家から数分の場所にあった(今は閉店してしまった)書店へ向かい、涼しい本屋で、握りしめた500円かそこらで小説を買うこと。
重松清の「エイジ」、山田詠美の「僕は勉強ができない」、湯本香樹実の「夏の庭」…国語が大嫌いであった当時の僕でも、同年代の主人公が悩み苦しみ冒険し成長していくストーリーには感情移入でき、文章を読むことが苦痛ではなかった。
本を買うこと、それがなぜ夏の思い出になるのかというと、上であげた本はすべて新潮社の夏のブックフェア、「新潮文庫の100冊」に選出されていたから。
Yonda?君というパンダのキャラクターグッズを本を読み集めてもらったりしていて、実はかなり本を読んでいたのかもしれない。だから、僕にとっての夏の思い出は、もちろん炎天下で友達と遊びまくったこともあるけれど、涼しい本屋をでたときのムワッとした空気とともに選び抜いた小説を小脇に抱えて、家に帰りそれを読んだことだったりする。
昨日、会社からの帰りに書店に立ち寄ると、今年も「新潮文庫の100冊」フェアが行われており、そんな僕の夏の思い出がよみがえってきた。
読んだことがある変わらない名著もあり、全く知らない作家の小説もたくさん選出されていた。何れの本も名著で、読んだことがある本は今でも僕の心に強く残っているものが多かった。
昨日、会社からの帰りに書店に立ち寄ると、今年も「新潮文庫の100冊」フェアが行われており、そんな僕の夏の思い出がよみがえってきた。
読んだことがある変わらない名著もあり、全く知らない作家の小説もたくさん選出されていた。何れの本も名著で、読んだことがある本は今でも僕の心に強く残っているものが多かった。
http://100satsu.com/
幼き頃の夏の思い出とは変わっていたこともある。
一つ目はキャラクターがYonda?パンダからロボットのQUNTAになり、人のココロを理解するために本を読み、様々な感情を見つけていく…というPR方法。
もう一人の登場人物「書店のおじさん」は、未来からきたロボットQUNTAに本を読むことの素晴らしさを語る。
「本のなかには人間のいろんな
感情がつまってる。
ワクワク。ドキドキ。モンモン。
自分って?生きるって?幸せって?
読んだあと、何かわかるかもしれない。
わからなくなるかもしれない。
でも、これだけは言える。
キミの心は、
ちょっぴりだけど、
優しく、強く、
ユーモラスになってる。
毎日の景色が
違って見える。なんてね」
二つ目は、僕が大人になったということ。
今でも本はよく読むけれど、感情を育む小説ではなくて、社会派小説や新書、ビジネス本なんかに手がのびるようになった。
成長して社会人になったんだな、と思う。
でも、内面は、感情は育まれているのだろうか、と考えた。
「新潮文庫の100冊」の図書を、今年の夏はなるべく沢山読んでみよう。
「この感情は何だろう。」
そうやって、自分自身の中に芽生えるものと向き合うことは、ロボットでなくても、子供でなくても、とても大切なことのはず。
夏休みを終えた子どもたちが一回り大きくなって学校に帰るように、成長、できるだろうか。
26歳になる夏、大人の夏休みの宿題。
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