7/11/2013

ラマダンが始まった

UCLAの現在滞在している寮から、昨日の晩に一通のメールが来た。
Dear Summer Residents,

In our efforts to accommodate students who are participating in Ramadan, dining will be providing to go options for those observing Ramadan. Since none of the dining halls are open before sunrise, housing will be offering an opportunity for you to pick up food the day before which includes a bagel, a fruit and a juice.

In order to participate in this program, you will need to fill out the form below by 5pm tomorrow, July 10th. When you pick up your breakfast, a swipe will be deducted from your meal plan.
ラマダンが10日から開始される。学生寮の食堂は夜明け前にはオープンしていないので、ラマダンに従う人は前日にベーグルやフルーツ、ジュースなどを持ち帰ることを認めますよという内容のものだった。

ラマダンとはイスラム教の断食月のこと。 預言者ムハンマドが神から啓示を受けた月で、信徒は日の出から日の入りまで飲食を断つ。「断食」というキーワードからなんだか辛いものであるというような印象があるけれど、実は日が出ているだけ飲み食いしなければよいので、日の入りと同時に食事を始め、夜通しお祭りのような雰囲気となる地域もある。

昨年訪れたチュニジアはイスラム教が国教となっている国。仲良くなった友達にラマダンの話しを聞くと、「実はラマダンの間のほうが太ってしまう」とか「生理中や妊娠をしていたり、病気だったら飲み食いしてOK」など厳格なしきたりかと思っていた僕にとっては「えっ、そうなの!」という驚きが多かった。

日本にもイスラム教の人が増えてきた。僕の日本の研究室にもインドネシアからの留学生の女性がいて、頭にはスカーフを巻いていて、ハラムに従って豚肉やアルコールは飲めない。飲み会とかを企画するときには、彼女が食べられる料理がある店(海鮮ものとか野菜とか)かを少し気にするし、鍋パーティーをしたときには肉エキスが入っていないスープのもとを選んだりしている。

それでも、日本ではまだまだ認知している人が少ないし、僕が受け取った1通のメールのように、寮とか社会といった人々が属している仕組み側から能動的に働きかけて機会均等を目指すという意識が欠如している用に思える。これは決して宗教だけに限った話ではなくて、人種、趣味嗜好、意見の違い、身体障害といったものに関しても。

アメリカに来て1週間。
身体障害者や車椅子を使用している人がバスに乗るとき、ものすごくバスが傾き、さらにタラップまでがおりてくる仕組み。ラマダンの人のための食事に関する配慮や、宿にお祈りをするための部屋が設けられていること。
意識をすればこういったことはもっともっと見つかる。
「これらのものは合って当然!」
そう思えるような気持ちで常にいたいし、日本に帰っても、
「なんでそういうものがないの?」
と疑問提起できるようになっていたい。

マイノリティのことを思える感性が世界をもっとよくできる。
僕は結構本気で、そう信じている。

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