12/30/2013

「和魂洋才」を目指して

2013年を振り返ってみると、日本に対する意識がまた一層深まった1年だった。
タイトルに「日本」と付くブログ記事をたくさん書いた。その多くは留学やバックパック経験から得た様々な気づきを、比較文化論的に書いたもの。自分自身の日本に対する無知を恥じるような内容でもあったようにも思う。


僕だけではなくて、社会的に「日本」を意識する風潮になりつつある。
2020年に開催が決まった東京五輪は、世界に対して東京や日本をどのように売り出すかを考えるきっかけとなる。日本らしさについての論議が深まる。
僕のように海外を経験する若者は、みな口をそろえて「日本の文化を知らなかった」と言う。彼らは日本を知ろうと努力する。
そして、僕の祖父が亡くなったように仕事一筋で高度経済成長を支えてきた団塊の世代の父母が亡くなっていく。身近な人の死と、それに伴う葬式などで初めて向き合う仏教などの文化。自らが生を受けた意味を感じ考えるときに寄り添う宗教に、人の意識は向かう。
若者も、年長者も、そして経済も、日本を意識し始めている。
これから数年、どんどん「日本人らしさ」がキーワードとなるだろう。


社会の成熟に呼応するように、日本の伝統文化に回帰しようという動きも目立っている。僕達がものごころついてからの社会は、デフレだの、失われた20年だの、経済が青天井に成長するような風潮を欠いていた。その結果、必然的に意識は未来ではなく過去に、物質性ではなく精神性を重視する。そんな傾向は特に若者に多いという。
神社仏閣を訪れる20代、30代が増えている。テレビ番組では「和風総本家」「謎解き江戸のすすめ」「ケンミンSHOW」のような日本らしさを看板にしたものが目立つ。お正月、花見、花火大会などの日本特有の季節行事を大切にしたいと考える人も多い。


僕はこの日本に意識が向かう傾向は概ね良い傾向だと考えている。
今まで、様々な国のコンセプトに乗ってきた僕達日本人。僕は「米国西海岸の〜」「ジャズが似合う夜の〜」「伝統的な欧州の〜」そんな広告を無意識にいいね!と考えてしまっていた。でも、日本のことも知らないのにそんな海外のブランドを信仰してしまうのはなんだか悲しいな…と最近感じ始めた。日本の美意識やブランドを、まずは見つめなおすべきではないだろうか。


そして、できることならこの傾向を一時的なものにしたくない。
スターバックスの抹茶ラテや、花火に浴衣を着ていくこと。美味しい和食食べました!刹那の日本を楽しむ、そういった商業ジャパニーズも悪くはないけれど、もう一段階深く、僕(と、僕が大切だと思う人)が生まれ育った国についての理解を深めてみたい。なぜこんな文化があるのだろうと、身近な日本を時系列にそって体系的に紐解いてみたり、50年後、100年後に残したい日本はなんだろうと考えてみたり。


決して、日本を唯一崇高なものだと考えろ!と言っているわけではない。
考えることなく自分の国を大切だと思うことは、危ないナショナリズムに直結してしまうものだから。けれど、もう少し、自らの文化を苦しみながら学んでみてもいいのではないかな…と思う。


2014年。
日本の文化や歴史をしっかりと考え感じ、自らの芯となるものをより強く、より深くしたい。単純な日本ブランドに流されるのではなく、なんでこれがいいのかな?守らなければならないのかな?という意識を持ちながら、しかし大切にしたい価値観を見極め、たくさん学んで行きたいと思う。


長々と書いたけれど、2014年の自らが拠り所としたいものを一言で表すと、「和魂洋才」。
「洋魂和才」でも、「和魂和才」でも、「洋魂洋才」でもない。
海外と日本を対比し、日本の劣ってるところを見つけ考えていくけれど、魂はあくまでも和風で生きたい。


一年の始まりを祝うお正月。
それは日本の文化をさらに強く感じる季節でもある。「歳神さま」を家庭で迎えるために、目印である門松を立て、御節を用意し神と食事を共にしつつ、福を招き災いを打ち払う願いを込める。


皆様が、日本が、そして世界がよりよい1年となりますように、初詣では神にそうお願いしようと思う。


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