9/21/2013

ポジティブなメキシコを見てみたくて

「メキシコに行ってくる」
そう言ったときのアメリカに住む友人の反応の多くは次のようなものだった。
「1人で行くの?危険だからやめたほうがいいよ」
「旅行者が惨殺されたってニュースをしょっちゅう聞くけど大丈夫?」
それらはみな、ネガティブなものばかり。Los Angelesの市中の本屋で見つけた報道写真集(名前は失念)はメキシコのドラッグウォー(wikipedia)の被害に遭い惨殺された人々の姿を生々しく写し、メキシコ行くのやめようかな、と思わせるに充分な内容だった。(トルコのカッパドキアにて今夏被害にあった2人の大学生の話も聞いていたので)


麻薬がらみの犯罪が横行し、それに伴い腐敗が発生し、貧富の格差が広がっている。誘拐事件や虐殺死体のニュースはかなりの頻度で報道されている。アメリカ側から見たメキシコの姿は、地獄絵図のように形容されていることが多い。確かに、凶悪犯罪が発生していることは確かであるし、外務省も渡航に関して特定地域へ行く際に注意を喚起している。(→外務省 海外安全ホームページ


上で述べた話は、すべて事実である。でも、それらの情報だけを得て「メキシコは危険」だと判断するのは間違っていると僕は思う。なぜならそれらはメディアによって「ネガティブな一面だけ」を「過度に強調して」編集された情報であるように感じられたから。
本当のメキシコの街ってどんなものなんだろう。メディアが報道しない「当たり前」のメキシコはどんなものなのだろう。
ポジティブなメキシコを見てみたくて、僕は旅することにした。









メキシコの街を歩き見た感想を、一言で言うと、「綺麗」になるだろう。
San Francisco留学時代に出会った友人のLuisが案内してくれたQueretaroの街は石畳が美しく、広場に集う人々の笑顔がやわらかい。メキシコ最大の街、Mexico Cityは清潔で活気に溢れ日本の新宿を思わせる。世界遺産に認定されているPueblaは数々の教会とレストランの照明に照らされて明るく輝く。移動に使った街と街をつなぐ高速バスはいままで乗ったどのバスより(日本も含め)も快適で、英語は通じないことが多いけれど現地の人々はみな優しかった。


日本でも、例えば、ひどい犯罪は発生している。子供が親を刺殺する。いじめで小学生が飛び降りる。包丁を持って小学校に乱入…このような事件をメディアはどのように報道しているだろうか。日本に住む僕達にはそのような悲劇的な事件が日常茶飯事のように発生しているのではないと感覚的にわかる(と思う、そう会って欲しい)けれど、海外の人々はどうだろう。ある一面の情報だけが切り取られ、否定的な印象を与えるためのプロパガンダとして使われてはいないだろうか。


今回の旅をして、思い起こしたのはサッカー日本代表の中田英寿さんの言葉。(→日本を勉強しようと思い立った」
「人に合わないと、文化の素晴らしさはわからない。情報はインターネットで手に入るが、最終的に「わかる」には自分で体験するしかない。だから、人に会いに行くのが僕の旅。」
結局は原体験を積まないと本質的にモノゴトが自分自身のなかで理解されるようになることはない。でも、僕の時間は有限ですべての出来事に触れることは不可能。だから、以前に書いたブログ記事「切り取られた表現や事実を補間する力が欲しい」で述べたように、想像力や裏側にあるもの、今回のメキシコ良好に関して言えば「ポジティブなメキシコ」を意識できる力を養いたい。その気持ちをまた強く感じる旅となった。


最後に…当然だけれど、メキシコの街はポジティブだらけではなかった。Guanajuato, Pueblaの街ではデモする労働者階級とみられる人々の姿を見かけた。街中には警察が多く、マシンガンを持つ警官と肩をぶつけてすれ違うこともあった。Mexico Cityの中央に位置する"Monumento a la Revolucion"はホームレスのような人々が集いテントでできた巨大な迷路のような様相を呈していた。







陰の中から陽を。陽の中から陰を。
そのどちらも重要で、想像する力、実際に見に行く行動力、さらには改善するためにできることはないかと悩む力を持ち続けていたい。大きすぎるトピックだと分かっていても。1人の力でできることなど限られていると知っていても。これからも。

9/19/2013

"Viva Mexico"

赤、白、緑。
三色の国旗を模した飾りは街中のいたるところで見られる。タクシーの運転席、家のベランダ、骨董品屋の軒先、タコスを売る屋台の壁。その日、それらの色合いは”Viva Mexico”の掛け声とともにいっそう濃くなっていた。916日、メキシコの独立記念日。僕はメキシコの歴史が始まった街であるSan Miguel de Allendeにいた。


生憎の雨模様であったけれど、雨らしい雨が全くふらないLos Angelesを後にしたばかりの身に、石畳を打つ雨の音が心地よい。深夜近くには現地に住む友達も「こんな雨はめったにふらないよ」というほど雨脚は強まっていた。しかし、広場に集まる人の熱気は高まるばかり。花火の音と光が広場を包む。マリアーチが奏でる音楽にのせて人々は踊る。レストランやバーからは愉快な音が漏れ聞こえてくる。


メキシコの歴史は闘いの連続。300年にも及ぶスペイン植民地からの独立、アメリカ、フランスとの戦争、そして2006年に宣言されたドラッグウォーは今も続く。そんな闘いを支えているのは、国旗の色にも見られるようなビビッドな自らの国に対する気持ち。独立のために戦った英雄を称える感情と、腐敗を導いた指導者に対する蔑む意見はとても強烈だ。
Viva Mexico”
「メキシコ万歳」 
 独立記念日近くに街を訪れたから余計にそう感じたのかもしれないけれど、この国の人は自らの国を愛している。つかの間の滞在であったけれど僕にはそう感じることができた。それはただ無知に愛するのではなく、英雄をしっかりと讃え悪者をしっかりと裁くことから始まっている。友人曰く、メキシコの腐敗は未だにひどい。それでも、自虐史観を持っている多くの日本人、未だにその感覚から抜け切れていない自分にとって、大きな声で"Viva Mexico"と叫び記念日を祝える様子はとてもうらやましく思えた。
"Viva Japan"
「日本万歳」と大きな声で叫べないのはなぜだろう。
自分の生まれた国を愛する気持ちを公にしてはならない雰囲気はどこから来るのだろう。

雨に濡れて輝く石畳を眺めながら、そんなことを考えた。






9/09/2013

7年後

「7年後、僕たちはどこでなにをしてるかな。」
「東京にいて開会式を見れたらいいね。」
開催決定の一報に、そんな軽く温かい未来話を友人や家族と交わした人は少なくないと思う。単調に、ただ後ろに流れていくだけに思えるモノクロの毎日に、 スッと5色の道標が浮かび上がった。2020年、東京五輪。うれしさに、小さくガッツポーズ。ルームメイトからの「おめでとう」にハイタッチで応えた。



7年後。僕は、家族は、東京は、日本は、アジアは、世界はどうなっているのか…。
僕は31歳になる。来春生まれる友の子は小学生になり、団塊の世代は完璧にリタイア。父さん母さんはまだまだ元気でいて欲しい。東京のマイノリティに対する閉塞感は変わらないのか。日本人のおもてなしの心は受け継がれているか。アジアの国々の歴史や文化的背景を深く理解し、それぞれの国に対する正確な理解を持てているだろうか。国同士の争いは、環境問題は、改善に向かうだろうか。平和は笑顔は保たれ広がり守られているだろうか。


話が広がりすぎてしまった。けれど、聖火と共に訪れる未来は、ただ待っていればやってくるものではない。僕達が日々しっかりと積み上げていくこと、改善していくこと、行動していくことによってのみ実現するもの。そのために僕達が考え解決しなければならない問題は、ローカルにもグローバルにも溢れている。


留学中に読み込んだ一冊の本がある。アラン『幸福論』
この本の最後の章にこんな言葉がある。
「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。」
未来を楽観できるようになっているのは、将来を創る僕達だけ。
よりよい未来を。よりよい7年後を。たくさんの感動を。美しさを。平和を。笑顔を。
5色のリングに向かって力強い意志で進んでいきたい。


開催決定のニュースに喜びを爆発させた招致委員会のメンバーの写真や、プレゼン動画を見て、何故だか涙が溢れてきた。意志が集まり、なにかを成しとげる姿は素敵だ。

(Getty Photo)

(Getty Photo)


9/03/2013

「このへんな生きものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」

ジブリ派か、ディズニー派か。
小さい頃に見せられていたアニメ映画はどちらが多かったか、そんな話を友達とすることがある。僕は断然、ジブリ派。小学生になる前、僕がずっと小さかった頃、誕生日に買ってもらった映画「となりのトトロ」のビデオをつけると2時間画面の前から微動だにしなかった。何回も何回も見続けたビデオテープは擦り切れて、当時1万円ほどもしたビデオテープを新調したほどだった。
「トトロのおかげで子育てが楽だったわー」
そんな昔話を母さんから聞かされたことがある。


家には巨大なトトロのぬいぐるみがあって、弟と3人でよく遊んでいた(耳がちぎれかけていたあのトトロ、どこいったんだろう)。高校生になって初めて買った携帯ストラップは柄にもなくトトロとまっくろくろすけのもの。夏になると無性に冷たいトマトやとうもろこしをほおばりたくなる。どんぐりが転がっていたら追っかけていく好奇心が今も心の底に宿っているように感じる。3つ児の魂100までも、という。1988年に公開されたトトロとともに僕は育った。


宮崎駿監督が引退をするというニュースを聞いて、寂しくなりながら、小さい頃から見続けていたジブリ映画のシーンを脳裏に思い浮かべた。舞台は日本の田舎・郊外であったり、異国の地であったり、不思議の国のようなこともあるけれど、どの映画にも通じているのは宮崎駿監督の世界観、大人のなかにある子供の心。子供心にはわくわくするし、大人からは懐かしさと忘れていたなにかを呼び覚ましてくれる。
「ジブリ映画を見返してみるとまた新鮮で昔とは違うよね」
そんな会話もするようになった。


「となりのトトロ」公開時の、糸井重里さんによるキャッチコピーがしんみりと心に響く。
「このへんな生きものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」
「忘れものを、届けにきました。」 
これからも、このへんな生きものは日本にいて欲しい。日本にだけいて欲しいとか考えてしまうのは、僕の欲張りなこころのせいか、それともいまアメリカにいるからだろうか。忘れかけた時には、再生ボタンをまた押せばいい。擦り切れたビデオテープはなくなってしまっても、監督は引退してしまっても、作品は残り続ける。


帰ったら、まず、トトロ見ようかな。