7/04/2012

日本の将来を危惧するに至った新聞記事


この新聞記事を読んだのはかなり前であるが、それ以来ずーっと頭から離れず残っている。
2012年5月30日付の日本経済新聞より、抜粋。
「ネタ消費」と呼ばれる最近の消費行動に関する記事。僕はそこから日本の将来を危惧している。

書き込みのネタ探せ「ツイッター」や「フェイスブック」といったソーシャルメディアで自分の書き込みをアピールするための消費が広がっている。1回で終わる体験型の習い事に人が集まり、ネットで話題になるのを狙って面白い商品を買ったり、珍しい場所に出かけたりする人も増えている。大手シンクタンクの試算ではそんな消費者が生む経済効果が3400億円になるという。ネタ消費 フェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディアに頻繁に書き込みをする人が、他人からの共感を得たり、自分をアピールしたりといった目的でネットで話題になりそうな消費をすること。(以下略) 
スライム肉まん、ランニングブーム、着付け講座、1回終了型のクッキングスクール…「ネタ消費」は数知れない。


人は表向きより、ずっと強い自意識を持っている。もちろん僕もだ。
自分のブログに何人のアクセスがあるのか、twitterのつぶやきに反応があるのか、facebookにタグされた自分の写真の中に変なものはないのか。そんなことを毎日気にして生きている。

SNSの普及は、僕にとってはメリットでもありデメリットでもある。誰かから見られてると思われてるから身を正して、しっかりと生きていこうという気持ちにさせてくれる。文章を書くときもなるべくわかりやすく、丁寧に書こうと思う。常に変化を求め、感受性を高く保たせてくれる。
しかし同時に、体裁だけをとりつくって目立ってしまおうとか、なにかネタを書かなければいけない。。。という過剰な自意識にも苛まされる。

この後者のデメリット、というよりは人間だれもがもつ「誰かに認められたい」という欲望に目を付け、それを対象としたマーケットまでが生まれ、「ネタ消費」という言葉が生まれた。
ネタ消費の持つポジティブな一面も僕は理解している。今まで挑戦したことのない趣味をはじめる貴重なきっかけになってくれるはず。ランニングブームから全員が本気でランニングを続けてくれたら僕は嬉しいし、花道とか剣道とかお茶とか日本の伝統が再認識されれば日本の将来につながる。
しかし、それもネタとして一度だけで終わってしまってはダメ。一時の楽しさや至福で満足してしまっては、その先にある大きな幸福を得ることはできない。

ただでさえグループ志向の高いこの国に生まれ育った僕たちは、他律的に生きてしまいがち。この消費行動が増進すると、自分が何をしたいのかということを見いだせず、他人からの意見で自らのアイデンティティを構築してしまう風潮に拍車がかかる。
その結果、日本人は、そしてゆくゆくは日本という国がそのものが、上辺だけで塗り固められた中身のない虚しいものとなってしまう気がする。
日本を支える「ものづくり文化」は一回のネタからは生まれない。日々の鍛錬、試行錯誤、積み重ねがあってこそ根付いた文化だろう。



本当に好きなことは、かえってネタにはしにくいもの。たとえば、僕が本気で好きになった人のこととか。そういうことは、僕も、きっとみんなも、ネタにはしないだろう。
人生は、ブログにかけないような本気なこと、あるいは書くに足らない小さなこと、その最高と最低から成り立っている。
ネタ消費は、その中間にある最も無駄なもののひとつである気がして僕はならない。



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