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3/12/2012

End of the school trip

卒業旅行 in Hawaii.
あいにくの天気で光り輝く太陽の下で泳ぐ!ということは実現しなかったけれど、
気の合う仲間たちと過ごした三日間は本当にかけがえのない時間。
常に笑顔が絶えることのないこの仲間たちは僕の一生の財産。
春から社会人となるのが二人、大学院へ進学するのが三人、そして学部に残るのが僕を含め二人。
次第に、そして着実に、自分たちの未来へと進んでいく。


8/25/2011

Colloseo


ローマに滞在できた時間はわずか10時間ほどだったけれど、歩きに歩いて街の雰囲気を感じ取ることが出来た。
路地を抜けると、思わぬところにローマ時代からある古い建築物や、アーチに遭遇する。
このコロッセオもその中の一つ。
全ての道はローマに通じる。そして、現在も多くの人がそのローマを目指す。

8/21/2011

ヨーロッパで感じた「風」part1

文章を綴ったり、日記を書くということが本当に苦手で、写真をfacebookにアップロードすることで生存報告をしていた。
しかし、写真を載せるだけでは伝わらない、自分が経験したことや感じたことというものも、まだその感覚が自分の胸の中に残っている間に、綴って置かなければならないと感じ少し長めに筆を執ることにした。
10ヶ月のSan Franciscoでの留学生活と、その後の2ヶ月半のヨーロッパ滞在。
留学生活中に感じたことすらまだまとめていないのだけれど、今はもうすぐ終わるこのヨーロッパでの滞在記を、ざっと、まとめてみたい。

そもそも、どうして留学後にヨーロッパへ向かうことにしたのか。理由はいくつかある。

まず始めに、留学中にたくさんのヨーロッパからの友人が出来たということ。
僕が通っていたSFSUは留学プログラムがとても盛んで、世界中のいたるところから留学生が来ていた。その中で、僕は留学生と現地生からなる団体(日本で言うサークル)、International Education Exchange Council、通称IEECにオフィサーとして働くことにした。
留学生達が、自分たちの留学生活をより楽しく充実したものにするために、自ら働き様々なイベントやプログラムを企画する。そういった活動を行っていたことで、自然と留学生たちのコミュニティに入ることができ、友だちになることができた。
そして留学が終わり別れるときに、「いつか遊びに来いよ」とお互いに言い合う。社交辞令だったのかもしれないけれど、僕はそれを留学直後に実行したのだ。

他の理由として、就職活動をしなくてよいという気楽な理系学生だったということもある。
留学中に出会った多くの友人は、留学後にすぐに帰国して就職活動を始めるなければ、と話していた。しかし僕は大学院進学を考えているので、就職はまだまだ先で、そういった将来のことを考える必要がなかった。
将来のことを考える必要がない分、現在できることを考える余裕があり、さらには親からの支援もあり、夏休み中にヨーロッパへ向かうという考えが浮かんだわけだ。

もう一つ理由がある。これは僕が留学前に3年間働いていたレストランバーの常連であった芸術家の方が、アメリカに留学に行くと話したときに言った台詞によるものだ。
「アメリカを見たら、次はヨーロッパを見るといいよ。歴史や文化をより強く、見て感じることができるだろうから。」
当時は、その台詞の意味がよくわからなかったのだけれど、アメリカに行き、ヨーロッパからの移民や留学友達から、彼らの母国の文化・風習といった話を聞くうちに、「聞くだけじゃわからん。見に行かなければいけない。常連さんが教えてくれた通りに実際にこの目で。」と思うようになった。

以上が、僕をヨーロッパへ向けさせて主な理由だろう。

そして2011年6月15日、10ヶ月のSan Franciscoでの留学を終え、鉄道でアメリカ大陸を1週間かけて横断した後に、ボストンからロンドンへ、人生で初めてのヨーロッパへ向かった。

続く

8/19/2011

Amalfi


世界遺産に登録されているアマルフィ海岸。
リアス式海岸で、入江という入江に多くの観光客が、世界中から集まってきている。
狭い土地を有効活用しようと壁に張り付くように上に上にと建てられた家々は壮観だった。

8/12/2011

Venice


Venice, Italy. Automobiles are prohibited to run here, so I’m really surprised that the town can be such quiet and calm without traffic. Tourists’ pleasant voices, sounds of water and the ring of a bell to announce the time are pretty much everything I can hear in Venice.

8/02/2011

the Berlin Wall

I cannot judge anything with my poor history knowledge, but I know the wall did separate family once before.
So I would just be happy no separation anymore today.



8/01/2011

Best Friend

留学中の親友、Timoと。
人種も国籍もバックグラウンドも異なるのだけれど、似た価値観を持ち、ビールを飲みながら語り合ったSFでの思い出、キャリア、夢、女の子のこと…
話は尽きなかった。

7/28/2011

ケルンにて

スペインでの陽気な日々から一転、曇り空と肌寒さを感じるドイツはケルンに到着。
スペインでは持ってこなければよかったなーなんて思っていたダナーのブーツと、ノースフェイスのジャケットを着て街を散策。
わずか3時間たらずの飛行機で、全く違う言語を話し、文化を持ち、気候も違う場所に来てしまった。

ドイツの中でも比較的大都市と呼ばれてるここケルンは、大聖堂が街の中心のそびえている。
ケルン大聖堂Domは、ドイツ最大級のゴシック建築。街のどこからでも見ることが出来るその尖塔は、どこかバルセロナのサグラダファミリアを思い出させる。

街を二日間ほどあてもなく歩いて思ったことが、どことなくこの街は日本と似ているということ。
旧市街もあるけれど、新市街では日本の原宿のようなショッピングストリートがあり、建物も近代的。
人々のライフスタイルも、lazyでhappyなスペインやサンフランシスコのものとは違い、どこか規則正しく、レールの上を淡々としかし力強く走りゆく鉄道のようなイメージを感じた。

留学中に、僕の親友はドイツ人であった。
それは、彼のなかになぜか似た雰囲気や価値観を感じたからだ。
いま、このドイツの街で、その時に感じた雰囲気を町の人々からも感じる。

7/26/2011

Ever-growing country

長い長い帝国の時代と、イスラムの歴史と、内戦と…
時代時代に激変があったスペインは、強く強く輝く太陽のもとで、成長・進化・変化をし続けている。



7/16/2011

Montserrat

For whatever reason, I climbed a mountain after visiting and praying at the Basilica in Montserrat.
The highest point on the mountain at St. Jeromo 1236m - COMPLETED-


7/13/2011

カタルーニャの空気

カタルーニャは、スペインではない。
カタラン語は、スペイン語の地方訛りではない。

この二つのことを、ホストしてくれる友達に何度も何度も何度も聞かされた。
スペインの北東部に位置するカタルーニャ州は、スペインの中でもかなり異質だ。
ここに住む人は、スペインの他の州と同一視されることを本当に嫌い、彼らの文化や言語を大切にしている。

サッカー好きの人は、クラシコという名前で広く知られているバルセロナ対レアル・マドリードの試合をもちろん聞いたことがあるだろう。
この試合が伝統的だと言われている背景には、ただその両チームがスペインを代表する強豪チームであるからという理由だけではなく、このカタルーニャ州の首都バルセロナとスペインの首都マドリードという同じくにないであるけれどお互いに忌み嫌っている地区同士の戦いであるから、サポーターも応援に熱が入る。

今滞在している友人の家は、バルセロナから電車で2時間弱程のところにあるジローナ。
ここはバルセロナほどの観光地ではないために、より一層、カタルーニャ愛の強い人が多いと友達は言う。
なるほど、街をあるけばカタルーニャ州の州旗と、FCバルセロナのチームカラーが至る所で見られる。

スペインの中の異国、カタルーニャ。
ここの空気は他のスペインとは似て異なるもののようだ。

7/11/2011

Under the Spanish Sun

今、僕は今スペインのサラゴサにいる。日差しが本当に眩しく、昼過ぎのシェスタの時間には街はゴーストタウンのようになる。
しかし、夕方8時を過ぎて日差しが弱まってくるとどこから湧いてきたのか...と驚いてしまうほど人が街に溢れ、カフェやタパスバーでたむろしている。

アメリカのどの都市とも、ロンドンともパリとも異なった、とてもユニークな文化と空気がこの国には溢れている。

この街でも、友人の家に泊めさせてもらっている。
彼女のお父さんお母さんは英語喋れないのだけれど、とても素晴らしいもてなしをしてくれる。
日曜日の昼にはお父さんが本場のパエリアを大鍋で作ってくれた。今までで食べたどんなパエリアよりも美味しかった。

昨日は車で2時間ほどのところにあるテルエルという街で行われるフェスティバルに友達と行って来た。
それはパンプローナの牛追い祭りと並べて称されるほどスペイン人には有名な祭りで、ほとんど旅行者の来ない、とてもローカルな祭り。
町の人や参加者はみな白い服装を来て、ワインを片手に街の広場に集まる。
そこにある高さ5mほどの塔。そのてっぺんにある牛の銅像。
この塔を登り、街の若者が赤いハンカチを牛の首に巻きつけると、フェスティバルははじまる。
広場を埋め尽くす人々は一斉にワインをぶちまけ、水鉄砲に入れたワインを辺りのひとに噴射し、ベランダから水やワインを浴びせかける。
とにかくもうクレイジーとしか形容のしようがない祭りであった。



7/05/2011

from Paris

現在、パリ。
6月の頭にサンフランシスコを出発して、もうすぐ一ヶ月。
家なし生活で、ホステルに泊まったり友人の家を渡り歩いたりさせてもらっているけれど、まぁなんとか生きている。

自分の性質を一言でたとえるならば、水。
どんなところでもサラサラと流れていき、無難に馴染むことが出来る。
放浪旅行やバックパッカーというのが性にあっているようだ。

6/16/2011

Good bye, America

10ヶ月を過ごしたアメリカをあと2時間で出発する。
今はボストンレーガン空港、イングランドへ向かう飛行機をロビーで待つ。

6/12/2011

Crossing American Continent: Day6

電車でアメリカ大陸を横断する。6日目。
ボストンへ向かうAmtrakの中。
今度の電車は、イリノイ州シカゴから、インディアナ州、オハイオ州、ペンシルベニア州、ニューヨーク州、マサチューセッツ州を抜けていく、Lake Shore Imited号。
予定乗車時間は24時間。

Terminal

シカゴでの滞在48時間を終え、再び電車に乗る。
飛行場も、長距離バス乗り場も、鉄道のターミナルも、そこにいる人たちには何か意味がある。
これから新境地へ向かう人、故郷に変える人、ただ移動する人、それぞれにストーリーがある。
街の中ですれ違う人からは感じることのできないそれぞれの人生、ストーリーが、ターミナルでは内面から外面から垣間見ることが出来る気がする。

6/09/2011

Crossing American Continent: Day3

電車でアメリカ大陸を横断する。3日目。
昨日よりも、さらに寝付きが悪かった。眠っては起き、起きては眠り。
浅い眠りの中で何度も何度も夢をみたけれど、忘れてしまった。楽しい夢だったと思う。

6/08/2011

Crossing American Continent: Day2

電車でアメリカ大陸を横断する。二日目。
夜中に何度も何度も目が覚めた。眠っている間にネバダ州を越え、ウタ州に入ったようだ。州都ソルトレークシティーも知らぬ間に通り過ぎていた。
景色は依然として赤褐色の山肌、雪の残る森、拓けた草原を繰り返す。