このPVを見て、昨年モン・サン・ミッシェルへ行ったときのことを思い出した。
その時の日記を書いていなかったので、回想しながら、絵日記風に旅行記をかいてみることにした。
ツアーではなく、のんびりと、潟を歩いて寺院を見に行きたかった僕は、Paris St. LazareからCaenを経て、Avranchesまでの4時間の電車に揺られ、モン・サン・ミッシェルから対岸6kmに位置するGenetsを目指した。
Avranchesに到着したら、最終バスが終わっていた。Genetsまでの12キロの路をひたすら歩いた。
何もない、フランスの田舎道。牛や馬としかすれ違わない、出会わない。
歩けど歩けどホステルがあるような街が近づいてくる気配がなく、
「本当にこの道であってるのかな…」という疑心暗鬼に陥りながらひたすら歩く。ホステルに到着する前に、日が暮れてしまった。もう、今日は野宿かなーとか考えながら、それでも、ひたすら歩き続けてた。
僕は小さい頃から自転車で何処かに行くのが好きだったけれど、たまに調子に乗って迷子になることがあった。ふと気がついた時に、自分が何処にいるのかわからなくなったときの、あの途方にくれた気持ち、やりきれなさ、悲壮感となんかふっきれた爽快感の入り混じった心境を久々に感じた。
日本では、iPhoneや携帯電話を持っていたら万が一迷子になればすぐに助けも呼べるし地図だって調べられる。 携帯も、さらには時計さえ持っていなかった(本当に、電子機器はこのときにはカメラしか持っていなかった。)状態での迷子になったときの気持ちはこの先の人生であと何回感じることができるのか。そう多くないことだと思う。
ひたすら歩きつづけ、夜もかなりふけた時間にホステルに到着した。
ホステルはすでに閉まっていて、ドアを叩いて
「すみませーん、開けてくださーい」と怒鳴っていたら気難しそうなフランス人のおばちゃんがでてきて、フランス語でなにやら怒鳴られた。どうやらチェックインタイムをとっくに過ぎていたらしい。 そしておばちゃん、英語が全く喋れない。それでもボディランゲージでなんとか会話をして、部屋に入れてくれて、寝ることが出来た。
明かりのない田舎で見上げた空は、今まで見たことがないくらいの数の星が輝いていた。
翌日、対岸からモン・サン・ミッシェルまで歩いて行く。 空は快晴。6kmの彼方に小さく、モン・サン・ミッシェルが見える。この日もまたとにかく、歩く、歩く。
城までの路は干潟になっているので、場所によっては潮が引いて水がなく、また違う場所は川のように結構な深さになっている。ひざ下まで水が来ており、ザバザバと進んでいくと、魚かなんなのかわからないけれど、周りの水がバシャバシャと騒いで足元を何かが過ぎていく気配を感じる。すごくビビりながら足早にそういったところはぬけていく。
歩くこと約2時間ぐらい、ついに到着。
モン・サン・ミッシェルの中は、観光地だ。世界中からくる観光客と、それを相手にするおみやげ屋さん屋とレストランが所狭しとひしめき合っている。
しかし、ここはカトリックの聖地である。主要部の教会では今でも毎日祈りの時間があり、狭い島内には時を告げる鐘の音が鳴り響く。昔は僕のように干潟を歩き島まで来るという巡礼がなされており、潮の満ち引きが早かった当時は寄せる浪にさらわれて命を落とす人も少なくなかったらしい。
様々な建築様式が入り交じっているこの島の建築物。
かつて監獄や海峡を護るための砦と使われていた名残も見られる。
帰りは再び、干潟を歩いて帰っていった。
行く時には寺院の尖塔が目印となりまっすぐ歩をすすめることができたけれど、帰りは自分の位置がわからなくなる。少し進んでは振り返り、モン・サン・ミッシェルの島の見え方が変化していないかということを確認しながら戻っていった。
実はこの時は全く気が付かなかったのだけれど、僕が歩いた干潟の路は正式な道ではなかったらしい。もう少し簡単な、浅瀬の多い、多くの観光客が行く路があることを後日知った。どうりで行きも帰りも干潟を歩く人の姿が見えなかったわけだ。
現在、モン・サン・ミッシェルの周りのサン・マロ湾では、土砂の体積が問題になっている。
修道院への観光バスや車が走るための大きな路をつくった結果、周辺の海流が変化して、昔はなかった流れが潮をせき止めているという。そのため、「海に浮かぶ島」という様子は昔よりも見れなくなった。
偉大な、修道院や建築を造り上げるのも人間であれば、それを世界遺産に登録させ有名にさせるのも人間であり、周囲の自然環境を変化させてその神秘性を失わるのも人間である。なんだかすごい不条理を感じた。
対岸に帰り、遠くに見える修道院と、沈む夕日を眺めながら一人でビールを飲んでいた。
2時間ぐらいそこにいたと思うのだけれど、一体あの時僕は何を考えていたのだろう。
旅をしていると、不意に感じる自分の無力さや、自分で選択してここまできたはずなのに「なんで俺はここにいるんだろう…」という自問自答。それに対する答えのない答えを延々と考えていたりしたのかもしれない。
あるいは家族のこと、そのとき付き合っていた彼女のこと、昔好きだった人のこと、友達のこと…人は、みんな独人だ。しかし、誰かに認めてもらうために、僕たちは生きている。独人でいても、いや一人でいる時ほど、自分の大切に思う人のことを考えたりするものだと僕はバックパックの旅を通じて学んだ。
僕はきっと毎年、夏がやってくると昨年のあのバックパック旅を思い出す。
思い出したい。
それは「あのときは良かったなぁ」というノスタルジーを感じるためではなく、あの旅を通じて間違いなく自分の中で何かが変化したからであり、そのときの気持ちをこれからも忘れずにいたいからだ。
自分自身というものに対して正直になろうと思った。自律的に考えて生きていこうと思った。健康で、笑って、楽しくすごそうと思った。父さんと母さんを大事にしようと思った。
それ以外にもいろいろなことを考えて感じた。答えのないもの、でないものばかりであったけれど、とにかく考えたことがないことを考え始めたのがあの時からであった。
夏の暑さ、教会のベルの音、ぬるいビール、バックパックの重みと足の疲れ…
それらがみんな、あの時感じたことや考えたことを思い出すスイッチとなる。
忘れずにいたいこと。それを思い出す季節。
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