5/15/2012

沖縄返還40年

今日は、沖縄が本土に返還されて40年の節目の日。
しかし、この日がただ手放しで「めでたい日」と言えないのは、昨今の米軍基地問題、2004年の米軍ヘリ墜落事故、1995年の少女暴行事件といった沖縄でしか起こっていない問題がたくさんあり、本土にすむ自分たちとのギャップがあるからだろうか。


昨年の9月に、沖縄に行った。そのとき居酒屋で友人と飲んでいたときに、隣に座った現地の人が観光客に話していた言葉を思い出す。
「もしも、街の中でアルファベットのナンバープレートつけた車(4ケタの数字の前に、普通はひらがなが一文字かかれている。が、沖縄には、そこにYとかの英語が書かれているものがある。)を見つけたら、気をつけな。それは駐留してる米軍関係の車で、その車と事故を起こしても保険がおりなかったり、基地の中に逃げ込まれたら俺達はなにもできないんだ。とにかく面倒だ。」
実際に街の中を 車で走ると、かなりの頻度でアルファベットを飾る車に出くわした。
「あぁ、沖縄の人は本土に住む自分たちとは違う日常を過ごしているんだ」と、感じた。


そもそも、「復帰」「返還」という言葉が違うのではないかと訴える人もいる。
沖縄は、もともと琉球という国で、それを本土・日本が明治時代に併合し、敗戦により米に移り、それがまた日本に戻った。元来、沖縄は琉球という国で、勝手に外部から沖縄にされて、日本に所属させられたのだと。
この言葉を使うことにはかなり抵抗があるし、間違っているかもしれないけれど、時の権力や外からの意志によって移ろい、本土に置きたくない基地を無理やり押し付けられ、そこで発生している問題が統治している国や人には伝わらない様は、さながら「植民地」ではないか。(やっぱり、この植民地という言葉をつかうのは、沖縄の方に申し訳ない。でも、そういう状況にある事実。そして統治しているような体でいて、そこで起こっている様々な問題に無関心な僕達本土の人間を戒めるためにも、使わせてもらった。怒らないで欲しい。)
植民地という言葉に、ポジティブな印象を持つヒトは誰もいないだろう。でもそんな関係があるという事実を今日の新聞を読んで感じた。

本土と沖縄の間にあるギャップ。それは、一言で言えば「無関心」だろう。
節目の今日、ニュースでも新聞でも沖縄のことが報道されている。それらを少しゆっくり考えながら読んでみる。
HYやモンゴル800といった沖縄出身のアーティストの音楽を聞いて、彼らの放つメッセージに耳を傾けてみる。
都内のどこにでもある沖縄料理屋の食べ物を食べて、異文化を堪能してみてもいい。

きっかけはなんでもいい。関心を持とう。
そこから何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
でも関心をもつこと、そうしようとすることは大事なことだ。

Indifference is not a virtue, for sure.



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