7/30/2012

Hydrangea Revolution

There is a weekly demonstration going on in Tokyo every Friday in fron to of the official residence of Prime Minister, to protest against the government's move to restart Oi Nuclear Power Plant, which is first reactivation since Fukushima accident.

Japanese people have been known for indifference to the political issues, and such"political demonstrations" are considered limited to the "professional extreme activities". But this time, the demonstration include from business men on their way home to family with small children. The crowd is getting bigger every week.


あじさい革命。
みなさんは関心を持ってますか。考えていますか。感じていますか。
今年の夏、海外に行く人も多いと思う。そこで出会う現地の人に、どこから来たのかと尋ねられ、「日本だ」と答えたら、「オージャパーン!」の目を輝かせた反応の次にくる質問は、「日本製のカメラは最高だよ」「いい国だよね、いつか行ってみたいんだ」という今までもあった反応に加えて、
「フクシマは今どうなってるんだい?原発は?日本の政府の対応は?」
というものである。絶対に。
この質問に、なんと答えるか。


毎週金曜日に官邸前に集まる反原発デモは、チュニジアで政権崩壊にまで至った「ジャスミン革命」に倣い「紫陽花革命」と名付けられた。
革命と呼ぶには穏やかで、政権崩壊とかそういった大事件につながる気配は(いまのところは)ない。それでも、そこには多くの人が集まっている。

原発は、確かに多くの命を奪い、奪う可能性がある。福島やチェルノブイリといった地を、死の土地にした。その事実は深く心に刻み込まなければならない。原発なしでやっていけるのであれば、ないに越したことはない。

しかし、その事実から短絡的に「NO原発」を叫ぶのはすこし早急すぎると僕は思う。
この世に絶対悪はなく、一考しなければ物事の本質が見えてこないことは多い。むしろ、ほとんどのことは熟考しても答えは、ない。絶対悪がないように、絶対的な正義もこの世にはない。
現代は、あちらを立てればこちらが立たず、というトレードオフの選択であふれている。原発問題もその典型例だ。


「原発事故によって、たくさんの命が失われた、あるいは失われるかもしれない。だから原発はいらん。」
こういった主張をする人が一番多いのではないだろうか。人の命を天秤にかけて釣り合うものはないという主張は、何事にも勝る命題に聞こえる。
しかし、人の命を脅かす可能性があるものを抹殺せよというこの極端な論法は、原発によって生き延びている多くの人々の存在を無視している。
中学校などのディベート大会でよく話題になる「死刑制度に反対か、賛成か」というもの。人を殺めるような行為をした人は、殺してしまえ。 みんな、これには賛成?
今年の7月から、食中毒で亡くなる人が多くなったから牛レバーが日本では一切食べられなくなった。そのことに関して、僕の周りの人々の意見は「禁止するのはあまりにも極端だ、危険でも食べたい人はいる、自己責任にすればいい、牛レバー専門店の人が首を吊る」といったものが多かった気がする。みんなこれにも賛成?
そうであれば、先の命題についてもしっかりと考えて欲しい。

「原発がなくても、去年の夏は乗り越えた。みんなで少しずつ我慢すればいいんだ。だから原発はいらん。」
これも正論に聞こえる。でも、そこに含まれる「みんな」ってなんだろう。日本一億中流という世の中で、「みんな」を主張する僕やあなたはメジャリティーで気軽にこう訴えられるけれど、電気料金を払うことにもやっとであるその日暮らしの彼は、電気・電力関係の仕事で家族を養っているあの人とその家族は、マイノリティである彼らは、我慢できずに死んでしまうかもしれない。
1億人が生き延びるために、何百万人が死んでもいいのか。
さらに視点を広げてみれば、先進国を生きる僕達が本当に、本当にちょっと我慢するだけでアフリカの飢餓で死ぬ多くの子供の命が助けられる事実はみんな知っているのに、その我慢をみんなしようとはしない。どうして?
原発で亡くなるかもしれない日本人の数よりも、アフリカの大地に 実際に消えて行く子供たちの数の方が数千倍、多い。


今、僕が言ったことは屁理屈であり、論点のすり替えであり、間違っているかもしれない。
それでも僕が思うこと、それは「NO原発」を訴える人は、そういった事実を少しでもいいから認識していて欲しい。
もしも、ただのお祭り騒ぎに釣られ、facebookやtwitterで
「反原発デモなう」
を言いたいがためだけに官邸前に行くのであれば、家族や友達、彼氏彼女と、「どうして反原発を訴えるのか」を出かける前に一度話し合ってみて欲しい。


僕は、反原発デモに参加する勇気はない。何が正しいのかわからない。
官邸前に行って見て感じてみたいと思うけれど、その場で「NO原発」を叫ぶことができるのか、わからない。考えて考えて、わからなくなった。
海外の友達から問われれば、素直に、「わからない」ということを伝えるようにしている。
知らないからわからないのではなくて、考えたけどわからない、と。


反原発の科学者、故高木仁三郎さんの言葉がある。
「実際に生きている人間の直感の方が、科学的知を超えて物事の本質に迫る瞬間がある」
僕はこの言葉が好きだ。
もしも、世界中の人が、考えるのではなく、直感的に原発が危ないと心から感じるのであれば、きっと原発や核はなくなる。
直感的に、必要であると感じるのであれば、原発も核も、この世には残っていく。

最近思うことは、世の中はなるようになるということ。
原発問題も、きっと、なるようになる。僕達が一人ひとり、自らの直感を信じて生きていくことができるのであれば。

直感は、自分の内側から生まれてくる感情である。
メディアや、SNSや、外部からは直感はもたらされない。
あなたの直感は、原発に対して、賛成ですか、反対ですか。

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