7/08/2012

『晴れた日に永遠が見える』


映画を見た。
"On a Clear Day You Can See Forever"
『晴れた日に永遠が見える』



幻冬舎の代表である見城徹さんが好きだと言っていたこの映画。1970年のミュージカル映画。とても古い。そしてストーリーや設定も、最近の映画にはないようなもの。

草花を早く育てることができたり、電話がなることを予知できるという不思議な力を持った少女と、精神科大学教授のラブストーリー。しかし、男が恋に落ちてしまう相手は少女ではなく、催眠術で目覚めた少女の記憶の中にある前世のヒト。その事実を知った少女は、催眠術にかけられることを頑なに拒み続けるけれど、彼女の特殊な能力で彼の気持ちを受け続ける。映画のラストシーン、教授が最後の催眠術を少女にかける。前世のヒトに会うためではなく、自分たちは今まで他の人生で出会ったことがあったかを問うために。彼女の答えは…

見城さんが好きだと言っていなかったら一生見なかったであろうこの映画。いろいろと突っ込みどころが多い。なのに、なぜか、僕もこの映画が結構好きかもしれない。

現代の(といっても60年代のアメリカの)女子と英国貴婦人の二役をこなすBarbra Streisandがとにかく可愛いし、歌唱力も素晴らしい。(独白のシーンが多いこの映画であるが、元々はブロードウェイミュージカル。歌って踊ることはしないけれど歌いながら演じるシーンが多少ある。)映画の要所要所で現れるNYの摩天楼やセントラルパークは、4年前に僕が初めて訪れたアメリカを思い出させてくれる。 前世・後世という考え方も、人によっては非現実的だと言うかもしれないけれど、僕は結構好きだったり信じていたりする。キリスト教国家であるアメリカでは輪廻転生や生まれ変わり、過去の自分や未来の自分との共存という考え方は珍しいはずだが、50年前につくられたオリジナルの脚本はあえてこのテーマを扱う。

そして何よりも惹かれたのは、映画のタイトル。
『晴れた日に永遠が見える』
僕は本当に空を見るのが好きだ。晴れた日の、特に早朝の空のその先にはなにか永遠のようなものを感じることがある。そういえば中学校の卒業文集にも「朝焼け」というタイトルでなんだかこっ恥ずかしい内容のことを書いて、昔の友だちと出会った時に馬鹿にされたりすることもある。それだけ昔から僕は空を見上げていろいろと考えていたということ。その気持ちは今も変わらない。

昨年のこの時期、僕はヨーロッパをバックパックしていた。アメリカ大陸を鉄道で横断し、イギリスのロンドン、パリはフランスに滞在し、今頃はちょうどスペインに向かった頃だったか。アメリカやヨーロッパでの晴れた日の空は、日本での晴れた日よりもずっと広く、高く、遠く、無限に広がっているように思えた。 それは僕が真新しい場所を訪れていて感傷的になっていただけなのか。見慣れた東京の空を映す僕の眼が霞んでしまっただけなのか。わからない。
ただ、有り余る時間を持て余したときに見上げた青空の向こうに、人類が生まれる前から続いているであろうこの空と、人類が滅びた後にも変わらないであろうあの空を感じたりした。永遠を垣間見た気がした。

それが、『晴れた日に永遠が見える』の主題である「前世後世」「永遠」とつながり、僕がこの映画を好きになった理由なのだと思ったりする。きっと。

東京は、梅雨真っ只中。
雨がもたらしてくれるこの季節ならではの雰囲気は好きだけれど、覆った雲がつくる空は近く、永遠を感じることはない。 やはり見上げたそこには青い空と白い雲、永遠が待っていて欲しい。 永遠を望み空を見上げ、有限である自分を認識する。 そんなチャンスがたくさんやってくる夏がやってくる。
僕の命が始まった季節でもある夏がやってくる。

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