8/23/2015

夏休みの宿題

夏休みの宿題といえば、自由研究か読書感想文と相場は決まっている。
その名の通り、どんなことでも許される自由研究とは異なり、読書感想文は制約が多くて難しい。
先ず、本を読まなければ始まらない。更にその感想を、文字に落とし込まければならない。
夏休み終盤のこの季節、小学生の僕は読書感想文などの執筆系の夏休みの宿題に頭を悩ましていた。
(ちなみに、夏休みの期間と時期は、東京都ではだいたい7月18日(土)~8月24日(月)まで。まさにこの週末に駆け込み宿題消化していた子たちも多かったのではないだろうか)


幾千もの言葉をつらつらと表層的に並び立てるより、目頭が熱くなり、心がぎゅっとなり、読み終えた後にはぁーっと息が漏れる。そんな感情を抱くことが大切。 感想をどうやって表現するかは、人それぞれ異なってもいいのではないだろうか。

感想文も、よし。
感想ペイントも、よし。
感想写真も、よし。
感想ダンスでも、感想ソングでも、感想シャウトでも、よし。
僕が先生だったら、ガラスの瓶に感動して流した涙を持ってきたら、それだけで「よし」にしてあげたくなる。

最近読んだ小説の中から、5冊。新潮文庫の100冊に選ばれてた、女性作家のもの。(→「この感情は何だろう。」
どれも、柔らかく、優しく、良かった。
昔あれほどさぼった、夏休みの宿題、感想文を少しだけ書いた。書きたいなと思った。
でも、やっぱり感想を言葉に落としこむことは難しい。
今度は感想写真を撮ることにしようかな。


1.レインツリーの国 有川浩
「綺麗どころだけを見せない関係」
 心に残った本と、インターネットのブログを介して、男女が出会い、恋に落ちる。僕自身もブログをこうやって書き(さらにこのエントリーは読書感想文)、一人ひとりがネット上に様々な私情を綴ることに抵抗感のない時代、街なかで一目惚れするよりも、ブログを読んで面識のない誰かの思想に惹かれる。そんなことは、珍しくなくなっているのではないだろうか。この小説も、そうやって2人の男女が出会う。
 外見ではなく趣味やSNS上の投稿から誰かの中身を好きになる。とても素晴らしいことのように聞こえるけれど、そこに少しの危うさも感じるのはなぜだろう。ブログやメールやSNSで吐露された感情は、誰かに読んでほしいという思いによって綴られた洗練されたものばかり。お見合い写真のように少しすました、そとっつらの良い写真に過ぎない。僕達の世代の若かりし頃の「盛れてるプリクラ写真」のようなものかもしれない。
 本当に誰かと通じ合うということは、相手の良い所だけではなく、悪いところも、弱いところも、盛れていない素の部分を理解するということ。そんな関係性が素敵な男女関係。小説の主人公たちも、お互いの弱さを共有し、さらけ出し、深まっていく。


2.楽隊のうさぎ 中沢けい
「音と音楽を読む本」
 目に見えない音楽の感動を、言葉で表現する。それも、中学生の、音楽をやったことがほとんどない子供の心を通して。小説を読んでいるはずなのだけれど、心の奥で音が流れてくる。多分に、僕が通っていた中学校の放課後に響きわたっていた吹奏楽部がこの小説の様子が似ていたからであるだろう。それでも、10年も昔の音を読者に想起させる表現手腕に脱帽。そして、あのとき夢中に吹奏楽にのめり込んでいた友人たちが感じていたであろう音楽の素晴らしさ・美しさを追体験できたことに感謝。
 音楽に感動するとはどういうことなのかと、耳が聞こえない彼/彼女に尋ねられたら、この本を読んでみれば少しはわかるかもしれないと、そっとプレゼントしたい。


3.西の魔女が死んだ 梨木香歩
「歳を重ねるということ」
 「人はみんな 幸せになるように できているんですよ。」西の魔女こと、おばあちゃんが、孫のまいに魔女修行として伝える言葉の数々。それは、人生を長く長く生きた過程で得られた知見。生活を整えること、生活を守ること、意志の力を持つこと…。年頃で、周りの環境に左右される中学生の少女は、魔女修行としてそのひとつひとつを実践していく。
 まいの悩みは、本当に思春期特有のものなのだろうか。周りの友達とうまくやっていけない。認めてもらえない。やりたいことができない。これらの悩みは、実は人生の節目節目で多くの人が陥っている。歳を重ねるとそんな不都合と向き合うことをせず、酒に逃げたり、諦めたりすることが多くなるだけ。みんな本当はどうやって変化する周りの環境と、自分に向きあうべきかを悩んでいる。この本は、少女の悩みと読み手の悩みを重ねあわせ、おばあさんの啓示を頂きハッとする。そんな本。だからこそ、幅広い年代の、人生に思い悩む人が読み心に残る本となっている。
 思春期の頃の悩みと、26歳になった僕の悩みが根本的には変わらぬことを知り、なーんだと、ホッとした。考えてみれば大人と子供への変化は連続的であり、実はそれらの間には大きな差はないのかもしれない。大人には、いつまでたっても子供の名残がどこかに残っている。


4.しゃぼん玉 乃南アサ
「田舎とおばあという、現代に効く処方箋」
 小さな犯罪を積み重ねた不良少年が、田舎とおばあという遅効薬でじんわりと癒されていく。小さな更生ストーリー。そんな様子を読みながら、僕自身も癒やされていく。そして少しだけハッとする。僕も現代という病に侵されているのではないか、と。
 しゃぼん玉は、ビル風吹き荒む都会や、人が多く行き交う場所、アスファルトの上ではいともたやすく弾け飛ぶ。その美しさに見惚れる前に。その儚さに心寄せる前に。人の心の中には、そんなしゃぼん玉のような弱さがあると思う。その弱さを隠そうと、上辺ばかりをつくろって、強がって、生きる。それが現代病。都会病。
 あ、都会病かも…。そう思ったのなら是非この本を。


5.ツナグ 辻村深月
「死者を求めるのは生者の消費か」
 亡くなった人のことを思い偲ぶ。どんなに思いを込めたとしても、泣け叫んだとしても、返答は、ない。ツナガラナイ。だから、「亡くなった◯◯はきっとこう思っているはず」という勝手な解釈は、生き残った人のエゴであり、死者を都合よく消費しているに過ぎない。そんな問題提起をこの小説から投げかけられて、どきりとした。
 小説の中では、一生に一度だけ、生者は死者と”ツナグ”を通じて面会することができる。一生に一度だけ。あなたなら誰に会うか。父、母、祖父、祖母…これ以上増えることのない血縁のある者か。かつての彼女、親友…愛や絆という目では見えない何かでつながったものか。読み進めるうちに、死というものを身近に、しかし恐怖感なく考える、素敵な機会を得られる。良書。
 心に残った言葉を、本文中から抜粋。
それは確かに、誰かの死を消費することと同義な、生者の自己欺瞞かもしれない。だけど、死者の目線に晒されることは、誰にとっても本当は必要とされているのかもしれない。どこにいても何をしてもお天道様が見ていると感じ、それが時として人の行動を決めるのと同じ。見たことのない神様を信じるよりも切実に、具体的に誰かの姿を常に身近に置く。
あの人ならどうしただろうと、彼から叱られることさえ望みながら、日々を続ける。