8/19/2013

誕生日とか、生命とか、日々のこと。

鎮魂の季節が、僕の誕生日を挟んで、今年もまた過ぎていった。
広島・長崎からの終戦記念日。今年の春に訪れた街々や靖国神社の様子やその時々に考えたことが再び脳裏に浮かぶ。


ジャーナリズムコースのクラスメートが、終戦記念日に靖国神社に訪れ、その様子をfacebookにポストしていた。
「君は22歳か。早く結婚して、子供をたくさん産みなさい。そして、お国のためになる子供を育てなさい。」シベリアから戻ってきたという、92歳のおじいさんに投げられた言葉。小学生の子供を連れた家族を見た。子供の額には「必勝」のはちまき。手には旭日旗。錆びた鉄兜を見ながら、「こうやって戦うんだよ」と、水兵帽をかぶった息子に言う父親。突然現れたアンパンマン。拳を振り上げ、汗で服を濡らし、喉が枯れんばかりに軍歌を歌う人々。集まる人に対し、解散を求める警備員に「帰れコール」「ここは中国じゃないんだ」と声を張り上げるおじさんたち。
アニソンをipodから大音量で流しながら、陸軍についてアツく語る学ランの学生。

私は戦争のために、子を産めない。
彼女が見た様子は靖国神社の一面でしかないと思う。
それでも、最後の言葉が、心に響く。


誕生日を迎えて、たくさんの友達からfacebookでメッセージを送ってくれた。
”happy birthday”
たったそれだけの言葉が、僕の心を明るくしてくれる。ちょっとおおげさかもしれないけれど、生きててよかったなぁとか、幸せだなぁって、感じる。そしてこの世に生を受けたことに感謝したくなる。
父さん母さん、ありがとう。


留学友達から、不意に、一通のエアメールを手渡された。
「はい、これ竜之介に、日本の友達から」
San Franciscoで出会った親友達からの、サプライズ誕生日メールだった。

たった1秒、人差し指に電気信号を送れば"Like!"と感情を表せる世の中。無料で、一瞬で、0と1の配列が海を越えて伝わる時代。それにもかかわらず、わざわざ手紙(と似顔絵)を書いて送ってくれる人が僕にもいるということが、涙が出るくらい嬉しかった。
たくさんの物事がインスタントになっていく傍らで、昔からあるものの価値は相対的に輝きが増していく。


その留学時代を共にした親友の1人が、この前僕らに驚きの報告をした。
「妊娠6週目!このままなんもなければ、来年3月にはうまれる。いま、9mm。ちっさ。」
笑顔の眩しいキャピキャピな彼女も、来年春には母親になる。新しい生命が生まれてくる。ちいさいちいさい生命が。おめでとう。これも、涙がでるくらいうれしいこと。


亡くなっていった生命と、生まれてくる生命。それらを取り巻いて、たくさんの人が、たくさんの感情を抱く。ときにそれは過激になり、ときにそれは無神経になる。過去の悲惨な生死を知り子供を産めないという友の声と、新しい生命を授かったことを喜ぶ友の笑い声が聞こえてくる。


自分が生まれてきたということをなんとなく考えながら、そんな僕の周りの生命のことをつらつらと考えた。答えは出ない。意見はまとまらない。


留学生活も半分を終えた。
事前に伝えられていた研究内容ではなくなったり、研究方針が急激に変わったりしててんやわんやになったりしているけれど、日々を楽しめていると思う。留学生とも研究の話や将来のキャリアの話をまじめにしたり、馬鹿話をしたり。笑いが絶えない。


写真は留学メンバーで登ったLAの最高峰Mt. Baldyの山頂、10,068ft (3069m)から、ルームメイトと。
サンタモニカ、ベニスビーチのパームツリー。







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