6/12/2011

Terminal

シカゴでの滞在48時間を終え、再び電車に乗る。
飛行場も、長距離バス乗り場も、鉄道のターミナルも、そこにいる人たちには何か意味がある。
これから新境地へ向かう人、故郷に変える人、ただ移動する人、それぞれにストーリーがある。
街の中ですれ違う人からは感じることのできないそれぞれの人生、ストーリーが、ターミナルでは内面から外面から垣間見ることが出来る気がする。



また、Amtrakが遅れるようだ。今度はおそらく3時間以上の遅れ。
ターミナルにいる人たちの顔には疲れ、怒り、諦め、無関心が入り交じっている。
それにしても、待つ人々の姿がなんとも様々。

なにかの民族衣装なのだろうか、青いシャツとドレスを綺麗に着飾った20人ぐらいのグループ
地面に大の字で眠りこける老人
うるさく騒ぐ黒人の子供たち
大学の教科書のようなものをひたすら読み続けるおじさん
尻が半分丸見えで地べたに座るティーンエージャー
スペイン語で延々と電話をし続けるおばちゃん
疲れきった表情の老夫婦

スーツをビシッと着たビジネスマンや、金のある白人・アジア人は格安の鉄道なんて使わない。周りにはそんな人はまったくいない。
周りの人から見れば、本を逆さから読み、文字を上から下に向けて追い、周りをキョロキョロと観察して、パソコンをかばんから取り出しカタカタやってるアジア人の自分も、相当変人に見えているのかも。

この混沌とした雰囲気が、なんとも面白く、また心地良くも感じるから不思議だ。

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