1/29/2013

『我々自身の手によって運命を開拓するほかに道はない』

数日前のブログで、オバマ大統領の二期目の就任演説を紹介した。
(→Barack Obama 2013 Inauguration Speech
また、野田前首相による国会での所信表明から言葉を引用してブログを書いたこともあった。
(→「夕日の美しさに素直に感動できる勤勉な日本人でありたい。」


昨今、若者の政治離れがよく話題になっているけれど、僕は政治とか政治家の人となりが好きだ。日々、この国がどうなるべきかということを自分自身に問い続け、そしてそれを実際に行動している人である。最適解は見つからない。存在するのかもわからない。全員が大体賛成するような政策、1億人の平均点では、おそらく日本は前に進めない。だから10年後、20年後、50年後の日本における平均点を目指して日々考え、提案し、行動し、避難される。


たった一つの決断をするだけで、何百万という人々の笑顔が創出され、何百万という人々の涙や怒りを増幅する可能性がある仕事である。今日の晩御飯、来週の試験や課題なんかが最大の感心事である僕達学生とは違った視点で生きているその生き様に対して、無関心でいていいものなのかと思う。だって、彼らが考えているものは僕達の将来なのだから。「政治家はダメだ。なぜなら〜」と避難するのならばまだよし。無関心で「よくわからん」の一言で済ましてしまうのはよろしくない。


政治家と一般市民の乖離とは、本当に政治家が僕らを無視していることなのだろうか。僕にはむしろ、一般市民である僕らが政治家を無視しているように思えてならない。
安倍首相の所信表明演説が昨日行われた。その演説のおわりに、安倍首相は僕達に訴えかけている。
未来の日本の平均点はどれくらいなのか、安倍首相がどのような心持ちで政治を行なっているのか、言葉の中から見つけることができる。考えることが出来る。


メッセージ、受け取りましたよ、安倍首相。


以下、1月28日の通常国会にて安倍晋三首相が行った所信表明演説より、抜粋。


 我が国にとって最大かつ緊急の課題は、経済の再生です。
 私がなぜ、数ある課題のうち経済の再生の最もこだわるのか。それは、長引くデフレや円高が、「頑張る人は報われる」という社会の信頼の基盤を根底から揺るがしていると考えるからです。

 最も大切なのは、未知の領域に果敢に挑戦をしていく精神です。皆さん。今こそ世界一を目指していいこうではありませんか。世界中から投資や人材をひきつけ、若者もお年寄りも、年齢や障害の有無にかかわらず、全ての人々が生きがいを感じ、何度でもチャンスを与えられる社会。働く女性が自らのキャリアを築き、男女が共に仕事と子育てを容易に両立できる社会。中小企業・小規模事業者が躍動し、農山漁村の豊かな資源が成長の糧となる、地域の魅力があふれる社会。そうして「あるべき社会像」を、確かな成長戦略にむず日つけることによって、必ずや「強い経済」を取り戻してまいります。

 我が国が直面する課題の最大の危機は、日本人が自身を失ってしまったことにあります。確かに、日本経済の状況は深刻であり、今日明日で解決できるような簡単な問題ではありません。
 しかし、「自らの力で成長していこう」という気概を失ってしまっては、個人も、国家も、明るい将来を切り開くことはできません。芦田均元総理は、戦後の焼け野原の中で、「将来はどうなるだろうか」と思い悩む若者たちを諭して、こう言いました。「『どうなるだろうか』と他人に問いかけるのではなく、『我々自身の手によって運命を開拓するほかに道はない』」と。

 この演説をお聴きの国民一人ひとりへ訴えます。何よりも、自らへの誇りと自身を取り戻そうではありませんか。私たちも、そして日本も、日々自らの中に眠っている新しい力を見いだして、これからも成長していくことができるはずです。今ここにある危機を突破し、未来を切り開いて覚悟を共に分かち合おうではありませんか。

 「強い日本」を作るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。

1/27/2013

名前って、どこかに刻むためにあるんじゃないかな。

日本人10人を含む人質30人以上が亡くなる惨事となった、アルジェリアでの人質事件。
9人の遺体と7人の生存者が帰国した。
そして、今日、最後のお一方も棺に横たわりながら。


今回の事件に関して、その事件自体の悲惨さに加えて話題になっていることが、事件被害者の実名報道について。当初、日揮は被害者と残された遺族の気持ちを組み、亡くなられた人々の実名報道を避けてほしいとメディア、政府側に申し立てをした。しかし、政府は実名報道を行うことに意味があると考え、彼らの帰国を待ち実名による会見に踏み切った。それにメディアも追従した。


ネット上では実名報道をしないと約束した新聞記者がそれを破り記事にしたことを非難する意見が噴出している。そして、記者たちに実名報道の意義を問うている。
(→yahoo news「アルジェリア人質事件、実名報道に遺族者から異論」
(→NAVERまとめ「アルジェリア人質殺害事件、実名報道に対する報道ステーションの弁明に批判殺到」
一方で、報道側は実名報道の意義を語る。
(→朝日新聞「日本人犠牲者名、実名公表に賛否 アルジェリア人質事件」


実名報道問題では、論争の焦点は「被害者(とその関係者、加害者)の心理」と「報道の意義」という精神論VS意味論という違ったクラスで本来は語られる。だから、それら二つは天秤にかけられても釣り合うことはなく、次第に天秤にかける重石は大きくなっていく。マスコミと大衆が乖離していく。
(朝日新聞記者が「実名を報道しない」として取材を行ったのにその約束を破ったということが本当であれば、それは報道の意義ではなくて精神の問題で、これは100%朝日新聞記者が悪い。おそらくは被害者を騙し、嘘をつき、約束を破ったのだから。でもその後に語られ始めた報道の意義論とこの記者の行動は全くの別問題だから、それらをいっしょくたにして論じるのは間違っていると思う。)


賛否両論ある、難しい問題。でも僕は実名報道に賛成という立場をとりたい。それはまず、少なくとも僕は、今回の事件で亡くなった方の名前と、それぞれの生き方を見聞きし、悲しみを共有することができたから。新聞記事を読み、亡くなった一人ひとりの方の生き方を知り涙があふれた。ネット上でこの事件に関わる多くの人(遺族も、報道も、異国の亡くなった方も)の様々な「人の死」の立ち向かい方に出会い、その苦悩に胸が締め付けられた。


そしてもう一つ、すこしだけ違う視点から実名報道について考えた。なぜ、人は名前を持つのか、ということ。僕たちはみんな、名前を持っている。生まれたときから当然のように与えられるこの名前の存在理由や本質を考えてみると、それは、「どこかに刻むもの」だからではないかと僕は思う。
どこかとはどこか。
誰かの記憶の中や、携帯電話のアドレス帳に。墓標の上や、仏壇の中に。教科書の裏表紙や、小学校の上履きに。結婚・離婚などの法的な書類の枠内や、寄付をした場所に。、自分が汗水を流した経験や、退屈な授業のノートの端に。そして、新聞記事の中に、歴史の中に、人の心の中に。


僕が羅列した言葉の中での「名前を刻む」役割はまったくことなる。個人特定、目印、所有権の主張。自ら名付けたものもあれば、誰かに勝手に名付けられたものもある。でも、その本質は一貫して同じだと僕は思う。
「ここで、僕は僕として、人として、生きてましたよ」
そんなことを示したい、人間として生きるときの根っこの部分にある感情。それを満たすために僕らはつねに「どこかに名前を刻む」ことを潜在的に考え、そして同時に「誰かの名前を自分の記憶の中に刻む」ことに意味を感じる。

被害者Aや学生Bといった表現の中では、1人、2人という指折り数えていく中では、僕らはその中にある人間そのものを記憶には残せない。刻めない。そしてこういった表現に僕は、すごく非人間的な無機質さを感じる。「刻む」という役割を担った名前が存在することで、僕たちは実感のある人間として生きていける。そんな気がする。


刻まれた名前を、大声で読み上げ周りに迷惑をかけたり、勝手にその名前に泥を塗って汚したりする不届き者も、残念だがこの世には存在する。でも、そういう人がいるからと名前を伏せることや、どこにも刻まないようにする社会になってしまったら、きっとそれは僕達の生存理由が見つけづらいもの悲しい世界であると思う。


声に出さなくても、文字にしなくても、僕たちは悲しみの意を表し伝えることができる。
目をとじる。
静かに亡くなった人のことを思う。
彼らの名前、存在を心に刻む。


黙祷。

1/22/2013

Barack Obama 2013 Inauguration Speech

オバマ大統領による第二期目の大統領就任演説(=Inauguration Speech)が21日に行われた。
米国という国の中にはたくさんのジレンマや矛盾が存在するのはわかっているけれど、僕はオバマ大統領や歴代の大統領や愛国者が語る理想のアメリカ像やレトリックが好きだ。


1月21日、アメリカは祝日でもある。それは公民権運動の先頭に立ったマーティン・ルーサー・キング牧師の生誕を記念する日"Birthday of Martin Luther King, Jr."であるから。
"I have a dream,..."の繰り返しが有名な演説が同じワシントンの地から発信されてから、今年で丁度50年目の年であるという。
"I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character." 
(Martin Luther King, Jr.)

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの強い思い、そしてアメリカ建国の精神でもある自由と平等。そんなリベラルな理念を全面に打ち出すオバマ大統領の政策や生き様やスピーチ。それを滑稽であるとかか理想論だと笑い飛ばすのは簡単である。理想はそうだけど現実はね…と悲観的になる気持ちもわかる。
でも、心の奥底に何か信じるもの、理想だと思うものを抱いて生きることは、それを持たずに不安に苛まされるよりかははるかに希望があり、夢があり、僕は良いことだと思う。そして、夢は願えば叶うかもしれない。少なくとも叶える努力をすることはできる。


夢や理想は抱かなければ、追い求めることもできない。


スピーチのハイライトは、14:28秒あたりから。
以下のトランスクリプトの中でハイライトされている箇所。アメリカという国のスピリッツを知り感じるためにも、英語の学習のためにも、時間のあるときにまた読み聞き返したい。

以下、演説本文。
(出展:http://www.whitehouse.gov/the-press-office/2013/01/21/inaugural-address-president-barack-obama)

Vice President Biden, Mr. Chief Justice, Members of the United States Congress, distinguished guests, and fellow citizens:

Each time we gather to inaugurate a president, we bear witness to the enduring strength of our Constitution. We affirm the promise of our democracy. We recall that what binds this nation together is not the colors of our skin or the tenets of our faith or the origins of our names. What makes us exceptional – what makes us American – is our allegiance to an idea, articulated in a declaration made more than two centuries ago:

"We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable rights, that among these are Life, Liberty, and the pursuit of Happiness."

Today we continue a never-ending journey, to bridge the meaning of those words with the realities of our time. For history tells us that while these truths may be self-evident, they have never been self-executing; that while freedom is a gift from God, it must be secured by His people here on Earth.
The patriots of 1776 did not fight to replace the tyranny of a king with the privileges of a few or the rule of a mob. They gave to us a Republic, a government of, and by, and for the people, entrusting each generation to keep safe our founding creed.

For more than two hundred years, we have.

Through blood drawn by lash and blood drawn by sword, we learned that no union founded on the principles of liberty and equality could survive half-slave and half-free. We made ourselves anew, and vowed to move forward together.

Together, we determined that a modern economy requires railroads and highways to speed travel and commerce; schools and colleges to train our workers.

Together, we discovered that a free market only thrives when there are rules to ensure competition and fair play.

Together, we resolved that a great nation must care for the vulnerable, and protect its people from life's worst hazards and misfortune.

Through it all, we have never relinquished our skepticism of central authority, nor have we succumbed to the fiction that all society's ills can be cured through government alone. Our celebration of initiative and enterprise; our insistence on hard work and personal responsibility, are constants in our character.

But we have always understood that when times change, so must we; that fidelity to our founding principles requires new responses to new challenges; that preserving our individual freedoms ultimately requires collective action. For the American people can no more meet the demands of today's world by acting alone than American soldiers could have met the forces of fascism or communism with muskets and militias. No single person can train all the math and science teachers we'll need to equip our children for the future, or build the roads and networks and research labs that will bring new jobs and businesses to our shores. Now, more than ever, we must do these things together, as one nation, and one people.

This generation of Americans has been tested by crises that steeled our resolve and proved our resilience. A decade of war is now ending. An economic recovery has begun. America's possibilities are limitless, for we possess all the qualities that this world without boundaries demands: youth and drive; diversity and openness; an endless capacity for risk and a gift for reinvention. My fellow Americans, we are made for this moment, and we will seize it – so long as we seize it together.

For we, the people, understand that our country cannot succeed when a shrinking few do very well and a growing many barely make it. We believe that America's prosperity must rest upon the broad shoulders of a rising middle class. We know that America thrives when every person can find independence and pride in their work; when the wages of honest labor liberate families from the brink of hardship. We are true to our creed when a little girl born into the bleakest poverty knows that she has the same chance to succeed as anybody else, because she is an American, she is free, and she is equal, not just in the eyes of God but also in our own.

We understand that outworn programs are inadequate to the needs of our time. We must harness new ideas and technology to remake our government, revamp our tax code, reform our schools, and empower our citizens with the skills they need to work harder, learn more, and reach higher. But while the means will change, our purpose endures: a nation that rewards the effort and determination of every single American. That is what this moment requires. That is what will give real meaning to our creed.

We, the people, still believe that every citizen deserves a basic measure of security and dignity. We must make the hard choices to reduce the cost of health care and the size of our deficit. But we reject the belief that America must choose between caring for the generation that built this country and investing in the generation that will build its future. For we remember the lessons of our past, when twilight years were spent in poverty, and parents of a child with a disability had nowhere to turn. We do not believe that in this country, freedom is reserved for the lucky, or happiness for the few. We recognize that no matter how responsibly we live our lives, any one of us, at any time, may face a job loss, or a sudden illness, or a home swept away in a terrible storm. The commitments we make to each other – through Medicare, and Medicaid, and Social Security – these things do not sap our initiative; they strengthen us. They do not make us a nation of takers; they free us to take the risks that make this country great.

We, the people, still believe that our obligations as Americans are not just to ourselves, but to all posterity. We will respond to the threat of climate change, knowing that the failure to do so would betray our children and future generations. Some may still deny the overwhelming judgment of science, but none can avoid the devastating impact of raging fires, and crippling drought, and more powerful storms. The path towards sustainable energy sources will be long and sometimes difficult. But America cannot resist this transition; we must lead it. We cannot cede to other nations the technology that will power new jobs and new industries – we must claim its promise. That is how we will maintain our economic vitality and our national treasure – our forests and waterways; our croplands and snowcapped peaks. That is how we will preserve our planet, commanded to our care by God. That's what will lend meaning to the creed our fathers once declared.

We, the people, still believe that enduring security and lasting peace do not require perpetual war. Our brave men and women in uniform, tempered by the flames of battle, are unmatched in skill and courage. Our citizens, seared by the memory of those we have lost, know too well the price that is paid for liberty. The knowledge of their sacrifice will keep us forever vigilant against those who would do us harm. But we are also heirs to those who won the peace and not just the war, who turned sworn enemies into the surest of friends, and we must carry those lessons into this time as well.

We will defend our people and uphold our values through strength of arms and rule of law. We will show the courage to try and resolve our differences with other nations peacefully – not because we are naïve about the dangers we face, but because engagement can more durably lift suspicion and fear. America will remain the anchor of strong alliances in every corner of the globe; and we will renew those institutions that extend our capacity to manage crisis abroad, for no one has a greater stake in a peaceful world than its most powerful nation.

We will support democracy from Asia to Africa; from the Americas to the Middle East, because our interests and our conscience compel us to act on behalf of those who long for freedom. And we must be a source of hope to the poor, the sick, the marginalized, the victims of prejudice – not out of mere charity, but because peace in our time requires the constant advance of those principles that our common creed describes: tolerance and opportunity; human dignity and justice.

We, the people, declare today that the most evident of truths – that all of us are created equal – is the star that guides us still; just as it guided our forebears through Seneca Falls, and Selma, and Stonewall; just as it guided all those men and women, sung and unsung, who left footprints along this great Mall, to hear a preacher say that we cannot walk alone; to hear a King proclaim that our individual freedom is inextricably bound to the freedom of every soul on Earth.

It is now our generation's task to carry on what those pioneers began. For our journey is not complete until our wives, our mothers, and daughters can earn a living equal to their efforts. Our journey is not complete until our gay brothers and sisters are treated like anyone else under the law – for if we are truly created equal, then surely the love we commit to one another must be equal as well. Our journey is not complete until no citizen is forced to wait for hours to exercise the right to vote. Our journey is not complete until we find a better way to welcome the striving, hopeful immigrants who still see America as a land of opportunity; until bright young students and engineers are enlisted in our workforce rather than expelled from our country. Our journey is not complete until all our children, from the streets of Detroit to the hills of Appalachia to the quiet lanes of Newtown, know that they are cared for, and cherished, and always safe from harm.

That is our generation's task – to make these words, these rights, these values – of Life, and Liberty, and the Pursuit of Happiness – real for every American. Being true to our founding documents does not require us to agree on every contour of life; it does not mean we will all define liberty in exactly the same way, or follow the same precise path to happiness. Progress does not compel us to settle centuries-long debates about the role of government for all time – but it does require us to act in our time.

For now decisions are upon us, and we cannot afford delay. We cannot mistake absolutism for principle, or substitute spectacle for politics, or treat name-calling as reasoned debate. We must act, knowing that our work will be imperfect. We must act, knowing that today's victories will be only partial, and that it will be up to those who stand here in four years, and forty years, and four hundred years hence to advance the timeless spirit once conferred to us in a spare Philadelphia hall.

My fellow Americans, the oath I have sworn before you today, like the one recited by others who serve in this Capitol, was an oath to God and country, not party or faction – and we must faithfully execute that pledge during the duration of our service. But the words I spoke today are not so different from the oath that is taken each time a soldier signs up for duty, or an immigrant realizes her dream. My oath is not so different from the pledge we all make to the flag that waves above and that fills our hearts with pride.

They are the words of citizens, and they represent our greatest hope.

You and I, as citizens, have the power to set this country's course.

You and I, as citizens, have the obligation to shape the debates of our time – not only with the votes we cast, but with the voices we lift in defense of our most ancient values and enduring ideals.

Let each of us now embrace, with solemn duty and awesome joy, what is our lasting birthright. With common effort and common purpose, with passion and dedication, let us answer the call of history, and carry into an uncertain future that precious light of freedom.

Thank you, God Bless you, and may He forever bless these United States of America.

1/21/2013

インターネットによって変わらなかったもの

去年の夏に参加したIT会社でのインターンシップ。
その時の友達と会って話をするたびに、ネットサービスについて考えたり思いを巡らせたりする。


めまぐるしく変化するウェブサービス。それは僕たちの生活のかなり内側にまでしみ込んでいて、何か新しいことを考えようとするとまず最初に「インターネット」を思い浮かべることが多い。イノベーション、物事の効率化・最適化、よりよいサービス、お金儲けの方法、キャリア、趣味の拡充…
以前のエントリーで書いたように(→”20年後、自分の子供にどんな話をしたいのか”)、僕の世代はデジタルとアナログのバイリンガル世代。インターネットのなかったアナログ時代をなんとなく経験しているから、デジタルに対して完全な肯定もできず、だからといってデジタルサービスを断固拒否して生きていけるほど余命が短いわけでもなく、その狭間でなんだか時代に取り残されてしまったような虚しさを感じることがある。


巷ではインターネットによって新しくできるようになったことにたくさんのスポットライトが当たる。twitterによる災害時の安否確認、ウィキペディアによる人類の叡智の集合、facebookによる絆の増幅、googleによる無限の情報へのアクセス権…
僕がこうやってブログを書いて、誰かにむかって発信を行えているということもその中の一つ。もしもインターネットがなかったら、先に述べたような可能性はすべてなかった。そして、こういった変化に対して僕はできるだけポジティブでありたい。変化を拒み、受け入れず、とどまっていては見晴らしがよくて気持ちの良い場所にたどりつくことが困難になる。これは人生のすべてのものごとに共通する真理であると僕は思っている。


例えるならサーフィンのようなもの。沖に出て、海に浮かびながら波を待つ。いい波が来た!と思ったらすぐさまに全身を使ってその流れに乗るようにして、テイクオフを目指す。僕たちの生活のものすごく深いところまでしみ込んでいる、インターネットという目に見えない波がたくさん押し寄せてきている現代で、ハッピーに楽しく生きたいのであれば波にのっていかなければならない。お金儲けをしたいのであれば次のビッグウェイブを予測できなければならない。そして、この大波の中で大切な人が溺れないように助けたいのであれば泳げるようになっていなければならない。


インターネットがたくさんの光を浴びる一方で、その影となってしまったものの存在を僕たちはときに忘れてしまうことがある。インターネットによって変わらなかったもの、あるいは、インターネットのスピード感にまだまだついていけてないもの、そういったものもある。


例えば、二人称で考えられる人、こと、モノ。国境を越えて、海を越えて、世界中の不特定多数の人と自由につながれるような仕組みはできあがったけれど、僕たちはまだ「世界人」になれるような心の成熟を迎えていない。貧困で嘆き苦しむ人がこの地球上にいることを知っていながらも、彼らのことは三人称の誰かさんの悲しみでしかなくて、そんな彼らに対する僕たちの感情は悲しいかな、ものすごくドライだ。地球人はおろか、日本人にすらまだまだなれていない。アルジェリアで発生した邦人が殺害された事件も、きっと多くの人にとっては人ごとでしかない。
でも、就職活動をしていてプラント会社を志望していた人は今回の事件にものすごくショックを受けただろう。家族、あるいは親戚が異国の地で似たような境遇で駐在している人にとっても。それは、今回の事件が他人事=3人称ではなくて、二人称、あるいは一人称で考えることになったから。
僕たちは結局は自分自身が何よりも大事。そして、人間が人間として存在している何よりも素晴らしいことは、二人称の相手にたいして涙を流す心を持っていること。インターネットの成長のスピードに、僕たちの心の成長はまったく追いついておらず、そしておそらく、地球人になるための心の成長期は、宇宙人が襲ってくるか、環境問題が末期を迎えるまでやってこないだろう。悲しい。


心の成長といったような精神論以外にも、もっと物質的な問題もある。
忘れがちであるけれど、インターネットは電気を利用して存在しているものである。だから、有事の際にはデジタルの存在は消えてなくなる。日本が戦争に巻き込まれ、発電所を攻撃されて供給がストップしたら家の明かりは当然のこと、スマホもネットも使えなくなる。ウェブ業界の雄であるGoogleが自然エネルギー分野に投資を続けていることからその重要性がわかるように、電気あってのネット。そして、つなぐべき点があってのインターネット。
僕の好きな画像のひとつが、Nasaが提供する"Earth at Night"。
(出典:http://apod.nasa.gov/apod/ap121207.html)



地球の夜を衛星から写真に撮ったもの。
昨年5月にこの写真の存在を知ってブログを書いてから(→"The Earth At Night")、時折この画像を開いてみて、日本がすごく小さいことや、電気が存在する場所=インターネットが使える場所の少なさや、旅をしていた時に感じたインターネットのなかった街での日々を思い出すようにしている。


インターネットによって変わらなかったもの。
食べること、身体を動かすこと、恋に落ちること、笑うこと、泣くこと、眠ること、学ぶこと、教えること、傷を癒すこと、血が流れること…まだまだいっぱいある。


ネットだろうと、リアルだろうと、結局は「人間」あってのこと。
そんな当たり前のことを忘れていまいそうになるぐらいにインターネットは空気のように、人生のインフラとなって僕たちの身の回りに存在している。
ときには意識して息を止め、酸素のありがたみを確認してみる。
映画『インセプション』の中で夢と現実を見極めるトーテムのようなもの(僕のトーテムは上の写真や、亡くなったじいちゃんの写真とか)を眺めて、戻るべき場所に立ち戻ってみる。
そんな時間も大事ではないだろうか。


(映画『インセプション』より)


1/15/2013

雪の日には、散歩をする。

1年ぶりの雪の東京。確か去年は年末年始あたりに雪が降った。その時も結構な大雪で、交通機関が麻痺して、翌日からはバリバリに凍った路面を人も道路も犬ですらも滑りながら生活をしていた。明日の朝も冷え込むらしい。バリバリな路面と人間・動物の静かな戦いが各地で勃発する。


雪が降ったら、僕は散歩をすることにしている。どこか遠くへ行くわけではない。家の周りをぐるっと歩きまわるぐらい。外の寒さに負けて、温かい家の中でのんびりしたくなるのだけれど、とびっきりの防寒具となるべく滑らなくて水が染みてこなさそうな靴を履いて、外に出かける。


雪が降ると、街が静かになる。夜が明るくなる。時間がゆっくりになる。
これは何も気分だけの問題ではなくて、実際に空気の隙間を多く含む雪は音を吸収し、白色は街灯の明かりを綺麗に反射する。自動車の最高速度は極端に遅くなり、自転車も歩く人のスピードもゆっくりになる。黒くて硬いアスファルトに囲まれた日常では当然となってしまっている様々なことが少しだけ変化する。そんな非日常はとても貴重なものだと僕は思う。


東京に雪が降る日は、1年でもせいぜい2〜3日ぐらい。そう考えれば、ゆきがしんしんと降る東京にいられるのは、今後50年間住み続け生き続けたとしても100回ぐらい。そう考えたら、寒いとか滑って危ないとかいってられない。貴重な日を、ほんの少しだけでも味わいたい。だから、雪の日には散歩をする。そういったメンタリティーをいつまでも持ち続けていたい。
成人の日で、新成人のみんなは大変だったかもしれないけれど、「ホワイト成人式」を迎えられたと思えれば、なんだか特別な日であったと思えて、足元手元は寒くても心は暖かくなる。


夜もどこかに散歩に出かけようかな…
そんなことを考えていたら、知り合いから電話があった。久々に近くにいるから飲みに来ないか、と。室内にこもりがちな最近の自分を釣れ出してくれる人がいることに感謝。
散歩がてらお店に行き、雪の日だからと言い訳にしながら普段はあまり飲まないウィスキーを、カウンターで、カッコつけながら。ケンツ、ありがとう。







1/13/2013

Gay, Lesbian, Bisexuality, Transgender

本日、1月13日付け日経新聞朝刊の「日曜に考える」の中で論説委員・小林省太氏が書かれた『「結婚」はどこへゆく』の記事を読んで。
日本では理解がすすまないGLBT(ゲイ, レズビアン, バイセクシャル, トランスジェンダー)。その存在すら認められていなかったりマイノリティを排除するような傾向が強い日本ではほとんどの人が無縁であるように思っているのではないだろうか。けれど、そのGLBT同士の結婚という難しいテーマに、世界の人々はすでに直面している。
以下、記事より引用。

 きょう13日、パリを中心にフランスでデモがある。(中略)スローガンは「同性婚反対!」である。
 昨年誕生した左派政権は11月、男性同士、女性同士の結婚を認める「万人のための結婚」法案を閣議で決めた。その前、夏ごろから、宗教、哲学、医学などあらゆる分野を巻き込む是非論争が続いている。 
 同性婚を認める動きはフランスにとどまらない。米国では昨年5月、賽銭を目指したオバマ大統領が同性婚指示を表明。(後略)
 英国でも北アイルランドを除く地域で、同性婚を認める法案を議会に提出する準備が進む。(後略) 
 そしてこのテーマは度の国でも社会の大きな変革につながるとみなされ、賛否が拮抗する激しい意見の対立が起きているのである。
 すでに同性婚を認めている国はある。主要8カ国(G8)ではカナダ。欧州連合(EU)のオランド、ベルギー、スペイン、スウェーデン、ポルトガル、デンマーク6カ国などだ。 
 しかし米仏英という国々で相次ぐ動きをみると、改めて結婚とは何か、平等とは何か、を考えさせられる。
 結婚にはタブーがある。日本の民法は年齢んお除権のほか、重婚や近親婚の禁止をさだめている。多くの国に共通する事項だろう。ただ、結婚は男女でのみ成立する、というのは長く、言わずもがなの前提だった。
 ところが、その前提はもはや通用しない。
(以下、世界で起こっている同性婚賛成と反対の意見をかいつまみ、問題提起をする)

僕が留学していた米・サンフランシスコは、世界でも有数のゲイコミュニティを抱える街だった。大学にも街中にもゲイやレズの人はたくさん見かけたし、仲の良かったアメリカ人の友達にはゲイやバイセクシャルの人もたくさんいた。
しかし、そんなSFであっても、同性婚は認められていない。
約2年ほど前に書いたブログの記事の中で取り上げたが、宗教的理由、政治的理由で同性婚禁止反対の条例"Prop8"が2008年に可決している。(→"The Kids Are All Right")


引用した記事の中にもあるけれど、同性婚は宗教、哲学、医療といった難しい問題を包括している。だから、僕の仲の良い友達がゲイであったとしても、それだけを理由に「同性婚に賛成!」と安易に声をあげてはいけない。


例えば、医療に関して。山中教授の功績により一躍日本のリーディングイノベーションとなったiPS細胞を用いれば、男性が卵子を、女性が精子をつくることも理論上は可能となるそうだ。そうなると、結婚という概念に透けて見える「子供のいる温かい家庭」というものは、異性同士による生殖がなくても成り立つ。上のリンクの中で述べた映画"The Kids Are All Right"のように女性同士のカップルが精子ドナーを受けるという例もある。しかしこれは、子供を作る大人のエゴであって、生まれてきた子どもたちにとって、片方の性の親しかいないということが問題になるかもしれない。フランスの反同性婚でもには、「僕にはパパとママが必要だ!」など子の立場で書かれたプラカードが目立つという。


こういったことを考えていくと、「結婚ってなんだろう」という問題にいきつく。僕と同い年ぐらいの女性は既にそういったことを意識して漠然と考えたりしている人も多いと思う。男であっても、就職活動の自己分析なんかで自分の将来に思いを馳せたときに、家族とか子供のいる未来を想像するのであれば、なんとなく結婚→家庭→子供というステップを思い浮かべるのではないだろうか。結婚を当然のことであると考えていて、そこに子供も当然要るべきと無意識にでも思ってしまうのであれば、子供を作ることができずに大多数とは異なった家族をつくり上げる同性婚に対して、否定の感情を将来抱くかもしれない。


「人はなぜ結婚するのか」「そもそも結婚とはどのような役割を担っているのか」そんなことが書いてある哲学書を少し読んだこともある。完璧には理解できなかったけれど、僕の中では結婚というものは社会的生活を営むために結婚という法律によって規定された枠組みが必要なのだと思っている。無人島で誰かと2人で愛しあって自給自足するのであれば、結婚なんて制度は全く必要ない。しかし、僕らは社会の中で生きている。この社会の繋がりの中で幸せを見つけて生きて行く選択を(無意識にでも)するのであれば、結婚という選択は、現状では多くの国、社会、世界というシステムを動かすのに欠かせない歯車の規格となっている。


しかし、こういった『愛』に関するテーマに寛容で人々の関心も高いフランスでは、事実婚にも多くの社会的保障を与えている。少子化がすすむ日本では、フランスを見習って事実婚に対する保障をもっと高めろといった論説や識者の意見も聞こえ始めたけれど、どうなのだろう。


正直、この同性婚や結婚をとりまく今後日本に住んでいる僕達も直面するであろう問題について、僕はまだあまり知識がない。だから、賛成だ!反対だ!を安易に言ってはいけないと思っているし、今後も僕のスタンスは変わる可能性は充分にある。
しかし、今の僕は、同性婚には賛成だ。それはゲイやレズの友達を僕は持っていて、彼らの男性とも女性とも言えないユニークな価値観は人間の進化だと思うから。進化を受け入れる社会は、異端児を抑えこむ社会よりも複雑で流れる涙も多いだろう。けれどその先にあるもっと自由で新しく楽しい社会を作れると信じたい。だから賛成。精神論で全くロジカルではないけれど。
その第一歩として、僕は同性婚問題に関してはポジティブなスタンスで考えながら、ネガティブな情報にもしっかりと耳を傾ていきたい。


San Franciscoの街のいたるところで見かけられた、ゲイの象徵であるレインボーフラッグを思い出した。

「いい写真」と"photograph"について


先日、旅サークルの運営を行なっている友達からこんなことを言われた。
「竜之介さん、すごく『いい写真』撮ってますよね。今度スペインに関するフリーマガジンを作るので良かったら写真を何枚か頂けませんか?」
豚もおだてりゃ木に登る。喜び勇んで大量の写真を送りつけてしまった。


3年前、留学に行くことが決まり、感情ばかりが先走りする僕は「留学中の思い出を残すために良いカメラを買おう!」、そんな理由から付き合っていた彼女のススメでカメラを買った。RICOHのGR Digital。ズームがなく、レンズの交換もできないけれど、ポケットに入り、撮りたい時にすぐにとれる僕のお気に入りのカメラ。


留学中、英語が下手くそだった僕は、撮った写真をfacebookに載せてみんなと共有することでたくさんの友達を作ることができた。音楽も絵もできない僕にとって、言語以外の自分自身の表現方法という貴重な方法の一つが写真だった。
今でも毎日、カバンに、ポケットに、常にこのカメラを持って過ごしている。


写真は奥が深い。
『写真』という漢字。そこには、「写真は真実を写すものだ」、そんな志やルールのようなものが存在しているように感じる。でも、そんなに真実ばかりを追い求めなくてもいいんじゃない?って僕は思う。英語で写真は、"photograph"。"photo(光)+graph(描く)" =「光で描くもの」。光で描くものすべてが写真なのであって、真実でなくても、嘘も、イメージでも空想も感情でさえも許容されているような、表現の自由がこの言葉にはあるように思う。だから、自分の感性に一番近いようにカメラの設定を変えたり後から修正を加えたりして、写真とふれあう、遊ぶ、伝える。そんな楽しみ方をしたい。


写真には「うまい写真」と「いい写真」がある。僕はそう思う。
「うまい写真」は、構図をしっかりとつくったり、露出やシャッタースピード、ホワイトバランスなんかもしっかりと考慮したもの。客観的にみて評価できるものであり、努力と技術と知識で養うもの。
「いい写真」は、誰かの感性に訴えかけるものであり、ピンぼけだろうが後から加工がしてあろうが、その一枚のなかに込められたメッセージを表現することのできているもの。撮影者本人の主観、あるいはそれを見せた誰かの主観的に優れているもの。


「うまい写真」を撮るのには経験と勉強が欠かせない。一方で、「いい写真」を撮るのには豊かな感性・感受性、それにその写真について語ることについて耳を傾けてくれる大切な人が要る。自分が撮った写真は、すべてその撮影者にとっては「いい写真」であると思う。その写真を撮ったときの心情や、周りの環境を明確に知っているのは自分自身しかいない。すごく歩いてヘトヘトになった瞬間に切ったシャッターから生まれたのか、40度の炎天下の下で1時間以上も待ち続けたときの一枚なのか。そのときの感情がその写真を見返して思い出されるようであれば、それは本当に「いい写真」。でも、その時の気持ちが自分以外の誰かに伝わって、自分以外の誰かにも「いい写真」だと思われたら。そんな嬉しくて素晴らしいことはない。だから、友達から僕の写真が「いい写真ですね」と言われた時には本当にすごく嬉しかった。


時間のある日、僕は写真の整理をする。旅先の写真が多いけれど、一枚一枚を見返す度に、そのときの感情がやんわりとフラッシュバックする。写真には、遠い地のもう戻れない過去のどこかにおいてきた僕の感情が残っている。これらの写真が持つストーリーは、今は僕にとっての「いい写真」でしかない。けれど、いつか僕がお父さんになって、おじいちゃんになって、ひいじいちゃんになって…そんなときに写真が、恋人や奥さんや子どもや孫や大切な人に僕の感情を伝えるための大事で貴重な道標となってくれて、彼らにとっての「いい写真」にもなってくれたらどんなに嬉しいのだろう。
そんな思いを抱きながら、これからも写真を撮っていきたい。


僕の好きなthe band apartの"Photograph"のPVは光で描かれた映像だった。
僕のお気に入りのモノクロの写真を何枚か、ここに。
"Washington Monument"

"New Year's Day at Times Square"

"My shoes, 5years old"

"Ferry Building in SF"

"Live improvisation at Berlin"

"A girl met in Amtrak

"On rainy day, in MUNI F-line"

"Golden Gate Bridge"


1/09/2013

ジャイアンは、なぜ歌を歌うのか。

「お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ」
そんなジャイアニズムを発揮して、自己中で、暴れん坊で、いじめっこな姿を多く描かれるジャイアン。そんな彼の将来の夢は「紅白歌合戦に出場する」こと。音痴でどうしようもないけれど、公園でリサイタルを開いてしまうぐらいジャイアンは歌が、音楽が、大好きで大好きでたまらない。
なぜ、ジャイアンは歌が好きなんだろう…そんな、意味のない質問のこたえを、今日の新聞の中に見つけた。


1月8日付け朝日新聞のオピニオン欄『音楽にできること』の中より引用。
シカゴ交響楽団音楽監督、現在ミラノ・スカラ座音楽監督を努めるダニエル・バレンボイム氏は、今の世界に足りないものの本質を音楽の中に見出し、それを信じ、メッセージを伝える。

「音楽のチカラはふたつある。嫌なことを忘れさせる力、そして世界を理解させる力だ」
「(日中の対立について)音楽が何かを達成できるのは、演奏する人と聞く人がひとつの場所に居合わせている時のみです。日中がそれぞれ何を主張しようと、音楽家と聴衆を出会わせる場所を、まずつくらねばなりません。同じ場所に人々が集い、そこに音楽が生まれるなら、すこしなりとも良き道へ進むことができると私は信じます。」 
「(パレスチナのガザ地区でのイスラエルとの対立に関して)敵対する地域に生まれた私たちの、いったい何が違うのか。違いを知ること。ノーということ。そこからすべてが始まるのだと私たちは信じた。相手がなぜ自分と同じ権利を主張するのかに関心を持ち、話を聞く態度を持つことがすべての一歩であり、その一歩を築く力になれるのが音楽なのだ、と」 
「音楽こそが、あらゆる異分子を調和へと導く希望の礎です。音楽家は政治に何の貢献もできないが、好奇心の欠如という病に向き合うことはできる。好奇心を持つということは、他者の言葉を聞く耳を持つということ。相手の話を聞く姿勢を失っているのが今日のあらゆる政治的な対立の要因です。」 
「真にグローバルな世界とは、あらゆる人が他者の文化に関心を持っている世界のこと。人間の感情で最も大切なものは好奇心であり、好奇心こそが立場の異なる人との出会いのきっかけになるのです。」 
「私は、音楽を聴きたい人々が、理不尽な圧力で聴けなくなる状況を認めたくないのです。(中略)『敵』とみなしている者同士を、まずは『人間』として向き合わせる。そのための素朴な試みに、音楽の可能性を賭けたいのです」

このインタビューの後に、音楽評論家である山田真一さんは「エル・システマ」を引用して以下のように語る。
「南米でエル・システマが向き合った課題は、貧困や犯罪でした。では日本で、それにあたる課題は何か。いじめだ、と私は思います。
オーケストラ活動の中で、まさに子どもたちの人間関係に分け入っていけないでしょうか。なにかしたくて、うずうずしているエネルギーを音楽に持っていってあげられないでしょうか。いじめのボスが、もしかしたら音楽リーダーになれるかもしれないと思うんです。」 
「音楽は人間を変え、社会を変える可能性を持っている。そんな力があるということを、特に公的な立場の方に理解してほしいですね」

山田さんの語る、うずうずしたエネルギーを持て余したいじめのボスという言葉を聞いて、僕にはオレンジ色の服を着たイガ栗坊主の姿が頭に浮かんだ。
いじめっ子の鏡であるジャイアン。漫画版やアニメ版では優しさの押し売りやみんなを怖がらせる悪者キャラであることが多い彼であるけれど、映画版の中では、真っ先に仲間のために命を投げ出す友達思いの面を強く発揮する。
最初に書いたジャイアニズムな言葉の印象が強いけれど、ドラえもんが好きな人は彼の泣きながら発するこんな言葉も記憶に残っているのではないだろうか。
「心の友よ!」
この言葉と涙の中に、僕はジャイアンの孤独と優しさを感じて共感する。
ジャイアンが歌を歌う理由は、実は歌を歌うことで自分自身の有り余るエネルギーを発散したいのかもしれないし、寂しさを和らげたいのかもしれないし、実は自分が歌うことで社会が、世界が、人間が変わることを信じているのかもしれない。そんなことを思った。
もしもドラえもんキャラクター人気投票があったら、迷わず、剛田武に一票。


僕は音楽はなにもできない。楽器だって引けないし、歌だって下手だし、アマとプロの演奏の違いなんかもよくわからないと思う。でも、音楽が好きだし、できたらいいなぁって憧れているし、やっている人を素敵だと思っている。みんながみんなそんな意識を持って音楽をやっているとは思わないけれど、バレンボイム氏の語るような敵対するもの同士が耳を傾けさせるきっかけを与えたり、エル・システマの成功例のように悲しいエネルギーを喜びのエネルギーに変換する可能性を秘めていたりする音楽は、僕はとても崇高なものであると思う。


音楽に限らない。恋愛も、ビジネスも、趣味も、仕事も、みんなそれに没頭している人はみんな素晴らしいと僕は思う。なぜなら、みんなただ単純に信じてそれをやっているだけではなくて、その中に、色々な不安を抱えているけどそれらをみんな飲み込んで頑張ってるから素敵なんだ。


Youtubeやニコニコ動画、vimeoなんかで世間一般ではそんなに知られていないけれど、なんだか楽しそうに音楽をやっている人を見つけたり、すごく綺麗な音楽を奏でている人をみつけたりするとなんだか嬉しくなる。
きっとジャイアンがこのインターネット時代に生まれていたら、皆を無理やり公園に連れて行ったりするのではなくて、自分の歌う動画をウェブ上で共有したりしていたのかな。音痴なことはしかたがないけど、それだったら僕は彼の歌をちょっと聞いてみたい。そう思っている。





1/03/2013

「人間は考える葦である」

カンボジア、シェムリアップ郊外。世界遺跡に登録されるアンコールワット遺跡群から車で1時間ほどいったBeng Mealeaにて。
現在も修復が施されないまま森の中にひっそりと眠る巨大寺院。今から約800年前に創建されたとみられているが定かではないらしい。かつての巨大寺院も、年月の経過とともに崩壊が進んで深い森に包み込まれ遺跡となった。
苔むした屋根。崩れ落ちた回廊。南国の鳥の鳴き声。不自然なまでに綺麗に残る彫刻。
人造物と自然が入り混じり、静かに眠る。














弟と一緒に、「なんだか天空の城ラピュタにいるみたいだね」なんて話をしながら、ガイドさんの案内に従って1時間ほど内外を見て回った。飛行石やロボットが崩れた壁の影、木の根の中から見つかりそう。本当にそう思わせてしまうような地であった。
廃れてしまった古の文明の存在を、5感で感じた。


旅行の最中に読んだ本、「武器としての決断思考」(瀧本哲史著、世界社新書)の中で、著者が一つの話を引用していた。17世紀のフランスの思想家・哲学者であるブレーズ・パスカルの「人間は考える葦である」という有名な言葉。

「人間は自然の中で最弱の一本の葦にすぎない。
しかしそれは、考える葦である。
これを押し潰すのに、自然は何の武器もいらない。風のひと吹き、水のひとしずくで、簡単に潰すことができる。しかし、自然がこれを押し潰すとき、人間は、自然よりも高貴であろう。
なぜなら、人間は、自分が死ぬこと、そして自然の力が人間の力に優っていることをよく知っているからだ。自然はそのことを何も知らない。
だから、私たち人間の貴さは、「思考」のなかにこそある。
私たちが拠って立つべき基盤は思考にあって、私たちが満たしきることのできない空間や時間にあるのではない。
だから、私たちはよく考えるように努力しなければならない。そこに、道徳の本質があるのだから。」

自然の力に、人間は敵わない。
800年前の文明が築き上げた荘厳な建造物が苔むし木の蔓に侵食された様をみて、そんなことを強く感じた。しかし、パスカルが語るように、僕らがその自然と比べて高貴でいられるのは「考える」ことができるからだと言う。



2013年、今年の僕の目標は「考える」ことにした。
今までの僕は、考えたふりをして実は考えていなかったり、忙しさを言い訳にして考えるという行動から避けてきていた。そんなことを痛感した2012年だった。アルバイトを辞めて、比較的時間に余裕のある研究室に所属して、学ぶことに注力しようとしも今までの僕の「考えることから逃げ出すクセ」は簡単には抜け切らない。


でも、徐々に考えることが上手になってきているかな、と感じることもある。それは先ず僕が何も考えてなかったんだということに気がつけたこと。そして、このブログを通じて何らかの情報をアウトプットすることができていること。言葉を発することは自らの稚拙さを披露することにもなるけれど、同時にそれを指摘してくれる人との話し合い=思考の摺り寄せによって、僕の考えるという行動を鍛える手段にもなる。寡黙なバカより、おしゃべりなバカでいたい。
さらに幸運であるのが、僕の苦手な論理的思考に強い友達、先生、後輩、同期に囲まれた環境で学べているということ。例えば僕の苦手なプログラミングも、研究も、考えるというスキルを養うのに最適な場所にあると思う。



急速に変化する時代に僕たちは生きている。考えすぎたがゆえに行動できない、時代の変化に適応できないとなってしまっては意味が無い。そうであるならば、感じる、考える、学ぶ、行動する、それらを自律的に組み合わせて苦しみもがき、楽しみ騒いでいきたい。


100年後に今僕達が生きている時代を振り返れば、それはおそらくITの時代と形容されるだろう。今後、アナログとデジタル、アトムとビット、ヒューマンとマシーンの境はどんどんなくなっていく。
IT文明。機械文明。電脳世界。歴史は繰り返すというけれど、僕らの文明もいつかはジャングルの中で静かに苔むし、次の世代が観光で訪れるような土地となるのだろうか。天空の城のように、その当時の世代は持たない革新的な技術を抱え彷徨う秘境となるのだろうか。


そんな意味のないSFチックなことを考えること。それも、きっと、自然より人間が高貴でいられる大事な「思考」のひとつかもしれない。

1/01/2013

東南アジアで迎えた新年

2013年、あけましておめでとうございます。


新年を、タイのバンコクで迎えた。初めての海外家族旅行でタイはバンコクと、カンボジアはシェムリアップ(アンコールワット)へ。カンボジアではツアーで連れ回されて毎日忙しく、バンコクに戻ってきてやっとのんびり。母と弟は体調崩してホテルで療養中。
一人旅が板についてきてしまったので、家族との旅行やツアーでの行動というのは、正直、行動に制限がかかってしまって辛いものがある。貧困を目の当たりにしても、目線を下げることも立ち止まる事もできず、ただただ冷房の効いたバスで通り過ぎていく。自ら考えて行く場所を決めたわけでもなく、受動的な行動が続く。その結果、ガイドさんの言葉もあまり頭に入らずぼーっと過ごしてしまうこともあった。


僕は若干アメリカナイズされ英語ぶっているけれど、僕の家族はまったくインターナショナルではない。家族は英語では意思疎通できないし(母さんはおばちゃん根性でなんとなく現地の人と話してるけど)、海外旅行だってほとんど行ったことがない。父さんの仕事は日本オンリー。母さんと弟は海外滞在経験ゼロ。僕自身、初めての海外経験は大学1年生の夏である。その時の英語力は下の上ぐらい。今でも中の上ぐらい。
そんな下山家でも、ツアーや観光というかたちであるけれど、新年を海外で過ごすようになったというのは、我が家がお金持ちになったとか家族が海外志向になったというわけではないと思う。その反対で、世界や海外が近くなったということ。


日本人が中から外に意識を向ける力よりも、早く、強く、アジアや世界は変化していく。アジアという僕らにとっての”外”と感じるものが日本を融合していく力、あるいは日本を仲間はずれにする力は僕らが思い憂いるよりはるかに大きいのかもしれない。日本とアジアではなくて、アジアの中での日本。日本なしのアジア。事実、ここタイの首都バンコクの中心部を歩いていると、街を行き交う人々の肌の色は現地・隣国東南アジアの人びとの少し褐色の肌、駐在かホリデーで訪れている白色の肌、もともと華僑が多いために数多く感じる肌色、サリーや民族衣装ですぐにわかるインド人の濃い褐色の肌…日本の中心部で見るよりもっとカラフルな肌の色とたくさん出会う。東南アジアの先鋒であるタイは、アメリカ大統領がアジアを外交の中心地と選び初の外交で訪れたことが証明するように、今後の世界で大きな役割を担っていく。そんな様子を強く感じ取った。
今朝のホテルでもらった英字新聞”International Herald Tribune”の国際面での地域写真で見た日本は、アジアの中でもとても小さく、端っこにポツンと存在するなんだか弱々しい島国に見えた。


日本は島国だから、海外を遠く感じる。言語も違うし、なんだかうまくやっていけそうにない。そんな意識を僕も海外経験を積み重ねる前までは抱いていた。でも、今はそうは思わない。
昨日の夜から今日、2012年から2013年に変わっていった。この西暦が変化するというのは世界中どこにいても普遍のことであり、なんとなくめでたいもの。ホテルのエレベーターで乗り合わせた高貴な雰囲気の白人老夫婦と、朝食のバイキングで美味しいスクランブルエッグを作ってくれたタイ人の従業員と、市内のスタバでコーヒーを渡してくれた人に、初対面であるけれど挨拶をする。
”Hello, thank you, Happy New Year!”
すると、ものすごく大きな笑顔であいさつを返してくれる。
”Happy New Year!"


肌の色や、思想や、持っているお金の量が異なっていても、共有できるものはたくさんある。安くて美味いものを食ったときの幸福感、美しい風景に出会ったときの感動、小さく弱気ものを守ってあげたいと涙流せる感受性、誰かに負けたくないな悔しいな頑張ろうという努力やヤル気、誰かと心通じた時に自然とこぼれる笑顔。そういったものを大切にしていけば、日本とか世界とかそういった垣根は僕らが思っているよりも小さくなると僕は思う。日本のみを見ず、世界だけを見ず、一人の人間としてしっかりと地に足を着けて、シンプルに丁寧に日々を過ごしていきたい。

Think globally, act locally, and live simply.
Today is the first day of the rest of your life.
I'm a part of all that I have met.

2013年、夢もなく、将来の目標も定まっていないブレブレの人生だけれど、良い年となりますように。進化する東南アジアで新年を迎えられたことに感謝。僕自身もこの国の成長スピードに負けないように一歩一歩、成長のできる年となりますように。
今年もみなさま、よろしくお願い致します。