11/28/2013

人のなにかを1ミリだけ動かす

表現することを褒められる機会が昔に比べて増えた。
このブログを書き始めて様々な人が読んでくれて意見を言ってくれたり、こういうことではないですか?と投げかけた質問が面白いねと言われたり。何かを表現することが苦手だった僕にとって、これはとても大きな変化。そしてその楽しさと自らの満たされる気持ちを日々感じている。


Discover21の干場社長とのお話で伺ったことがある。

「私は”感動”というものを大切にしている。ただ”感じる”だけではなく、その後に”動くこと”があって、初めて世界が変わるのだと思う。」

人は、もっと、何かを表現するべきだと思う。

テレビを見る、漫画を読む、勉強する…それらすべての”感じる”ことの次に、”動き”を起こすことが大切。それは僕のこのブログのようなちょっと概念的で稚拙なものでもいい。家族との食卓や電話での久しぶりの元気?っていう話でもいい、大切な人との寝る前の今日あったこと報告会でもいい。もっとシンプルに、「ありがとう」と口にだすことも僕はすばらし”動き”の一つだと思う。自らの内側にたまった感情を、動かすこと、外にだすことがなによりも大切なのだと常々思う。
表現の使命はひとつ。 
その表現と出会う前と後で 
その表現と出会った人のなにかを 
1ミリでも変えること。
電通のエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターの高崎さんの言葉。


私はこの旅でRyuの表現力の深さに脱帽しました。 日本語でも英語でも人に伝わる言葉を紡げるあなたはすごい。私のコミュニケーションは言葉よりもパフォーマンス中心なので、「もっと自分の(言語)スキルを高めないと」と新たな目標を得ることができた旅でした。 
ジャーナリスト会議で出会った素敵な人に、こんな嬉しいメッセージをもらった。
1ミリだけれど、僕の表現が誰かを変えた。そして彼女のメッセージという表現が、僕のなかのなにかを1ミリ変えた。


こうやって、人は、互いに互いの心を1ミリずつ動かしあっている。
思ったことを、伝える。考えたことを、発表する。
ただインプットを増やして、「俺はいろんなことを経験して、学んでるんだぜ、すごいだろ」って世をシニカルに見るのはやめよう。そんな姿のままでは、なにも動かさないし、なにも返ってこない。



人のなにかを1ミリだけ動かす。
たっとそれだけのことだけが、難しく、恥ずかしく、めんどくさい。
でも、それが何よりも大切なのではないだろうか。
誰かのなにかを1ミリ動かせればいいなと思いながら。


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