10/30/2012

「夕日の美しさに素直に感動できる勤勉な日本人でありたい。」

野田首相の国会所信表明演説より、「いいな…」とおもったフレーズを引用。

 誰しも、10代さかのぼれば、そこには1024人の祖先がいます。私たちは、遠い昔から祖先たちが引き継いできた長い歴史のたすきを受けつぎ、この国に生を受けました。戦乱や飢饉のさなかにも、明治の変革期や戦後の焼け野原においても、祖先たちが未来の世代を思い、額に汗して努力を重ね、将来への投資を怠らなかったからこそ、今の私たちの平和と繁栄があるのです。
 子や孫たち、そして、10代先のまだ見ぬ未来を生きる世代のために、私たちは何を残していけるのでしょうか。
 夕暮れ時。一日の仕事を終えて仰ぐ夕日の美しさに感動し、汗を流した充足感に包まれて、あしたを生きていく力が再び満ちていく瞬間です。10年先も、100年先も、夕日の美しさに素直に感動できる勤勉な日本人でありたい。社会にぬくもりがあふれる、平和で豊かな日本を次の世代に引き継いでいきたいのです。

僕の弟や、大学の友達が就職活動の時期を向かえる。
面接やグループワークを通じて、自分の力不足や社会を知らないことに直面し、やりたいことを模索し、悩み、志望する会社からふられ、落ち込み、志望が通り喜び…
今まで無関心でいた自分自身と向き合い、本当にさまざまな感情が冬の風とともにやってくる。

「自分のやりたい仕事が見つからない」
そういう人もたくさんいると思う。僕もそうだ。特出するような技術ももっていなくて、ただの頭でっかちになりたくないからフラフラと出かけて見せかけの知識を溜め込んでいるにすぎない。

仕事を選ぶ時って、結局、「俺は一体、私は一体何を幸せと考えるんだろう」っていうことからスタートするしかない。もちろん、そんなに簡単に結論は出ないし、一生死ぬまで答えが見つからない可能性が高いけれど、すくなくともどちらが自分にとってベターか、ということではなくて、どっちが「悪くはないな」と思えるか、そういうことだと僕は思う。

僕の父さんは、学生の時はメディア志望だったと、この前二人で飲んだ時に教えてくれた。僕の母さんは、ラジオDJにあこがれていたと昔言っていた。そんなふたりが、志望していた業界は念願かなわず、本命ではない保険会社で勤め偶然に出会い、僕が生まれた。僕の父さん母さんは、何か夢を追い求めたわけではないけれど、とりあえず、幸せそうだ。そして僕も、色々悩みはあるけれど、幸せだ。


幸せって、今現在の自分の内側にのみ存在するものではない。僕の外側、家族や、友達や、社会やコミュニティからくる幸せもたくさんある。10代前の1024人の幸せも、10代後の僕の血をひく1024人の子供たちの幸せも、しっかりとつながっている。


現代に生まれた僕達は、すぐに答えが得られる状況に慣れすぎている。わかりやすくて見栄えの良いものを自然と選択する。複雑で困難な課題に直面すると、単純明快でわかりやすい解決策や偏った極論をよしとしてしまう。でも、そういった極論の先に、真の解はない気がする。すぐに手に入るものを手に入れて、何かが上手くいってると思ってはいけない。すぐに役立つものはすぐに役にたたなくなる。そんなことを自分にいい聞かせている。


冒頭の所信表明で、野田首相は「夕暮れ」の話をした。この話と呼応するかのようなフレーズを、ドラマになった「オレンジデイズ」の脚本の中で北川悦吏子は綴っている。
「やりたくもない仕事で一日働いて、帰り道に見上げた空の夕日がキレイで、それだけで生きていて良かったとは私は感じられない。」
野田首相と、上の台詞を発したドラマの主人公。どちらの主張が正しいのだろう。それはきっと、一人ひとり違う。そして、違っていいのだと思う。
夢を追い求めるのも幸せであるし、素晴らしい。でも、幸せになるために夢を諦めるのも、僕は素晴らしいと思う。


空が澄み、天高くなるこの季節、一日の終りに綺麗な夕日が見れることが多い。
自分は何を幸せと考えるのだろうかとか、そんな少し哲学的なことを1人で、あるいは大事なひとと、考え話し合ってみてはどうだろう。
就活の第一歩は、企業研究をすることやインターンに参加すること、セミナーに赴いたり企業を考えることではなくて、今まで無関心だったり勘違いしていた自分自身としっかり向きあうこと。夕日をぼーっと眺めることは、忙しい毎日にそんなきっかけを与えてくれるはず。




10/25/2012

金木犀と記憶と記録

ランニングのみちみちに、金木犀が咲き誇っている。


昨日の台風のような通り雨で、オレンジの小さな花の多くは地面に落ちてしまったけれど、アスファルトに並ぶオレンジの点々もまた綺麗。雨に打たれてその儚くも特徴のある香りが一層際立つ。
「金木犀」を辞書で引いてみた。"orange osmanthus"とか"fragrant olive"とあまり聞き覚えのない言葉が出てきた。欧米ではマイナーな木や花なのだろう、アメリカや旅先で金木犀の花や香りに気づいたことがない。日本では昔から洗面所の窓の近くにこの木を植えたものだと母が言っていた。今ではラベンダーや石鹸の香りがメジャーになったけれど、一昔前まではトイレの芳香剤の香りというとこのキンモクセイの香りであったという。
小さい頃から社宅・マンションで住み暮らしてきた僕には、「庭に金木犀」なんて風流なものはなかったけれど、小学校・中学校にこのオレンジの小さな花は咲いていた。当時はなにも意識していなかったのだけれど、金木犀の香りを嗅いで、中学校の図画工作室の窓の外にあるその木と、その当時のことなんかをふと、思い出した。


嗅覚や味覚から過去の記憶が呼び起こされることを「プルースト効果」という。
フランスの文豪マルセル・プルーストの長編小説『失われた時を求めて』の中で、主人公がマドレーヌを熱い紅茶に浸して食べたことからさまざまな記憶がフラッシュバックして物語が進行していく…そんなさまから、この名前がつけられた。匂いや味をスイッチとして蘇る心の奥底に眠っている記憶、特別に努力して覚えておこうとしたのではないぼんやりとした記憶、そんな「無意識的記憶」を金木犀の香りが連れてきてくれて、なんだか嬉しくなる。


「無意識的記憶」ってなんだか面白いし素敵だ。
しかし、悲しいけれど、インターネットの普及でどんなものでも無尽蔵に記録することができる世界が出来上がりつつあるいま、「無意識的記憶」が薄れ弱まりなくなってしまう日もいずれ到来するかもしれない。
自分にまつわるものをすべてネットに取り組んで残そうとする「ライフログ」が当たり前の時代になった。文学の発明、活版印刷の実用化、コンピュータの開発…こういった進歩はまさに記録を残そうとする人類の欲求の表れだ。Facebook、twitterなどのSNSもすべて「ライフログ」である。今日食べたもの、出会った人、ため息やつぶやきもすべて記録したくなる。人間には自分や世界の出来事を残したい本能がある。


先日、研究室の友達とEvernoteのCEOであるPhil Libinのインタビュー記事を読んで少し話し合った。
「すべてを記憶する」「第二の脳」とうたう情報蓄積サービスのEvernoteを僕はサービス開始と同時に使い始め、その当時はその便利さやキャッチコピーに惹かれて使いこなそうと躍起になっていたけれど、最近は使うのをやめてしまった。「第二の脳」があったとしても、インプットやアウトプットの量が2倍になってスーパー頭よくなるわけでもないし、学生のうちはそんなになにかを効率的にこなす必要はないんじゃないかと思っている。そして、気がついた。無尽蔵のEvernoteに記録させたモノコトは、そこに情報があるという安心感のせいか、ふとした気付きやひらめき、「無意識的記憶」をもたらしてくれなくなるということを。「記録」と「記憶」は似ていて異なるということを。


僕は写真が大好きで、デジタルカメラや携帯カメラを日々使っている。写真に残しておけば、データとしてさまざまな情報は手軽に、即座に、無尽蔵に記録される。そこから生まれる安心感ゆえか、撮りに撮った写真を整理整頓したり現像しようという作業をしなくなった。間に合わなかった板書を撮った写真を見て、それをノートに写そうとはしなくなった。
素晴らしい景色を見て、写真に納める。あるいは誰かに出会ってすぐにFacebookで友第になる。その結果、手のひらの中のデバイスに記録できたことに満足してしまって、記憶をしなくなる。ふとした瞬間に思い出す必要がなくなって、思い出さなくなる…そんなことがあるのではないだろうか。


香り、味覚、あるいは視覚や音、5感で感じられる全ての刺激が「無意識的記憶」を呼び戻すスイッチとなりうる。そして呼び起こされるその記憶は、「第二の脳」やCドライブなどの中の記録からは出てこない。
効率的に生きるのは、もっと賢く大人になってからでいいと最近思い始めた。今はもっともっと「第一の脳」をしっかりと使って考え悩み、さまざまなリアルなことに敏感に真面目になって、日々を過ごす。それがきっと、50年後の僕の「無意識的記憶」の一端となっていて、素晴らしい思い出となっているはずだから。


記録より、記憶を。
人が死ぬ瞬間に見ると言われる走馬灯、一生の記憶のリピート現象。天国にいるじいちゃんに負けないぐらいたくさんの良い記憶や思い出に包まれて最後を迎えたい。走馬灯がすべてFacebookで事足りてしまうなんていうのは、なんだか悲しい。
そうならないためにも、感性豊かに、元気に、笑顔で、リアルな会話や出会いや体験を大事に、家族や友達や大切な人を愛して、毎日を丁寧に、生きていきたい。



10/20/2012

『小さな恋のメロディ』

映画を見ました。
『小さな恋のメロディ』(原題"Melody", "S.W.A.L.K")



1971年のイギリス映画。実に40年以上前の映画だけれど、素晴らしかった。当然話される英国訛りの英語や、主人公の子供たちが通う学校のギンガムチェックとブレザーの制服、階級社会、ティーカルチャー、宗教のクラス、ダンスパーティー…古き良き時代のロンドンがそこにはあり、当時の人の姿や生き方が上手くまとまっている。
最近は活字にどっぷりつかっており、想像力かきたて考えさせる活字文化の方が映像よりも素晴らしいなぁなんて考えていたのだけれど、映像でしか伝えられないことや雰囲気もあると再認識。もうちょっと、もっと、映画見たいな。

この映画のあらすじを、wikipediaより引用。

舞台はイギリス。伝統的な価値観を受け継ぐパブリック・スクールで、ささやかな対立がはじまっていた。厳格な教えを説く教師たちや子供に干渉する親たちと、それらに従うことなくそれぞれの目的や楽しみを見つけようとする子供たち。
どちらかと言えば気の弱い11歳のダニエルもそんな生徒の一人だったが、同じ学校に通うメロディという少女と出会う。二人はいつしか互いに惹かれあい、悩みを打ち明け、はじめて心を許す相手を見つけたと感じた。純粋ゆえに恐れを知らない恋の激しさはやがて騒動を巻き起こし、旧弊な大人を狼狽させる。
事情を聴くこともなく押さえつけようとする大人たちに対し、二人は一つの望みを口にする。それは「結婚したい」という驚くべきものだった。「どうして結婚できないのか」と問うが当然親も教師もとりあわない。ある日、教師が授業を始めようとすると教室はほとんどもぬけらの空であった。自分達の手で2人の結婚式を挙げようと同級生らが集団でエスケープしたのである。



この映画を見て、印象に残ったシーンと、感じたこと。

学校を休んで二人で海へ遊びに行くシーン。ダニエルが、メロディに愛の言葉を告げる。その後の会話。
「結婚しよう。」
「いつかね。」
「でも、どうして大人は結婚するとあんなに不幸になるのかな。」
「きっと全部わかっちゃうからかな。」
「両親や大人が、どうあるべきなのか私にはわからないわ…本当に。」
その後、学校を休んだことを咎められた二人。メロディは両親に、なぜ子供が結婚してはならないのかを尋ねる。


「いまダニエルと一緒にいたい。」
「地理も好きだけど、ダニーといるほうがいい。」
「幸福になりたいだけなのになぜ(結婚しては)いけないの?」
お父さん「私は君に幸せになって欲しいと願ってるよ。」
「じゃあなんで助けてくれないの?邪魔をするの?」

子供の、純粋な恋心と質問に、両親は何も答えることができない。


もしも、自分の子供にこんな質問をされたら、自分は、なんて答えればいいのだろう。
法律でそう決まってるから?社会的に許されていないから?養う力が備わっていないから?きっと他にもっと素敵な人がいるから?
大人の理屈や倫理を語る答えならばいくらでもみつかるだろう。けれど、それが本当に子供たちにとって正しいと思ってもらえる答えになるのだろうか。


もっと幼かった時、僕は、周りの大人は本当にわけわからんと思っていた。「なんで僕達の気持ちをわかってくれないんだ…」と。
それが今となっては、そう思っていた年頃よりも、自分の子供がそういった年を向かえる可能性のほうが高い年頃になってしまった。いや、むしろ丁度その中間といったところか。
お金のこと、将来のこと、他人のこと、社会のこと…そういったさまざまなものに配慮してバランスを取った生き方をするのが大人である。しかし、それが子供たちには見えていない。子供は無垢だというけれど、その通り。汚れておらず、純粋である。だから、彼らにそういった大人の論理を押し付けるのは間違っているし、だから、大人の考え方や意図を汲むことができない。いつの時代にも取り扱われる、「大人VS子供」というテーマ。『小さな恋のメロディ』を見て、自分が大人サイドに近づいているのだということを感じる。


小学校のころの友人が、春から先生になった。初めての担任は小学校1年生。彼が先生になってくれるなら安心だ…と心から思える、尊敬できる友の1人。
僕が彼を尊敬できる理由。それは彼が子供から全力で学ぼうとしている姿勢が伝わってくるからだ。先日、会ってゆっくり話をしたときに言っていたこと。
「自分の年の三分の1にも満たない子供を”教える”なんて…って最初は思っていたけれど、今は違う。彼らから”教わる”毎日だよ。」
7歳になったばかりの子供たちの、無限に自由に広がる思想と可能性を前に日々考えている彼は、きっと子供の気持ちを汲める大人にいつかなるだろう。それは物凄く難しくゴールのないものかもしれないけれど、彼なりの答えを導き出してくれると思う。そして彼の出した答えなら信じられる。真面目で、ちょっと適当な部分もあって、笑顔が素敵な変態のイマッチなら。


「シモと違って世界を見ていないから―」
そんなことを彼は言っていた(たしか)けれど、世界を見ている僕が凄いとはまったく思わない。日本にいようが、地元にいようが、働いていようが遊んでいようが、感じて考えられる人が僕は凄いと思う。
子どもという可愛く、厄介で、自由で、無限の世界を日々みて感じて考えている彼の放つ言葉の方が光り輝き生きている。僕も負けないでいたい。


子供を持ってもおかしくなくなった、あるいは既にもっている僕の友人達へ。
もしもメロディの純粋な質問、
「幸せになりたいだけなのに、どうして私たちは結婚できないの?どうしてそれを大人は邪魔するの?」
この質問をされたら、どう答えますか。
結婚という言葉をさまざまな自分がやりたいコトと置き換えて、大人という言葉を社会と書き換えてみる。みんなが常々抱いている気持ちに近いものが出来上がる。


だれもが昔は子供だった。この質問に対して考えることは、自分の中の子どもの気持ちと素直になって会話することだと僕は思う。無限に広がる可能性を摘むのは、いつの時代でも皮肉な笑顔をつくる大人と決まっている。
僕の笑顔は、まだ純粋か、それともすでに皮肉さに冒されているのか。子供たちと自分自身の写真を見かえし、質問の答えを考えてみる。


追記:以前見た映画の感想記は、これ。






10/16/2012

感情の言語化と数値化

東証一部の最年少上場記録を更新して、一躍時の人となったリブセンス代表の村上太一さん。
出身高校が一緒で、代はかぶっていなかったけれど同じテニス部で同じくキャプテンを務めていた。顧問の先生から、「下山ぁ、お前の雰囲気とかプレースタイルは村上太一っていうお前の3個上の代のキャプテンと似ててなぁー…」って話を何度も何度も何度も言われていて、面識はないけれど名前は知っていた。
(村上太一さんが、学院テニス部のことを話している記事を見つけました→<早稲田大学高等学院へ>


そんな村上さんが、今朝聞いていたラジオのインタービューで答えていた内容に関して。DJの質問に対しててきぱきと、25歳とは思えない口調と考え方で話す村上さんが、会社の経営理念や自らの信念というものを語る中でこう答えていた。
「社長になりたいという漠然とした考えはあったけれど、それが明確になったのは19歳のとき。感情の言語化ができて、ぶれなくなった。」


「感情の言語化ができると、ぶれなくなる。」
最近、その事実をものすごく感じる。僕はもともと「何かを書く」というのが物凄く苦手で、下手だった。「これいいな…」と思うことはあっても、それをアウトプットすることなく、上手く伝えられず、そして時間が過ぎるにつれて忘れていったり、ただそういった考え方を持っているだけで満足していた。しかし、それではいけないと最近になってやっと思い始めた。
人の感情は日々、時々刻々、移ろいそして忘れていくもの。この瞬間に大事であると思ったことやいいなぁと感じたこともいつかは失われる。だから、それらをしっかりと記録しておくこと。そして誰かにそれを伝えようとすること。備忘録ブログという形ですすめているこのブログを書いていることで、自分の中に生まれてきたさまざまなアイデアを再構築して、言語化することができている。結果、僕のなかのアイデアの間違いや矛盾点を見つけたりでき、ロジカルに話の流れをつくることができ、村上さんの言う「ぶれない」意見を持つことができるようになってきた。


この「ぶれない」意見は、おそらく間違ったモノのほうが多いと思う。それでも、こういった形でアウトプットをすることで、少なからず誰かが見ていてくれているし、そして自分でも何度も自分の記事を読み返すことで、間違いを正すチャンスを増やすことができている。アウトプットしてハイ終わりではなくて、その後のフィードバックを得るという点でも、できる限りこのブログは続けていきたいと思っている。


「読み書きソロバン」という言葉がある通り、昔から読み書きという「言語化」や、そろばんという「数値化」は大事なものとみなされていた。人間の文明がここまで発展できたのも、おそらく過去の過ちを言語化して忘れることなく記憶することができ、感覚に頼るのではなく定量的にものごとを判断することができたからであろう。「言語化」と「数値化」、さらに今後は「視覚化」や「意識化」なんていうものも社会のバズタームとなってくるかもしれない。


しかし、忘れないでいたいのは「言語化」の罠や、「数値化」の非道徳性だ。
「言語化」は、優れた表現方法をもっていると、そこにある感情や考えが優れているような錯覚をもたらす。ロジカルに話をすすめていくとその考え方が強く正しいように聞こえてしまうけれど、その論の発端となったアイデアが実は間違っていたりすることがある。言葉は万能ではない。広辞苑や多種様々な辞書を用いれば、この世の全ての事象を説明することができるのか。そんなことはない。「空は青い」と昔から語り継がれていて、僕たちは空を描くときには青色鉛筆を手に取るけれど、空は本当に青一色なのだろうか。そんなことはない。世の中には言葉で表せないものがたくさんある。


「数値化」にも「言語化」と同じくらいの罠と、そしてそれがもたらす非道徳性がある。「データがこのように示してますから。」おそらく社会に出ればそういった言葉を何度も聞くことになると思う。数値ほど明確でわかりやすい指標はない。それがゆえに数を出されると妙な説得力が増す。けれど、そのために、すべての考えや出来事を数値で表現する―これはつまり、みんなが最も理解しやすい数値、オカネに換算することが多い―と、非道徳的な考え方がまかり通るようになる。ベストセラーになった「それをお金で買いますか」の中でMicheal J. Sandelが説明するように市場原理が経済の範囲を越えて社会にまで及ぶと人間の非道徳性が増す。例えば、これは極論であるけれど、誰かがなくなった時に、悲しいという感情の前にその人の機会損失やどうやってその抜けた穴を補おうとか、「死亡者1人」としてしか処理できなくなってしまうこと。朝の通勤電車で自殺や死亡事故に巡りあって長い遅延を被ることがある。そんなときに「あーあ、なんでまたこんな時間に飛び込むんだよ。おかげで遅刻だよ…」って感情が亡くなった人を思い弔うよりまえに訪れること。僕たちは既に充分に道徳心が弱まっていて、数値化や市場化がすすむとその傾向には拍車がかかる。


感情を言語化したり、数値化することは大事であると思う。その結果、人は感情を誰かに伝えられるようになり、そのために思い悩み、間違いを正される機会を得て、ぶれなくなる。ただしそれらが完璧ではないということ、それらはあくまでもツールでしかないということを頭の片隅に入れておきたい。
「オーラ」、「音楽」、「美術」、「宗教」…そういった、感覚を数値や言語を用いないで表現するものが近年再認識されていたり、多くの人を魅了しているのも、きっと言語化や数値化につかれた人の無意識の選択なのかもしれない。

10/13/2012

Dear my friends from/in Europe,

Nobel Peace Prize 2012


Dear my friends from/in Europe,

Congratulations on your Nobel Peace Prize winning!
I know that there are so many problems happening among you guys, and some of you may doubt if EU has a right to get awarded at this moment. 
But I just want to say "Good Job!!" for the EU's decades-long historical role in promoting reconciliation, and PEACE.

I remember the conversation of exactly two years ago.
I have traveled to Vancouver with my study-abroad Engineering-Major friends Timo from Germany and Giorgio from Italy.
We were on the way to Vancouver on Route 5, Giorgio and Timo driving, I acting as a guide.
We talked a lot, from our backgrounds to future dreams, how weird and nice it is to study in states where our grandpa's generation battled against and lost to, and our nationalities.
I asked them,
"What do you think about EU? Do you guys have any idea about being a member of EU?"
Timo or Giorgio(I forgot who said) told me,
"Yes... I think I have a feeling that I'm a member of Europe over my nationality, and this kind of feeling among our age should be stronger than our father's age."
From this comment, one strong feeling came up in my mind that I'm a member of world which is changing at a slow speed, is wandering up and down, and is trying to get together.

Two years have passed since then, and found that it is not so easy to be one than I thought. Euro Crisis, Conflicts between countries, religious and tribe problems... those on-going problems are insinuating that world cannot be a global, but be a international.
However, I believe that the world will be a global in the future. It could be a 50 years later, 100years later, or 1000 years later. But I hope and believe that we can achieve it.
EU is a very first step of that. It could be a step in the wrong direction, but it is okay. We can step back and think about it again and again.

“The EU helped transform Europe from a continent of war to a continent of peace.”
Thorbjoern Jagland, Council of Europe Secretary-General, said.
I don't know politics much, I'm not an International Relation or Economics Major student, and I don't care who will pick up the gold medal of the Nobel Peace Prize.
I'm just happy to hear that EU got awarded, because there are my friends in EU members of 500 millions.

Again, congratulations! I would like to see you guys someday again;)
Take care, and peace,

Ryu











10/10/2012

この世に万能なんてものはないのだから。

今朝の朝日新聞オピニオン面、天野祐吉さんのコラムCM天気図より、一部を抜粋。
 あわやのところで車が止まる。呼び方はいろいろあるようだが、何かにぶつかりそうになった時、自動的にブレーキが働くという車のCMが目立つ。
(中略)スピードを競いあう競争から安全性を高め合う競争へ、車の業界が変わっていくのは歓迎だが、その一方で便利になればなるほど問題が増えていくということだってある。安全性が増したことで運転がお粗末になったりすることがないとは言えないだろう。
 車に限らない。小学校の教室に備え付けた鉛筆削りが、子供たちから「指で考える」という大切な脳作業の機会を奪ってしまった、と花森安治さんが言ったように、便利になるということはプラスに比例してマイナス面も増えていくということだ。(後略)


山中教授がノーベル化学賞を受賞したというニュースや記事が氾濫していた昨日、この記事が伝えるメッセージと全く同じことを漠然と考えていた。


iPS細胞。皮膚などの細胞を操作し、心臓や神経など身体のさまざまな細胞になれる能力をもたせた。1981年に作られたES細胞(胚性幹細胞)と同じく、さまざまな細胞になる「万能性」を持つけれど受精卵を壊して作るES細胞と違い、倫理的な問題を避けられる。将来の創薬、再生医療、難病解明に役立つ…そんな本当に素晴らしい功績と秘めたる可能性に日本中が浮き足立ったと思う。まだまだ実用化に向けては多くの課題は残るけれど、この研究が進むことで今まで救われなかったたくさんの人が救われる。難病が治る。医学の進歩は素晴らしい。そんなポジティブな雰囲気がメディアを包んだ。


僕も、このニュースは凄く嬉しかった。高校時代は生物が大好きで、細胞の授業が好きだったから「生命」という名前のつく現在の学部に進学した。今では全く異なる分野を専攻しており「生物」や「細胞」の勉強は全くしていなかったけれど、クローンとか細胞とかゲノム解析といった科学用語にはなんとなく敏感になって、記事をじっくり読んでしまったりする。
ただ、上のニュースを読んでいてひっかかった単語が一つだけあった。『万能性』。本当にiPS細胞は万能なのだろうか。そもそも、万能なんてものはこの世に存在しうるだろうか…


そんなことを考えていた昨日の夜、親友と飯を食べた。"マイノリティであることはハンディなのか、ユニークなのか。"でも紹介した、剛である。お互いの旅の報告会をして、毎度となった「彼女いないの?」「うん、いない」の会話のなかで、iPS細胞の話となった。その時に、剛が不意に言った。
「iPS細胞があれば、将来的には僕の耳は治るかもしれないんだよね。でも、そうやって治せるかどうかの選択があっても、今の僕は治すかわからないなぁ。耳が聞こえないというのが今では僕のアイデンティティとなっているから、それを失いたくないという気持ちもあるけど、例えば、誰かが僕の隣で助けを求めていてもそれに気づいてあげられないっていう不便さはやっぱり悲しいし。」


もしも僕が剛と出会っていなかったら、きっと、耳に不自由な人に対する理解とか、身体障害者に対する配慮とか、そういった意識や優しさは僕の中には芽生えなかったと思う。この感情は見方によれば単なるエゴだと言われるかもしれない。自分の利益だけを考えて、弱者や持たざる者をないがしろにする意見である、と。それでも、人間が自分自身の中から生まれてくる感情なんてものは限られていて、それでいてそれらは大抵ネガティブで悪いものとなることが多い。外部的要因―自分が生んだ子供の小ささや弱さ、親類の死、愛する人との関係、そして親友の持つ障害―こういったものがもたらしてくれる優しさとか意識の変化は、単なるエゴではとどまらず、結果的に多くの人を豊かにする大事な空気を作ると僕は思っている。


iPS細胞が完璧に臨床の場で使えるようになれば、身体障害者や難病に苦しむ人は激減するのろうか。それはきっと素晴らしいことなのだけれど、同時に、身近な人が障害者出会ったがゆえに生まれた「優しさ」「思いやり」、そんな明るい空気が弱まるのではないだろうか。
昨日の剛との会話で僕は違ったトピックではあるけれど「グレー化」ということに関して語っていた記憶があるのだけれど、これもその例の一つ。社会全体の雰囲気を色で表すとき、日本はどんどんグレーに向かっている。社会的マイノリティが黒点(これは決して、悪いという意味は含まれていない)であり、メジャリティーがその周りを覆いかこむ白、という図を思い浮かべると、白の白さは、黒があるからハイライトされる。自分自身が白であると認識することができる。しかしこの図から黒点や赤点や青点…そんなカラーがなくなってしまったらどうだろうか。白は自分自身が白いことに気がつくことなく、どんどんグレー化するのではないだろうか。


「便利になればなるほど問題が増えていくということだってある」
「便利になるということはプラスに比例してマイナス面も増えていくということ」
先に引用したコラムの中で、天野さんはこういった言葉を使う。これは車のセーフティ機能がもたらす運転マナーに関しても、iPS細胞がもたらすさまざまな医療革命に関しても言えると思う。便利になれば、問題は増える。そんなことを漠然と思っていたから、iPS細胞に対して用いられている「万能性」という言葉に引っかかったのだと思う。この世には万能なんてものはないのだから。


最後に…剛とiPS細胞の話の続き。
剛は、今の自分だったら、再生医療を受けるかどうかはわからないと言った。けれど、「じゃあもしも自分の子供が難聴だったり、足とか手とかがない状態で生まれて来て、再生医療で治せるのであればどうする?」という僕の意地悪な質問に対して、
「それは、治してあげるよ。小学校とか中学校で、僕は耳が聴こえないことで凄く悩んだし苦しかったから。そんな思いを自分の子供にはさせたくない。」
と、彼は答えた。彼が僕と出会う前までに経験したさまざまなことを想像して胸を締め付けられる思いだった。そしてそういったことまで思いやれる心の深さが自分にはまだないのだな、と認識させられた。
僕や彼やこれから生まれてくるたくさんの子供達のことを思って、iPS細胞やさまざまな医療が発展していくことを僕は願う。そこから「グレー化」や「倫理」という難しい問題が沢山発生してくるかもしれないけれど、それらはきっと新しい世代の子供達が必死になって考えて解決していくことなのだと思う。それがきっと人類の成長であり、文明の発展ということなんだろう…

そんなスケールの大きいことまで考えながら、涼しくなってきた東京の街を自転車で駆け抜け家路に向かった。

10/06/2012

10度だけネガティブな世界

ヒトの骨格や身体能力というものは、生活している環境に適応するためにゆっくりとゆっくりと変化する。
それをダーウィンは”進化”と読んだけれど、”退化”となることもある気がする。


長い旅からの帰り、成田空港から都心へ変える電車の中、同じ車両にのる人々をぼーっと見ていた。同じくどこかからの旅の帰り道出会ったのだろう、たくさんの人々がスーツケースやカバンを背負い、座席に座る。ビジネスマン風の人もいれば、キャピキャピとした女の子の集団もいる。しかし、する行動は同じ。うつむきがちにスマホを開いてそれを見つめている。液晶画面の向こう側でつながっている誰かに、「おかえり」の報告をしているのだろうか。


今日は電車にたくさん乗った。普段、自転車で行動することが多いので、駅で電車を待つ人を観察することはあまりない。何気なくホームに立つ人々を見てみると、みな直立不動の姿で電車を待っている。しかし、直立といっても真っ直ぐではない部分がある。首と右手。右手を少し持ち上げ携帯を支え、首を下にカクッと曲げて、携帯電話をのぞき込む。ほとんど全ての人が。電車の中でもやはり、首を下に向けて携帯を見つめている。
もしも携帯電話がなかったら…想像力を駆使して、周りの人の手から携帯電話だけを消してみる。みんな、なんだか、肩を落として足元を見つめているような格好である。少し悲しくなった。


スマホの普及、SNSの普及、それによって生じる様々な良いこと悪いことが研究され語られている。けれど、今日僕が気になったのは、首を少しだけ曲げて下を向く、うつむいた状態。そういった姿勢をする人が本当に多いなーということ。携帯を操るときにわざわざ液晶画面を目線の高さに持ってくる人はほとんどおらず、ましてや目線より高くする人は皆無であり、かならずうつむいた姿勢をとる。操る手が顔より下にあるのだから当然のことだろう。


携帯を操作するときに、どれくらいうつむいているのか。適当に360度のうちの10度、首の可動域が真上から真下までであるのならわずか1/18にあたるこの角度だけうつむいていると仮定してみる。人間がこの地球に生まれてから今までで、この僅か10度だけかもしれないけれど、首を曲げて視線を下に落としている時間を比較してみると、ここ数年でその長さは恐ろしいほど長くなってしまったと思う。太古の昔は誰かとコミュニケーションを取るときに相手の顔を見つめなければならなかった。自然に正眼に構えることになる。それが今は手のひらの上で行われるために、目線を落とさなければならない。


目線を下げる、見下す、足元を見る、頭を下げる、うつむく、目を伏せる…
多彩な日本語表現の中で、10度だけ首の角度を下げた様子を表したこういったものは、どれもこれもネガティブな印象を与える。そんな格好をしている人が今の時代には、世界には、溢れている。
携帯を持っているんだから仕方がない、その通りだが、手元がみえないだれかの後ろ姿からは、その人が何かに悩んで下をむいているのかどうか、ただ携帯を見つめているのか検討もつかない。20年前であれば、ホームの縁に立ち線路をじーーーーっと見つめるおじさんがいれば、「飛び込もうとしてるんじゃないだろうか…」なんて想像が後ろ姿からも察知できたかもしれないけれど、今では無理だろう。後ろに立つ誰かも、10度下を見ているのだから気付きようもない。


こんなにみんなが下を向く環境が多いのだから、次に生まれてくる僕らの子供たちは、もしかしたら少しだけ首の角度が曲がった状態で生まれてくるかもしれない。そしてこの環境がずーっと続けば、普段からみんなが少しだけうつむいている、10度だけネガティブな世界が広がってしまうかもしれない。
適応した結果だからそれは”進化”と呼ばれるのだろうか。僕達の子孫は、将来、
「いやー昔の人達は、携帯を見るためにわざわざ首を曲げなきゃ行かなかったなんて不便だねー」
なんて会話を、手のひらをみつめながら誰かと語り合っているのだろうか。
それを僕は”進化”とは呼べない。”退化”である気がしてならない。


チュニジアで流れる涙”という記事の中で語った通り、天を仰ぎ見てそこに存在する自然の美しさに気づいて、僕は本当に感動した。
そして今年の5月22日の金環日食の日にも、”鳥肌”で述べたように、僕はみんなが太陽を見上げているというその姿や、一体感に感動した。
ライブなんかでも、ドーム公演で座席からアーティストを見下ろすよりも、野外コンサートで目線を上げてステージを見るほうが、なんとなく熱い声援をかけやすい気がする。
気持ちが晴れて感動が生まれるのは、間違いなく、目線をあげたときのほうが多い。


10度だけネガティブな世界よりも、10度だけポジティブな世界を。
なんだか気分が落ち込んでいるときは、液晶画面の奥にいる誰かに助けを求めるのもよいけれど、単純に目線を上げてみてはどうだろう。根本的解決にはならないかもしれないけれど、少しだけ、10度だけ、気分が晴れる可能性がそこにはある。僕はそう思う。






時差ボケで眠れない真夜中に

旅から帰ってきてから、なんだかモヤモヤとした日々を過ごしている。
物凄くたくさんのこと、紛争のことから宗教のことまで、答えのないことを考え続けていたのだけれど、そういったことを考えるという行為すらなんだか無意味に感じてしまうような日本の平和さ。
専門は何を勉強しているのか、電気工学だ。だったらそれだけに集中して興味を持って勉強することが出来れば良いのだけれど、そうすることもできず、全く関係ない本を読んだり、美術を観に行ったり、新聞をじっくり読んだりして、世界という視点から物事を考えていたいという気持ちが収まらない。

"Think globally, act locally."

この有名な言葉を心に刻み込んで、興味を持ったり考えるフィールドは広く大きくして、実際に行動するのは自分の目の前にあることにしようと決心したのは留学を終えた直後の1年前。それを今までしっかりとやってきたつもりである。
しかし、それからthinkだけが暴走して無限の宇宙に向かい僕の頭を悩ませて、actに身が入らずthinkとのギャップが広がっていき焦燥感を感じさせる。

それは例えるならこんなイメージ。
大きな船にたくさんの人々と乗っていて北極点を目指す。気候、氷山の位置、他の船との関係…様々なことを気にかけながら船はゆっくりと北に、北に、すすんでいく。
しかし、その船の中のある一室の中で暮らしている僕は、共に生活する人々と円滑な船上ライフを送るために充てがわれた仕事をしっかりとこなす。掃除、電気機器の修理、誰かの退屈を笑わせて軽減させる、食事をつくる、本を書く、とか。そういったことをしている一人ひとりは、東西南北、全く別の方向に向かって活動している。でも僕らをのせる豪華客船なのか、戦艦なのか、タイタニックなのかわからないけれど、とにかく”日本”という名前の船は、北極点というゴールを目指している。凄くマクロに考えれば。
だから、僕自身というミクロな立場になって行動をおこすときには、自分のやりたいことをやって、目の前にあるできることをこなして、南に歩いてもいい。結果的にその行動は、自分が乗っている船の北上線路へのベクトルに転換されている…
だから安心しろ、船の行く先を知っていたりそれを考えるのは大事なのだけれど、船員の1人である自分がそれを全て知っている必要はなくて、自分の出来ることをすればいいんだ。

そんな姿がイメージできているのだけれど、生まれ持った僕の糞真面目さが、船上の客室の中でも北に向かって進まないといけないんじゃないかという気持ちを抱かせて、その気持を捨て切れない。どうしたものか。

旅の後半から、あまり深い眠りにつくことができずに、寝てても脳が活性化しているようで、変な夢をたくさんみたり訳のわからないアイデアがポンポン浮かんできたり。
そこに時差ボケもまじっているのか、妙に頭が冴えていて眠れない。
それでも不思議な事に、朝起きた時には比較的すっきりしているのだけれど。


こうやって思い悩んでいることもいつかはきっと忘れるのだろう。備忘録。再び寝ます。

10/02/2012

旅のおわり

今年のはじめに、僕は恋に落ちた。叶わぬ恋であった。それでも、初恋のとき以来失ってしまってもう訪れないのではないかと思っていた、恋い焦がれて苦しくなる感情を味わった。
それと時期を同じくして、本当に大好きだった祖父を失った。旅先にいて最期を看取ることもできず、葬儀に出ることも叶わず、帰国して仏壇の前でただひたすら泣いた。

今回の旅に持ってきた本はどれも僕の心の琴線に触れるものが多く、メモ帳に言葉が溢れていった。その中でも、伊集院静の旅のエッセー「旅行鞄にはなびら」の中にある言葉の数々は、今年のはじめに経験して、今回の旅の中で考え続けた「恋愛」「生死」「美しさ」「涙」…そんな漠然とした考えにひとつの道筋を見せてくれた。

”私は花のうつくしさが、ごく自然におさまる場所が、私たちの身体の中にあるのではないかと考える。私はその場所に、人間が本来持っている”美しいものへの敬愛”があるのではと思う。なら、その場所には、花や、その他の美しいものがあふれているのだろうか。私には、そうではない気がする。私は、その場所のそばには、人が生きることで遭わざるを得ない、知らざるを得ない、別離や喪失といった哀しみがあるのではと思う。”

” 現代人は思っていることを口にし、己を主張する。しかしそれだけが人と人とを繋げるものなのだろうか。そうであるのなら人と人とがこんなにも諍う世の中になってしまうはずがない。むしろ言葉を持たないものの方が相手の本質を見ている時があるのではないだろうか…。
(中略)言葉に出さなくとも、誰かが誰かを思うことは人間の根元にあり続けるものであり、美しいことなのだ、と私はあらためて思った。”

”人は哀しみにであってさまざまなことに気付く。それほど私たちの暮らしは、普段、生きることに追われているのだろう。だかそれでいいのだと、この頃は思う。”

最後の引用の終わりにあるとおり僕たちは普段は生きることに必死で、美しさや死というものに気がつかないことが多い。でも伊集院さんが言うように、それでいいのだと思う。
毎日毎日四六時中、死ぬことを恐れていたり恋い焦がれて恋愛に関することばかりを考えていたら、それは変人だ。仕事とか勉強とか将来のことを考えること、今を精一杯生きること、理性的になって感情を抑えること…それらは人間が知恵と共に得た素晴らしい能力のひとつである。

今回の旅の最中、僕はとにかく涙を流した。素晴らしい自然の姿を見て感動して泣き、この光景を祖父にも見せてあげたかったと思い泣いた。テレビの中紛争で人が怪我をし子供が叫んでいる映像を見て泣き、オバマ大統領が国連総会で話したリビア米国大使の話を読んで泣いた。友達と恋愛に関する話をして泣き、紛争や世界に関して熱く語りながら泣いた。
旅という、社会を生きることから切り離されて、自分の中の感受性が爆発したのかもしれない。

チュニジアを発ち、トルコ・イスタンブールで再びトランジット。一泊して、明日の夕方の便で日本に帰る。
旅が終わり、「生きる」ことが始まる。満点の星空を見て感動したり紛争の様子を見て哀しむことは減って、研究とか仕事とかそういったことに思い悩むことになる。けれど、それでいいのだと思う。
旅を通じて考え悩んで涙を流した分だけ、僕の心のバケツは広く深く強くなった。そこに今度は、たくさんの「生きる」要素を詰め込んでしっかりと中身のあるものを創り上げたい。

学んで、遊んで、笑って、悩んで、しっかりと生きよう。
飛行機の中、オレンジに染まる雲海の上、旅を振り返り、生きるために先に進む。