ルソーは『言語起源論』の中で、「最初の人間の言語は幾何学者の言語ではなく、詩人の言語であったと思われる。はじめ、人は詩で語り、ずっと後になってようやく理性に拠って考えることを思いついたのだ」と言っている。サン=テグジュペリはその『手帖』に、「物理学者と同じように、詩人も真理を検証する。ぼくは詩の真実をかくも強く信じている」と書き残した。
上の文章は、僕が今読んでいる電磁気学の本のまえがきにある言葉である。
物理とか理系の人が感性が乏しくロボット人間のようであると決めつけたのはどこのだれだろう。そんなことを最近思う。少なくとも僕が最近読んでいる理工図書の著者である有名大学の教授や学者が語る言葉は、美しく綺麗で、それでいてとても(時には過度に)ロマンチックであったりする。また、感性豊かでアーティスティックな友人もたくさんいる。
僕は「あいつは理系(文系)だから〜」という言葉を使わないようにしている。環境が人を作るという。それはある意味真実。だからといって、理系人間は感性を大事にしなくていいわけではなく、また、文系人間が分析を疎かにしてよいなんてことはない。
文理両道人間を目指したい。その両方があって初めて一人前の人間ではないかと僕は思う。
ルソーやサン=テグジュペリにならうわけではないけれど、詩が含有する真理や力強さに心打たれることが最近増えた。谷川俊太郎の『あなたはそこに』という詩にも感じるものがあった。
「あなたはそこに」 谷川俊太郎
あなたはそこにいた 退屈そうに
右手に煙草 左手に白ワインのグラス
部屋には三百人もの人がいたというのに
地球には五十億もの人がいるというのに
そこにあなたがいた ただひとり
その日その瞬間 私の目の前に
あなたの名前を知り あなたの仕事を知り
やがてふろふき大根が好きなことを知り
二次方程式が解けないことを知り
私はあなたに恋し あなたはそれを笑い飛ばし
いっしょにカラオケを歌いにいき
そうして私たちは友達になった
あなたは私に愚痴をこぼしてくれた
私の自慢話を聞いてくれた 日々は過ぎ
あなたは私の娘の誕生日にオルゴールを送ってくれ
私はあなたの夫のキープしたウィスキーを飲み
私の妻はいつもあなたにやきもちをやき
私たちは友達だった
ほんとうに出会った者に別れはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり私をみつめ 繰り返し私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎたあなたの死すら私を生かす
初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も
春は別れの季節である。フェイスブック上では友達が卒業を報告し、新しい場所でのさらなる活躍を誓っている。共に時間を過ごした人との別れはつらいものであるけれど、"ほんとうに出会った者に別れはこない”と、谷川さんは言う。この言葉を信じたい。
そして、季節は今日を境に別れから出会いへと変わる。
新しい環境で頑張る人たちへ。別れの悲しみは、次第に出会いの喜びになる。それらが積み重なった思い出が「私を生かす」。
楽しもう、苦しもう、笑おう。頑張って!
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