました。
「きっと、うまくいく」(原題:3 idiots)



初めてしっかりと見たBollywood movie(インド映画)。3時間でインターバルが途中に入り(日本の映画館では休憩なしでぶっ通しで放送する)、突然役者たちが踊り歌い出す。典型的なインドの娯楽映画の構成を踏襲していて、見る前には「くだらないって思うんじゃないかな」なーんて考えていたけれど、杞憂だった。とても良かった。


映画を見ながら、昨年の春に訪れたインドのことを思い出した。ウザったいぐらい集まってくる勧誘の人々。ギュウギュウ詰めの電車。当然のように値段をふっかけてくる行商。到着して最初の数日間はいろいろなトラブルに見舞われて、本気で帰りたいと思ったけれど、不思議なことに1周間が過ぎたころにはとても居心地よく感じた。それは、彼らのおおっぴらな感情が僕と擦れ合わさる感覚=摩擦熱が熱くて火傷しそうだったけれど、日本に暮らしていては得ることのできない暖かさをもたらしてくれていたから。冬場に手を擦り合わせて得られる幸せ、そんな暖かさ。


「きっと、うまくいく」も、その本質に感じたものはインドを旅して感じたダイレクトな感情とその幸福感。親子愛、理想と現実の間の悩み、挫折、死との直面、人生を楽しむこと、恋愛。普通の映画はこういったトピックをきれいなオブラートに包んで時には優しく、時には難解に(特にフランス映画なんかは)僕達に伝えてくれる。けれど、「きっと、うまくいく」は伏線を残しながらも、ものすごくダイレクトに大切なことを訴えていた。映画を見ながら、笑ったし、泣いたし、自分と照らしあわせて考えた。


僕の好きなミュージカル映画なんかと通じるものがあるなぁと思った。「あなたを愛してる」といったような言葉を、ただ棒立ちで伝えても観客の心には響かない。伝えたい大切なメッセージを音律とダンスに乗せて、心に伝える。ミュージカルで歌われる歌詞をゆっくり読んでみるとくさーいセリフのオンパレード。でも、それを受け止めさせてしまう力が音楽にはある。似たようなメッセージの伝え方を「きっと、うまくいく」もしていた。だから、見終わったあとの余韻が心地よかった。


朝日新聞で沢木耕太郎さんもレビューを執筆されていました。
「きっと、うまくいく」友の謎追い 美しき世界へ(朝日新聞DIGITAL 2013年6月6日)
今は、六本木の小さな小さな劇場で上映中。
家のテレビではなくて、大きな画面で、良い音楽と、3時間、笑い泣きながら。
おすすめです。


P.S.
ちなみに、今見たい映画は『ジンジャーの朝』(原題:Ginger & Rosa)

歌手/詩人の一青窈さんが、この映画を見て、小林健二さんの次の詩を思い出されたそうです。
「ねぇ なんできれいなものは ひかりにすけて
うつくしいものは かなしくて
かわいいものは わらっているの?」
冷戦時代の社会の矛盾やら、政治不安といった背景があるとのこと。
渋谷、シアター・イメージフォーラムにて上映中。


10/06/2013

大きな世界地図と小さなもの

大きな大きな世界地図を、僕の狭い部屋の壁に貼った。



4年前の僕のパスポートには、スタンプはひとつも押されていなかった。Facebookの友達の数も、数えるほどの人しかいなかった。この2〜3年以内に出会った友人の中には、僕が昔から海外を飛び回ったりしていると思っている人がいるけれど、とんでもない。海外で起こっていることを考える余裕なんてない、視野の狭い人間だった。というよりも、自分自身の視野が狭いということにすら気がついていなかった。


今でも格段それが変わったとも思わないし、4年前とくらべて視野が広がって何かができるようになったかと問われると、悲しいけれどそうはなってない。逆になにも知らないほうが強くいられたのではないかな…って悩み悲しくなることもある。でも、明らかに言えること、変わったことは、4年前の僕は部屋の壁に世界地図を貼ろうとは思わなかったということ。


異国の酒を口にして、現地の人と笑いあった。僕を好きになってくれる人もいたし、恋焦がれる出会いもした。その経験から、僕はなにか専門性を得たわけでもない。では何を得たのだろう…と考えた。出した結論が、この世界地図。地図の上にある様々な国の名前、都市の名前、以前は何も考えられなかったこれらの文字列を眺め目を閉じると、そこに生きる人々の笑う声、泣く姿、怒れる様子がなんとなく、思い描けるようになった。


ものすごく不思議なことだけれど、大きく大きく物事を考えはじめたら、逆に小さな小さなものに気がついて心打たれるようになった。人間はどうして生きてるのか、働くのか、争うのか、愛するのか、死ぬのか、笑うのか。草木の美しさ、雨の気持よさ、空気の香りと空の色。例えば、こんなこと。考えたり気がついたりしたのは、世界地図の上にいる自分自身を意識して俯瞰できたときだった。旅をしてるときだった。


ベッドの横に貼った世界地図は、毎日、起きるときに、寝る前に、必ず視界の中に入る。それは世界を意識するモチベーションではなく、すぐ近くにある大切なものや特別な人を大切にするべきだと気づかせるスイッチとなる。
大きな世界と小さな大事なものは、どこかでつながっている。
そんなふうに僕は思っている。

9/21/2013

ポジティブなメキシコを見てみたくて

「メキシコに行ってくる」
そう言ったときのアメリカに住む友人の反応の多くは次のようなものだった。
「1人で行くの?危険だからやめたほうがいいよ」
「旅行者が惨殺されたってニュースをしょっちゅう聞くけど大丈夫?」
それらはみな、ネガティブなものばかり。Los Angelesの市中の本屋で見つけた報道写真集(名前は失念)はメキシコのドラッグウォー(wikipedia)の被害に遭い惨殺された人々の姿を生々しく写し、メキシコ行くのやめようかな、と思わせるに充分な内容だった。(トルコのカッパドキアにて今夏被害にあった2人の大学生の話も聞いていたので)


麻薬がらみの犯罪が横行し、それに伴い腐敗が発生し、貧富の格差が広がっている。誘拐事件や虐殺死体のニュースはかなりの頻度で報道されている。アメリカ側から見たメキシコの姿は、地獄絵図のように形容されていることが多い。確かに、凶悪犯罪が発生していることは確かであるし、外務省も渡航に関して特定地域へ行く際に注意を喚起している。(→外務省 海外安全ホームページ


上で述べた話は、すべて事実である。でも、それらの情報だけを得て「メキシコは危険」だと判断するのは間違っていると僕は思う。なぜならそれらはメディアによって「ネガティブな一面だけ」を「過度に強調して」編集された情報であるように感じられたから。
本当のメキシコの街ってどんなものなんだろう。メディアが報道しない「当たり前」のメキシコはどんなものなのだろう。
ポジティブなメキシコを見てみたくて、僕は旅することにした。









メキシコの街を歩き見た感想を、一言で言うと、「綺麗」になるだろう。
San Francisco留学時代に出会った友人のLuisが案内してくれたQueretaroの街は石畳が美しく、広場に集う人々の笑顔がやわらかい。メキシコ最大の街、Mexico Cityは清潔で活気に溢れ日本の新宿を思わせる。世界遺産に認定されているPueblaは数々の教会とレストランの照明に照らされて明るく輝く。移動に使った街と街をつなぐ高速バスはいままで乗ったどのバスより(日本も含め)も快適で、英語は通じないことが多いけれど現地の人々はみな優しかった。


日本でも、例えば、ひどい犯罪は発生している。子供が親を刺殺する。いじめで小学生が飛び降りる。包丁を持って小学校に乱入…このような事件をメディアはどのように報道しているだろうか。日本に住む僕達にはそのような悲劇的な事件が日常茶飯事のように発生しているのではないと感覚的にわかる(と思う、そう会って欲しい)けれど、海外の人々はどうだろう。ある一面の情報だけが切り取られ、否定的な印象を与えるためのプロパガンダとして使われてはいないだろうか。


今回の旅をして、思い起こしたのはサッカー日本代表の中田英寿さんの言葉。(→日本を勉強しようと思い立った」
「人に合わないと、文化の素晴らしさはわからない。情報はインターネットで手に入るが、最終的に「わかる」には自分で体験するしかない。だから、人に会いに行くのが僕の旅。」
結局は原体験を積まないと本質的にモノゴトが自分自身のなかで理解されるようになることはない。でも、僕の時間は有限ですべての出来事に触れることは不可能。だから、以前に書いたブログ記事「切り取られた表現や事実を補間する力が欲しい」で述べたように、想像力や裏側にあるもの、今回のメキシコ良好に関して言えば「ポジティブなメキシコ」を意識できる力を養いたい。その気持ちをまた強く感じる旅となった。


最後に…当然だけれど、メキシコの街はポジティブだらけではなかった。Guanajuato, Pueblaの街ではデモする労働者階級とみられる人々の姿を見かけた。街中には警察が多く、マシンガンを持つ警官と肩をぶつけてすれ違うこともあった。Mexico Cityの中央に位置する"Monumento a la Revolucion"はホームレスのような人々が集いテントでできた巨大な迷路のような様相を呈していた。







陰の中から陽を。陽の中から陰を。
そのどちらも重要で、想像する力、実際に見に行く行動力、さらには改善するためにできることはないかと悩む力を持ち続けていたい。大きすぎるトピックだと分かっていても。1人の力でできることなど限られていると知っていても。これからも。

9/19/2013

"Viva Mexico"

赤、白、緑。
三色の国旗を模した飾りは街中のいたるところで見られる。タクシーの運転席、家のベランダ、骨董品屋の軒先、タコスを売る屋台の壁。その日、それらの色合いは”Viva Mexico”の掛け声とともにいっそう濃くなっていた。916日、メキシコの独立記念日。僕はメキシコの歴史が始まった街であるSan Miguel de Allendeにいた。


生憎の雨模様であったけれど、雨らしい雨が全くふらないLos Angelesを後にしたばかりの身に、石畳を打つ雨の音が心地よい。深夜近くには現地に住む友達も「こんな雨はめったにふらないよ」というほど雨脚は強まっていた。しかし、広場に集まる人の熱気は高まるばかり。花火の音と光が広場を包む。マリアーチが奏でる音楽にのせて人々は踊る。レストランやバーからは愉快な音が漏れ聞こえてくる。


メキシコの歴史は闘いの連続。300年にも及ぶスペイン植民地からの独立、アメリカ、フランスとの戦争、そして2006年に宣言されたドラッグウォーは今も続く。そんな闘いを支えているのは、国旗の色にも見られるようなビビッドな自らの国に対する気持ち。独立のために戦った英雄を称える感情と、腐敗を導いた指導者に対する蔑む意見はとても強烈だ。
Viva Mexico”
「メキシコ万歳」 
 独立記念日近くに街を訪れたから余計にそう感じたのかもしれないけれど、この国の人は自らの国を愛している。つかの間の滞在であったけれど僕にはそう感じることができた。それはただ無知に愛するのではなく、英雄をしっかりと讃え悪者をしっかりと裁くことから始まっている。友人曰く、メキシコの腐敗は未だにひどい。それでも、自虐史観を持っている多くの日本人、未だにその感覚から抜け切れていない自分にとって、大きな声で"Viva Mexico"と叫び記念日を祝える様子はとてもうらやましく思えた。
"Viva Japan"
「日本万歳」と大きな声で叫べないのはなぜだろう。
自分の生まれた国を愛する気持ちを公にしてはならない雰囲気はどこから来るのだろう。

雨に濡れて輝く石畳を眺めながら、そんなことを考えた。






9/09/2013

7年後

「7年後、僕たちはどこでなにをしてるかな。」
「東京にいて開会式を見れたらいいね。」
開催決定の一報に、そんな軽く温かい未来話を友人や家族と交わした人は少なくないと思う。単調に、ただ後ろに流れていくだけに思えるモノクロの毎日に、 スッと5色の道標が浮かび上がった。2020年、東京五輪。うれしさに、小さくガッツポーズ。ルームメイトからの「おめでとう」にハイタッチで応えた。



7年後。僕は、家族は、東京は、日本は、アジアは、世界はどうなっているのか…。
僕は31歳になる。来春生まれる友の子は小学生になり、団塊の世代は完璧にリタイア。父さん母さんはまだまだ元気でいて欲しい。東京のマイノリティに対する閉塞感は変わらないのか。日本人のおもてなしの心は受け継がれているか。アジアの国々の歴史や文化的背景を深く理解し、それぞれの国に対する正確な理解を持てているだろうか。国同士の争いは、環境問題は、改善に向かうだろうか。平和は笑顔は保たれ広がり守られているだろうか。


話が広がりすぎてしまった。けれど、聖火と共に訪れる未来は、ただ待っていればやってくるものではない。僕達が日々しっかりと積み上げていくこと、改善していくこと、行動していくことによってのみ実現するもの。そのために僕達が考え解決しなければならない問題は、ローカルにもグローバルにも溢れている。


留学中に読み込んだ一冊の本がある。アラン『幸福論』
この本の最後の章にこんな言葉がある。
「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。」
未来を楽観できるようになっているのは、将来を創る僕達だけ。
よりよい未来を。よりよい7年後を。たくさんの感動を。美しさを。平和を。笑顔を。
5色のリングに向かって力強い意志で進んでいきたい。


開催決定のニュースに喜びを爆発させた招致委員会のメンバーの写真や、プレゼン動画を見て、何故だか涙が溢れてきた。意志が集まり、なにかを成しとげる姿は素敵だ。

(Getty Photo)

(Getty Photo)


9/03/2013

「このへんな生きものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」

ジブリ派か、ディズニー派か。
小さい頃に見せられていたアニメ映画はどちらが多かったか、そんな話を友達とすることがある。僕は断然、ジブリ派。小学生になる前、僕がずっと小さかった頃、誕生日に買ってもらった映画「となりのトトロ」のビデオをつけると2時間画面の前から微動だにしなかった。何回も何回も見続けたビデオテープは擦り切れて、当時1万円ほどもしたビデオテープを新調したほどだった。
「トトロのおかげで子育てが楽だったわー」
そんな昔話を母さんから聞かされたことがある。


家には巨大なトトロのぬいぐるみがあって、弟と3人でよく遊んでいた(耳がちぎれかけていたあのトトロ、どこいったんだろう)。高校生になって初めて買った携帯ストラップは柄にもなくトトロとまっくろくろすけのもの。夏になると無性に冷たいトマトやとうもろこしをほおばりたくなる。どんぐりが転がっていたら追っかけていく好奇心が今も心の底に宿っているように感じる。3つ児の魂100までも、という。1988年に公開されたトトロとともに僕は育った。


宮崎駿監督が引退をするというニュースを聞いて、寂しくなりながら、小さい頃から見続けていたジブリ映画のシーンを脳裏に思い浮かべた。舞台は日本の田舎・郊外であったり、異国の地であったり、不思議の国のようなこともあるけれど、どの映画にも通じているのは宮崎駿監督の世界観、大人のなかにある子供の心。子供心にはわくわくするし、大人からは懐かしさと忘れていたなにかを呼び覚ましてくれる。
「ジブリ映画を見返してみるとまた新鮮で昔とは違うよね」
そんな会話もするようになった。


「となりのトトロ」公開時の、糸井重里さんによるキャッチコピーがしんみりと心に響く。
「このへんな生きものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」
「忘れものを、届けにきました。」 
これからも、このへんな生きものは日本にいて欲しい。日本にだけいて欲しいとか考えてしまうのは、僕の欲張りなこころのせいか、それともいまアメリカにいるからだろうか。忘れかけた時には、再生ボタンをまた押せばいい。擦り切れたビデオテープはなくなってしまっても、監督は引退してしまっても、作品は残り続ける。


帰ったら、まず、トトロ見ようかな。

8/30/2013

留学生の悲哀・旅行者の歓楽

留学生の悲哀というものがある。
周りで会話がはずんでいるのに、自分だけついていけない。手に持った飲み物がどんどんとぬるくなる。窓の外を眺め、考えにふけっているように見せる。大勢の中のひとりぼっち。異国の地で、なんとも心細い気分に襲われる。 

旅行者の歓楽というものもある。
外国で日頃のしがらみから開放される。外国にいれば意地を悪くする機会もすくないし、よりいっそう自分自身に満足できる。人と言葉をかわさなくても、異国の地にいるということで得られる満足感や、気楽な人の結びつきを楽しむことができる。

留学に行った友達と話したり世界中を旅した人と語りあうと、そんな悲哀と歓楽にまつわる話を聞くことが多い。けれど、考えを変えればそれらは180度反対のものにもなる。
留学をして、孤独を感じて、始めて自分自身について真剣に考えられたとか。
旅をして、刹那の出会い別れに嫌気がさして、深いつながりを大切にしようと思ったとか。

3ヶ月の米国滞在は、留学生になりきるには短すぎるし、旅行者になるには長すぎる。2ヶ月が過ぎて帰国という言葉が脳裏にちらつき始め、自分自身の留学生活を振り返ってみる。それは、自分自身の人とのつながりを再確認する期間でもある。ふとした閑暇に思い出す忘れかけていた人、懐かしく感じる自分が属していたコミュニティ、それらはきっと、近すぎて見えていなかったこと。自分自身にとって本当に大切なもの。当たり前だと思っていたけれどすごく貴重ななにか。

帰国まで残り3週間。
人間最後はひとりぼっち。変な慣れ合いや無駄な付き合いが僕はあんまり好きじゃない。それでも、人間関係がなければ僕は無となる。競いあったり、助けあったり、愛しあったり、憎しみ合ったり。そんな関係から生まれるドラマを楽しみたい。
会いたいなぁと思う人たちがいる。少しさびしく感じるこの気持ちを忘れずに。


8/19/2013

誕生日とか、生命とか、日々のこと。

鎮魂の季節が、僕の誕生日を挟んで、今年もまた過ぎていった。
広島・長崎からの終戦記念日。今年の春に訪れた街々や靖国神社の様子やその時々に考えたことが再び脳裏に浮かぶ。


ジャーナリズムコースのクラスメートが、終戦記念日に靖国神社に訪れ、その様子をfacebookにポストしていた。
「君は22歳か。早く結婚して、子供をたくさん産みなさい。そして、お国のためになる子供を育てなさい。」シベリアから戻ってきたという、92歳のおじいさんに投げられた言葉。小学生の子供を連れた家族を見た。子供の額には「必勝」のはちまき。手には旭日旗。錆びた鉄兜を見ながら、「こうやって戦うんだよ」と、水兵帽をかぶった息子に言う父親。突然現れたアンパンマン。拳を振り上げ、汗で服を濡らし、喉が枯れんばかりに軍歌を歌う人々。集まる人に対し、解散を求める警備員に「帰れコール」「ここは中国じゃないんだ」と声を張り上げるおじさんたち。
アニソンをipodから大音量で流しながら、陸軍についてアツく語る学ランの学生。

私は戦争のために、子を産めない。
彼女が見た様子は靖国神社の一面でしかないと思う。
それでも、最後の言葉が、心に響く。


誕生日を迎えて、たくさんの友達からfacebookでメッセージを送ってくれた。
”happy birthday”
たったそれだけの言葉が、僕の心を明るくしてくれる。ちょっとおおげさかもしれないけれど、生きててよかったなぁとか、幸せだなぁって、感じる。そしてこの世に生を受けたことに感謝したくなる。
父さん母さん、ありがとう。


留学友達から、不意に、一通のエアメールを手渡された。
「はい、これ竜之介に、日本の友達から」
San Franciscoで出会った親友達からの、サプライズ誕生日メールだった。

たった1秒、人差し指に電気信号を送れば"Like!"と感情を表せる世の中。無料で、一瞬で、0と1の配列が海を越えて伝わる時代。それにもかかわらず、わざわざ手紙(と似顔絵)を書いて送ってくれる人が僕にもいるということが、涙が出るくらい嬉しかった。
たくさんの物事がインスタントになっていく傍らで、昔からあるものの価値は相対的に輝きが増していく。


その留学時代を共にした親友の1人が、この前僕らに驚きの報告をした。
「妊娠6週目!このままなんもなければ、来年3月にはうまれる。いま、9mm。ちっさ。」
笑顔の眩しいキャピキャピな彼女も、来年春には母親になる。新しい生命が生まれてくる。ちいさいちいさい生命が。おめでとう。これも、涙がでるくらいうれしいこと。


亡くなっていった生命と、生まれてくる生命。それらを取り巻いて、たくさんの人が、たくさんの感情を抱く。ときにそれは過激になり、ときにそれは無神経になる。過去の悲惨な生死を知り子供を産めないという友の声と、新しい生命を授かったことを喜ぶ友の笑い声が聞こえてくる。


自分が生まれてきたということをなんとなく考えながら、そんな僕の周りの生命のことをつらつらと考えた。答えは出ない。意見はまとまらない。


留学生活も半分を終えた。
事前に伝えられていた研究内容ではなくなったり、研究方針が急激に変わったりしててんやわんやになったりしているけれど、日々を楽しめていると思う。留学生とも研究の話や将来のキャリアの話をまじめにしたり、馬鹿話をしたり。笑いが絶えない。


写真は留学メンバーで登ったLAの最高峰Mt. Baldyの山頂、10,068ft (3069m)から、ルームメイトと。
サンタモニカ、ベニスビーチのパームツリー。







8/02/2013

"Saying goodbye in 140 letters"

I try to keep reading newspaper here in U.S., to improve my language skills and to follow the history happening right now in the world. In Los Angeles Times, that I usually buy after running in the morning, there is a column on the front page, names "Column One".
Reading column takes more time than reading article because column covers a broad range of topics, from politics to culture. But I really enjoy reading them and try to have a good sense of English, both linguistically and culturally.

Yesterday, the topic of "Column One" was SNS, twitter. "Saying goodbye in 140 letters" was the subtitle of that essay, you can read it online. Link below.
"NPR host Scott Simon tweets his mother's dying days"

Scott Simon, host of National Public Radio's “Weekend Edition Saturday,” tweeted about his mother's failing health from her hospital room. She died Monday night. He has more than 1million twitter followers, and he had kept sharing his emotion with/about his mother dying.

Some people will think that it is not appropriate to share something very sensitive, private and important. Beloved one's death should be one of them.  Death may not be able to be public. I think I agree with these kind of opinions at some points. 

However, if you look back to the past, like before the 20th century, death used to be very public. Suppose someone in the village died, all neighbors would know it and shared the grief. People kept close watch on obituary notice of local newspapers so that they could show their sympathy for the recently deceased and his family. A community at that time was small enough to share all emotions.

Now, in the 21st century, people are so isolated. If you live in big cities such as Tokyo and Beijing, you may not be informed even your neighbor's death. So here is the question; how do you cultivate your sense of death? How do you know that we all people are mortal? How do you realize that our parents will die sooner than us?

I checked Scott Simon twitter(@nprscottsimon) and read some tweets about he and his mother. I was, well, crying reading some of them. Those tweets reminded me my grandfather's death last year. That was really shocking experience to me and made me think a lot about my life, my family, society, and all world.

To be an adult, I now think, people need to face death.
More opportunities we have to visit the dying person, more possibilities we start to think about our lives seriously. I do not think that I will share my beloved one's death on SNS, but I cannot deny what Scott Simon tweeted solely because they are appropriate. There are always something you don't want to face, but you have to do in your life.

Quotes from Simon's tweets.

"Mother cries Help Me at 2;30. Been holding her like a baby since. She's asleep now. All I can do is hold on to her."
"I love holding my mother's hand. Haven't held it like this since I was 9. Why did I stop? I thought it unmanly? What crap."
 "I just realized: she once had to let me go into the big wide world. Now I have to let her go the same way."
"My mother in ICU sees Kate&Will holding baby and tears:"Every baby boy is a little king to his parents." So I tear too. "
"Heart rate dropping. Heart dropping."
"The heavens over Chicago have opened and Patricia Lyons Simon Newman has stepped onstage."
"She will make the face of heave shine so fine that all the world will be in love with night."

7/28/2013

よく笑うこと

アメリカの人はよく笑っている。
それはコメディを見ていて笑うときの最大瞬間爆笑のような話ではなくて、日常のひと場面で見られる笑顔の話。1人でいるときにニヤニヤしてるという話ではなくて、見知らぬ人との一瞬の繋がりのときに浮かび上がってくる笑顔の話。

バスに乗るときに運転手と軽く挨拶を交わすとき。友達とファストフード店で会話をしているとき。スーパーのレジで精算をするとき。研究室のメンバーと朝あったとき。
全員が全員そうであるわけではないし、僕達の年代の人はすましたような雰囲気で笑顔をつくっていないこともあるけれど、一般的にいって「Hi!」と同時に笑顔が顔から溢れていることが多い。

英語には、尊敬語や謙譲語がないから、なんだかコミュニケーションもちょっと粗暴になりがちになるんじゃないか…そんなことを昔に考えていたことがある。日本人は言葉の種類に礼儀をもとめるけれど、では、アメリカ人はどのような礼儀を重んじるのだろう、と。その答えのひとつが、笑顔なのかもしれない。

笑顔が礼儀作法のひとつだと考えたら、それはとても素晴らしいものではないか。笑っている相手を見て心和みイライラが解消されていくのは人類普遍のこと。敬語なんか知らなくても、言葉なんか発さなくても、相手との摩擦は薄れて自然と距離が近くなる。戦場において、ちょっと極端な例えかもしれないけれど、相手から向けられた銃口を降ろさせることができるのは美辞麗句でも阿鼻叫喚でもなく笑顔だと僕は思う。

もちろん、心のこもっていない尊敬語が逆に空いての機嫌を損ねることがあるように、笑顔だって万能じゃない。作り笑いはすぐにわかる。それでも、毎日の笑顔の積み重ねによってできあがった自然な表情には、惰性や反射で作った笑顔だからというマイナス点はあまり見当たらない。「Hi!」の後の表情、笑顔やほほ笑みは、素敵だ。

よく笑うこと。
毎日の生活の中で、外部からの様々なストレスは、自分自身の力では防ぎようがない。怒られるときは怒られるし、雨が降るときには雨はふる。でも、自分の表情はコントロールできる。どんなときでも、笑おうと思えば笑える。そして笑顔をつくったあとに、ポジティブな感情がついてくることもある。
「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せになるのだ。」
そんな格言があったっけ。
笑おう:)



7/25/2013

どうして民主主義がいいのか考えたことがなかった

大学生は、どこの国でも、最新の情報や禁止されているものに対する感度がその他の世代よりも高い。良いことも悪いことも、新しいこともくだらないことも、僕らの世代は意外とよく知っている。

言論の自由がないとか民主主義ではないために様々な情報が統制されていると言われている中国。その国から来ている友達と多くの時間を一緒に過ごしているけれど、彼らはみんな自らの国の事情を充分知っていて、禁止されている情報なども「なぜ禁止されたのか」「どのような内容だったのか」ということを敏感に察知している。
そんな彼らとの会話から考えたことをつらつらと。

『民主主義』『デモクラシー』
日本では参院選がついこの前に終わった。「投票に行こう!」「投票して来ました」そんな声がたくさん聞こえてきたけれど、それらの根本となっているのがこの民主主義。民主主義だから、投票ができて、三権分立されていて、一部の権力が横暴を振るわないようなしくみとなっている。それぐらいのことは社会科で習った。でも、それ以上のことを学ぼうとはせず、「だって生まれたときから民主主義だったから当たり前だよね」と僕は思考停止していたように思える。

ルームメイトが紹介してくれたTEDを彼らと一緒に見ながら、国のシステムについて考えた。
"Eric X. Li: A tale of two political systems"

日本語のサブタイトルがない(このことからもいかに日本人がこの事柄に興味を持っていないかが伺える気がする)けれど、このHPで日本語に訳してくれている人がいる。

民主主義は、この世の最後の政治形態だと主張する人もいる。Eric.Liの上のTEDの最後の会話でも出てきた『歴史の終わり』フランシス・フクヤマが言うことには、完全な民主国家ではいかなる権力の集中や独裁も多勢の民意には勝てないため、これ以上国家の統治形態が変わること=歴史が変わることがなく、民主主義化は歴史の終わりだと言う。

しかし、僕たちは民主主義の問題点、また民主主義を支える自由市場の非道徳性をこの4~5年間見続けている。独裁国家が倒れても治安は良くならず、自由市場は人の欲をコントロール出来ず多くの国の景気をどん底に陥れ、民主的に選ばれた首相もクーデターによって倒される。

民主主義は平和的なのだろうか。結果だけ見れば、僕が世界のモノゴトに興味を持ち始めたこの15年間で大きな戦争をしたのは民主主義の大国だった。テロの報復に、大量破壊兵器があるとこじつけて拳を振りかざし、兵器がないとわかったら独裁政権を倒して民主化するという名目にすりかわっていた。これではデモクラシーの帝国をつくろうとしていると見られてもおかしくない。僕の生まれたこの国も、民主主義帝国チームの一員になっている。
民主化されたチュニジアを旅して、「失業している人が増えた」「インフラの整備が全くすすまない」と嘆く人の声を聞いた。そんな人達に、長期的な目線で見たら民主主義の方がハッピーになれるんだよ、なんて言葉はかけられなかった。

文化に関しても、どの国も同じ民主主義という形態をとる方向になってしまったら、失われるものは多い。自由市場で外資がたくさん入ってきた結果、日本の食生活はどんどん欧米化している。日本に限らず、世界中の多くの民主国家がそうなりつつある。どこの国に行っても強力なサプライチェーンを持つマクドナルドやスタバという民主主義の申し子達に会えるのは嬉しいけれど、その陰に隠れて見えなくなってしまったその国独自の文化は、少数派の人しか支持しないから消滅の一途をたどるしかないのだろうか。

共産主義を唱えるわけではない。自分なりにデモクラシーについてちょっとずつ勉強してきたつもりだし、きっと僕は民主主義と言う国の形が好きだと思う。アメリカの民主制に関する古典と言われている『アメリカのデモクラシー』トクヴィルを留学前に読んだけれど、そこには民主国家の強い点・弱い点が書かれていて、興味深かった。例えば、民主国家では多数派の先制政治になるため、世論をつくること=メディアの役割が大きくなり、そこに腐敗がうまれるだろうと、現在でも問われている問題が200年近く前の本で既に述べられている。

民主主義とはことなる国のシステムで、世界第二の大国となった中国からきた友人たちと共同生活する中で、自らの国のシステムが相対的に炙りだされている。民主主義が果たして素晴らしいものなのか、勉強不足で僕にはまだわからない。それでも、自分の国が導入しているシステムなのだから、そのことをもっともっと良く知り、理論的に、自然に、ポジティブに話せるようになりたい。

イギリスの元首相チャーチルの言葉を引用して、終える。

『民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば』


Just let me give a small provocative question, something like a devil's advocate, but that has stuck on me since after my travel in Tunisia;
"What is Democracy? What is good about that?"

After the Arab's spring, many countries graduated from dictatorship, introduced democracy, and now chaos came on. Infrastructure corrupted, still high unemployment rate, and the democratically erected president was turned over by the power.
That's what I saw in Tunisia with my eyes.
That's what I heard from media with my ears.

No war in the democratic world? No way, see what happened in a last decade. The good powerful democratic countries tried to spread the world's majority's idea by force, with about 28 thousands people dead.

What I wanna say is, I just want to stop taking democracy for granted without thinking and knowing anything about what exactly it is. I think I like democratic system, so I want to talk about it logically, rationally and naturally.

It was really nice to come here, outside of Japan, with a lot of friends from another social system. Thanks friends from CSST.

7/19/2013

英語に囚われない。心に響くことを。

前回の留学のときと比べて、言語に対して少しだけ違った心持ちでいる。
今でも英語はそんなにうまくないから、毎日どうやってしゃべろうかなぁとか、あーうまく伝わらなかった…と考えてしまうことは多いけれど、英語に過度に囚われることはなくなった。

英語に囚われてしまうと、本来だったら意思疎通や感情を表現するツールの1つでしかないはずの言語を上達することばかりに意識が向いてしまって、大切な内容を見落としてしまったり、相手がなぜアウトプットをしたいのかという気持ちを察する心の余裕がなくなる。
言語はあくまでも手段(How)であって、英語だろうが日本語だろうが手話だろうがきちんと伝えたいことこと(What)があることが大前提、さらにその奥の人の気持ちの部分(Why)まで意識できるようになれたらいいな、と常に思っている。

そう思うようになったら、インプットも、別に英語にこだわる必要はないのではないかなと考えられるようになった。大切なことを学び感じられるのであれば、綺麗な言葉でも、ブロークンランゲージでも、無言のハグでも、笑顔でも、アートでも…入り口はなんでも構わない。

そんなわけで、アメリカにいてもインプットもアウトプットも英語漬けになろうとは思っていない。たとえば僕の愛用アプリである「社説リーダー」で社説やコラムを読み比べて、時代と社会と人の心の移りかわりに敏感になろうとしている。日本語で。
美術館にも行って来た。何を表現したいのか、アーティストが日本人でなくても想像することはできる。こちらは視覚から。

心に響くものごとを、英語でも日本語でも、視覚でも触覚でも、なるべくたくさん経験して、残しておきたい。


7月12日朝日新聞『天声人語』
自然には美しさと非情が相混じる。古来、この国土は数多の地異に揺れ、天変に叩かれてきた。1年のどの日にも、大小の爪痕と人々の涙が刻まれていよう。今日もそうだ。ひっ街道の奥尻島などを大津波が襲った北海道南西沖自身から20年の節目になる。

7月15日毎日新聞『余録』
余暇について考えたい。人によっては生きがいともいえる時間帯が、なぜ余った暇なのか。いっそのこと、「本暇」という言葉でとらえ直す方が、より効果的な時間活用につながるのではないか。(中略)
さて結論だ。本暇的時間とは、社会的な貢献と自分がしたいことで得られる満足がバランスよく融合した状態である。その意味で、最も大切なことは「自分がしたいことを見定める」ことであろう。この夏休み、自らの本暇探しをしてみたい。
7月17日日本経済新聞『春秋』
知れぬ行く末を思って、人は希望と不安の間を行ったり来たりする。勉強でも、あるいは貯金やトレーニングでもいい。すべては未来から少しでも不安を消し去ろうとする営みなのかもしれない。 



7/18/2013

暑中見舞い申し上げます。

北半球では、1年で最も暑い時期にさしかかっている。

すでに日は短くなり始める一方で、暑さはこれからが本番。日本のニュースを見ていると、例年よりも厳しい暑さが街を襲っている。熱中症で亡くなった方も多い。夏の暑さは、体温調整機能が弱くなったお年寄りやまだ未発達なうえに地面に近い子供など、弱者に厳しい。みなさんも体調管理にはくれぐれも気をつけて。節電も、命を落としてまでする必要はないですよ。無理な我慢はせずに出来る範囲の努力をしながら日々を元気にすごせればいい。僕はそう思う。


暑中お見舞い申し上げます。


カリフォルニアの天気は清々しい晴れの日が続く。
カラッと乾いた風と、吸い込まれるような青空。陽射しは眩しいけれどヨーロッパ南部の刺すような光線ではない。こちらの気候に惚れ込んで移住をしてしまう人の気持ちも分かる気がする。それでも、23年間住み暮らしてしみついた日本の夏が恋しくもあったりする。ないものねだる人の気持ちは強情だ。

日本と中国で共通の季節を表す言葉、七十二候。小暑と大暑の間には、たとえば次のような言葉がある。
温風至(あつかぜいたる)
蓮始開(はすはじめてひらく) 
土潤暑(つちうるおいてむしあつし)
大雨時行(たいうときどきにふる)
気象の動きや動植物の変化を知らせる短文は、アジアの表情を綺麗に描く。蒸し暑さも、土砂降りの大雨も、時節の見もの、刹那の仕草だと考えればまた風流。

カリフォルニアの快晴も、2ヶ月の間に表情を変えるだろうか。
こちらの気候のなかにも風流さを見つけられればいいなと思う。






7/11/2013

ラマダンが始まった

UCLAの現在滞在している寮から、昨日の晩に一通のメールが来た。
Dear Summer Residents,

In our efforts to accommodate students who are participating in Ramadan, dining will be providing to go options for those observing Ramadan. Since none of the dining halls are open before sunrise, housing will be offering an opportunity for you to pick up food the day before which includes a bagel, a fruit and a juice.

In order to participate in this program, you will need to fill out the form below by 5pm tomorrow, July 10th. When you pick up your breakfast, a swipe will be deducted from your meal plan.
ラマダンが10日から開始される。学生寮の食堂は夜明け前にはオープンしていないので、ラマダンに従う人は前日にベーグルやフルーツ、ジュースなどを持ち帰ることを認めますよという内容のものだった。

ラマダンとはイスラム教の断食月のこと。 預言者ムハンマドが神から啓示を受けた月で、信徒は日の出から日の入りまで飲食を断つ。「断食」というキーワードからなんだか辛いものであるというような印象があるけれど、実は日が出ているだけ飲み食いしなければよいので、日の入りと同時に食事を始め、夜通しお祭りのような雰囲気となる地域もある。

昨年訪れたチュニジアはイスラム教が国教となっている国。仲良くなった友達にラマダンの話しを聞くと、「実はラマダンの間のほうが太ってしまう」とか「生理中や妊娠をしていたり、病気だったら飲み食いしてOK」など厳格なしきたりかと思っていた僕にとっては「えっ、そうなの!」という驚きが多かった。

日本にもイスラム教の人が増えてきた。僕の日本の研究室にもインドネシアからの留学生の女性がいて、頭にはスカーフを巻いていて、ハラムに従って豚肉やアルコールは飲めない。飲み会とかを企画するときには、彼女が食べられる料理がある店(海鮮ものとか野菜とか)かを少し気にするし、鍋パーティーをしたときには肉エキスが入っていないスープのもとを選んだりしている。

それでも、日本ではまだまだ認知している人が少ないし、僕が受け取った1通のメールのように、寮とか社会といった人々が属している仕組み側から能動的に働きかけて機会均等を目指すという意識が欠如している用に思える。これは決して宗教だけに限った話ではなくて、人種、趣味嗜好、意見の違い、身体障害といったものに関しても。

アメリカに来て1週間。
身体障害者や車椅子を使用している人がバスに乗るとき、ものすごくバスが傾き、さらにタラップまでがおりてくる仕組み。ラマダンの人のための食事に関する配慮や、宿にお祈りをするための部屋が設けられていること。
意識をすればこういったことはもっともっと見つかる。
「これらのものは合って当然!」
そう思えるような気持ちで常にいたいし、日本に帰っても、
「なんでそういうものがないの?」
と疑問提起できるようになっていたい。

マイノリティのことを思える感性が世界をもっとよくできる。
僕は結構本気で、そう信じている。

7/09/2013

CSSTプログラムスタート

UCLAでのCSSTプログラムが始まった。

僕が今夏参加しているCSSTとはCross-disciplinary Scholars in Science and Technologyの頭文字をとったもの。日本語に訳すと「科学技術分野における学際的な研究者養成プログラム」となる。日本では一言で「理系」と称される分野の学生を、日本の僕の大学から6名、中国の各地の大学から90人ほど集め、UCLAでの研究室にそれぞれ所属させてそこでのプロジェクトに従事させる。わずか10週間のプログラムであるけれど、1週間目に研究計画書を提出、9週目にはポスターによる発表、優秀者はプログラムメンバーの前でのオーラルでの発表といったノルマがある。

このプログラムの本当の目的というものは「UCLAの研究者青田刈り計画」といったようなもので、優秀な学生をプログラム内で見つけUCLAのマスター、ドクターへの進学を有利な条件付きで薦める。そのため、中国からの留学生の中には一流の研究者になるべく「君はドクターを狙っているのか?」とちょっと怖い目つきで聞いてくる人もいるという。

こんなプログラムであるけれど、今日のOpening Receptionでは比較的のんびりとした雰囲気で終始して、「とにかく勉強しろ!!」と言われたような気はしなかった。プログラムのD担当であるRobinが繰り返し言っていた次のような言葉が印象的だった。
Please explore not only your laboratory but also other friends projects.
Take advantages.
Be a student while you can.

僕の大学から集まったメンバー6人も専門は全くバラバラ。化学系、生命系、情報系、工学系。中国からきた学生も、みんな別々の専門を学んでいる。それでも、お互いに研究室での生活の仕方であったり、全く違うものを対象とした研究でも同じメソッドを使っていたりして「おぉー、お前もそれやってんだ!」と話が盛り上がる。

明日からメンターに会い、今夏に何をやるかを決める。
果たして自分のスキルでどこまでバリューが出せるのかビクビクだけれど、しっかりと学びキャッチアップして自分自身にも、所属する研究室のメンバーにとってもプラスとなるようなものを残したい。

そしてRobinの言葉のなかにあるように、学生であるというステータス、アメリカという自由な雰囲気、様々な専門を持つ人と定期的に顔を合わせる機会を利用して、もっともっと視野を広げて学際的な知識も吸収していきたい。

7/06/2013

新聞ななめ読み in America

アメリカに来て4日。
時差ボケもなくなって徐々に生活のリズムを取り戻してきたので、街をぶらぶら歩きながら新聞を買って読んだ。サンフランシスコの地域紙であるSan Francisco Chronicleとニューヨークの新聞で全米で3番目の発行数を誇るNew York Times。


先ず目についたのが日本の選挙戦の記事。ChronicleにもTimesにも安倍首相の写真が載っており、見出しはそれぞれ、
"Ban Lifted, Japan's Politicians Race Online"
"Prime minister rallies for party seats"
7月21日に控えた参議院選挙の選挙戦がスタートしたことを伝える。そして今夏の選挙から解禁されたネット選挙について、Timesはかなり詳しく報じている。記事を以下抜粋。
Campaign truck. White cotton gloves. Facebook. A rewriting of Japan's rigid election laws has brought about a sea change in electioneering customs here, previously limited to sound trucks, pamphlets and good old handshakes on the street.
Still, it is foolish to assume that an aggressive Web strategy will immediately translate into votes.
Japan is an early adopter of social media in other spheres of public life, it has lagged behind less developed countries in using the Internet for political campaigning. Candidates in Egypt and Tunisia, which held their first democratic elections only in the last two years, made extensive use of social media.
(New York Times)
最後のパラグラフで、「チュニジアやエジプトのここ最近2年間の民主的な選挙ではSNSが既に使われていたのに、日本はずーっと政治活動に適用されていなかった」というところが日本を皮肉っているけれど、その民主化したエジプトのモルシ大統領が軍のクーデターで身柄を拘束されてしまっている。これについてもTimesは3ページに渡って特集をしていた。
By all accounts, the governments removed the democratically elected president, put him in detention, arrested his allies and suspended the Constitution. Army vehicles and soldiers in riot gear roamed the street, while jet fighters roared overhead.
(New York Times) 
こんな状況でありながらも、軍はクーデター(coup d'etat)ではないと言っている、民主化を止めてはいけないという論調が紙面から伺えた。
「民主化」「デモクラシー」は、チュニジアを旅して以来、自分の中でいろいろと疑問が芽生えてきたキーワード。果たして民主主義は正義なのか。先進国である日本やアメリカの押し付け民主主義は世界を平和にするのか。エジプトのクーデターから再び考える。


Timesの他の記事で興味深かったのは、atheist(無神論者)が建立したモニュメントが話題になっているという記事。アメリカはキリスト教の国。しかし、キリスト教が政治でも経済でも日常においても色々と特権(privilege)を握っており、それを是正せよと無神論者団体が主張している。日本では話題にならないだろうけれど、"God"というキーワードが大統領の演説、憲法、すべてのお札の上などにも出てくるこの国は、神様あっての国。(ちなみに、宗教の自由があるからあくまでもGodであって、Jesusではない。ユダヤ教やイスラム教、その他の宗教にも建前上は寛容)宗教の不平等を訴えたり無神論者であることを主張することは、特にコンサバな田舎ではやはり難しいようだ。この国の宗教論争についてはまた詳しく考えて書きたい。


もっとリベラルな地元紙のChronicleの記事は、現在進行中のBARTのストライキについてや、先週アメリカの最高裁で可決された同性婚の続報についての記事が大きい。

BARTはSan Franciscoとその他のBay Areaをつなぐ重要な鉄道なのだけれど、今週の月曜日からストライキが始まった。アメリカの景気が好感であることを背景に、労働者団体(worker unions)が賃上げや福利厚生の向上を求めて運行を停止、サンフランシスコが半分陸の孤島のようになっており、経済面に与えるダメージがとても大きい。運行再開を明日からするようだけれど、まだ会社側と労働者側で調停はかわされていない。

同性婚については、カリフォルニアではとにかく複雑である。カリフォルニアの州法提案Prop.8が同性婚を禁止しているけれど、先週の連邦政府最高裁でその提案が棄却された。つまり、州の多数派が制定した法律を、お上である連邦が否定したわけである。制度としてはこれでカリフォルニアも同性婚が認められたのだが、そう簡単にはいかないらしい。
At the same time that the U.S. Supreme Court was opening the door last week for gays and lesbians to marry in California, the court took another step in a long, conservative-led campaign took to narrow the doors to the nation's federal courthouses.
合衆国という国の仕組みと、日本とは少しことなる立法と司法の制度がもたらした様々な問題を勉強したからわかる、この国の社会問題。これもまたいつか詳しく書きたい。


日本では新聞を最低でも2紙、日々読み比べていた。
新聞は時事問題を広くまんべんなく取り扱ってくれる。そして継続して読むことで、その新聞社の持つ「色」が見えてきて、それを理解して自分なりに補正をすることでものごとの「意見」ではなく「事実」が見えるようになる。
こちらでも、なるべく新聞には目を通して、アメリカの社会問題やアメリカから見た日本や世界の姿、そして様々なことを考える種をみつけられるようになりたい。