3/10/2013

平和ってなんだろう。

僕の誕生日は8月9日。小学校の頃に自分の生まれた日に歴史上どんなことが起こったのかを調べる時間があり、そこで、8月9日が長崎に原発が落ちた日だと幼かった僕は知った。今でも誕生日を覚えてもらうために使うフレーズは変わらない。

「誕生日?長崎に原発が落ちた日だよ。」


義務教育のもとで、あまり記憶には残っていないけれど、「戦争はいけないね」と眈々と教わり漠然と考えるようになった。「ヒロシマのある国で」を歌い「はだしのゲン」を読んだ。
けれど、高等教育に移るに連れて、大人になるにつれて、一日の時間が早く感じるようになるにつれて、日々想像力が枯渇していく毎日を送るにつれて、澄んだ目が曇り透明な思考が濁るにつれて、学ぶ機会も考えることも減っていった。
これから社会に出たらもっともっと考えなくなるのだろう。


日本人から「平和」という言葉が遠ざかる一方で、今でも世界の多くの人々は広島・長崎を核の犠牲の地としてしっかり認識している。
留学をしたり旅をしたして異国の人とつかの間の会話を交わす。その中で日本出身だと告げると、「オー、ヒロシマ!ナガサキ!」と答える人は少なくない。そんな時に僕はどんな反応を示せば良いのかわからなかった。
笑えばいいのか、悲しめばいいのか。
怒ればいいのか、泣けばいいのか。
最後の被爆地を抱える被害者を演じればいいのか、核の傘に守られて平和を論じる偽善者になればいいのか。
無知である自分を恥じた。


北朝鮮の核実験、平和憲法の改正、福島の原発事故、アジアの近隣諸国との諍い…
「核と平和」というテーマは今でも日本をやんわりと包んでいるけれど、僕たちの世代の身体には染み込まない。でも、僕は思う。おそらく僕達がこのテーマに本気で考え感じられる最後の世代になるのではないか、と。戦争とその後の運動を肌身で感じ生きた祖父祖母の世代と、僕の子供の世代はもうほとんどつながらない。祖父を亡くしてそう思った。
被害者の側から核を考えることができる稀有な人間は、世界からどんどん減っている。


僕が生まれた日にちに最後の被爆地になった場所・長崎に着いた。今回の旅の目的地の一つだ。
龍馬ゆかりの道を歩き、異国情緒感じる街並みを楽しみ、そして原爆の記憶を伝える街を考えながら歩いた。

平和ってなんだろう。

「原子爆弾落下中心地」と書かれた盤とモニュメントのある広場で、空を仰ぎ見る。

平和ってなんだろう。

涙が溢れてくる。

平和ってなんだろう。















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