7/25/2012

いじめられている君へ

滋賀県大津市の中学校2年生のいじめ自殺事件。

その事件以来というもの、ニュースでも、新聞でも、「いじめ」に関する報道が繰り返され、様々な社会学者・有識者・いじめ経験者が論議を交わしている姿を見かける。
朝日新聞の一面に、「いじめられている君へ」「いじめている君へ」という見出しで連日いじめを経験した人や様々な考えを持った有名人がコラムを投稿している。
僕はそれを読んで、毎日感情が込み上がってきて、目に涙が浮かぶこともある。


中学校2年生というと、13歳か、14歳。僕とは10歳差だ。
テレビの中でしきりにいじめの仕組みを論じる30歳、40歳、50歳の大人よりかはいくらか年の近い僕の、いじめについて考えたことや経験したことを、これ以上大人になって忘れてしまう前に少し書いておきたい。


僕はいじめられている君でも、いじめている君でもなかった、と思う。
少なくとも前者ではなかった。でも、知らない間に後者になっていたかもしれない。そんなことをいじめに関する様々な報道がされるにつれて考えるようになった。
小学校でも、中学校でも、学校内でいじめはあった。ちょっと粗暴な友達が、何人かで集まって、気の弱い友達にちょっかいを出していた。大きい声を出して小突いたり、時には蹴飛ばしたり。それを傍観している事が多かった僕は、「いじめている君」だったのかもと後悔している。

正義心からなのか、偽善だったのか、今ではわからないけれどそんないじめられている友達を一度助けたことがある。中学校3年生のとき、廊下でちょっかいをだされていた友達といじめをしていた友達との間に入って「やめろよ」と少しキツく言った。すると、その粗暴な友達から「お前、なに正義ぶってんの?ぶっ殺すぞ」と肩のあたりを殴られた。
その場はそれで済み、その後も何もなかった。それでもしばらくの間、その粗暴な友達や取り巻きからの目線やどう思われているか、「ぶっ殺すぞ」という言葉と軽く殴られた事実、そんなことが常に頭の片隅にあって凄く苦しかったことを今でも覚えている。

たった一回の出来事で、僕はあんなに苦しかった。それが毎日、毎日、学校にいく度に繰り広げられていたら「いじめられている君」はどんなに苦しかったんだろう。もっともっと助けてあげればよかったと後悔してる。ごめん。



僕は小さい頃から母さんに、「苦しいことがあったら無理してやらなくてもいいのよー」とか、「つらいならやめちゃえばー?」という言葉をかけ続けられて育てられた。辛いことがあったら乗り越えることも大事だけれど、逃げることもできる。その選択肢があるから、辛い時に頑張れる。結果として色々な困難を乗り越えてこれた気がする。そしてそういってくれる家族がそこにいたから安心することができた。

誰にでも合う人と合わない人がいる。合わない人とは無理して付き合わなくていい、と言うのは理想論で、実際問題では同じコミュニティを生きている限りは無理して付き合う必要もある。そして合わない人との間にはどんなに近くの距離にいても信頼も愛も生まれない。必要ともされない。互いの互いに対する無関心。それが、暴力や無視といったいじめにつながっていく。

大事なことは相手のことを思いやること、無関心でいることをやめること。そして僕は僕、あなたはあなたと割り切って、自律的に生きていくこと。矛盾しているように聞こえるけれど、無関心でいることとお互いの違いを理解して1人で生きていくことは全く違う。
そして、他人という流動的で儚いつながりよりも、家族という血を分けあった絶対的なつながりを大切にすること。どんなときでも味方でいて認めてくれる人がいれば、たとえ学校や会社というコミュニティでいじめられても、自殺という悲しい結末にはつながらないと思う。


僕に子供が出来たら、母さんが僕に言い続けてくれた言葉をやっぱり伝えてあげたい。そして、愛して、サポートしてあげて、逃げ道を作ってあげたい。
いじめは、もちろん子供同士の問題だけれど、僕はそこにはやっぱり家庭の問題が大きく影響しているんだと思う。愛が足りているか足りていないかだ。

愛が足りないと、逃げることができず、「いじめられている君」をつくる。
愛が足りないと、嫌な奴になってしまって、「いじめている君」をつくる。

無関心が最もよくない。しかし、最近問題となっているようなモンスターペアレンツを作りだす過剰な愛もよろしくない。
でも、世間一般的にいって、適切な量の愛がどことなく足りないように僕は感じる。


小学校のころ、すごく仲良かった友達が春から小学校の教師になった。
彼と久しぶりに会って、いろいろと話をしてみたくなった。


There is not enough love, so people become hateful.
Everyone wants to be wanted, everyone wants to be accepted.
Don't blame other people. Let's just cherish people.


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