最近の自分の中でのマイブームは、公園でのんびりすること。
昨日は新宿御苑へ。ビニールシートをひいて青空と緑の芝生を眺めながら、友達とくだらない話をぐだぐだと話し続ける。
広い公園には、たくさんの家族やカップルや団体がいるのだけれど、新宿とは思えないぐらい静かだ。みんな思い思いにしゃべっているから水を打ったような作られた静けさではない。
でも、周りの人の話し声は地面や空に吸い込まれて遠くに聞こえ、アスファルトや鉄筋に反射した様々な都会の騒音に慣れてしまった自分の耳には、公園の音はとても静かで柔らかく聞こえる。
そんな公園での会話の中で、昨日は僕の家の「月例家族ご飯デー」の話になった。
我が家では、毎月一回、家族そろって外食をするようにしている。これはバックパックから帰ってきた僕の提案で、去年の秋から始まったもの。父の会社の福利厚生施設のレストランで美味しいものを比較的手頃な値段で食べたり、カジュアルでリーズナブルなイタリアンにいったり。ご飯と酒を飲みながら他愛もない会話をする。
僕は実家に済んでいるので、家族4人でご飯を食べる事自体はそんなに珍しいことではない。それでも、大学生の僕と弟は飲み会やアルバイトで夜は家にいないことも多かったり、父親も仕事が忙しいと帰宅時間が遅くなったりと、生活のリズムはバラバラ。だから、しっかりと「家族で御飯を食べる」という意識を持って、月に一回、家の外で集まる。そんな日を作った。それが「月例家族ご飯デー」。ご飯を食べるという行為よりも、家族で集まるというイベントをしっかり儲けようという意識が僕は凄く大事だと思っている。
このご飯デーをやろうと提案した理由には、いくつかの理由がある。
その中のひとつが、タイトルにもある通り、家族との時間は、僕達が考えているよりもずっと短いから。
現在、僕は22歳。父親は僕より約30歳年上。先日なくなったじいちゃん、父親の父親は60歳年上だった。つまり、こんなことを言いたくはないけれど、僕の父親、そして母親も、天寿を全うしたとしてもきっとあと30年の人生ぐらいしかない。大病を患えばもっと短いかもしれないし、不慮の事故というものはいつだって起こりうる。今日にも、明日にも。
でも、とりあえず、30年。この30年という期間を長いと感じるか短いと感じるか。数字だけを見れば僕だってかなり長い年月だと感じる。しかし、これからの人生の中での30年のうちで、家族と一緒に入られる時間ということになると、それはものすごく短いのではないかなと僕は思う。
僕はあと数年もすれば社会に出て働き始める。実家を出て、地方で働くかもしれないし、海外で働くかもしれない。そうすれば物理的に家族と出会える時間はすごく短くなる。
恋愛して、結婚して、家族ができるかもしれない。そうすればきっと自分の家族も大事にしたいと思うだろうから、精神的にも僕の父母家族との距離は遠くなる。
適当に数字をつかってみよう。
残り30年のうちに、例えば15年ぐらい海外や地方で働いたら、年に数回家族で会うことが出来ればいいだろう。20回ぐらいかな。
あとの15年も、僕が幼少期の時に家族で祖父母に会ったのは半年に数回というぐらいなものだから、僕の家族ができたら、きっと10年ぐらいは嫁さんや子供の顔を親に見せに行くぐらいの付き合いになると思う。そうだな、年に2回。これも、20回。
ラスト5年間。これは今からの3年間と、父親母親が死ぬ前の、2年間。「月例家族ご飯デー」みたいなイベントを設けて月に一回会うことにしても、1年は12ヶ月だから、5年で60回。
すごーーーくアバウトな計算だけれど、これで合計100回。
これからの人生で、もしかしたら、あと100回。「回」というよりは、チャンスかな。旅行とかすれば日にち的には一緒に入られるかもしれないけれど、それはあくまでも1度の機会を共にしただけ。だから、100チャンス。
家族との時間は、残り100チャンスしかないかもしれない。
そう考えたら、家族との時間をもっともっと大事にしなきゃとか、少し特別にしなくちゃって思いませんか。
これが、僕が「月例家族ご飯デー」やろう!って提案した理由。
ファッションや、キャリアや、恋愛相手は選べるけれど、生まれた家族はどうやったって選べない。絶対的なもの。だから、出来るときには家族の時間を大切にしましょう、親孝行しましょう、たった、それだけの話。
昨日は新宿御苑へ。ビニールシートをひいて青空と緑の芝生を眺めながら、友達とくだらない話をぐだぐだと話し続ける。
広い公園には、たくさんの家族やカップルや団体がいるのだけれど、新宿とは思えないぐらい静かだ。みんな思い思いにしゃべっているから水を打ったような作られた静けさではない。
でも、周りの人の話し声は地面や空に吸い込まれて遠くに聞こえ、アスファルトや鉄筋に反射した様々な都会の騒音に慣れてしまった自分の耳には、公園の音はとても静かで柔らかく聞こえる。
そんな公園での会話の中で、昨日は僕の家の「月例家族ご飯デー」の話になった。
我が家では、毎月一回、家族そろって外食をするようにしている。これはバックパックから帰ってきた僕の提案で、去年の秋から始まったもの。父の会社の福利厚生施設のレストランで美味しいものを比較的手頃な値段で食べたり、カジュアルでリーズナブルなイタリアンにいったり。ご飯と酒を飲みながら他愛もない会話をする。
僕は実家に済んでいるので、家族4人でご飯を食べる事自体はそんなに珍しいことではない。それでも、大学生の僕と弟は飲み会やアルバイトで夜は家にいないことも多かったり、父親も仕事が忙しいと帰宅時間が遅くなったりと、生活のリズムはバラバラ。だから、しっかりと「家族で御飯を食べる」という意識を持って、月に一回、家の外で集まる。そんな日を作った。それが「月例家族ご飯デー」。ご飯を食べるという行為よりも、家族で集まるというイベントをしっかり儲けようという意識が僕は凄く大事だと思っている。
このご飯デーをやろうと提案した理由には、いくつかの理由がある。
その中のひとつが、タイトルにもある通り、家族との時間は、僕達が考えているよりもずっと短いから。
現在、僕は22歳。父親は僕より約30歳年上。先日なくなったじいちゃん、父親の父親は60歳年上だった。つまり、こんなことを言いたくはないけれど、僕の父親、そして母親も、天寿を全うしたとしてもきっとあと30年の人生ぐらいしかない。大病を患えばもっと短いかもしれないし、不慮の事故というものはいつだって起こりうる。今日にも、明日にも。
でも、とりあえず、30年。この30年という期間を長いと感じるか短いと感じるか。数字だけを見れば僕だってかなり長い年月だと感じる。しかし、これからの人生の中での30年のうちで、家族と一緒に入られる時間ということになると、それはものすごく短いのではないかなと僕は思う。
僕はあと数年もすれば社会に出て働き始める。実家を出て、地方で働くかもしれないし、海外で働くかもしれない。そうすれば物理的に家族と出会える時間はすごく短くなる。
恋愛して、結婚して、家族ができるかもしれない。そうすればきっと自分の家族も大事にしたいと思うだろうから、精神的にも僕の父母家族との距離は遠くなる。
適当に数字をつかってみよう。
残り30年のうちに、例えば15年ぐらい海外や地方で働いたら、年に数回家族で会うことが出来ればいいだろう。20回ぐらいかな。
あとの15年も、僕が幼少期の時に家族で祖父母に会ったのは半年に数回というぐらいなものだから、僕の家族ができたら、きっと10年ぐらいは嫁さんや子供の顔を親に見せに行くぐらいの付き合いになると思う。そうだな、年に2回。これも、20回。
ラスト5年間。これは今からの3年間と、父親母親が死ぬ前の、2年間。「月例家族ご飯デー」みたいなイベントを設けて月に一回会うことにしても、1年は12ヶ月だから、5年で60回。
すごーーーくアバウトな計算だけれど、これで合計100回。
これからの人生で、もしかしたら、あと100回。「回」というよりは、チャンスかな。旅行とかすれば日にち的には一緒に入られるかもしれないけれど、それはあくまでも1度の機会を共にしただけ。だから、100チャンス。
家族との時間は、残り100チャンスしかないかもしれない。
そう考えたら、家族との時間をもっともっと大事にしなきゃとか、少し特別にしなくちゃって思いませんか。
これが、僕が「月例家族ご飯デー」やろう!って提案した理由。
ファッションや、キャリアや、恋愛相手は選べるけれど、生まれた家族はどうやったって選べない。絶対的なもの。だから、出来るときには家族の時間を大切にしましょう、親孝行しましょう、たった、それだけの話。
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