日本経済新聞5月5日の"春秋"より、全文を転載。
2000年のものであるけれど、これが本文中に出てくる宇宙から見た夜の地球の衛星写真。
宇宙から地球は見えない。宇宙飛行士の毛利衛さんが語った至言である。国境の代わりに、夜になると、地上にくっきり現れる絵模様があるそうだ。豊かな場所には明るい光があふれるが、貧しい土地は、静かに漆黒の中に沈んでいる。
偶然ではあるまい。宇宙から眺めた地上の明暗の風景は、子供の人口の分布を示した世界地図とぴたりと重なる。貧困な国は子供が多いからだ。14歳以下の子供の比率が高い国は、アフリカや南アジアに集まっている。これらの地域は、健康な生活を営むためのエネルギーがたりないため、暗く黒く見えるという。
はからずも日本では、こどもの日が「原発ゼロの日」に重なった。事故や汚染は二度と起こしてはならないが、電力不足も恐ろしい…。そんな国内のジレンマに苦悩する日本の姿は、途上国の目にはどう映るだろう。原子力の火が消え、日本人が暑さや冷房を気にする間にも、幼い命の火が 消えてい国がある。
原発を必要とする国が増え続けるも、世界の現実。中国は建設ラッシュに沸き、途上国への輸出も始まる。よその国の話だと知らぬ顔はできまい。国内だけでなく、世界に安全を呼びかけるのも、事故を起こした国の責任だろう。電力不足で暗闇の中にいる世界の子供に、日本は何ができるだろうか。
2000年のものであるけれど、これが本文中に出てくる宇宙から見た夜の地球の衛星写真。
これを見て、何を思うか。何を考えるか。何をしなければならないのか。
世界を救おうなんていう高尚な気持ちは生まれてこないし、僕はとにかく自己中心的な人間だから、そういったことをしている活動に参加したり奉仕しようという意欲も、正直、あまりない。
しかし、この地図のなかの暗闇が、ただ本当に「何もない」が故の暗闇であるならばいいのだけれど、そうではない。探したけれど出て来なかったが、世界の子供の人口分布を参照すると、この暗闇には本当に多くの―それはきっと、統計とかで国が、世界が把握してる数の何倍もの数の―子供が、いるという。
電気は、エネルギーは、国の「食べ物」だ。
そのエネルギーを得て動く国というシステムが、その国の中にいる力なき子どもを護る。
エネルギーたっぷりでピカピカ光ってる国の子供たちに与えられる「食べ物」が余っており、暗闇を生きる子供たちの「食べ物」が足りないという、わかりやすい現実を視覚的に訴えられているようだ。
もう一度言うが、こんなことを考えたり嘆いたりするけれど、何か行動をしなければならないという気持ちは生まれてこない。世界中を明るくさせようとか、明るすぎるところをもうちょっと暗く…という考え方は、正しいけれど、実現しないのではないかなと思ってしまう。光と影というものは一体で、光があるから影がある。これはどうしようもないことなのではないかな、と。
でも、その暗闇に何があるのかという好奇心と、直感的に、これは体験してみてみないと理解できるものではないという確信は、ある。
次の旅は、暗闇の中に足を入れて、目を凝らして生きてみたいと思っている。
そこから見た光り輝く国々がどう映るのか、それも同時に知ってみたい。
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