12/03/2014

「そうだ 京都、行こう。」の時代

広告に費やされるお金というものは莫大で、何千万円から数億円という金額になることもあるという。自然、広告主と代理店は緻密なマーケティングを施し、時勢を読み、最もその広告に揺り動かされるターゲットとメディアと内容を適時決めていく。
そんなたくさんのお金と労力が投下される広告は、時代を反映する写し鏡のようなもの。広告が変われば時代も変わり、また、自分自身の気になる広告が変化すればそれはライフステージが変化したことを意味する。
今日は、20年も続く京都の広告の話。



「そうだ 京都、行こう。」
秋真っ盛りの京都へ紅葉を見に行った。購入したガイドブックに、JR東海の歴代の広告が掲載されていて、目を惹かれた。

1993年、バブルがはじけて数年後。
ただひたすらに働くことに意味を見いだせなくなったモーレツサラリーマンたち。
周りのすべて効率化し、時間やお金は余らせたのに心の充足感を感じられない主婦や年配の方々。
海外が近くなったけど、西洋にかぶれてもどうしようもないとと思い始めた若者たち。
そんなすべてのひとの心を射止めた広告が、「そうだ 京都、行こう。」。
第一回目、1993年の広告は、美しい清水寺を背景に、こんなキャッチコピーが入っていた。


「パリやロスに
ちょっと詳しいより
京都にうんと詳しいほうが
かっこいいかもしれないな。
外国のビジネスマンって、けっこう京都のことをよく知ってたりするんだよな。」



以来、この広告は20年も続くシリーズ広告となっている。
今年も京都市内やJRの駅構内で見かけた。


先にも述べたように、広告とは時代を移す鏡である。その鏡が20年来変化していないというのは、20年前から今に至るまで「そうだ 京都、行こう。」の時代や精神が続いているということ。
実はこの広告の前の時代には、「トリスを飲んでハワイへ行こう!」なんて広告がサントリーから出ていたり、テレビCMでは金髪のおねーちゃんが踊っていたりと、時代は海外や新しいものに溢れ、日本人の意識は進取の精神で溢れていた。

しかし、バブル崩壊後、人々の意識は未知なるものから内なるものへと変化した。
自身のアイデンティティの大切さ、大切なものは思ったよりも近くにあるという気付き、海外(特に多くの日本人が憧れるアメリカ)にはない日本独自の長い歴史の奥深さ…そういったことに興味を抱いた多くの人が、「そうだ 京都、行こう。」に惹かれていった。

そんな時代が、形を微妙に変えながら今でも続いている。
1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災の後に巷にあふれた「絆」や「頑張れ日本」という掛け声。
2020年の東京オリンピック、成長戦略としてのクールジャパン。
そのどれもが、新たなものを掴みに行く気概よりも内なるものを高めていくことに対する美意識を涵養している。
蛇足ながら、安部首相が常々とりあげる「地方創世」も、うまくそんな美意識を捉えていると思う。さて、衆議院選挙戦の結果や如何に。


時代の話から「そうだ 京都、行こう。」の広告自体に話を戻すと、僕は昔からテレビCMなんかでこの広告に触れていたはずだけれど、こんなに「いいなぁ…」と感じられるようになったのは最近のこと。歳を重ねて、留学を経験して、次第に内なるものへの美意識が生まれ、歴史などの「深さ」があるものに価値を見出し始めたのだと思う。


「そうだ 京都、行こう。」の時代は当分続くだろう。
最後に、僕がすごく好きなコピーをいくつか引用して、終えます。


1993年、1年に1つの鳥居を奉納されていく伏見稲荷神社の写真に。

「「これからのニッポンは?」の悩みには、
「むかしむかしのニッポン」が
お答えします。
一つくぐると一年むかし、と考えると、
さっきカーブしたあたりで三〇〇年はもどったってことなんだ。」

1997年、東福寺の美しい紅葉の姿に。

「六百年前、桜を全部、切りました。春より秋を選んだお寺です。」

2011年、秋、毘沙門堂。東日本大震災震災後の広告。

「いい秋ですね、と言葉をかわしあえる。
それだけで、うれしい。」