7/03/2012

日本を感じること

富士山に登った。

日本最高峰の山開きは昨日、7月1日。
その日に合わせたわけではなかったのだけれど、山登りに行きたいと思っていた友人との予定が合致したのがこの日であり、前日の深夜からオールで6時間かけ、日が昇る早朝4時前に山頂へ到着した。
8合目からの天候は最悪。厚い雲と雪、風に凍えながら日の出を待ったけれど、僕が望んでいたよう雲海から登るご来光を拝むことはできなかった。
それでも、帰国して以来の富士山に登りたいという僕の夢が叶った。


留学とその後のバックパックを経て日本に帰ってきた僕には、21年間住んできた日本がとても新しく見えた。そして、この国のことを何も知らないのだということを知った。
昨年9月に帰ってきてから僕には、日本を訪れる外国人観光客のように、日本が誇るモノに対する興味が沸き、それらを見てみたい・経験してみたいという気持ちが止まらなく溢れている。
京都を訪れること、築地市場のマグロの競りを見ること、東海道を進むこと、日本酒を知ること、神社仏閣を訪れること、季節の移り変わりを楽しむこと、日本の本を読むこと、そして今回の富士山を登ること。

このような日本的なモノを探し求めていくと、毎回驚くのがそこにいる外国人比率の高さだ。
今回の富士登山も本当に多くの外国人がいた。おそらく全登山者の2〜3割、もしかしたらそれ以上。一緒に登山をした二人の友達も、日本外で暮らしていた経験のほうが長く、そういった彼らのほうが富士山を登るというイベントに対して敏感なのだ。

日本での滞在時間が限られている旅行者は、わかりやすい、日本を感じやすい場所に集まる。でも、制限時間のない日本で生まれ育った僕たちは、いつでも成せるという気持ちがあるせいか、あるいは中を見ないで外にばかり意識を向けているせいか、日本を感じる気持ちを疎かにしていないだろうか。

グローバル化が謳われている昨今、外に目を向けないと負けだというような風潮が漂っている。でも、大事なこと、知らなければいけないこと、出来ること、自分が属するものは、すぐそばにある。
外に目を向けることや、世界を考えることはとても大事なことだけれど、身の回りにある出来ること行うということ、すぐ隣にあるかけがいのないものを慈しむことも同じぐらい大事だと僕は思う。

日本を感じよう。そして出来ることをしよう。

Think globally, act locally, live simply.














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