6/12/2011

Crossing American Continent: Day6

電車でアメリカ大陸を横断する。6日目。
ボストンへ向かうAmtrakの中。
今度の電車は、イリノイ州シカゴから、インディアナ州、オハイオ州、ペンシルベニア州、ニューヨーク州、マサチューセッツ州を抜けていく、Lake Shore Imited号。
予定乗車時間は24時間。




ターミナルで書いたように、またしても出発が遅れた。今度は4時間の遅れだ。
もうこちらの電車は遅れることが当たり前であるような気してくる。
深夜に出発した電車は、寝ている間にも、東へ東へと進み続ける。
目が覚めたころには、どこだろう、あまり特徴のないぼんやりとしたアメリカの田舎道を電車はひたすら走っていた。

ジャック・ケルアックの路上を呼んでいたら、隣に座っていた女の子が声をかけてくる。8歳ぐらいの、褐色の肌の女の子だ。髪の毛を編んでいる。
「これ、何語?どこから来たの?どこに行くの?」
日本人で、San Franciscoから来て、これからボストンそしてヨーロッパに行くよというと、眼を輝かせて質問を浴びせてきた。
通路を通る人全てに声をかけて、僕が教えたこと一言一句を前の席に座る母親に報告しに行き、また戻ってくる。
まったくもって退屈することのない時間だったが、静かになったと思ったら彼女は母親の腕の中で眠っていた。

途中の駅で、電車の中に国境警備隊が乗ってきた。
乗っているすべての人に、グリーンカードを持っているか、ビザがあるかを聞いてまわっているようだ。やはりこの鉄道には不法滞在している人が多く利用することがある、ということか。
2mはありそうな強面の警備隊が、アメリカ国民かと訪ねてくる。ノー。
ビザはあるかと聞かれ、パスポートを見せ、留学証明書である書類が手元にあるかときかれた。
しまった、トランクの中だ。そう伝えると、警備隊はトランシーバーで僕のビザ番号を誰かに伝え、数分なにやらやりとりをしたと思ったら、時間がない大丈夫そうだ、と言って足早に電車を立ち去ってしまった。
僕より後ろに座る人のチェックをしないまま。
全くもって、やる気があるのかないのか。

今度の電車は、自然を走り抜けていくCalifornia Zephyr号とは違い、市街地や住宅地を走っていく。
ゆっくりと走る車窓から見える街には、なんともアメリカらしい、裏庭と前庭の芝生が綺麗に整備された大きな家々が見える。
土曜日の午後、バックヤードで遊ぶ子供たちが家の裏を鉄道が走り抜けていく様子を観ている。
そういえば僕も小さい頃に、家の裏を走る電車を眺めたり、追いかけたり、意味もなく手を振ったりしていたなぁと、ぼんやりと思い出す。
僕にとっては小さい頃から電車が一番の交通手段であり、普段から乗っているその電車が好きで好きで、追っかけていた。
バックヤードから電車をみているアメリカの子供達は、車社会ゆえあまり電車に乗る機会もないのだろうか、食い入るように物珍しさと憧れの眼差しと僕の乗る鉄道を見つめていた。

途中、スコールに見舞われた。電車が止まる。
こんな雨で泊まってしまうほど軟弱な電車なのか、こいつは!と思ったが、前の方の座席で雨漏り始まったと乗客が騒いでいた。
どうやらそのとおり、軟弱らしい。

その後も止まったり走ったりを繰り返し、予定時間を大幅に遅らせながら電車は進んでいく。
最終的にボストンに到着したのは、予定より5時間遅れのAM2時。
お世話になる方の家にこれから訪ねるわけにもいかず、閉まっているフードコートのベンチで仮眠することにした。
そこには先客がいた。スパニッシュ系のフードコート従業員と、駅の夜間警備員。
その警備員は、3時間ほど寝ていたら僕のところにやってきて、ここは寝る場所じゃないぞ、と優しくただして去っていった、自分も寝てたのに。

そんなわけで、アメリカ大陸横断は終了した。
車で横断したのではないため、横断と言っても、ただ鉄道の中に座っていただけだ。
でも、飛行機で何十倍も早く大陸を渡るのとは違い、この国の大きさであったり自然の豊かさ、多様性、開拓史の頃から残るのであろう貧しい雰囲気などを感じ取ることができた。
アメリカは、広い。そして世界はもっと広い。
ヨーロッパ旅行の序章のような位置づけでいたこの鉄道旅行が、ひとまず無事に終わってよかった。
これからボストンで3日ほどのんびりして、いよいよロンドンに向かって出発する。

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