3/13/2015

南米、ラテンなバスの旅

LimaからIcaまで、8時間。
IcaからCuscoまで、16時間。
CuscoからPunoまで、7時間。
PunoからLa Pazまで、10時間。
La PazからUyuniまで、12時間。
UyuniからAtacamaまで、10時間。
AtacamaからSantiagoまで、23時間。
SantiagoからBuenos Airesまで、25時間。
これら全て、バスの乗車時間。

そんな長い時間乗ってるの、疲れないの、馬鹿じゃないのと言われてしまいそうだけれど、僕はこのバスの旅がとても楽しくて、さらには贅沢だと思っている。

チリ、アルゼンチンの長距離バスはほとんど全てがロンドンのダブルデッカーのような二階建て。二階の最前列(値段は一番安いsemi-cama)を押さえることができれば眼前にはパノラマが広がる。メンインブラックのオープニングを想起させる悲しくも交通事故に遭われた虫が多数ひっついているのはご愛嬌。隣の席にマラドーナ風の暑苦しいおっさんが神の手で変なことしてこなければ快適なこと、この上ない。今のところ、メッシ似のおばさんがサンティアゴで汗だくになりながら乗り込んで僕の隣の席に座り音楽をガンガンにかけていたけれど、アルゼンチン国境で税関とスペイン語でワーワーやって、入国させてもらえずいなくなったというファールにしかかかっていない。レッドカード一発退場だったのか。グッバイ、ファンタジスタ。

それよりも、バスの旅だから感じられることがたくさんある。
南米最貧国のボリビアのインフラ状況は悪路の続く無限振動地獄より全身で(おもに臀部で)実感した。
ペルーにおけるインカコーラ、オロナミンCからビタミンCを除いたような摩訶不思議な炭酸飲料のシェアの高さを、地の果てと思える場所に立つ無数の黄色い広告から推測できた。
アンデス山脈の雄大さを、いろは坂を凌駕するヘアピンカーブの連続(チリ側ではカーブ毎に"curve ◯◯", と番号が記されており、その数まさにアルファベットと同数の26であったような。ABC坂「アーベーセー坂」と名付けたい。)と破裂寸前までに膨らんだポテチの袋から推し測れた。

窓から見えるローカルピーポーの姿も、しっかり観察すれば民放が作る下手なドキュメンタリー番組なんかより面白い。
排ガスまみれ、ドライバーから丸見えの路肩のベンチで抱き合うカップル達。ラブホなどの個室、清潔なシーツの上でしか愛を確かめ合えない日本人との対比に苦笑。
南米名物、信号待ちの物乞いアクロバット。ドラム缶の上に乗って、バナナや小さな桃を5、6個ジャグリングするおばさんを見て驚愕。凄い。それ、売り物じゃないの?
高地で多数出会ったビクーニャ、アルパカ、リャマの見分け方も身についた。それぞれ、スリムで毛並が美しい(食べるところ少なそう)、フワフワで可愛い(毛を刈ったら身なさそう)、中肉中背(昨晩のステーキ美味しかったなぁ)。バス移動、何せずとも腹は減る、そんな人間の真理にたどり着く。

飛行機のように目的地と目的地を点で結ぶ乗り物からは得られない経験が、バスの車窓からは得られる。でも、欲を言えばダブルデッカーの二階よりももっと目線を下げたい。以前に書いた人間の速度を感じられるスピードのような自転車での旅はこの広大な南米では難しいだろうけれど、やはりもう少し自分の意思で進み止まり、そこに生き暮らす人々と同じ目線に立ち、現状を見通せる視座が欲しかった。アルゼンチン生まれのチェゲバラが相棒とバイクにまたがり、南米を旅をしながら革命運動へとつながる仲間であるカストロと出会いや、様々な問題意識に目覚め、理想主義にひた走るようになったように。

旅とは、改めて、ただ見たいものを見て写真を撮るだけの行為ではないと感じた。
目線の高さを下げ、移動する速度を遅め、そしてそこに生きる人々と同じ空気をめいいっぱい吸い込んだときに入ってくる極めて受動的な気づき。これこそが旅の魅力だと思う。

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