8/04/2016

あなたはどうして日本人?

英国は6月23日に行われた国民投票でEU離脱を選んだ。
その後関連するニュースが連日取り上げられ、その影響が、とりわけ経済面で及ぼすであろう悪影響がいまも盛んに論じられている。
でも、しかし、このタイミングで僕はもっともっと「国」という形式について議論や解説があってもよいのではないかと思う。英国・UKという国が、EUという枠組みを離れる決意をしたこと。これは国という形式に現代の人間はまだまだ依存しているということを強烈に示したものである。
国という人工組織から卒業できない、現代人間の限界を示しているものであると僕は思う。


大きな問題だけれど、よくよく「国」について考えてみると、これは全くもって人間が作ったものである。数千年も前に、人間の恣意によってできた形式に事を発している。そして、1000年、2000年もそういう形式を継続した結果、多くの人間の心の拠り所、根付く土台としての堅牢な「国」ができあがった。


親の思想、学校の教育、日々接する情報(昨今巷にあふれる「日本」「和風」を強調したテレビ番組とかね)、そして税金の納める先とそれにより得られる保障の由来などから僕らは知らずしらずのうちにナショナリティーが芽生えたり、あるいは植え付けられたりする。
この世に生まれ落ちたばかりの赤子は、実は純粋無垢な「人間」であって、「◯◯人」ではない。そういったナショナリティーはすべて後天的なものであり、だから、先天的日本人なんてものは実は存在しない。


そこで、タイトルの質問。
このブログを呼んでくれている方の多くは自分自身を日本人であると認識している人だと思うので、「自分はどうして日本人なのか?」「なぜ自分が日本人だと思うのか?」、少し考えてみてほしい。


日本国籍を持っているから?
なぜ、日本国籍を付与されたのか、さらにその先を考えてみたことがあるだろうか。
日本列島に生まれたから?
じゃあ、生まれ落ちた場所(さらには育った場所)が日本の領土の外だったら(例えば返還される前の沖縄生まれの人)日本人とは呼べないのだろうか。
父母・先祖が日本人だったから?
現行の「国籍法」による日本国籍の定義では正解かもしれない。日本は血統主義、身体を流れる血液によって定義される。でもさ、身体を流れる血なんて、輸血できるんだから、世界中皆一緒じゃん。
国籍なんて他の国籍を取得すれば喪失してしまう実はとても形式的なもの。


僕が言いたいことは、国籍の定義だとかそういう細かい法律の話ではない。
国というものは誰かが勝手に定義した形式であって、人間はそんな形式には本質的にはとらわれていない、とらわれるべきではない存在なのではないかと思っているということ。


もちろん国家という枠を取り外すなんていうことは、非常に大変な作業で、僕らが生きている間にできることではない。でも、人間として難しいことではないと僕は感じる。大切な人を思う気持ちを、肌の色、宗教、言語、思想、出生地が違う人々に抱くことができればオッケー。
きっとそれだけで、
「あれ、国ってよくわからん形式に固執して怒ったり叫んだりしてなんかかっこ悪かったね、ごめんごめん」 
って世界中の人が思う日がいつか来る、来てほしいと僕は思う。


2012年のノーベル平和賞で『EU』が受賞したとき、僕はとても感動してメッセージを綴ったりした。(→Dear my friends from/in Europe,
『EU』という枠組みは問題だらけではあったけれど、「国」という形式を超えた新たな一歩、人類の進歩だと思っていたから。今回のUKのEU離脱は、そんな理想と逆行する動きで、僕はとても悲しい。


でも、あらためて人間と国について思いを巡らせる良いきっかけを得た。少し「日本人」というものに固執しすぎていた自分の立ち位置を、「地球人」に寄せるきっかけになった。(→「日本を勉強しようと思い立った」


「国なんて形式はさ、どうでもいいじゃん。俺たちみんな地球人なんだし。」
そうやって話しながら肩組み合って、酒飲んで、歌って、踊って、互いの文化を尊重して、平和に生きる。
そんな姿を究極の理想形として、心のなかに宿しておきたい。