先週までのインターンシップで、印象に残るお話をしてくれた方がいた。
企業の話そっちのけで、歩んできた人生の話や、結婚のこと離婚のこと再婚のことを話してくれた方。「絶対に結婚は一回にしなさいね、みなさん!」と茶目っ気混じりに伝えたあとに、少し、声のトーンを変えていった言葉。
「私はね、神様ってものを信じてるんですよ。毎日正しく生きていれば、きっとそれは自分に帰ってくる。そう思って毎日を過ごしていますよ。」
「人に関心を持つこと、人から関心を持たれること、それが何よりも大事です。」様々な哀しみと努力をしてきたからこそ心の底から伝えようとした言葉であるように思えた。本当にそのとおりだな、毎日をしっかりと過ごして行こうと背筋が伸びた。人間として尊敬できる素晴らしい方から頂いた言葉だった。
すべてを流された石巻の漁港へ科学ジャーナリストの国際会議の通訳として赴いた。風評被害と闘いながら会社の再建を目指す水産会社の社長へのインタビュー。
「震災後はね、家族は大丈夫だったかとか、そんな話、大々的にはできませんでしたよ。みんな何かを失って辛かったのだから。だから、漁港では哀しかったけれど仕事の話だけをしてました。でも、従業員の目を見て、その中に暗いものをみたら事務所に呼んで二人で話して。泣きながら誰がなくなったかとか、私にできることはないかとかを聞いたり…そうやって、少しずつ少しずつ良くしていくしかありませんでした。」目に涙を滲ませながら話してくれた。社長の言葉を通訳する僕の声も、震えた。
このお二人の言葉は、最初、全くもって相反しているように思えた。一方は神や仏が善行を見ているからしっかりと生きていなさいという。しかし、もう一方は、日頃の行いが悪かったとか罰が当たったとかそんなことでは納得できないほど突然に、多くのものを失った。
それなのに、このお二方が話してくれたことはどちらも「日本的なもの」だな、と。そのただひとつの精神性、常に行い正しく生きていく姿勢も、哀しみ怒りを露わにせず密かに涙する心も、そこのところが通じているのかな…と、感じた。
小雪。
津波被害で多くの建物が流された女川。真新しい外壁の家々の合間にある、野草が茂る空き地には、花束が添えてあった。漁港の横には5階建てのビルが横倒しになったまま残されていた。オオタカか鳶が、静かにその上空を飛ぶ。
土地の魚には、土地の酒が合う。
放射能に対する風評被害、僕はあんまり気にしない。放射能は含まれているかもしれない。でも、それがどれだけ危険かどうかは科学的に立証されていない。出荷されている食品の放射能量に統計的有意差が見られるほどの危なさはない。なのに、ただ放射能があるかもしれないということで人々は恐れる。僕も、正直、自分の奥さんとか子供ができたら食べさせるかと言われたら悩むけれど、少なくとも、僕は、食べる。漁港で風評被害に負けないように働く人々の涙を見た。自らの安全性なんかよりも、大切にしたい繋がりが僕にはある。
「東日本大震災被災慰霊之碑」に手を合わせる。
被災地の空は悲しいぐらい青く、澄んでいた。
0 件のコメント:
コメントを投稿