7/28/2013

よく笑うこと

アメリカの人はよく笑っている。
それはコメディを見ていて笑うときの最大瞬間爆笑のような話ではなくて、日常のひと場面で見られる笑顔の話。1人でいるときにニヤニヤしてるという話ではなくて、見知らぬ人との一瞬の繋がりのときに浮かび上がってくる笑顔の話。

バスに乗るときに運転手と軽く挨拶を交わすとき。友達とファストフード店で会話をしているとき。スーパーのレジで精算をするとき。研究室のメンバーと朝あったとき。
全員が全員そうであるわけではないし、僕達の年代の人はすましたような雰囲気で笑顔をつくっていないこともあるけれど、一般的にいって「Hi!」と同時に笑顔が顔から溢れていることが多い。

英語には、尊敬語や謙譲語がないから、なんだかコミュニケーションもちょっと粗暴になりがちになるんじゃないか…そんなことを昔に考えていたことがある。日本人は言葉の種類に礼儀をもとめるけれど、では、アメリカ人はどのような礼儀を重んじるのだろう、と。その答えのひとつが、笑顔なのかもしれない。

笑顔が礼儀作法のひとつだと考えたら、それはとても素晴らしいものではないか。笑っている相手を見て心和みイライラが解消されていくのは人類普遍のこと。敬語なんか知らなくても、言葉なんか発さなくても、相手との摩擦は薄れて自然と距離が近くなる。戦場において、ちょっと極端な例えかもしれないけれど、相手から向けられた銃口を降ろさせることができるのは美辞麗句でも阿鼻叫喚でもなく笑顔だと僕は思う。

もちろん、心のこもっていない尊敬語が逆に空いての機嫌を損ねることがあるように、笑顔だって万能じゃない。作り笑いはすぐにわかる。それでも、毎日の笑顔の積み重ねによってできあがった自然な表情には、惰性や反射で作った笑顔だからというマイナス点はあまり見当たらない。「Hi!」の後の表情、笑顔やほほ笑みは、素敵だ。

よく笑うこと。
毎日の生活の中で、外部からの様々なストレスは、自分自身の力では防ぎようがない。怒られるときは怒られるし、雨が降るときには雨はふる。でも、自分の表情はコントロールできる。どんなときでも、笑おうと思えば笑える。そして笑顔をつくったあとに、ポジティブな感情がついてくることもある。
「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せになるのだ。」
そんな格言があったっけ。
笑おう:)



7/25/2013

どうして民主主義がいいのか考えたことがなかった

大学生は、どこの国でも、最新の情報や禁止されているものに対する感度がその他の世代よりも高い。良いことも悪いことも、新しいこともくだらないことも、僕らの世代は意外とよく知っている。

言論の自由がないとか民主主義ではないために様々な情報が統制されていると言われている中国。その国から来ている友達と多くの時間を一緒に過ごしているけれど、彼らはみんな自らの国の事情を充分知っていて、禁止されている情報なども「なぜ禁止されたのか」「どのような内容だったのか」ということを敏感に察知している。
そんな彼らとの会話から考えたことをつらつらと。

『民主主義』『デモクラシー』
日本では参院選がついこの前に終わった。「投票に行こう!」「投票して来ました」そんな声がたくさん聞こえてきたけれど、それらの根本となっているのがこの民主主義。民主主義だから、投票ができて、三権分立されていて、一部の権力が横暴を振るわないようなしくみとなっている。それぐらいのことは社会科で習った。でも、それ以上のことを学ぼうとはせず、「だって生まれたときから民主主義だったから当たり前だよね」と僕は思考停止していたように思える。

ルームメイトが紹介してくれたTEDを彼らと一緒に見ながら、国のシステムについて考えた。
"Eric X. Li: A tale of two political systems"

日本語のサブタイトルがない(このことからもいかに日本人がこの事柄に興味を持っていないかが伺える気がする)けれど、このHPで日本語に訳してくれている人がいる。

民主主義は、この世の最後の政治形態だと主張する人もいる。Eric.Liの上のTEDの最後の会話でも出てきた『歴史の終わり』フランシス・フクヤマが言うことには、完全な民主国家ではいかなる権力の集中や独裁も多勢の民意には勝てないため、これ以上国家の統治形態が変わること=歴史が変わることがなく、民主主義化は歴史の終わりだと言う。

しかし、僕たちは民主主義の問題点、また民主主義を支える自由市場の非道徳性をこの4~5年間見続けている。独裁国家が倒れても治安は良くならず、自由市場は人の欲をコントロール出来ず多くの国の景気をどん底に陥れ、民主的に選ばれた首相もクーデターによって倒される。

民主主義は平和的なのだろうか。結果だけ見れば、僕が世界のモノゴトに興味を持ち始めたこの15年間で大きな戦争をしたのは民主主義の大国だった。テロの報復に、大量破壊兵器があるとこじつけて拳を振りかざし、兵器がないとわかったら独裁政権を倒して民主化するという名目にすりかわっていた。これではデモクラシーの帝国をつくろうとしていると見られてもおかしくない。僕の生まれたこの国も、民主主義帝国チームの一員になっている。
民主化されたチュニジアを旅して、「失業している人が増えた」「インフラの整備が全くすすまない」と嘆く人の声を聞いた。そんな人達に、長期的な目線で見たら民主主義の方がハッピーになれるんだよ、なんて言葉はかけられなかった。

文化に関しても、どの国も同じ民主主義という形態をとる方向になってしまったら、失われるものは多い。自由市場で外資がたくさん入ってきた結果、日本の食生活はどんどん欧米化している。日本に限らず、世界中の多くの民主国家がそうなりつつある。どこの国に行っても強力なサプライチェーンを持つマクドナルドやスタバという民主主義の申し子達に会えるのは嬉しいけれど、その陰に隠れて見えなくなってしまったその国独自の文化は、少数派の人しか支持しないから消滅の一途をたどるしかないのだろうか。

共産主義を唱えるわけではない。自分なりにデモクラシーについてちょっとずつ勉強してきたつもりだし、きっと僕は民主主義と言う国の形が好きだと思う。アメリカの民主制に関する古典と言われている『アメリカのデモクラシー』トクヴィルを留学前に読んだけれど、そこには民主国家の強い点・弱い点が書かれていて、興味深かった。例えば、民主国家では多数派の先制政治になるため、世論をつくること=メディアの役割が大きくなり、そこに腐敗がうまれるだろうと、現在でも問われている問題が200年近く前の本で既に述べられている。

民主主義とはことなる国のシステムで、世界第二の大国となった中国からきた友人たちと共同生活する中で、自らの国のシステムが相対的に炙りだされている。民主主義が果たして素晴らしいものなのか、勉強不足で僕にはまだわからない。それでも、自分の国が導入しているシステムなのだから、そのことをもっともっと良く知り、理論的に、自然に、ポジティブに話せるようになりたい。

イギリスの元首相チャーチルの言葉を引用して、終える。

『民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば』


Just let me give a small provocative question, something like a devil's advocate, but that has stuck on me since after my travel in Tunisia;
"What is Democracy? What is good about that?"

After the Arab's spring, many countries graduated from dictatorship, introduced democracy, and now chaos came on. Infrastructure corrupted, still high unemployment rate, and the democratically erected president was turned over by the power.
That's what I saw in Tunisia with my eyes.
That's what I heard from media with my ears.

No war in the democratic world? No way, see what happened in a last decade. The good powerful democratic countries tried to spread the world's majority's idea by force, with about 28 thousands people dead.

What I wanna say is, I just want to stop taking democracy for granted without thinking and knowing anything about what exactly it is. I think I like democratic system, so I want to talk about it logically, rationally and naturally.

It was really nice to come here, outside of Japan, with a lot of friends from another social system. Thanks friends from CSST.

7/19/2013

英語に囚われない。心に響くことを。

前回の留学のときと比べて、言語に対して少しだけ違った心持ちでいる。
今でも英語はそんなにうまくないから、毎日どうやってしゃべろうかなぁとか、あーうまく伝わらなかった…と考えてしまうことは多いけれど、英語に過度に囚われることはなくなった。

英語に囚われてしまうと、本来だったら意思疎通や感情を表現するツールの1つでしかないはずの言語を上達することばかりに意識が向いてしまって、大切な内容を見落としてしまったり、相手がなぜアウトプットをしたいのかという気持ちを察する心の余裕がなくなる。
言語はあくまでも手段(How)であって、英語だろうが日本語だろうが手話だろうがきちんと伝えたいことこと(What)があることが大前提、さらにその奥の人の気持ちの部分(Why)まで意識できるようになれたらいいな、と常に思っている。

そう思うようになったら、インプットも、別に英語にこだわる必要はないのではないかなと考えられるようになった。大切なことを学び感じられるのであれば、綺麗な言葉でも、ブロークンランゲージでも、無言のハグでも、笑顔でも、アートでも…入り口はなんでも構わない。

そんなわけで、アメリカにいてもインプットもアウトプットも英語漬けになろうとは思っていない。たとえば僕の愛用アプリである「社説リーダー」で社説やコラムを読み比べて、時代と社会と人の心の移りかわりに敏感になろうとしている。日本語で。
美術館にも行って来た。何を表現したいのか、アーティストが日本人でなくても想像することはできる。こちらは視覚から。

心に響くものごとを、英語でも日本語でも、視覚でも触覚でも、なるべくたくさん経験して、残しておきたい。


7月12日朝日新聞『天声人語』
自然には美しさと非情が相混じる。古来、この国土は数多の地異に揺れ、天変に叩かれてきた。1年のどの日にも、大小の爪痕と人々の涙が刻まれていよう。今日もそうだ。ひっ街道の奥尻島などを大津波が襲った北海道南西沖自身から20年の節目になる。

7月15日毎日新聞『余録』
余暇について考えたい。人によっては生きがいともいえる時間帯が、なぜ余った暇なのか。いっそのこと、「本暇」という言葉でとらえ直す方が、より効果的な時間活用につながるのではないか。(中略)
さて結論だ。本暇的時間とは、社会的な貢献と自分がしたいことで得られる満足がバランスよく融合した状態である。その意味で、最も大切なことは「自分がしたいことを見定める」ことであろう。この夏休み、自らの本暇探しをしてみたい。
7月17日日本経済新聞『春秋』
知れぬ行く末を思って、人は希望と不安の間を行ったり来たりする。勉強でも、あるいは貯金やトレーニングでもいい。すべては未来から少しでも不安を消し去ろうとする営みなのかもしれない。 



7/18/2013

暑中見舞い申し上げます。

北半球では、1年で最も暑い時期にさしかかっている。

すでに日は短くなり始める一方で、暑さはこれからが本番。日本のニュースを見ていると、例年よりも厳しい暑さが街を襲っている。熱中症で亡くなった方も多い。夏の暑さは、体温調整機能が弱くなったお年寄りやまだ未発達なうえに地面に近い子供など、弱者に厳しい。みなさんも体調管理にはくれぐれも気をつけて。節電も、命を落としてまでする必要はないですよ。無理な我慢はせずに出来る範囲の努力をしながら日々を元気にすごせればいい。僕はそう思う。


暑中お見舞い申し上げます。


カリフォルニアの天気は清々しい晴れの日が続く。
カラッと乾いた風と、吸い込まれるような青空。陽射しは眩しいけれどヨーロッパ南部の刺すような光線ではない。こちらの気候に惚れ込んで移住をしてしまう人の気持ちも分かる気がする。それでも、23年間住み暮らしてしみついた日本の夏が恋しくもあったりする。ないものねだる人の気持ちは強情だ。

日本と中国で共通の季節を表す言葉、七十二候。小暑と大暑の間には、たとえば次のような言葉がある。
温風至(あつかぜいたる)
蓮始開(はすはじめてひらく) 
土潤暑(つちうるおいてむしあつし)
大雨時行(たいうときどきにふる)
気象の動きや動植物の変化を知らせる短文は、アジアの表情を綺麗に描く。蒸し暑さも、土砂降りの大雨も、時節の見もの、刹那の仕草だと考えればまた風流。

カリフォルニアの快晴も、2ヶ月の間に表情を変えるだろうか。
こちらの気候のなかにも風流さを見つけられればいいなと思う。






7/11/2013

ラマダンが始まった

UCLAの現在滞在している寮から、昨日の晩に一通のメールが来た。
Dear Summer Residents,

In our efforts to accommodate students who are participating in Ramadan, dining will be providing to go options for those observing Ramadan. Since none of the dining halls are open before sunrise, housing will be offering an opportunity for you to pick up food the day before which includes a bagel, a fruit and a juice.

In order to participate in this program, you will need to fill out the form below by 5pm tomorrow, July 10th. When you pick up your breakfast, a swipe will be deducted from your meal plan.
ラマダンが10日から開始される。学生寮の食堂は夜明け前にはオープンしていないので、ラマダンに従う人は前日にベーグルやフルーツ、ジュースなどを持ち帰ることを認めますよという内容のものだった。

ラマダンとはイスラム教の断食月のこと。 預言者ムハンマドが神から啓示を受けた月で、信徒は日の出から日の入りまで飲食を断つ。「断食」というキーワードからなんだか辛いものであるというような印象があるけれど、実は日が出ているだけ飲み食いしなければよいので、日の入りと同時に食事を始め、夜通しお祭りのような雰囲気となる地域もある。

昨年訪れたチュニジアはイスラム教が国教となっている国。仲良くなった友達にラマダンの話しを聞くと、「実はラマダンの間のほうが太ってしまう」とか「生理中や妊娠をしていたり、病気だったら飲み食いしてOK」など厳格なしきたりかと思っていた僕にとっては「えっ、そうなの!」という驚きが多かった。

日本にもイスラム教の人が増えてきた。僕の日本の研究室にもインドネシアからの留学生の女性がいて、頭にはスカーフを巻いていて、ハラムに従って豚肉やアルコールは飲めない。飲み会とかを企画するときには、彼女が食べられる料理がある店(海鮮ものとか野菜とか)かを少し気にするし、鍋パーティーをしたときには肉エキスが入っていないスープのもとを選んだりしている。

それでも、日本ではまだまだ認知している人が少ないし、僕が受け取った1通のメールのように、寮とか社会といった人々が属している仕組み側から能動的に働きかけて機会均等を目指すという意識が欠如している用に思える。これは決して宗教だけに限った話ではなくて、人種、趣味嗜好、意見の違い、身体障害といったものに関しても。

アメリカに来て1週間。
身体障害者や車椅子を使用している人がバスに乗るとき、ものすごくバスが傾き、さらにタラップまでがおりてくる仕組み。ラマダンの人のための食事に関する配慮や、宿にお祈りをするための部屋が設けられていること。
意識をすればこういったことはもっともっと見つかる。
「これらのものは合って当然!」
そう思えるような気持ちで常にいたいし、日本に帰っても、
「なんでそういうものがないの?」
と疑問提起できるようになっていたい。

マイノリティのことを思える感性が世界をもっとよくできる。
僕は結構本気で、そう信じている。

7/09/2013

CSSTプログラムスタート

UCLAでのCSSTプログラムが始まった。

僕が今夏参加しているCSSTとはCross-disciplinary Scholars in Science and Technologyの頭文字をとったもの。日本語に訳すと「科学技術分野における学際的な研究者養成プログラム」となる。日本では一言で「理系」と称される分野の学生を、日本の僕の大学から6名、中国の各地の大学から90人ほど集め、UCLAでの研究室にそれぞれ所属させてそこでのプロジェクトに従事させる。わずか10週間のプログラムであるけれど、1週間目に研究計画書を提出、9週目にはポスターによる発表、優秀者はプログラムメンバーの前でのオーラルでの発表といったノルマがある。

このプログラムの本当の目的というものは「UCLAの研究者青田刈り計画」といったようなもので、優秀な学生をプログラム内で見つけUCLAのマスター、ドクターへの進学を有利な条件付きで薦める。そのため、中国からの留学生の中には一流の研究者になるべく「君はドクターを狙っているのか?」とちょっと怖い目つきで聞いてくる人もいるという。

こんなプログラムであるけれど、今日のOpening Receptionでは比較的のんびりとした雰囲気で終始して、「とにかく勉強しろ!!」と言われたような気はしなかった。プログラムのD担当であるRobinが繰り返し言っていた次のような言葉が印象的だった。
Please explore not only your laboratory but also other friends projects.
Take advantages.
Be a student while you can.

僕の大学から集まったメンバー6人も専門は全くバラバラ。化学系、生命系、情報系、工学系。中国からきた学生も、みんな別々の専門を学んでいる。それでも、お互いに研究室での生活の仕方であったり、全く違うものを対象とした研究でも同じメソッドを使っていたりして「おぉー、お前もそれやってんだ!」と話が盛り上がる。

明日からメンターに会い、今夏に何をやるかを決める。
果たして自分のスキルでどこまでバリューが出せるのかビクビクだけれど、しっかりと学びキャッチアップして自分自身にも、所属する研究室のメンバーにとってもプラスとなるようなものを残したい。

そしてRobinの言葉のなかにあるように、学生であるというステータス、アメリカという自由な雰囲気、様々な専門を持つ人と定期的に顔を合わせる機会を利用して、もっともっと視野を広げて学際的な知識も吸収していきたい。

7/06/2013

新聞ななめ読み in America

アメリカに来て4日。
時差ボケもなくなって徐々に生活のリズムを取り戻してきたので、街をぶらぶら歩きながら新聞を買って読んだ。サンフランシスコの地域紙であるSan Francisco Chronicleとニューヨークの新聞で全米で3番目の発行数を誇るNew York Times。


先ず目についたのが日本の選挙戦の記事。ChronicleにもTimesにも安倍首相の写真が載っており、見出しはそれぞれ、
"Ban Lifted, Japan's Politicians Race Online"
"Prime minister rallies for party seats"
7月21日に控えた参議院選挙の選挙戦がスタートしたことを伝える。そして今夏の選挙から解禁されたネット選挙について、Timesはかなり詳しく報じている。記事を以下抜粋。
Campaign truck. White cotton gloves. Facebook. A rewriting of Japan's rigid election laws has brought about a sea change in electioneering customs here, previously limited to sound trucks, pamphlets and good old handshakes on the street.
Still, it is foolish to assume that an aggressive Web strategy will immediately translate into votes.
Japan is an early adopter of social media in other spheres of public life, it has lagged behind less developed countries in using the Internet for political campaigning. Candidates in Egypt and Tunisia, which held their first democratic elections only in the last two years, made extensive use of social media.
(New York Times)
最後のパラグラフで、「チュニジアやエジプトのここ最近2年間の民主的な選挙ではSNSが既に使われていたのに、日本はずーっと政治活動に適用されていなかった」というところが日本を皮肉っているけれど、その民主化したエジプトのモルシ大統領が軍のクーデターで身柄を拘束されてしまっている。これについてもTimesは3ページに渡って特集をしていた。
By all accounts, the governments removed the democratically elected president, put him in detention, arrested his allies and suspended the Constitution. Army vehicles and soldiers in riot gear roamed the street, while jet fighters roared overhead.
(New York Times) 
こんな状況でありながらも、軍はクーデター(coup d'etat)ではないと言っている、民主化を止めてはいけないという論調が紙面から伺えた。
「民主化」「デモクラシー」は、チュニジアを旅して以来、自分の中でいろいろと疑問が芽生えてきたキーワード。果たして民主主義は正義なのか。先進国である日本やアメリカの押し付け民主主義は世界を平和にするのか。エジプトのクーデターから再び考える。


Timesの他の記事で興味深かったのは、atheist(無神論者)が建立したモニュメントが話題になっているという記事。アメリカはキリスト教の国。しかし、キリスト教が政治でも経済でも日常においても色々と特権(privilege)を握っており、それを是正せよと無神論者団体が主張している。日本では話題にならないだろうけれど、"God"というキーワードが大統領の演説、憲法、すべてのお札の上などにも出てくるこの国は、神様あっての国。(ちなみに、宗教の自由があるからあくまでもGodであって、Jesusではない。ユダヤ教やイスラム教、その他の宗教にも建前上は寛容)宗教の不平等を訴えたり無神論者であることを主張することは、特にコンサバな田舎ではやはり難しいようだ。この国の宗教論争についてはまた詳しく考えて書きたい。


もっとリベラルな地元紙のChronicleの記事は、現在進行中のBARTのストライキについてや、先週アメリカの最高裁で可決された同性婚の続報についての記事が大きい。

BARTはSan Franciscoとその他のBay Areaをつなぐ重要な鉄道なのだけれど、今週の月曜日からストライキが始まった。アメリカの景気が好感であることを背景に、労働者団体(worker unions)が賃上げや福利厚生の向上を求めて運行を停止、サンフランシスコが半分陸の孤島のようになっており、経済面に与えるダメージがとても大きい。運行再開を明日からするようだけれど、まだ会社側と労働者側で調停はかわされていない。

同性婚については、カリフォルニアではとにかく複雑である。カリフォルニアの州法提案Prop.8が同性婚を禁止しているけれど、先週の連邦政府最高裁でその提案が棄却された。つまり、州の多数派が制定した法律を、お上である連邦が否定したわけである。制度としてはこれでカリフォルニアも同性婚が認められたのだが、そう簡単にはいかないらしい。
At the same time that the U.S. Supreme Court was opening the door last week for gays and lesbians to marry in California, the court took another step in a long, conservative-led campaign took to narrow the doors to the nation's federal courthouses.
合衆国という国の仕組みと、日本とは少しことなる立法と司法の制度がもたらした様々な問題を勉強したからわかる、この国の社会問題。これもまたいつか詳しく書きたい。


日本では新聞を最低でも2紙、日々読み比べていた。
新聞は時事問題を広くまんべんなく取り扱ってくれる。そして継続して読むことで、その新聞社の持つ「色」が見えてきて、それを理解して自分なりに補正をすることでものごとの「意見」ではなく「事実」が見えるようになる。
こちらでも、なるべく新聞には目を通して、アメリカの社会問題やアメリカから見た日本や世界の姿、そして様々なことを考える種をみつけられるようになりたい。


7/05/2013

"Happy Fourth!"

24時45分、今もまだダウンタウンの方から花火と爆竹の音が聞こえてくる。

今日は7月4日。アメリカの10日間しかないNational Holidayの1つ、独立記念日(Independence Day)だった。インディペンデンス・デイと聞くとウィル・スミスが出演している映画を思い出してしまうけれど、その元ネタとなっているのが今日。
1775年4月(わずか240年前!)にイギリスからの植民者たちは、アメリカ大陸につくりあげた13の植民地の独立を求めてイギリスと戦争を始める。翌年7月4日に「独立宣言」を発表…「イギリスの植民地」が「アメリカ」という国になったアメリカの歴史上大切な日である。

この日を祝うときに、"Happy Independence Day!"とは言わない。
みな口をそろえて日付を読み上げて祝う。
"Happy the Fourth!" "Happy Fourth of July!"
街には星条旗柄の服や小物を着けた人で溢れ、花火を盛大にあげて祝う。
家族とBBQをしたり、野外でピクニックをしたりするのがオーソドックスな祝い方らしく、友達に誘われてDolores Parkでピクニックをした。
何度も友達と集まってのんびりしていた僕の大好きな公園は、たくさんのリラックスした人と、プチ野外コンサートを聞く人で埋めつくされていた。



友達の友達が来ては、"hi, I'm ~"と握手をする。それだけの簡単な自己紹介を交わして近くに座って行く。そしてその友達の友達が来て…を繰り返し、5人だったのが、10人、15人とどんどん人の輪が増えていく。けれど、別にお互い話さなきゃいけない!という気持ちはなくて、みんなただ自然に集まって飲んで楽しんでるだけ。
日本ではやろうと思ってもなぜだか出来ない、この薄っぺらく広がっていくコミュニティを久々に体験して、なんだか懐かしかった。

「2年ぶりだね、どうしてた?」
マレーシア系アメリカ人のMikeとその彼女のShannonはまだ学生。Shannonは相変わらずの人をわらかすのんびりキャラで、再会の瞬間に思いっきりハグをしてくれた。
インドネシア系のJonは、ダウンタウンに新しくできたユニクロで正社員として働いていた。新しくできた彼女のMaryとは職場で出会ったらしく、二人共幸せそうだった。





ビールを飲みながら、僕の2年間の旅の話や勉強の話、仕事やインターンシップのこと、ユニクロがブラック企業と言われていることや、ブラック企業とは何か、みんなバックグラウンドにアメリカではないものを持っているので、アメリカって国は〜…そんな話が尽きなかった。

暗くなり、Pierに行くと花火を見るためにものすごい数の人が集まっていた。
「フラッグ、1$だよー!」
そんな商売をしている親子を写真にとっていたらお母さんが突然話しかけてきた。怒られるかと思ったら、
「ねぇ、その写真、私のメールに送ってよ!携帯の電池が切れちゃって写真が撮れないのよ」
「あ、わかりました、送ります」
「ありがとう!じゃあフラッグあげる。さっきたくさんそこで貰ったもんだからお金はいらないわ。Happy Fourth!」
貰ったフラッグを売ろうとしてたんだね、お母さん。最近サンフランシスコに来て、
出稼ぎに来ているのだと教えてくれた。
フラッグと小さな思い出をもらった。





この2年間のあいだ、大切だと思って自主的に学んできた歴史、国際関係のこと、日本や世界の経済のこと、政治のこと。それらの知識がなければ、アメリカのこの祝日のことをただのお祭り騒ぎする祝日としか形容できなかっただろうし、友達との会話も深くは語れず、フラッグをくれたお母さんの懐事情なんかも気に出来なかったと思う。

2年間の自分自身の小さな成長と、変わらずクレイジーなこの街と人、問題と矛盾だらけなのに好きになってしまうアメリカという国。それらを感じることのできた貴重な1日だった。
Happy Fourth!

7/04/2013

2年ぶり、ただいま、サンフランシスコ

今の気持ちを例えるなら昔付き合っていた彼女と2年ぶりに再会するような気持ちかもしれない。

2年前、ほとんど同じベイブリッジが見える場所、ほとんど同じ日時に、サンフランシスコを旅立った。
留学を終えた後に旅を始めて、大学に戻ってからも休みがあるごとに何処かに出かけた。インドで貧困と生死を、香港で熱狂と躍進を、広島・長崎で歴史と戦争を、チュニジアで紛争と自然を。旅だけでなくて日常もしっかりと生きてきたつもり。この2年間で見たこと、聞いたこと、考えたこと、経験したことは本当にたくさんあって、忘れないようにブログにそれらの思考や経験を書き残してきている。

以前の自分だったら気づかなかったようなことに目が向くようになって、たくさんのことに好奇心が湧くようになった。

それでもまだまだ学生だから、本質的な部分はそんなに変われていないだろうし、自身の知識と知恵不足に悩まされる日々だけれど、この2年間で自分がどれだけ変化したのか、サンフランシスコが答えてくれるんじゃないか…そんな気持ちがある。
「久しぶりだけど、何も変わってないね」
「たった2年だけど、すごく変わったね」
でも、街は昔の彼女みたいには答えてくれない。だから、どうやって街を見るようになったか。どれだけ多様な視点を持てるようになったか。新しい気付きがあるか。それらは自分で自分に聞いてみる必要がある。


友達がブログで紹介していた話で、「一杯の水が入ったコップ」というものがある。
机の上にある水が入ったコップを見て、
「なんだ、ジュースじゃないのか…」
とがっかりする先進国の子供もいれば、
「生水が飲める!」
と感動する発展途上の国の人もいる。商売をしている人であれば、
「この水の原価はいくらで、どれぐらいの値段で売れるかな」 
と案を巡らすだろうし、 科学者や学者だったら、
「水の組成は…効用は…次の戦争は水を奪い合うものになるぞ…」
と考える。


同じ対象でも、その人が経験してきた背景や思考回路によって、生まれてくるものは全く異なる。この2年間で新しく得られたものはなんだろう。あるいは、変わってないことはなんだろう。変わっていないこともきっと大切なことで、それに気がつくことも大事だと思う。

人も街も、日々少しずつ変わる部分があり、変わらない部分がある。




7/01/2013

2013年の後半戦が始まった

7月1日、文月、半夏生。
1月1日から指折り数えて180とちょっとの日数が過ぎた。
「もう1年の半分が終わってしまった」
そんな言葉と、
「きょう、今年の後半が始まった」
こんな言葉。全く同じ7月1日を表現しているにも関わらず、二つの言葉と意識が向かう方向は180度異なる。前者は過去を、後者は未来を。
僕も含めた多くの人は前者のような過去マインドに陥っていることが多いように感じる。何もしていないときに考えることは過去の思い出話であって、それが楽しかった旅の話であれ悲しかった失恋の話であれ、考え始めると抜け出せない。


過去のことはそれを理解したり考えたりするのに充分な時間と言葉があるから鮮明だ。反対に未来のことや現在進行形のことはどう表現していいのか不確定でぼんやりしている。だから僕達の思考は簡単に思い出話を繰り返す。明日は今日の思い出話を、明後日は明日の思い出話を…そんなふうに、明確な昨日を整理することでいっぱいいっぱいになる。


でも、時折、僕たちは未来の話をすることもある。それが季節や暦の区切り。カレンダーをビリっと破った瞬間や、新しい季節の訪れを感じたとき。
1月1日には僕達は新年の豊富(New Year's resolution)と称して今年一年にやりたいこととか達成したいことなんかを高らかに宣言する。「夏が来ました」とニュースで聞けば今年は海に行きたいねとか花火やりたいねといった話に花が咲く。


季節に敏感になることは、僕達の抗い難い過去思考に歯止めをかけてくれる。
「できなかった…」という話より「したいよね!」という話をさせてくれる。
昔話より未来話をもたらしてくれる。
もしも、ちょっと昔のことに囚われているなー…と感じるのであれば、カレンダーを見つめたり散歩をして季節の移ろいを感じたりしてみる。そうすると、やれなかったことを悔やむ時間よりも、やりたいことがふつふつと心に浮かんでくることも多いんじゃないかな。


東南アジアで迎えた前半戦は終了。(→東南アジアで迎えた新年
2013年の後半戦が始まった。
僕のA Half-Year resolutionは引き続き、Think, Play, Loveで。
それにさらにTalkを加えて、ひとりよがりにならないようにたくさんの人との対話を通じて様々なことを考えたい。日々を楽しみたい。大切な人を愛せるようになりたい。