7/30/2012

Hydrangea Revolution

There is a weekly demonstration going on in Tokyo every Friday in fron to of the official residence of Prime Minister, to protest against the government's move to restart Oi Nuclear Power Plant, which is first reactivation since Fukushima accident.

Japanese people have been known for indifference to the political issues, and such"political demonstrations" are considered limited to the "professional extreme activities". But this time, the demonstration include from business men on their way home to family with small children. The crowd is getting bigger every week.


あじさい革命。
みなさんは関心を持ってますか。考えていますか。感じていますか。
今年の夏、海外に行く人も多いと思う。そこで出会う現地の人に、どこから来たのかと尋ねられ、「日本だ」と答えたら、「オージャパーン!」の目を輝かせた反応の次にくる質問は、「日本製のカメラは最高だよ」「いい国だよね、いつか行ってみたいんだ」という今までもあった反応に加えて、
「フクシマは今どうなってるんだい?原発は?日本の政府の対応は?」
というものである。絶対に。
この質問に、なんと答えるか。


毎週金曜日に官邸前に集まる反原発デモは、チュニジアで政権崩壊にまで至った「ジャスミン革命」に倣い「紫陽花革命」と名付けられた。
革命と呼ぶには穏やかで、政権崩壊とかそういった大事件につながる気配は(いまのところは)ない。それでも、そこには多くの人が集まっている。

原発は、確かに多くの命を奪い、奪う可能性がある。福島やチェルノブイリといった地を、死の土地にした。その事実は深く心に刻み込まなければならない。原発なしでやっていけるのであれば、ないに越したことはない。

しかし、その事実から短絡的に「NO原発」を叫ぶのはすこし早急すぎると僕は思う。
この世に絶対悪はなく、一考しなければ物事の本質が見えてこないことは多い。むしろ、ほとんどのことは熟考しても答えは、ない。絶対悪がないように、絶対的な正義もこの世にはない。
現代は、あちらを立てればこちらが立たず、というトレードオフの選択であふれている。原発問題もその典型例だ。


「原発事故によって、たくさんの命が失われた、あるいは失われるかもしれない。だから原発はいらん。」
こういった主張をする人が一番多いのではないだろうか。人の命を天秤にかけて釣り合うものはないという主張は、何事にも勝る命題に聞こえる。
しかし、人の命を脅かす可能性があるものを抹殺せよというこの極端な論法は、原発によって生き延びている多くの人々の存在を無視している。
中学校などのディベート大会でよく話題になる「死刑制度に反対か、賛成か」というもの。人を殺めるような行為をした人は、殺してしまえ。 みんな、これには賛成?
今年の7月から、食中毒で亡くなる人が多くなったから牛レバーが日本では一切食べられなくなった。そのことに関して、僕の周りの人々の意見は「禁止するのはあまりにも極端だ、危険でも食べたい人はいる、自己責任にすればいい、牛レバー専門店の人が首を吊る」といったものが多かった気がする。みんなこれにも賛成?
そうであれば、先の命題についてもしっかりと考えて欲しい。

「原発がなくても、去年の夏は乗り越えた。みんなで少しずつ我慢すればいいんだ。だから原発はいらん。」
これも正論に聞こえる。でも、そこに含まれる「みんな」ってなんだろう。日本一億中流という世の中で、「みんな」を主張する僕やあなたはメジャリティーで気軽にこう訴えられるけれど、電気料金を払うことにもやっとであるその日暮らしの彼は、電気・電力関係の仕事で家族を養っているあの人とその家族は、マイノリティである彼らは、我慢できずに死んでしまうかもしれない。
1億人が生き延びるために、何百万人が死んでもいいのか。
さらに視点を広げてみれば、先進国を生きる僕達が本当に、本当にちょっと我慢するだけでアフリカの飢餓で死ぬ多くの子供の命が助けられる事実はみんな知っているのに、その我慢をみんなしようとはしない。どうして?
原発で亡くなるかもしれない日本人の数よりも、アフリカの大地に 実際に消えて行く子供たちの数の方が数千倍、多い。


今、僕が言ったことは屁理屈であり、論点のすり替えであり、間違っているかもしれない。
それでも僕が思うこと、それは「NO原発」を訴える人は、そういった事実を少しでもいいから認識していて欲しい。
もしも、ただのお祭り騒ぎに釣られ、facebookやtwitterで
「反原発デモなう」
を言いたいがためだけに官邸前に行くのであれば、家族や友達、彼氏彼女と、「どうして反原発を訴えるのか」を出かける前に一度話し合ってみて欲しい。


僕は、反原発デモに参加する勇気はない。何が正しいのかわからない。
官邸前に行って見て感じてみたいと思うけれど、その場で「NO原発」を叫ぶことができるのか、わからない。考えて考えて、わからなくなった。
海外の友達から問われれば、素直に、「わからない」ということを伝えるようにしている。
知らないからわからないのではなくて、考えたけどわからない、と。


反原発の科学者、故高木仁三郎さんの言葉がある。
「実際に生きている人間の直感の方が、科学的知を超えて物事の本質に迫る瞬間がある」
僕はこの言葉が好きだ。
もしも、世界中の人が、考えるのではなく、直感的に原発が危ないと心から感じるのであれば、きっと原発や核はなくなる。
直感的に、必要であると感じるのであれば、原発も核も、この世には残っていく。

最近思うことは、世の中はなるようになるということ。
原発問題も、きっと、なるようになる。僕達が一人ひとり、自らの直感を信じて生きていくことができるのであれば。

直感は、自分の内側から生まれてくる感情である。
メディアや、SNSや、外部からは直感はもたらされない。
あなたの直感は、原発に対して、賛成ですか、反対ですか。

7/29/2012

Mont Saint-Michelの旅行記。それと、忘れずにいたいこと。


大橋トリオ/HONEY

このPVを見て、昨年モン・サン・ミッシェルへ行ったときのことを思い出した。
その時の日記を書いていなかったので、回想しながら、絵日記風に旅行記をかいてみることにした。


ツアーではなく、のんびりと、潟を歩いて寺院を見に行きたかった僕は、Paris St. LazareからCaenを経て、Avranchesまでの4時間の電車に揺られ、モン・サン・ミッシェルから対岸6kmに位置するGenetsを目指した。
Avranchesに到着したら、最終バスが終わっていた。Genetsまでの12キロの路をひたすら歩いた。
何もない、フランスの田舎道。牛や馬としかすれ違わない、出会わない。



道中見つけたクレープリー。お店のおじさんとおばさんは英語全く通じなかったけれど、ニコニコして、美味しいガレットを出してくれた。 お店出るときに「メルシー」って言ったら凄い大きな声で「メルシー!」って返答してくれたことを今でも覚えてる。




歩けど歩けどホステルがあるような街が近づいてくる気配がなく、
「本当にこの道であってるのかな…」
という疑心暗鬼に陥りながらひたすら歩く。ホステルに到着する前に、日が暮れてしまった。もう、今日は野宿かなーとか考えながら、それでも、ひたすら歩き続けてた。 

僕は小さい頃から自転車で何処かに行くのが好きだったけれど、たまに調子に乗って迷子になることがあった。ふと気がついた時に、自分が何処にいるのかわからなくなったときの、あの途方にくれた気持ち、やりきれなさ、悲壮感となんかふっきれた爽快感の入り混じった心境を久々に感じた。 
日本では、iPhoneや携帯電話を持っていたら万が一迷子になればすぐに助けも呼べるし地図だって調べられる。 携帯も、さらには時計さえ持っていなかった(本当に、電子機器はこのときにはカメラしか持っていなかった。)状態での迷子になったときの気持ちはこの先の人生であと何回感じることができるのか。そう多くないことだと思う。


ひたすら歩きつづけ、夜もかなりふけた時間にホステルに到着した。
ホステルはすでに閉まっていて、ドアを叩いて
「すみませーん、開けてくださーい」
と怒鳴っていたら気難しそうなフランス人のおばちゃんがでてきて、フランス語でなにやら怒鳴られた。どうやらチェックインタイムをとっくに過ぎていたらしい。 そしておばちゃん、英語が全く喋れない。それでもボディランゲージでなんとか会話をして、部屋に入れてくれて、寝ることが出来た。

明かりのない田舎で見上げた空は、今まで見たことがないくらいの数の星が輝いていた。

翌日、対岸からモン・サン・ミッシェルまで歩いて行く。 空は快晴。6kmの彼方に小さく、モン・サン・ミッシェルが見える。この日もまたとにかく、歩く、歩く。




城までの路は干潟になっているので、場所によっては潮が引いて水がなく、また違う場所は川のように結構な深さになっている。ひざ下まで水が来ており、ザバザバと進んでいくと、魚かなんなのかわからないけれど、周りの水がバシャバシャと騒いで足元を何かが過ぎていく気配を感じる。すごくビビりながら足早にそういったところはぬけていく。



歩くこと約2時間ぐらい、ついに到着。


モン・サン・ミッシェルの中は、観光地だ。世界中からくる観光客と、それを相手にするおみやげ屋さん屋とレストランが所狭しとひしめき合っている。

しかし、ここはカトリックの聖地である。主要部の教会では今でも毎日祈りの時間があり、狭い島内には時を告げる鐘の音が鳴り響く。昔は僕のように干潟を歩き島まで来るという巡礼がなされており、潮の満ち引きが早かった当時は寄せる浪にさらわれて命を落とす人も少なくなかったらしい。

様々な建築様式が入り交じっているこの島の建築物。
かつて監獄や海峡を護るための砦と使われていた名残も見られる。






帰りは再び、干潟を歩いて帰っていった。
行く時には寺院の尖塔が目印となりまっすぐ歩をすすめることができたけれど、帰りは自分の位置がわからなくなる。少し進んでは振り返り、モン・サン・ミッシェルの島の見え方が変化していないかということを確認しながら戻っていった。

実はこの時は全く気が付かなかったのだけれど、僕が歩いた干潟の路は正式な道ではなかったらしい。もう少し簡単な、浅瀬の多い、多くの観光客が行く路があることを後日知った。どうりで行きも帰りも干潟を歩く人の姿が見えなかったわけだ。

現在、モン・サン・ミッシェルの周りのサン・マロ湾では、土砂の体積が問題になっている。
修道院への観光バスや車が走るための大きな路をつくった結果、周辺の海流が変化して、昔はなかった流れが潮をせき止めているという。そのため、「海に浮かぶ島」という様子は昔よりも見れなくなった。

偉大な、修道院や建築を造り上げるのも人間であれば、それを世界遺産に登録させ有名にさせるのも人間であり、周囲の自然環境を変化させてその神秘性を失わるのも人間である。なんだかすごい不条理を感じた。


対岸に帰り、遠くに見える修道院と、沈む夕日を眺めながら一人でビールを飲んでいた。
2時間ぐらいそこにいたと思うのだけれど、一体あの時僕は何を考えていたのだろう。
旅をしていると、不意に感じる自分の無力さや、自分で選択してここまできたはずなのに「なんで俺はここにいるんだろう…」という自問自答。それに対する答えのない答えを延々と考えていたりしたのかもしれない。
あるいは家族のこと、そのとき付き合っていた彼女のこと、昔好きだった人のこと、友達のこと…人は、みんな独人だ。しかし、誰かに認めてもらうために、僕たちは生きている。独人でいても、いや一人でいる時ほど、自分の大切に思う人のことを考えたりするものだと僕はバックパックの旅を通じて学んだ。



僕はきっと毎年、夏がやってくると昨年のあのバックパック旅を思い出す。
思い出したい。

それは「あのときは良かったなぁ」というノスタルジーを感じるためではなく、あの旅を通じて間違いなく自分の中で何かが変化したからであり、そのときの気持ちをこれからも忘れずにいたいからだ。
自分自身というものに対して正直になろうと思った。自律的に考えて生きていこうと思った。健康で、笑って、楽しくすごそうと思った。父さんと母さんを大事にしようと思った。

それ以外にもいろいろなことを考えて感じた。答えのないもの、でないものばかりであったけれど、とにかく考えたことがないことを考え始めたのがあの時からであった。

夏の暑さ、教会のベルの音、ぬるいビール、バックパックの重みと足の疲れ…
それらがみんな、あの時感じたことや考えたことを思い出すスイッチとなる。

忘れずにいたいこと。それを思い出す季節。

7/25/2012

いじめられている君へ

滋賀県大津市の中学校2年生のいじめ自殺事件。

その事件以来というもの、ニュースでも、新聞でも、「いじめ」に関する報道が繰り返され、様々な社会学者・有識者・いじめ経験者が論議を交わしている姿を見かける。
朝日新聞の一面に、「いじめられている君へ」「いじめている君へ」という見出しで連日いじめを経験した人や様々な考えを持った有名人がコラムを投稿している。
僕はそれを読んで、毎日感情が込み上がってきて、目に涙が浮かぶこともある。


中学校2年生というと、13歳か、14歳。僕とは10歳差だ。
テレビの中でしきりにいじめの仕組みを論じる30歳、40歳、50歳の大人よりかはいくらか年の近い僕の、いじめについて考えたことや経験したことを、これ以上大人になって忘れてしまう前に少し書いておきたい。


僕はいじめられている君でも、いじめている君でもなかった、と思う。
少なくとも前者ではなかった。でも、知らない間に後者になっていたかもしれない。そんなことをいじめに関する様々な報道がされるにつれて考えるようになった。
小学校でも、中学校でも、学校内でいじめはあった。ちょっと粗暴な友達が、何人かで集まって、気の弱い友達にちょっかいを出していた。大きい声を出して小突いたり、時には蹴飛ばしたり。それを傍観している事が多かった僕は、「いじめている君」だったのかもと後悔している。

正義心からなのか、偽善だったのか、今ではわからないけれどそんないじめられている友達を一度助けたことがある。中学校3年生のとき、廊下でちょっかいをだされていた友達といじめをしていた友達との間に入って「やめろよ」と少しキツく言った。すると、その粗暴な友達から「お前、なに正義ぶってんの?ぶっ殺すぞ」と肩のあたりを殴られた。
その場はそれで済み、その後も何もなかった。それでもしばらくの間、その粗暴な友達や取り巻きからの目線やどう思われているか、「ぶっ殺すぞ」という言葉と軽く殴られた事実、そんなことが常に頭の片隅にあって凄く苦しかったことを今でも覚えている。

たった一回の出来事で、僕はあんなに苦しかった。それが毎日、毎日、学校にいく度に繰り広げられていたら「いじめられている君」はどんなに苦しかったんだろう。もっともっと助けてあげればよかったと後悔してる。ごめん。



僕は小さい頃から母さんに、「苦しいことがあったら無理してやらなくてもいいのよー」とか、「つらいならやめちゃえばー?」という言葉をかけ続けられて育てられた。辛いことがあったら乗り越えることも大事だけれど、逃げることもできる。その選択肢があるから、辛い時に頑張れる。結果として色々な困難を乗り越えてこれた気がする。そしてそういってくれる家族がそこにいたから安心することができた。

誰にでも合う人と合わない人がいる。合わない人とは無理して付き合わなくていい、と言うのは理想論で、実際問題では同じコミュニティを生きている限りは無理して付き合う必要もある。そして合わない人との間にはどんなに近くの距離にいても信頼も愛も生まれない。必要ともされない。互いの互いに対する無関心。それが、暴力や無視といったいじめにつながっていく。

大事なことは相手のことを思いやること、無関心でいることをやめること。そして僕は僕、あなたはあなたと割り切って、自律的に生きていくこと。矛盾しているように聞こえるけれど、無関心でいることとお互いの違いを理解して1人で生きていくことは全く違う。
そして、他人という流動的で儚いつながりよりも、家族という血を分けあった絶対的なつながりを大切にすること。どんなときでも味方でいて認めてくれる人がいれば、たとえ学校や会社というコミュニティでいじめられても、自殺という悲しい結末にはつながらないと思う。


僕に子供が出来たら、母さんが僕に言い続けてくれた言葉をやっぱり伝えてあげたい。そして、愛して、サポートしてあげて、逃げ道を作ってあげたい。
いじめは、もちろん子供同士の問題だけれど、僕はそこにはやっぱり家庭の問題が大きく影響しているんだと思う。愛が足りているか足りていないかだ。

愛が足りないと、逃げることができず、「いじめられている君」をつくる。
愛が足りないと、嫌な奴になってしまって、「いじめている君」をつくる。

無関心が最もよくない。しかし、最近問題となっているようなモンスターペアレンツを作りだす過剰な愛もよろしくない。
でも、世間一般的にいって、適切な量の愛がどことなく足りないように僕は感じる。


小学校のころ、すごく仲良かった友達が春から小学校の教師になった。
彼と久しぶりに会って、いろいろと話をしてみたくなった。


There is not enough love, so people become hateful.
Everyone wants to be wanted, everyone wants to be accepted.
Don't blame other people. Let's just cherish people.


恋人ができたら


ランニングを続けていて、どうして走るのかと問われれば、女の子を追っかけまわさないからかなーと。
ブログを書いている理由を問われれば、感じたことをシェアする相方がいないからかなーと。

結局、男は、女が大事で大好きなんだと思う。だからきっと僕にも彼女が出来たら、ランニングもブログを書くことも止めてしまうかも。そんなことを考えた。

一人になりたがるティーンネイジャーでもないけれど、誰かと一緒にいたがる大学生にもなりたくない。「孤独でいても平気なんだね」と言われたけれど、そんなことはない、自分を認めてくれる人がいて欲しいと思う。でもその自分を認めてくれる人のために、自分自身を変えたり取り繕うようなことはしたくなくて、それは結局、今の僕には一人でいることにつながっている気がする。

夏のビールとワインは、身体によく染み込む。




7/19/2012

リケジョ・リコジョについての記事を読んで。

2012年7月19日付日本経済新聞大学欄の記事「理系女子呼び込め」より、一部抜粋。

"理系の女子学生「リケジョ」を増やそうと、大学が力を入れている。(中略)少子化が進み優秀な学生を確保したい思惑を背景に、各大学はOGや現役女子学生も動員して呼び込みに躍起だ。男女共同参画社会を掲げる政府の後押しも受け、理系に根強い「男の世界」の印象を変えようとしている。"
"政府がリケジョ獲得を後押しする狙いは3つある。①理系の職種で男女共同参画を進める ②女性研究者や技術者を増やし、技術開発の視点や発想を多様化する ③少子化が進む中、性別を問わず優秀な人材を確保する ―ことだ。 背景には理系職種への女性進出の遅れがある。(中略)総務省統計局によれば、日本の女性研究者数は2011年3月末時点で約12万3200人。研究者全体の13.8%で、先進国の中では最低基準だ。"
" リケジョに対する企業の期待も大きい。京セラは求めるリケジョの人物像に「コミュニケーション能力とグローバル志向」を挙げる。ホンダは「女性社員には造りたい自動車などの夢を理論的に話せる人が多い」と評価する。専門知識に加え、視野の広さや論理的な思考能力が求められているようだ。"

昨年留学から帰ってきて、理工学部に復学して気付いた留学前との変化。それがキャンパス内の女子と留学生比率が増えたこと。
理工は女子がとにかく少ない。僕の学科・学年に関しては150人中女子は15人前後だった。約1割。機械科や数学科などでは2~3人しかいなかったと聞いたことがある。
そのために留学後に女子が増えたといっても、急増したわけではなく、少し増えたかなーという具合。


理工学部の中では、女子はマイノリティ。
前日書いた記事、”マイノリティであることはハンディなのか、ユニークなのか。”の後半で述べたように、マイノリティを生きる人が自分の周りにいればいるほど、人間はより多くのパースペクティブを得られ多極的に物事を考えられるようになる。引用記事の中で政府がリコジョ獲得を推進する理由「②女性研究者や技術者を増やし、技術開発の視点や発想を多様化する」、と同じこと。ユニークな人が集まり活発な意見を交わすことができればそこには新しいイノベーションが生まれる。大切なことであると思う。だから女子や留学生が理工学部に増えている事実や、政府・大学がそのための環境を整えようとしていることは素晴らしいことだと思う。



女子が理工学部に増えることは素晴らしい。しかし、僕の直感と主観はすこし違う。
少し前に僕がつぶやいて、何人かの友達から反響があったものがこれ。
最近はリコジョ(理工女子)とかリケジョ(理系女子)という言葉が流行り、理系の知識が豊富な子はいるけれど、体験がともなう子は少ない。体験なく頭でっかちであることや、中身なく肩書きだけを振りかざし生きることほど虚しく侘しいことはないと思う。理工に限らず、女子に限らず、人生において。
集団志向である日本人、その極みが女子に表れていると僕は思っている。そして女子化が進む僕と同年代の男もしかり。1人でいられないからつるむ。自分の行動を主体的に決めるのではなく、周りの人からどう思われているかを優先して自分の立ち位置を定める。その結果発生する没個性と集団の中だけで完結してしまう小さなコミュニティ。
そうなってしまったら、マイノリティであることから発生するユニークというメリットが、ない。アメリカを形容するよくある論議、人種のるつぼ(melting pot)とサラダボウルの前者となってしまう。
理工学部をサラダボウルのようにするためには、大学や大多数である男子が環境を整えて女子を迎え入れるとともに、女子もグループを作って結束してしまわずにオープンになる必要がある。


もう一つ。twitterやfacebookといったSNSが普及した結果、不特定多数の人に対するセルフブランディングが容易になった。そのため、マイノリティである「リコジョ」という言葉がある種のブランドのように扱われている感じが、僕はあまり好きではない。 ルイヴィトンの鞄を持つことがステータスであるかのように、リコジョであることがステータス。そうなってしまうと、上辺の知識や賛美は増えていくけれど肝心の中身が何もない存在となってしまう。自分の年収に見合っていない高級カバンを誇らしげに持ち歩いている人ほど、虚しさを感じるものはない。
性別によらず、優秀な存在が求められているという。そうであればリコジョであろうがリコダンであろうが関係ない。しっかりと勉強できる人・考えられる人が大事。周りからどう見られるか、思われているかというのをそんなに気にする必要もないのでは、と思う。


なんにせよ、マイノリティであることは大変だし不自由を被ることも多いと思う。出産や結婚を男子以上に考えてキャリアを選択しなくてはいけない彼女たちを僕はこっそり応援している。
僕の友人も入っている理系女子大生コミュニティ、凛という活動に、僕は前から注目しているけれど、いろいろ考えてるなぁと尊敬するコメントが投稿されていることがある。(→


男は単純な生き物で、そこに女子がいれば頑張ってしまう。理工キャンパスに華やかさを与えてくれるリコジョの存在は彼女たちが思っている以上に大きいもの。
「リコジョ」というブランド力ではなく、「ユニーク」さ、こちらをどんどん発揮していって「リコダン」にパワーや刺激を与えてほしい。
研究もせずに、新聞読んでブログを書く不良(理系)学生が言えることではないかもしれないけれど。

Hello Summer!

The rainy season will be over soon.

Hello, Summer!






7/17/2012

なぜ、今、ロンドンであるのか。

スポーツの祭典、オリンピックがロンドンにて27日に開幕する。

僕は運動は大好きだけれど、スポーツというと小学校の頃から続けているテニスしかできない。
先日開催されたウィンブルドン。決勝を録画してみたけれど感動した。7度目優勝のフェデラーはもちろん凄い(いや、凄すぎる。)けれど、僕が感動したのは準優勝したアンディ・マレーのスピーチ。1936年以来の英国人優勝目指し、地元イギリスの期待を一身に受け、センターコートに立ち、そして敗れたマレー。
敗れた後の"Getting closer..."と言うコメントと観客への感謝と涙。やっぱりスポーツは素晴らしい!と心打たれた。


さて、そのウィンブルドンの熱が冷めやらぬイギリス・ロンドンにて、10日後に世界最大と言われるスポーツの祭典が開かれる。 しかし、ここで疑問がある。


 なぜ、今、ロンドンで五輪が開催されるのか。


 オリンピックは世界最大のスポーツの祭典であるけれど、それが世界最高の舞台であるというわけではない。テニスは毎年開かれるグランドスラム、陸上では世界陸上、サッカーもワールドカップ…と、ほとんどのスポーツが別の時期に、最高のパフォーマンスを発揮すべき場所が設定されている。それらの最高の場に標準を向け集中するために、4年に一度しか開かれないオリンピックに参加しないと表明するトップアスリートも少なからずいる。


 それでも世界が五輪に注目する理由。そしてロンドンで開かれる理由。  
まず、五輪がたくさんの利権構造によって支えられた商業五輪であるから。 1984年に開催されたLA五輪が税金を1セントも使わずにテレビ放送料、スポンサー協賛金、記念グッズの売上などだけで開催費用を賄い大成功を収めて以来、オリンピックは商業主義となった。これは国家間の政治的介入がなくなったというメリットはあったけれど、ただの金儲けのためのお祭りにしてしまったという一面もあるという。そうなればメディアは思い切り五輪を盛り上げるしかない。実は僕達が五輪に注目しているのではなく、メディアによって注目させられているのかもしれない。


 次に、ロンドンで開催される理由。


オリンピックは、今まで、新興国が国際社会の有力な一員としてのし上がってくる様を世界に見せるひのき舞台として機能してきた。 64年の東京オリンピック、88年の韓国・ソウル、92年のスペイン・バルセロナ、08年の中国・北京、そして次回16年のブラジル・リオデジャネイロ。20年大会の開催を東京と争うトルコ・イスタンブールもそうであろう。 しかし、今回の英国・ロンドン、れっきとした先進国であり、世界の大国であり、さらには1908年、48年に続き3回目の開催地だという。そんなロンドンが開催地となった理由。数日前の朝日新聞の耕論の中で、東大教授である姜尚中さんがこう伝えていた。

”今、世界は経済危機で国家という枠組みが再び意識されるようになっているからです。例えば、欧州連合(EU)によってボーダレス化した欧州の中でも、政治的緊張関係にあるギリシャとドイツの戦いは、ナショナリズムを強く意識せざるを得ないことは、容易に予想できます。”
” そうした中で、落としどころとしてのロンドンという意味合いは、あるかもしれません。英国はユーロ危機から距離を置き、揺れる欧州の中では比較的、安定している。グローバル化による激変に疲れ果てた世界が求めた安定の象徵。それが英国であり、伸びざかりの新興国の登場よりも、成熟した先進国が持つ伝統の力を見たい。トラッド回帰、伝統への復権への願望と考えることはできないでしょうか。”

グローバル化が過ぎ、ナショナリズムを強く意識した結果の、安息の地としてのロンドンではないかと姜さんはいう。 実は全く同じような印象を、僕は昨年感じていた。 ヨーロッパバックパックを、僕はロンドンから初めてロンドンで終えた。最初のロンドンは、なんだか良いイメージがなかった。雨は降り、妙に伝統くさく、物価は高く、ご飯は美味くない。ウィンブルドン観戦と、親友との再会というイベントがなければ1週間も滞在せずに次の街、国へと移動していただろう。
しかし、それから70日間ヨーロッパの大国を見て回り、ロンドンに帰ってきたときに僕は驚いた。ファーストインプレッションとは裏腹に妙にロンドンの街や人々が心地よかったのだ。その時は「なんでだろう。」と疑問に思っていたのだけれど、今ならわかる。グローバルな経済力を持ちながら、伝統も重んじるその『バランス』が良かったのだと思う。この街にはまた戻ってくる、戻ってきたいという直感も感じた。


日本・東京は、20年大会の開催に再び立候補している。
今回のロンドンが、グローバルな経済力、伝統やナショナリズムで選抜されたのだとしたら、グローバルな経済力で近隣のアジア諸国に劣り、愛国心や伝統に疎い日本が開催地としてアピールできることは一体何なのだろうか。
大震災からの復興を祈っての開催?そんなお情け頂戴のような理由でいいのだろうか。


僕は東京生まれ東京育ちだ。東京でオリンピックが開かれたらそれはそれは嬉しい。しかし、その開催までに日本人として、東京人として、オリンピックや国について色々と考える必要があると思う。僕だけでなく、全ての人が。






Def Tech "Rays of Light"

優しい。

なんかの帰り道 君を想って歩く
今ならわかるのにな
なかなか思い通りには行かないけれど
どうしてかな

君を目の前にするとつい僕は
何故かムキになっちゃうから
優しいいつもの二人でいたいのに
でも Uh

お互いの意地の張り合いをして
些細なことでこじれてまたケンカして
本当はすごく大切な My Baby
大嫌いさ

冷たすぎるビル風に凍えて肩を寄せる
二人の雲間に差し込む木漏れ日

Walking through that door again
You're a glimmer in my eye
No matter what's been said before
I always want to keep on trying
Never giving up, gonna live it up
A secret to success they say
That's what they say

And ever since I first met you
I knew it from the spark it's true
Anything could be overcome
No matter how deep or hurt-some
We may not fit together, no
But we sure do match forever, yo

Anytime you need a friend to turn to just call me and
I'll be there for you no hesitation open to see it our way
There's still so much for us to see my baby
With all my love I sing you

冷たすぎるビル風に凍えて肩を寄せる
二人の雲間に差し込む木漏れ日

No, don't wanna clash, no feuding no more
今度また会える時には
When will I see you, see you again, oh
Pretty lady

Wind so cold from the building up above bring
Our shoulders together once again
Showering us with rays of light
Between the clouds, that's loving

冷たすぎるビル風に凍えて肩を寄せる
二人の雲間に差し込む木漏れ日

7/15/2012

海を見に行く自由


7月の第3月曜日、明日は海の日で休みだ。
でも、どうして『海』の日が国民の祝日なのだろう?


世界の国々の中で『海の日』を国民の祝日としている国は唯一日本だけであるという。
国民の祝日に関する法律の項によると、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨とした日だという。そのため、日本全国で「国民の間に広く海洋についての理解と関心を深めるような行事が実地される」ことが定められているのだとか。
なるほど島国日本であるからこそ設けられた「海への感謝」の日なのだろう。


母なる海という言葉がある。
ドイツ語(die See)やフランス語(la mer)等のジェンダーのある言語の多くでは「海」は女性名詞として扱われていたりもする。云われはいろいろあるだろうが、地球上の生命が海洋から誕生したことからその大本を母と呼びたくなるのだろうか。
けれど、昨年の大震災によって引き起こされた津波の被害、今も残る原発やガレキの問題を日々のニュースや新聞で知る度に、海とはただ僕達を優しく包みこむような優しい母な一面ではなく、時には厳しい、厳しすぎる一面を持った父のような要素も持ち合わせているように感じる。ギリシャ神話に出てくる海神・ポセイドンは男だ。
女性的でもあり、男性的でもある。様々な恵みをもたらし、ときには破壊も引き起こす。海の深さと広さは、空のそれとはなにかが違う。

「海行きたいねー!!」
次第に暑さが増して来て、友達からそんな言葉を聞くようになってきた。
「海に行く」と聞くと思い出す一つのエッセー。昨年の東日本大震災で卒業式の中止を決断し、その代りにとHP上に掲載した立教新座中学・高校校長の渡辺憲司先生の「卒業生への言葉」だ。大学へ行く事の意義や意味を問う、感動的な言葉。
そのなかに出てくる「海を見る自由」というフレーズが、僕は大好きだ。僕は今でもたまに読んでいる。読んだことがない人、大学で学んでいることに疑問を感じる人がいたら、是非読んでいただきたい。
(→「卒業生の言葉」


そんな渡辺先生が「次の世代を生きる君たちへ」という副題を付けて本を執筆された。
「海を感じなさい。」
孤独とは、理想とは、恋とは、正義とは、様々なテーマにたいする力強いメッセージ集であるという。読んでみよう。そして、海を見る自由を謳歌すべく、海を感じるべく、何も考えずに海へ行こう。


San Francisco留学時代、走って20分で太平洋を望める場所に住んでいた。
SFの海岸線が少し恋しい。












Def Tech "Catch The Wave"

7/13/2012

マイノリティであることはハンディなのか、ユニークなのか。

2012年7月13日付け日本経済新聞朝刊、社会面の記事『障害者を大学へ サポート充実』より一部を抜粋。

文部科学省は、身体障害や発達障害などを持つ人の大学進学や入学後の学習の支援を本格化する。(中略)同省は入試で適切な配慮を受けられる環境づくりから着手する。障害の種類に関係なく全ての大学を受験でき、別室での受験や試験時間の延長、問題文の代読などがみとめられるようにする。(中略)一方、支援体制は各大学任せになっており、何らかの支援を行なっている大学は全体の6割の490校にとどまり、実際に支援を受けた学生も6割にすぎない。大学によっては入学をみとめていないケースもある。海外では、米国は全ての大学に支援部署の設置を義務付けている。障害を持つ学生は全体の1割にのぼり、充実したサポート体制が多様な学生をキャンパスに呼び込んで居るとされる。 

昨日、親友の剛(Go)と久々に飯を食べてきた。



彼は生まれつき難聴で、日常の音はあまり聞こえない。
僕達が会話をするときは、でかい声を出すか、口話(僕はもちろん口を読めない。剛が読んでくれる。)か、アメリカ手話(ASL、留学中に1年間学んだ)・指文字・僕と剛の間でした伝わらないであろう適当な手話をおりまぜながら話をする。


「障害がある」と聞くと、多くの人は「ハンディキャップを持っている、不自由なんだ」と決めつけ、無意識のうちに障害がない自分たちより劣っていると判断したり、申し訳ない気持ちを抱く。かわいそうだねーって言ったりして。
でも、なんでそう決めつけるのか。
剛が昔、僕に言った言葉を今でも覚えている。
「僕は耳が聴こえないけど、それを不自由だとは思わない。不自由なのは僕ではなくて、僕を取り巻く環境だ。」
と。


日本では障害があるヒトへの環境や理解がまだまだ整っていない。公共機関も、働く場所も、メディアも、人も。マイノリティへの考え方や思いやりが未成熟であると僕は感じる。
アメリカで1年間暮らした僕が日々の生活の中で発見したことは、アメリカには障害を持っている人(車椅子、杖、眼が見えない人、お年寄り、足をひきずる人など)が凄くたくさんいて、そういった人達を取り巻く環境がとてもとても整っているということ。
小さなカフェにも、汚いバスにも、必ずといっていいほどスロープがあり優先席がある。
そして彼らがやってきたときのアメリカ人の反応はごく普通で、気持ちのいいもの―なにも特別扱いしない自然な対応―であった。


障害のみならず、人種も、宗教も、様々なマイノリティが集まるアメリカでは、マイノリティであるというアイデンティティはハンディではなくてユニークな個性であると考える。もちろん実際には様々な能力差や多数決の原理で作られた社会の仕組みなどからハンディを被ることはある。けれど、それ以上にユニークであるという意識を持ち日々生きている人のパワーが光っていると感じた。



剛とは高校からの8年来の付き合いで、親友だ。3年間同じクラスで一番前の席に座り続け、部活も一緒だった。
僕は社交的な性格からか、顔見知り(Acquaintance)や友達(friend)は凄くたくさんいるけれど、親友(Best friend)と呼べる人は数人しかいない。僕にとっての親友とは、その人の人間性そのものを尊敬できる人。
恋人や家族に対する愛ではなく、自分を重ねられる相手に抱く共感でもなく、全く次元の違うことをしている成功者に対する畏怖でもなく、同じ時間を過ごした友人・仲間に持つ連帯感・仲間意識でもない。考え方や生き方が僕に響く人=尊敬できる人。そんな人であれば、たとえ数回しかあったことがなくても僕は勝手に親友だと言い、親友になりたいと思う。


剛の考え方や生き方は、常に僕に新しい視野(perspective)を与えてくれる。
昨日も、現在僕がIT業界のインターンシップを申し込んでいると話したら、
「IT業界かー、いいね。インターネットの中は凄くバリアフリーだからね。GoogleがつくったYouTubeの字幕自動生成機能とか素晴らしいと思う。」
そういった視点でインターネット業界の良さを考えたことはなかった。
 マイノリティである彼は常に少し違った視点で世界を見ることができている。とても羨ましく思ったりする。


そして何よりも剛はアクティブで自律的に生きている。
僕と同時期にアメリカに留学しDeaf Studyを学び、一人ヨーロッパバックパックもしていた。申し合わせていなかったにもかかわらず滞在の時期が重なり、アメリカとヨーロッパで数日間の再会を果たしたりもした。昨日あったときの話では、大学院進学も決まり、日々課題に追われ、スタバでのバイトを楽しみ、夏休みは1ヶ月東南アジアを放浪するらしい。


耳が聞こえないという障害を全く感じさせない剛のアクティブな生き方と考え方を、僕は心から尊敬している。
そして、彼に負けないように、僕もアクティブに生きよう!と、会う度に思わされる。


マイノリティを生きる人が自分の周りにいればいるほど、人間はより多くのパースペクティブを得られ多極的に物事を考えられるようになると思う。これは多様化する世界ではとても大事なことであり、必須のスキルだろう。
先に引用した新聞記事にあるように、障害者への充実したサポート体制が多様な学生をキャンパスに呼び込むこととなる。それは結果として障害のない僕達にきっとよい効果をもたらしてくれる。


欧米に遅れているけれど、こういった制度や意識がもっと日本にも広がってくれれば…と思う。

7/11/2012

"If the world were a village of 100 people"


More than a decade has passed since this famous essay spread all over the world.
At that time, I was too young and too closed against the world to be moved by the message inside.
Now, I'm getting older, I'm getting closer to the world.
I think it's time to open the book again to understand the message.

『世界がもし100人の村だったら』

僕が、確か、中学生であった時に広まったこの話。もともとは一通のe-mailから、様々な情報が足され、集約されながら、チェーンメールのように世界中に広がっていったという。
先日古本屋によったときにこの本が目に入り、思わず手を伸ばして購入した。



その当時にはあまり響かなかったこのエッセー。それは僕が幼すぎたのと、世界というものが見えていなかったから。
それから約10年が経過した。今もう一度読んでみて、僕は色々と発見することや考えることが多かった。
大人と世界が近づいてきたすべての人に、あらためてもう一度読んで欲しい。そして色々と考えて欲しい。そう思って、ちょっと長いけど、引用することにした。

本文中の数字は事実に基づくフィクションであり、その「事実」も2002年のものである。世界は変わっている。だから数字も多少変わっているかもしれないが、このエッセーの持つメッセージは変わらない。それをわかってもらえれば。

日本語もタイプしようと思ったのだけれど、予想以上に長くて。
ちょっとだけ内容が違うのだけれど、僕と同じように古本屋でこの本を手に取りいろいろと考えた方がブログに書いていた。
ここにリンクを貼らせて頂きます。


"If the world were a village of 100 people"

To all my friends and loved ones-
Love from me
Useful Perspective

If we could shrink the earth's population to a village of
precisely 100 people, with all the existing human ratios
remaining the same, it would like something like the 
following:

52 would be female,
48 would be male.

30 would be children,
70 would be adults,
among those,
7 would be aged.

90 would be heterosexual,
10 would be gay or lesbian.

70 would be non-white,
30 would be white.


61 would be Asians,
13 Africans,
13 from North and South America,
12 Europeans,
and the remaining one from the South Pacific.

33 would be Christians,
19 believers in Islam,
13 would be Hindus, and 
6 would follow Buddhist teaching.
5 would believe that 
there are spirits in the trees and rocks
and in all of nature.
24 would believe in other religions,
or would believe in no religion.

17 would speak Chinese,
9 English,
8 Hindi and Urdu,
6 Spanish,
6 Russian, and
4 would speak Arabic.
That would account for half of the village.
The other half would speak Bengal, Portuguese,
Indonesian, Japanase, German, French,
or some other languages.

In such a village, with so many sorts of folks,
it would be very important to learn to understand different from yourself,
and to accept others as they are.

But consider this.
Of the 100 people in this village,

20 are undernourished,
1 is dying or starvation, while
15 are overweight.

Of the wealth in this village,
6 people own 59%,
-all of them from the United States-
74 people own 39%, and
20 people share the remaining 2%.

Of the energy of this village,
20 people consume 80%, and
80 people share the remaining 20%.

75 people have some supply of food and a place to 
shelter them from the wind and the rain, but
25 do not. 17 have no clean, safe water to drink.

If you have money in the bank,
money in your wallet and 
spare change somewhere around the house,
you are among the richest 8.

If you have a car,
you are the among the richest 7.

Among the villagers
1(yes, only 1) has a college education.
2 have computers.
14 cannot read.

If you can speak and act
according to your faith and your conscience
without harassment, imprisonment,
torture or death,
then you are more fortunate than
48, who can not.

If you do not live in fear or death
by bombardment, armed attack,
landmines,
or of rape or kidnapping by 
armed groups,
then you are more fortunate than
20, who do.

In one year,
1 person in the village will die,
but, in the same year,
2 babies will be born,
so that at the year's end,
the number of villagers
will be 101.

If you can read this e-mail,
that means you are thrice-blessed.
First, because someone thought of you,
and set you this message.
Second, because you are able to read.
Third, and most important,
because you are alive.

Someone once said:
What you send out
Comes back again.

So sing
from the bottom of your heart,
dance
with your body waving free,
and live,
putting your soul into it.
And when you love,
love as though you have never been wounded,
even if you have.

And love the face that
you, and
others, live here,
in this village.

Perhaps,
if enough of us learn to love our village
it may yet be possible to save it from the
violence that is 
tearing it 
apart.


7/08/2012

『晴れた日に永遠が見える』


映画を見た。
"On a Clear Day You Can See Forever"
『晴れた日に永遠が見える』



幻冬舎の代表である見城徹さんが好きだと言っていたこの映画。1970年のミュージカル映画。とても古い。そしてストーリーや設定も、最近の映画にはないようなもの。

草花を早く育てることができたり、電話がなることを予知できるという不思議な力を持った少女と、精神科大学教授のラブストーリー。しかし、男が恋に落ちてしまう相手は少女ではなく、催眠術で目覚めた少女の記憶の中にある前世のヒト。その事実を知った少女は、催眠術にかけられることを頑なに拒み続けるけれど、彼女の特殊な能力で彼の気持ちを受け続ける。映画のラストシーン、教授が最後の催眠術を少女にかける。前世のヒトに会うためではなく、自分たちは今まで他の人生で出会ったことがあったかを問うために。彼女の答えは…

見城さんが好きだと言っていなかったら一生見なかったであろうこの映画。いろいろと突っ込みどころが多い。なのに、なぜか、僕もこの映画が結構好きかもしれない。

現代の(といっても60年代のアメリカの)女子と英国貴婦人の二役をこなすBarbra Streisandがとにかく可愛いし、歌唱力も素晴らしい。(独白のシーンが多いこの映画であるが、元々はブロードウェイミュージカル。歌って踊ることはしないけれど歌いながら演じるシーンが多少ある。)映画の要所要所で現れるNYの摩天楼やセントラルパークは、4年前に僕が初めて訪れたアメリカを思い出させてくれる。 前世・後世という考え方も、人によっては非現実的だと言うかもしれないけれど、僕は結構好きだったり信じていたりする。キリスト教国家であるアメリカでは輪廻転生や生まれ変わり、過去の自分や未来の自分との共存という考え方は珍しいはずだが、50年前につくられたオリジナルの脚本はあえてこのテーマを扱う。

そして何よりも惹かれたのは、映画のタイトル。
『晴れた日に永遠が見える』
僕は本当に空を見るのが好きだ。晴れた日の、特に早朝の空のその先にはなにか永遠のようなものを感じることがある。そういえば中学校の卒業文集にも「朝焼け」というタイトルでなんだかこっ恥ずかしい内容のことを書いて、昔の友だちと出会った時に馬鹿にされたりすることもある。それだけ昔から僕は空を見上げていろいろと考えていたということ。その気持ちは今も変わらない。

昨年のこの時期、僕はヨーロッパをバックパックしていた。アメリカ大陸を鉄道で横断し、イギリスのロンドン、パリはフランスに滞在し、今頃はちょうどスペインに向かった頃だったか。アメリカやヨーロッパでの晴れた日の空は、日本での晴れた日よりもずっと広く、高く、遠く、無限に広がっているように思えた。 それは僕が真新しい場所を訪れていて感傷的になっていただけなのか。見慣れた東京の空を映す僕の眼が霞んでしまっただけなのか。わからない。
ただ、有り余る時間を持て余したときに見上げた青空の向こうに、人類が生まれる前から続いているであろうこの空と、人類が滅びた後にも変わらないであろうあの空を感じたりした。永遠を垣間見た気がした。

それが、『晴れた日に永遠が見える』の主題である「前世後世」「永遠」とつながり、僕がこの映画を好きになった理由なのだと思ったりする。きっと。

東京は、梅雨真っ只中。
雨がもたらしてくれるこの季節ならではの雰囲気は好きだけれど、覆った雲がつくる空は近く、永遠を感じることはない。 やはり見上げたそこには青い空と白い雲、永遠が待っていて欲しい。 永遠を望み空を見上げ、有限である自分を認識する。 そんなチャンスがたくさんやってくる夏がやってくる。
僕の命が始まった季節でもある夏がやってくる。

7/04/2012

日本の将来を危惧するに至った新聞記事


この新聞記事を読んだのはかなり前であるが、それ以来ずーっと頭から離れず残っている。
2012年5月30日付の日本経済新聞より、抜粋。
「ネタ消費」と呼ばれる最近の消費行動に関する記事。僕はそこから日本の将来を危惧している。

書き込みのネタ探せ「ツイッター」や「フェイスブック」といったソーシャルメディアで自分の書き込みをアピールするための消費が広がっている。1回で終わる体験型の習い事に人が集まり、ネットで話題になるのを狙って面白い商品を買ったり、珍しい場所に出かけたりする人も増えている。大手シンクタンクの試算ではそんな消費者が生む経済効果が3400億円になるという。ネタ消費 フェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディアに頻繁に書き込みをする人が、他人からの共感を得たり、自分をアピールしたりといった目的でネットで話題になりそうな消費をすること。(以下略) 
スライム肉まん、ランニングブーム、着付け講座、1回終了型のクッキングスクール…「ネタ消費」は数知れない。


人は表向きより、ずっと強い自意識を持っている。もちろん僕もだ。
自分のブログに何人のアクセスがあるのか、twitterのつぶやきに反応があるのか、facebookにタグされた自分の写真の中に変なものはないのか。そんなことを毎日気にして生きている。

SNSの普及は、僕にとってはメリットでもありデメリットでもある。誰かから見られてると思われてるから身を正して、しっかりと生きていこうという気持ちにさせてくれる。文章を書くときもなるべくわかりやすく、丁寧に書こうと思う。常に変化を求め、感受性を高く保たせてくれる。
しかし同時に、体裁だけをとりつくって目立ってしまおうとか、なにかネタを書かなければいけない。。。という過剰な自意識にも苛まされる。

この後者のデメリット、というよりは人間だれもがもつ「誰かに認められたい」という欲望に目を付け、それを対象としたマーケットまでが生まれ、「ネタ消費」という言葉が生まれた。
ネタ消費の持つポジティブな一面も僕は理解している。今まで挑戦したことのない趣味をはじめる貴重なきっかけになってくれるはず。ランニングブームから全員が本気でランニングを続けてくれたら僕は嬉しいし、花道とか剣道とかお茶とか日本の伝統が再認識されれば日本の将来につながる。
しかし、それもネタとして一度だけで終わってしまってはダメ。一時の楽しさや至福で満足してしまっては、その先にある大きな幸福を得ることはできない。

ただでさえグループ志向の高いこの国に生まれ育った僕たちは、他律的に生きてしまいがち。この消費行動が増進すると、自分が何をしたいのかということを見いだせず、他人からの意見で自らのアイデンティティを構築してしまう風潮に拍車がかかる。
その結果、日本人は、そしてゆくゆくは日本という国がそのものが、上辺だけで塗り固められた中身のない虚しいものとなってしまう気がする。
日本を支える「ものづくり文化」は一回のネタからは生まれない。日々の鍛錬、試行錯誤、積み重ねがあってこそ根付いた文化だろう。



本当に好きなことは、かえってネタにはしにくいもの。たとえば、僕が本気で好きになった人のこととか。そういうことは、僕も、きっとみんなも、ネタにはしないだろう。
人生は、ブログにかけないような本気なこと、あるいは書くに足らない小さなこと、その最高と最低から成り立っている。
ネタ消費は、その中間にある最も無駄なもののひとつである気がして僕はならない。



7/03/2012

日本を感じること

富士山に登った。

日本最高峰の山開きは昨日、7月1日。
その日に合わせたわけではなかったのだけれど、山登りに行きたいと思っていた友人との予定が合致したのがこの日であり、前日の深夜からオールで6時間かけ、日が昇る早朝4時前に山頂へ到着した。
8合目からの天候は最悪。厚い雲と雪、風に凍えながら日の出を待ったけれど、僕が望んでいたよう雲海から登るご来光を拝むことはできなかった。
それでも、帰国して以来の富士山に登りたいという僕の夢が叶った。


留学とその後のバックパックを経て日本に帰ってきた僕には、21年間住んできた日本がとても新しく見えた。そして、この国のことを何も知らないのだということを知った。
昨年9月に帰ってきてから僕には、日本を訪れる外国人観光客のように、日本が誇るモノに対する興味が沸き、それらを見てみたい・経験してみたいという気持ちが止まらなく溢れている。
京都を訪れること、築地市場のマグロの競りを見ること、東海道を進むこと、日本酒を知ること、神社仏閣を訪れること、季節の移り変わりを楽しむこと、日本の本を読むこと、そして今回の富士山を登ること。

このような日本的なモノを探し求めていくと、毎回驚くのがそこにいる外国人比率の高さだ。
今回の富士登山も本当に多くの外国人がいた。おそらく全登山者の2〜3割、もしかしたらそれ以上。一緒に登山をした二人の友達も、日本外で暮らしていた経験のほうが長く、そういった彼らのほうが富士山を登るというイベントに対して敏感なのだ。

日本での滞在時間が限られている旅行者は、わかりやすい、日本を感じやすい場所に集まる。でも、制限時間のない日本で生まれ育った僕たちは、いつでも成せるという気持ちがあるせいか、あるいは中を見ないで外にばかり意識を向けているせいか、日本を感じる気持ちを疎かにしていないだろうか。

グローバル化が謳われている昨今、外に目を向けないと負けだというような風潮が漂っている。でも、大事なこと、知らなければいけないこと、出来ること、自分が属するものは、すぐそばにある。
外に目を向けることや、世界を考えることはとても大事なことだけれど、身の回りにある出来ること行うということ、すぐ隣にあるかけがいのないものを慈しむことも同じぐらい大事だと僕は思う。

日本を感じよう。そして出来ることをしよう。

Think globally, act locally, live simply.