「メキシコに行ってくる」そう言ったときのアメリカに住む友人の反応の多くは次のようなものだった。
「1人で行くの?危険だからやめたほうがいいよ」
「旅行者が惨殺されたってニュースをしょっちゅう聞くけど大丈夫?」それらはみな、ネガティブなものばかり。Los Angelesの市中の本屋で見つけた報道写真集(名前は失念)はメキシコのドラッグウォー(wikipedia)の被害に遭い惨殺された人々の姿を生々しく写し、メキシコ行くのやめようかな、と思わせるに充分な内容だった。(トルコのカッパドキアにて今夏被害にあった2人の大学生の話も聞いていたので)
麻薬がらみの犯罪が横行し、それに伴い腐敗が発生し、貧富の格差が広がっている。誘拐事件や虐殺死体のニュースはかなりの頻度で報道されている。アメリカ側から見たメキシコの姿は、地獄絵図のように形容されていることが多い。確かに、凶悪犯罪が発生していることは確かであるし、外務省も渡航に関して特定地域へ行く際に注意を喚起している。(→外務省 海外安全ホームページ)
上で述べた話は、すべて事実である。でも、それらの情報だけを得て「メキシコは危険」だと判断するのは間違っていると僕は思う。なぜならそれらはメディアによって「ネガティブな一面だけ」を「過度に強調して」編集された情報であるように感じられたから。
本当のメキシコの街ってどんなものなんだろう。メディアが報道しない「当たり前」のメキシコはどんなものなのだろう。
ポジティブなメキシコを見てみたくて、僕は旅することにした。
メキシコの街を歩き見た感想を、一言で言うと、「綺麗」になるだろう。
San Francisco留学時代に出会った友人のLuisが案内してくれたQueretaroの街は石畳が美しく、広場に集う人々の笑顔がやわらかい。メキシコ最大の街、Mexico Cityは清潔で活気に溢れ日本の新宿を思わせる。世界遺産に認定されているPueblaは数々の教会とレストランの照明に照らされて明るく輝く。移動に使った街と街をつなぐ高速バスはいままで乗ったどのバスより(日本も含め)も快適で、英語は通じないことが多いけれど現地の人々はみな優しかった。
日本でも、例えば、ひどい犯罪は発生している。子供が親を刺殺する。いじめで小学生が飛び降りる。包丁を持って小学校に乱入…このような事件をメディアはどのように報道しているだろうか。日本に住む僕達にはそのような悲劇的な事件が日常茶飯事のように発生しているのではないと感覚的にわかる(と思う、そう会って欲しい)けれど、海外の人々はどうだろう。ある一面の情報だけが切り取られ、否定的な印象を与えるためのプロパガンダとして使われてはいないだろうか。
今回の旅をして、思い起こしたのはサッカー日本代表の中田英寿さんの言葉。(→日本を勉強しようと思い立った」)
「人に合わないと、文化の素晴らしさはわからない。情報はインターネットで手に入るが、最終的に「わかる」には自分で体験するしかない。だから、人に会いに行くのが僕の旅。」結局は原体験を積まないと本質的にモノゴトが自分自身のなかで理解されるようになることはない。でも、僕の時間は有限ですべての出来事に触れることは不可能。だから、以前に書いたブログ記事「切り取られた表現や事実を補間する力が欲しい」で述べたように、想像力や裏側にあるもの、今回のメキシコ良好に関して言えば「ポジティブなメキシコ」を意識できる力を養いたい。その気持ちをまた強く感じる旅となった。
最後に…当然だけれど、メキシコの街はポジティブだらけではなかった。Guanajuato, Pueblaの街ではデモする労働者階級とみられる人々の姿を見かけた。街中には警察が多く、マシンガンを持つ警官と肩をぶつけてすれ違うこともあった。Mexico Cityの中央に位置する"Monumento a la Revolucion"はホームレスのような人々が集いテントでできた巨大な迷路のような様相を呈していた。
陰の中から陽を。陽の中から陰を。
そのどちらも重要で、想像する力、実際に見に行く行動力、さらには改善するためにできることはないかと悩む力を持ち続けていたい。大きすぎるトピックだと分かっていても。1人の力でできることなど限られていると知っていても。これからも。
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