12/14/2015

『峠』司馬遼太郎

長岡での生活も残り10日間と少しになった。
年明けからは同じ新潟県内であるけれど、別の地へと移動する。
わずか4ヶ月の滞在であったけれど、僕にとっては人生ではじめての東京以外の「地方」と呼ばれる場所での生活、それがここ新潟県長岡市だった。


はじめてこの土地を歩いて、先ず目についたものが「雁木(がんぎ)づくり」。
雪国で、通りに面した軒からひさしを長く出して、その下を通路としたもの。
現代語ではアーケードとなるだろうか。
駅から自分が住む場所まで、ほぼ途切れることなく雁木づくりが連なっている。雨に濡れることなく生活ができた。そしてもうすぐ訪れる豪雪の時期には、日々の生活を守る手段となる。
東京や南国では見られない雪国の工夫のひとつ。



長岡という土地をもう少し知りたいと思い、何冊かの本を手にとった。
その中の1冊が、司馬遼太郎の『峠』
司馬作品には『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』といった大作があり、それらは以前に読んでいたけれど、『峠』については全く知らなかった。


時代は幕末。
峠の書き出しは、越後の城下、長岡の様子を書き出すことから始まる。
 雪が来る。
 もうそこまできている。あと十日もすれば北海から冬の雪がおし渡ってきて、この越後長岡の野も山も雪でうずめてしまうに違いない。
(毎年のことだ)
 まったく、毎年のことである。あきもせず季節はそれをくりかえしているし、人間も、雪の下で生きるための習慣をくりかえしている。
(中略)
 継之助は、町をあるいていた。
(北国は、損だ)
 とおもう。損である。冬も陽ざしの明るい西国ならばこういう無駄な働きや費えは要らないである。北国では、まち中こうまで働いても、たかが雪をよけるだけのことであり、それによって一文の得にもならない。
 が、この城下のひとびとは、深海の魚がことさらに水圧を感じないように、その自然の圧力のなかでにぎにぎしく生きている。この冬支度のばかばかしいばかりのはしゃぎかたはどうであろう。
季節としては、雪の到来間近のまさにこの時節の描写である。
それだけで、この本に惹かれた。
スタッドレスタイヤに変える、消雪用散水機のメンテナンスをする、スノーポールを立てる、木々に雪吊りを施す…時代は移り変わったが、人間が自然と相対する姿勢の根本的な部分に変化がないことを知る。
損で、面倒な冬支度だが、それを施す長岡の人々はどこかはしゃいでいるように感じられた。


ところどころに表される長岡のかつての描写もさることながら、この本の主人公、越後長岡藩の藩士・河合継之助のという人物が良かった。その生き様が美しかった。
幕末という乱世において、行動を第一義とした人。
時勢に流され「楽なほう」「得なほう」に与するのではなく、志を貫いた人。
先見の明をもって藩主と家臣の封建制が崩れ去ることを知りながらなお、「人は立場のなかで生きる」という信条を持ち、最後まで藩のために、侍として生きた人。


その結果は、ここ長岡を戊辰戦争・北越戦争に沈め、焼け野原にした。
竜馬や土方歳三のような明快な英雄ではない、幕末の「負け組」といっていい。
彼の墓碑が建てられたとき、長岡ではそれを破壊する人まででてきたと言う…。


人物を評するとき、事を為さんとするとき、何を判断基準とすればよいか。
「損得」は束の間のまやかし。
「好き嫌い」は感情のいたずら。
「正しい正しくない」はエゴのおしつけ。
河井継之助の生き方を知り、それは「美しさ」であるべきだと思った。
彼の生き方は、損をし、嫌われ、正しくなかったかもしれないが、ただひたすらに美しく、最後の瞬間までその美しさを貫いた。
日本的な感覚であると思うが、僕は彼の成し遂げたことではなく、その生き様に感動した。


長岡で生まれ、長岡のために生きた歴史上の偉人、河井継之助。
その人の思想と生き方に触れられる司馬遼太郎の『峠』という名作。
是非多くの人に読んでみてもらいたい。



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