4/28/2012

「内向的な人が秘めている力」

研究室の友達と、「20分間で出来る(自分がもうすぐアルバイトに向かわなければならなかったので、研究をする時間がなかった。)ためになる勉強」ということで久々にTEDを見た。
英語学習にもなるし、教養がつくからオススメだよという僕の言葉に、友人が選んだムービーはこれだった。

スーザン・ケイン「内向的な人が秘めている力」

研究室の同期の彼は、彼自身のことを「内向的」と形容していて、僕のことをその反対で「外向的」であると言う。しかし、このムービーを見た後に感じたのは、そのタイトルが示している内向的な人というのは彼ではなくて、むしろ「外交的」だと称されていた僕であったと思う。
ムービーの中でスーザンが語ったことを要約することはしない。20分の短い、そして日本語の字幕付きなので、見て欲しい。要約する必要もなく、彼女の話全てが大事な話であると思う。

現在の社会で、僕があまり好きでないことは、このムービーの中でスーザンが語る「新集団思考」のなかの「バイアス」に突き動かされて生きている人が多く存在していて、そういった人達のために社会のシステムがなりたってしまっているということ。
SNSの普及もしかり、学校や職場の環境もしかり。
外部的な要因から生じる「幸せ」が、本来は最も大事であるはずの人間の内部(それはつまり、一個体の人間の中から生まれてくるアイデアやもろもろのこと)から生じる「幸せ」よりも支配的になっているということ。
スーザンの語ることは、つまり、人間の本来のあり方からある幸せを追求せよ、という僕の信念に通ずる。自身の経験を交えてキャッチーに話をしているけれど、哲学的で物事の本質をついたとても深い話であると思う。

ムービーの最後に、彼女が言っている3つの行動の呼びかけ。

"Stop the madness for constant group works."
"Go into the wilderness, be like a buddha."
"Take a good look at what's inside your own suitcase, and why you put it there."

「絶えずグループ作業するなんて狂ったことはやめましょう」
「荒野へ行きましょう」
「自分のスーツケースの中をよく見てなぜそれを入れたのかを考えましょう」

最近の自分は、まさにこの行動ばかりをしている。そんな自分が好きだ。
そして自分が好きになる人というのも、こういう行動に気づいて、或は本能的に、行なっている人。

4/24/2012

Adolescent Sickness

中二病、英語には存在しない言葉だけれど、訳すとしたらタイトルのようになるのかな。
さっき大学の友人と飯を食べながらの会話の際に、出てきたこの言葉。

自分でも自覚しているけれど、最近の自分は中学生〜大学生になるまでの時のような、すごく稚拙で感覚的なことばかりを考えたり行動している気がする。
中二病という言葉が友人の口からでてきたときに、自分のことを言われたわけではないけれど、ドキッとしてしまった。それからなんだかものすごく恥ずかしくなった。
本当にそれは、自分が昔中二病であった時のことを思い出してしまったときのような恥ずかしさ。
感覚的に生きていることが大事だと思っていることや、このブログをまた書き始めたことや、恋した女性のことばかり考えていること。
中学生のときの自分となんら変わらず、本当に恥ずかしくなって、すべてやめてしまおうかと思った。

でも、ふと気づいたことは、自分が中学生であったとき、そして現在も、すごーく幸せでいられているということ。
他人の眼や社会での立場を気にすることで、自分の心から出てくる主張や気持ちを抑えて、考えるようになること。これはきっと、成長でもあるのだけれど、同時に衰退ではないだろうか。
Adolescent Sicknessというものが、もしもその名のとおりに青春期にしかかかることのできない病気であるのだら、それを受け入れて楽しめばいい。無理して治す必要はない。成熟してしまったらかかることができない、現在だけの病気なのだから。

でも一人では行きていけないこの世界で生きている限り、この「病気」は時間という力も働いて、いつかは自然と治ってしまうのだろう。
考えて、恥ずかしくなって、こんなブログを書いていることや現在の自分をオイオイ…って思ったりするのだろう。
でも、忘れないでいたいこと、だからあえてここに書いて残しておきたいこと。

自分は現在、幸せです。
人生二度目のAdolescent Sicknessにかかれたことをラッキーだと思って生きてます。

What's my WORD?

Every single city has a word that defines it, that identifies the people who live there.

For instance, New York should be "ambition."
Delhi in India? Absolutely it is "noise."
Paris can be "love", and Berlin may be "solid."
Barcelona, for me, it is "growing", and Madrid is described as "sunny."
London is "gray", and Florence is "history."

How about Tokyo, the place where I was born and raised in?
How about San Francisco, where I found myself free and rediscover?

Then, this question came up to my mind:
What's my WORD?
What's your WORD?
That answer should not be described from outside, but from inside.
Since I found myself empty and not-skilled after my study abroad, I'm now struggling to identify who I am, what I have and what I can do.

This is my time, maybe very time in my life, to re-identify who I am and what I really want to do.
The answer should not and may not come from  my outside, but my inside.
I'll try to follow my heart. I'll try to feel my instinct as much as I can, to discover the answer.
What's my WORD?
What7s your WORD?

4/22/2012

「HOW TO」病の日本

大学の学科に入学した当時から仲がよい、尊敬できる友人がいる。
先日その友達と飯を食べているときに彼が行った言葉。
最近はfacebookやtwitterとかのSNSや、dropboxやevernoteとかの仕事効率化アプリがあふれているけど、それらを使いこなすことを目標にしてる人がたくさんいる。今年の目標はもっとfacebookを使いこなすことです、とか。でもこれっておかしくない?これらは全部何かを達成するためのツールであって、目標にしても意味無いでしょ。
彼が行った言葉に、なるほど、と納得してしまった。
その話の延長(と言ったら言い過ぎだろうか)に、日本を代表する会社の経営方針が重なる。今日の新聞の朝刊に載っていたソニーの平井氏の経営方針説明会に参加した、朝日新聞編集委員安井孝之氏の話。
平井氏は、大写しになったディスプレーを前に、「ソニーを変える。ソニーは変わる」「ソニーが変わるのは今しかない」と語った。だが、40分の熱弁を聞いて「愉快ナル」(「自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」というソニー創業者井深大氏が掲げた言葉の一部)商品が次々に出てくるに違いないというワクワク感を、実は持てなかった。
スピーチは現状を分析し、取り組むべき課題を整理した。(中略)「手段」は具体的である。だが、黒字企業になるとして、どんな会社に生まれ変わるのか、という目標、理念は明確には語られなかった、
大赤字を抱えているのに 夢やビジョンを語っている余裕はない。そにかく具体的な政策だ―。そんな思いが多くの企業にも、それを取り巻く市場や有権者にもある。だが、これは組織や人が陥りやすい「手段の目的化」という病ではないだろうか。
イノベーションを生み出す経営について研究する野中郁次郎・一橋大学名誉教授は「現在の日本の経営者は『HOW』ばかりを語り、『WHAT』『WHY』をあまり語らなくなっている」と話す。 
米アップルの創業者、故スティーブ・ジョブズ氏は発表会の場などでアップルが目指す方向をこう示した。
「我々の心を高鳴らせるのはリベラルアーツ(教養)に結びついたテクノロジーであり、人間愛と結びついたテクノロジーである」(原文:It's in Apple's DNA that technology alone is not enough. It's technology married with liberal arts, married with the humanities, that yields the results that make our hearts sing.)
その言葉の中に「HOW TO」はどこにもない。
(2012年4月22日朝日新聞)
 自分が現在、そしてこれから行なっていく大学での研究は、この「HOW TO」を考える研究である。解析にかかるコスト、タイム、精度を比較検討して最適なシミュレーションを行う。メソッドと理論重視の研究だ。しかし、悩みに悩み選んだこの研究室の教授は、口を酸っぱくして僕達学生に問いかける。
「本質を見失っては駄目だよ。」
と。本質とはつまり、目標。「HOW TO」にばかり集中して「WHAT」をおろそかにしてはいけないよ、ということを教授は知っている。この研究室にして良かったと思う。  

4/21/2012

留学と、本。

朝日新聞のbe内、「お金のミカタ」における岩瀬大輔さんの留学に関する意見より。
岩瀬さんはライフネット生命副社長。大学卒業後、コンサルティング会社を辞めて米ハーバード大ビジネススクールに留学をしている。
どれだけインターネットが発達し世界の現象が鮮明な映像で入ってくる時代であっても、自分の足でその地を踏みしめ、自分の目で建物や風景を見て、現地の人と会話を交わす体験には換えることはできない。でも、留学したからといって、誰もが貴重な経験ができるかといえば違う。
語学を習得するだけであれば「駅前留学」でも十分だ。数年前、カンボジアのアンコール・ワットを訪れた時、観光ガイドの語学力に舌を巻いた。(中略)彼の国では観光は数少ない外貨が稼げる産業であり、日本語の習熟に寄って収入が何倍も変わるのであろう。要はインセンティブ(動機づけ)の問題なのだ。 
私は留学をしたが、行くまでは、ずいぶん自問した。仕事の専門性を高めるなら、何も留学する必要はなかった。貯金をはたいての留学は、お金の面でも、割にあわないことはあきらかだった。 それでも飛ぼうと決めたのは、一足先に渡米した友人の言葉がきっかけだった。「人生は短距離走ではなく、マラソンだ。すぐに成果はないかもしれないが、世界を見ておくことは一生の財産になる」
留学でしかできなことがあるとすれば、世界から日本と自分を見つめなおすことだろう。自分は何者か。どこから来たのか。そしてどこへ向かっているのか。世界の中、歴史の中で自らを相対化することで初めて見えてくるものがある。これまで懸命に学んできたと思っていても、もっとも身近で大切な存在であるはずの自分自身についてはよりよく知る努力を怠ってきたことに気がつく。 
留学を、自分への「投資」になぞらえる人もいるが、仮に投資なら、そこで得られる配当は、自分という人間についてよりよく知ることなのである。
(以上、2012/4/21の朝日新聞記事より抜粋)
自分も、帰国後に友人から「留学はどうだったか」と漠然とした質問を受けることがあるけれど、岩瀬さんがこの記事内で書いてくれたような話をしたり、意見を持つようになった。
特に、

「世界から日本と自分を見つめなおすこと」
「もっとも身近で大切な存在であるはずの自分自身についてはより良く知る努力を怠ってきたこと」

この二つのフレーズは、僕がとくに留学後に強く心に刻み込んだことと全く一致する。
自分自身のアイデンティティを自分が所属する団体やグループで相対的に、客観的に、構築する日本という国。
そこで生まれ育った僕(そして多くの人)は、絶対的な「自分」というものが欠けている、と思う。
有名な大学に通っている、有名企業に務めている、テストのスコアが良い、友達がたくさんいる、歳上の彼女がいる、お洒落である、世間のことをたくさん知っている、お金持ちである、有名人である、名誉がある…
そういった類のアイデンティティは、留学をしていくうちに、そしてその後のバックパックをするうちに、どんどんと失われてゆき、残されたのは自分自身そのものだけであった。そこで、いちばん身近にあり大事であるはずの自分自身の弱さや空(から)であることに気がついた。

それはまるで、眼を引く装幀を持った一冊の白紙の本。周りにある有名で素晴らしい本にまじり、本棚に並ぶ。けれど、その本には何も描かれておらず、本を評価する上で最も大事なストーリーが欠如している。なんと悲しいことか。
帰国後、そして現在も、どうすれば自分自身のストーリーを書くことができるのかということを考えながら日々を生きている。
大事なのは見た目ではない。古くても、汚くても、小さくても、素晴らしいストーリーが綴られた一冊の本。そうなりたい。



4/20/2012

Feverish Imagination



今朝、iTunesでアルバムを購入。Ovallの"Heart Fever".
気に入った曲を聴いて、すぐその場で音楽を購入して、それをかけながら走りだすことができる。すぐに。
便利で、早くて、すこしだけ物悲しい世の中。

I'll get the door and out to the world.
There's no guide, feel every moment
So many times I have feverish imagination
Let me know what you think
Show me how you feel


4/15/2012

諏訪で感じた祖父の記憶

今週半ば、長野県の諏訪へ一人旅へ行って来た。
大学の講義を午前中に受け、昼過ぎに東京を出発。車で3時間ほどで到着した諏訪の町は、まだ梅も咲いておらず、東京とはちがった静かでのんびりとした町。
諏訪には、ヨーロッパバックパック中に意気投合した親友が住んでいる。彼の実家は酒蔵で、去年に一度遊びに行きとても楽しい時間を過ごした。
今回はその酒蔵のショールームのような建物が新築し、イベントを行うというのでそれを見に行くという名目での一泊旅行であった。
しかし、自分の中にはもうひとつ、この片田舎に来た理由があった。
それは、1ヶ月半前になくなった、祖父の記憶を探しに来るということ。
「じいちゃんがどう生きたかを覚えていたい。」

僕の祖父母は二人共ここ諏訪出身であり、古くからある家の出身だった(らしい)。
僕の苗字でもある下山家は、既にその本家はなくなっており、諏訪にはもう家はない。けれど、祖母方の家は、昔々には代々宮仕えをしていた家柄らしく、未だに本家と分家というものが存在するような田舎の大家である(らしい)。祖父がなくなる前に生まれて初めて家系図というものを見たけれど、ぼくの十数代前まで遡ると、ナントカ天皇家とつながるという話をきかされた。しかし、そんなことを聞かされたのは生まれてこの方20年経ったけれど初めてだったし、現に僕の父も知らなかったらしい。きっと誰でも何十代か遡ればみんな天皇と血縁関係があるのだと思う。

とにかく、諏訪には、僕のルーツがある。
そんな気がして、今回の思いつき旅ではそのルーツに帰ってみて、亡くなったじいちゃんが過ごした土地で何かを感じたいと思ってやってきた。むしろ、酒蔵の友達に会いに行くという名目を作ったけれど、自分の中では、何故か、諏訪に今行かなければならないような気がしてならなかった。呼ばれてる気がした。だから、半ば強迫観念に駆られて赴いたような節もある。

結論から述べると、僕はなんとなく、諏訪の土地で、じいちゃんを感じることが出来た。
諏訪から湧き出る温泉や水の中に、祖父と同じ雰囲気を感じることができた。
昔じいちゃんが遊んでいたとおもわれる諏訪大社の境内や、その横を流れる川を歩いている時に、今はなきじいちゃんの幼少期のことを思い浮かべると、そこで遊んでいた祖父の姿も見える気がした。
久しぶりに晴れたと言う諏訪の青空は、透き通るように綺麗で、そこを吹く風は気持ちよかった。

明日は祖父の49日の法要。
仏教によれば、明日、祖父は閻魔大王から極楽浄土に行けるかどうかの裁きを受ける。祖父の本当に真面目で正直な生き方から、極楽浄土へと行けることへは何の疑いもない。
ただ、冥途の旅路が順調であることを、願いたい。













4/10/2012

make it a great day


最近は新しいバイト先にも馴れてきて、かなり自由に接客できるようになった。
お店にはfree wifiがあることや、新宿という立地、そしてなにかのガイドブックに書いてあるのだろうか、観光客や日本に滞在している多くの外国人の人が訪れる。
自分もバックパックをしていた時に、米とヨーロッパの様々なレストランやカフェに訪れたのだけれど、日本の形式張った接客とは違うアットホームでフランクな態度の店員さんが大好きだった。
最近、そんな自分が好きな店員やサービスを、お店に来るお客さんにもできてる気がして、アルバイトが毎日楽しい。

先週、アルバイト先のお店で、親しくなったカナダ人の方から感謝のメールを貰った。
Ryu:

Hello and hope you had a wonderful day off yesterday.

I want to extend a few words of gratitude for not only serving us Monday evening but also taking care of our reservation last night (Tuesday March 27th).

We (my sister, my niece and I) had an amazing time. We really appreciate that you took the time and effort to reserve us a great table. In addition, your attention to detail and ability to go that extra mile is simply amazing. Please continue on in this light. You are professional that cares of its customers and that will help them come back over and over again.

Speaking of coming back, I will do that soon. We really liked the Tuesday night theme of having a guest DJ. Excellent idea! So, you will see me there often.

Have a great evening and speak to you soon.

David, Bruk, and Lishan Melles (from Vancouver, BC)

Make it a great day!
やっぱり接客業の楽しさってこういうところ。
将来は、朝だけしかオープンしないコーヒースタンドを開いて、お客さんとダラダラと話をしながら、
”Make it a great day!”
なんて一言添えて、その人の一日を送り出してあげる。
そんな日々もいいかもしれない。 

4/07/2012

東京は、桜前線の只中にある。
毎朝のランニングコースの残り4キロほどを、石神井川沿いに走るのだけれど、その川辺には桜の木が連なっている。
次第に膨らんでくる蕾を見ながら走り、まだかまだか…と待ち続けていた。そしてついに開花。あっと言う間に満開となり、気がついたら散っているのだろう。

桜が開花してからは、そこの4キロのランニングのペースが著しく低下している。(ランニングの時に使っている、Nike+ GPS、オススメ。自分のペースがマップ上に表示されて面白い)
僕だけではなく、朝の通勤時間で忙しいはずの多くの人が足を止めて、写真を撮ったり眺めたりしている。
淡いピンクの、光のあたり方によっては限りなく白にしか見えない儚いこの小さな花の集まり。この花を愛でる感性を宿っている日本人として生まれて良かった。そう思うことができる素敵な季節。

桜前線はゆっくりと、ゆっくりと、北上していく。
僕は昨年この時期には日本にいなかったけれど、2011年春には大震災があり、多くの人の命が奪われた。そんな季節から1年が経過したということを桜の木は視覚的に教えてくれる。そんな記事や文章を日々目にする。
ワンピースという漫画。その中のストーリーの一つに「ヒルルクの桜」と呼ばれるものが出てくる。不治の病を、満開の桜が、癒したという話。僕の好きな話しの一つ。この話は漫画の中だけのフィクションなのだろうか。僕には、医学的に、科学的には証明することのできないなんらかのパワーを、桜が持っているようように思えてならない。
痛む日本列島を励まし、癒すように、桜が染め上げていく。

1ヶ月前に、大好きだった祖父が亡くなった。
今日のランニングの途中、満開の桜を見ながら、この桜をじいちゃんと一緒に見たかったなと考えた瞬間に、涙がとまらなく出てきた。天国にも桜はあるのかな。あって欲しい。
じいちゃんに会いたい。

4/04/2012

Books

春休みは、たくさんの本を読んだ。

新しく読んだものも、改めて読み返したものも。
旅本が多いけれど、雑誌もあり(立ち読みしたものを含めれば、軽く10冊は超える。)、聖書もあり(クリスチャンではない。香港でもらって暇だから読んでた。)、カメラ本もあり、哲学書もあり。写真はその中から何冊か。
今読んでいるものは真ん中に写っているショーペンハウアーの「幸福について」。難しいけれど自分と同じ価値観を持ってる人に読んで欲しい一冊。
あとは松浦弥太郎の「場所はいつも旅先だった」。本は好きだった人からもらい、好きになった人にあげちゃった。


いつから本が好きになったのかわからない。
けれど、本の虫とか、そんな感じの学生ではなかった。
国語のテストはいつも点数が悪かった。この時の主人公の気持ちを答えろ、という問題に対してすごーく自分で考えた結果と模範解答なんかが違い、納得いかないことがたくさんあったから、国語は嫌い。
でも本を読むことは嫌いではなかった。
特に好きだったのは、主人公が同い年ぐらいの小説。そんな小説の主人公の考え方と自分自身を対比したり同化したりして、楽しんでいたんだと思う。
あとは、人間の真理が描かれている小説。それは得てして恋に「落ちた」(恋を「した」ではない)人の物語や、純粋な少年少女の話、人生を悟った中年のストーリー。山田詠美とか重松清とか。彼らの本はいつ読んでも色褪せることがない。

次は何を読もうかと迷うこの瞬間が、とにかく、楽しい。

4/02/2012

Newspaper

最近、新聞が面白い。
朝起きると無性に新聞が読みたくなることがある。
ただし毎日読まなければという強迫観念にかられてるわけでもなく、以前みたいに自分の将来のことばかりを考えて情報するわけでもない。
単純に生まれてくる知的好奇心だけで読んでいる、そんな感じ。

インターネット広告事業やアメーバで有名なサイバーエージェント社長の藤田晋さん。
ネットだけでは視野がかたよると、ネット企業の社長である藤田さんも新聞を読むということを薦める。
”ネットは便利ですが興味のある分野だけを集めがちです。自分の興味が有ることが日本中で話題になっているような感覚に陥りがちですが、視野を広げればそうでもないことが多々あります。新聞記事をうのみにせよということではありません。自分の見方とのギャップに気づき、視野を広げるためい新聞活用すれば良いのです。” 
 ”新聞を読まない若者が増えています。情報が偏っているのでそういう人とは会議で話が通じません。社内には20歳代などで若手の幹部もいますが、能力のある人はバランス感覚にも優れています。我々のようなインターネット企業にとって利用者の思考を幅広い視野で探ることが重要です。だからこし、新聞で多くの情報に触れてバランス感覚を保つ必要性を感じています。”