6/23/2014

沖縄「空はつながっている」



沖縄戦の事実上の終結から69年を迎えた。
毎年6月23日に行われる沖縄全戦没者追悼式では、例年、小学生が書く「平和の詩」が朗読される。
昨年の詩「へいわってすてきだね」がなんだか強く心に残っていて、新聞を切り取り保存していた。今でもたまに読み返す。ブログでも紹介した。
今年のそれは、「空はつながっている」であった。


沖縄は今年で返還42年になった。しかし、この「返還」や「復帰」という言葉が間違っていると思い生きる人がいることを知った。
明治時代初期、日本政府の廃藩置県政策の一環により「琉球王国」から「沖縄県」へと処分された。1872年〜1879年にかけての琉球処分である。
清国との国交は断絶され、日本政府は臣民化・同化政策を推し進め琉球語を弾圧した。


日清戦争(1894)、日露戦争(1894)、第一次世界大戦(1914-1918)と続く戦争の時代、日本政府は欧米列強に負けない一等国となるべく、内政ではなく外政に注力し続けた。その過程で琉球・沖縄の声は無視され弾圧され続けていた。
そして、第二次世界大戦末期、日米両政府は、沖縄に多量の兵士・武器を投入し太平洋戦争の最激戦地とした。地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われたため、この戦闘は「鉄の雨」や「鉄の暴風(Typhoon of Steel)」などと呼ばれた。


戦争が終わり、基地が整備され、1982年に沖縄は日本政府に返還された。
たくさんの負の歴史を背負ったまま。僕達本土に住む人の多くは、その中でも米軍基地だけをとりあげているが、もっともっと深いところまで理解を深めるべきだと思う。


現在でも沖縄は言葉も独自のものを持ち、文化も独自のものを持っている異国という側面を持っている。日本本土の文化圏とはかなりのちがいがある。日本政府、米軍、またその前の薩摩藩と清国などから様々な文化が持ち込まれ、また主体的に取り入れていく中で、かなり同化は進んではいるが、それでも様々な文化の交流の地としての沖縄の独自の文化というものがある。


9月にフィールドワークで沖縄へ行く。
嘉数高台 南風原陸軍病院、轟の壕、ひめゆり資料館、魂魄の塔、摩文仁の丘といった戦跡を訪れる。嘉手納基地 普天間基も訪れる。
1周間から10日間、可能であればもっとゆっくりと滞在して、日本社会の根源的な矛盾の現場へ足を運び、当事者の声に耳を傾け、忘れ去られていくものを見つめてみたい。
無関心から先ずは自らが脱却する。
そしてルポ、ブログ、写真、ドキュメンタリー…何らかの形で見つけたこと・考えたことを発信し伝えてみたい。

すべての国よ上辺だけの付き合いやめて
忘れるな琉球の心 武力使わず 自然を愛する
自分を捨てて誰かのため何かができる
―MONGOL800「琉球愛歌」



『空はつながっている』

真喜良小学校三年 増田 健琉



ぼくのお気に入りの場所

みどり色のしばふに

ごろんとねころぶと

そよそよとふく風がぼくをやさしくなでる

遠くでひびくアカショウビンの鳴き声

目の前ではお母さんやぎがやさしい目で

子やぎたちを見まもっている

青あおと広がるやさしい空

 

でも

遠くの空の下では

今でもせんそうをしている国があるんだって

ばくだんが次つぎとおとされ

なきさけびにげまわる人たち

学校にも行けない

友だちにも会えない

家族もばらばら

はい色のかなしい空

 

空はつながっているのに

どうしてかな

どこまでが平和で

どこからがせんそうなんだろう

どうしたら

せんそうのない

どこまでも続く青い空になれるのかな



せんそうは国と国のけんか

ぼくがお兄ちゃんと仲良くして

友だちみんなともきょう力して

お父さんとお母さんの言う事をきいて

先生の教えをしっかりまもる

そうしたら

せんそうがなくなるのかな

えがおとえがおが

遠くの空までつながるのかな

やさしい気もちが

平和の心が

丸い地球を

ぐるっと一周できるかな



まだ子どものぼく

いのる事しかできない

どうか

せかい中の子どもたちみんなが

学校に行けますように

友だちとあそべますように

にこにこわらって

家族でごはんが食べれますように

夜になったら

すてきなゆめが見れますように

しあわせでありますように

いつか友だちになれますように



白い雲

ぼくの平和のねがいをのせて

この地球をぐるっとまわって

青い空にそめてきて



きっと

せかいは手をつなぎ合える

青い空の下で話し合える

えがおとえがおでわかり合える

思いやりの心でつうじ合える

分け合う心でいたわり合える

平和をねがう心で地球はうるおえる



だから

ここに

こんなにきれいな花がさくんだ

だから

こんなに

ぼくの上に

青い空が広がっているんだ

6/19/2014

人間の軸

"常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションを言う"
-アルベルト・アインシュタイン
"Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen."
-Albert Einstein

友人と飲んだ。恋愛相談を受け、色々と話をした。
恋愛は難しい。それは、各自が自分が正しいと思う尺度や常識で相手を測り、そこから逸脱した好意をすべて「ありえない」「考えられない」「浮気」と 判断してしまうから。しかし、その判断の基準となるべきものは、先の引用にあるような、各自の偏見でしかありえない。
十人十色の恋愛観があり、それは各々の偏見の集まりであり、恋愛の「常識」などは存在しない。


付き合い始めの当初に、こんな話をする彼氏彼女がいると思う。
「何をしたら浮気になると思う?」
異性とお酒を飲むこと、手をつなぐこと、 キスをすること。
ボディタッチが多いのは、その人の性格、多めに見てあげなきゃ。
連絡なしに異性がたくさんいる場所にいくのも、社交場しかたないことだよね。
勢いで、一晩を他人と共にした。それも、経験。誰でも誤ちは犯すもの。
様々なルールを作ったり語ったりするけれど、それが守られることなく別れていったりする話をよく聞く。


若い時分は、誘惑が多いもの。理性あるときに考える様々な恋愛ルールが、簡単に、本当に簡単に破られてしまったりする。
また、若い=成長したいと考える精神から恋愛に対して求めるものは、相手との付き合いのなかで「何を得られるか」という至極利己的なこと。
「得たい」「経験したい」「成長したい」…異性と出会うチャンスなどいくらでもあり、またそんな欲望もたくさんあるから、情に従い簡単に動いてしまう。


チャンスがたくさんあるのだから、それをしっかり掴むべき!そんな考え方も、ある。
本能のままに生きて、奔放に恋愛をし、キスをし、セックスをする。そんな考え方に、おかしくない?と考えながらも、いいなぁ…と思う気もちが僕の中にもある。
僕とは違う価値観を持っていても、そこで様々な経験、地位、お金、快楽を得ている人はたくさんいて、彼らのサクセスストーリーを見聞きして「隣の芝生は青い病」にかかって鬱々とすることもある。


清く正しくありたい。そんな自制をしつづける生き方がカッコ悪いなぁとか、生きづらいと感じることもあるけれど、それが自分自身の恋愛に関する「常識」なのだと思う。悪くない「偏見」なのだと思う。他社の価値観に惑わされない、確固たる偏見がやがては「人間の軸」となる。そう僕は信じている。


恋愛に限らず、友情、信頼、礼儀、徳…そんな目に見えない、お金では買うことができない価値観のよりどころとなるものたち。それらが集まり固まり「人間の軸」となる。一抹の寂しさや不安に揺れ動くことのない、強い軸。ある人から見ればそれは嘲笑の対象となってしまうかもしれないけれど、構わない。自身が正しいと思うことを、しっかりと言葉にし、伝える。それらを規範として行動する。
同調してくれる人は、必ずどこかにいて、ついてきてくれる。違う軸を持っている人は、離れていく。それでも、いい。


感情の懐き方に、正解も、損得もない。あってはならない。
ただそこに、崇高なるものと下劣なるものがあり、美しきものとそうではないものがある。なにを好むか、なにを良しとするか。自らの偏見を信じて生きればよいのだと、僕は思う。


6/11/2014

家族にとって大切なものを考える

映画を見ました。
「そして父になる」




今朝の新聞の社会面で各紙、同じ事件を取り上げていた。
「DNA鑑定か民法「嫡出推定」か 父子関係、最高裁で弁論」(日経)
「DNA鑑定:最高裁で弁論…法律上の父子関係取り消せるか」(毎日)
「父子関係、DNA鑑定で取り消されるか 最高裁で弁論」(朝日)

北海道の元夫婦と近畿地方の元夫婦が法廷で争っている。夫婦が婚姻関係にあるときに、妻が夫とは別の男性と交際し、子供を産んだ。DNA型鑑定を行い、99.99%血縁関係がないとわかった。しかし、民法には「嫡出推定」というものがあり、婚姻中の妊娠は夫の子とする原則がある。妻側は
「DNA型鑑定で判明された生物学的な父、そして現在養育をしている血縁上の父を法律上の父とするべき」
と訴え、夫側は
血縁がないことを理由に親子関係を否定すれば、養子縁組制度なども否定することになる」
「親子の絆は愛情を注いで築くもの。DNA鑑定だけで引き裂かれるのは受け入れられない」
と反論、互いに法律上の父子関係(親権)を得ようとしている。


新聞で報じられていた事件と、赤ちゃん取り違えを題材にした是枝監督の「そして父になる」は、形こそ違うけれど、同じことを世に問うている。
親子を「親子」たらしめるものは何なのか。
血のつながりか、愛した時間か。
家族のかたちを定めるものは何なのか。
法的な親子関係か、道徳観か。


是枝監督が、この映画を撮るきっかけとなったエピソードを昨年10月のAsahi Shinbun Globeで述べている。(→[第107回]血縁か、一緒に過ごす時間か
娘が3歳だったとき、撮影で2カ月くらい家を空けたことがあった。久しぶりに家に戻り、翌日仕事に行こうとすると、娘は一言、「また来てねー」と。僕としては、血のつながった父親だし、ちょっとくらい間があいてもすぐ父親に戻れる気がしていたのに、子どもの中では一緒にいる時間のほうが大事だったのだ。そんな出来事もあって、「血のつながり」と「一緒に過ごす時間」を次の作品のテーマにしたいと思うようになった。
そんなテーマを描いた作品は、多くの人の心をとらえた。


親子関係、家族のかたち、それらを法律や科学的根拠だけで定めることができるのだろうか。
家族の姿は多様化している。結婚していない男女間に子供が生まれること、性同一性生涯でトランスジェンダーした人を含む家族、或いはゲイ・レズビアン・バイセクシャル同士のカップルが精子・卵子提供を受け子供を授かるということも、日本ではまだまだ少ないけれど欧米では、ある。増えている。
3年前になるけれど、「母2人子2人」の家族を描いた映画「The Kids Are All Right 」を見た時にも、新しい家族のかたち、社会のしくみを少し考えた。
(→All Over Coffee 「The Kids Are All Right」


感情にしたがって、素直に答えれば、家族のかたちや親子のつながりは、「愛」をボンドにして存在すべきであると思う。「家族」=「?」なんて問題に、「法律」「血縁」「金」なんて無粋な言葉を選びたくはない。縛ることのできない、量ることのできない、大切ななにかを入れたいと思う。
でも、「The Kids Are All Right」で描かれているように、子供は、そして人は、自分自身の本当のルーツを知りたがり、そこに何か絶対的なものを感じるのではないだろうか。自らの選択で、或いは誰かの選択によって決められた生き方ではない、運命の計らいによって産み落とされたことなどに。
僕は、僕がここに存在していることに感謝をするときには、父さん母さん、その父さん母さん、ひいじい、ひいばあ、会ったことないご先祖様…そんな血のつながりを思い浮かべる。おじいちゃんの血液の4分の1、ひいばあの血液の8分の1が自分の中で流れているなんてことを思って、身を引き締める。


「親子関係はDNAが半分。あと半分はつくるものと思う」
今朝の記事を受けて、朝日新聞紙面では1977年に発覚した「赤ちゃん取り違え事件」のその後を取材したノンフィクション作家、奥野修司さんのこの言葉を引用していた。

家族のかたちはそれぞれで、画一的にさだめることはできない。
付き合った年月の積算値でも、DNA型鑑定の99.99%なんて数字でも打ち壊せないものを、時間と思いの掛け算なんかでつくるものなのだろう。
だから…家族との時間を大切にしたい。
映画を見て、涙を流しながら、そう思った。

(→All Over Coffee 「家族との時間は、僕達が考えているよりもずっと短い。」)

6/06/2014

水の流れる都市は美しい

水の流れる都市は美しい。そう感じる毎日だった。
フランスのAnnecyでの学会を終え、足を伸ばして訪れたのはスイス・チューリッヒとジュネーブ。久々のヨーロッパの旅だった。


Annecyはヨーロッパ随一の透明度を誇る湖の都市。前回のブログで写真をたくさん載せたけれど、街には水路があり、さながら水の都ヴェネチアのような趣がある。旧市街を流れる水の音が、交通量の少ない街に溶け込む。橋の上のマルシェ、川端のカフェ、人々は水の流れを全身で肝心ながら日々を暮らし、この街での滞在を楽しんでいるようだった。


同じ様子がスイスでも見られた。
フランス語圏のチューリッヒとドイツ語圏のジュネーブは、街のつくりや雰囲気が驚くほど異なっていた。それらの違いは、おそらく、建国の成り立ちなんかにルーツがあって勉強不足で僕にはよくわからない。けれど、どちらの都市にも湖が接し、水路が流れ、そのほとりに人がいた。


ロンドンにはテムズ川が流れる。パリにはセーヌ川がある。ニューヨークにはハドソンリバー。ローマにはあまり有名ではないけれどテヴェレ川、そして有り余るほどの噴水。サンフランシスコは半島で三方を海に囲まれている…大都市の成り立ちに思いを馳せれば、当然、そこは必ず人とモノの交差点となった場所であり、海運・水運が発達した場所=水の流れる場所であったのは自然なこと。だから多くの都市にはランドマークとなるような海、川、水の存在がある。


「東京には、パリのセーヌ川のような川がありますかね…」
後輩がそんなことをつぶやいた。どうだろう。隅田川かな、でも、セーヌやテムズみたいに世界中の人を魅了する川ではなさそうだな…。東京の下町で生まれた人々は、もしかしたら、隅田川の流れを見つめながら愛やらなんかを語ったりしたのかもしれない(いや、でもそんな光景は似合わないと僕は思う)けれど、東京の西の下町に生まれた僕にとっての川や海の思い出は、荒川の土手を滑り降りていたぐらいのもの。水の流れを見つめた記憶はない。


流れる水の働きは、単に街を飾り物流を加速させるだけではない、測ることのできない影響を人々に与えていると僕は思う。それは人を見とれさせる美しさであったり、愛を語るパーミッションであったり、音楽を奏でたくなったり、人恋しくなったりする…そんな人の本質に近いものである気がする。


水の流れる都市は美しい。