5/18/2012

僕が、朝の電車が嫌いな理由

東京の、梅雨前のこの時期の気候は本当に最高だと思う。
ランニングするときに日に日に濃くなっていく緑を見て、心が軽くなっていく。
好きな季節はなにか?というよくある質問。考えた結果に「春」「冬」と漢字一文字で済ませることが多いけれど、本当に素晴らしいのはこの漢字一文字一文字の間にある。「冬」かと「春」の間にある花の蕾がどんどんと膨らんでいくさまや、「春」と「夏」の間にある木も人も命あるもの全てが活動的になっていくこの時期。
物事にはすべて盛りと、そこに向かうまでの過程がある。ピークにむかっていくまでのゆっくりとした、でも確実に昇っていく様子は楽しい。文化祭とかが、当日よりもそれまでの準備日の方が楽しいように。季節に関してもそれと一緒。季節の移り変わりは本当に素晴らしい。


さて、僕は毎日大学までの片道10kmちょっとを自転車で通っている。所要時間30分ぐらい。音楽やニュースを聞いていたりすればあっと言う間に過ぎてしまう。
先日、かなり暖かかった日に汗ばみながら大学に到着した時に、友達に言われた。
「これからどんどん暑くなるのに、いまからそんなに汗かいてたら大変じゃない?電車で大学までくればいいのに。」
その通りだ。これからクソ暑くなっていく東京で、自転車を30分がっつりこいで行くというのは、無謀だ。僕の家から大学までの電車は乗り換えもなく、あまり混んでいない空調の効いた快適な地下鉄で 15分ほど。電車に乗らない手はない。
それでも、きっと僕は、汗をかきながら自転車をつかって学校まで行くと思う。
その理由を考えた。自転車が好きだから、というのはその通りだけれど、それ以上に僕は、朝の、東京の、電車が嫌いなんだと思う。
電車が嫌いといったけれど、例えばどこかに旅に出たときの何時間もの移動列車もそんなに苦ではない。むしろ電車は好きだ。
でも、朝の、東京の、電車は嫌いだ。それは混んでいるからとか風景が悪いからという物理的な理由ではなくて、そこにいる人々から放たれる雰囲気が嫌いという精神的なもの。

SFにいたときに、街を走るMUNI(電車&バス)に乗っているとたまたま隣に座った人が、
「その靴いいね!何処で買ったんだい?」
とか、
「おお、日本語の本を読んでるね。日本は素晴らしい国だよ。」
とか、
「SFジャイアンツの試合の結果、知ってるかい?」
なんてことを聞いてきたりすることがあった。それは他愛もない話で、そこから話がふくらんでなにか特別なことが起きるわけではない。二言三言話をして、それでバイバイ。毎回乗る度におきるわけではなくて、一ヶ月に一回あるかないか。それぐらいのめずらしいことだから、米に1年住んでいてもこんな経験はなかったという人もたくさんいると思う。
それでも、そういう風に、見ず知らずの人に話しかけても大丈夫だよ!という軽やかな雰囲気がMUNIの車内には充満していた。 横に座った人との心の距離が、近くて、心地良くて、暖かかった。

でも、朝の通勤時間の電車はどうだろう。身体がくっつく程近い距離にヒトはいるのに、話しかけることができない。話しかけてはいけない。心の距離が凄く遠い。誰かに決められたわけでもないのに、みんなが厳格にそれに従っている。それだから朝の、東京の、電車が僕は嫌いだ。
電車に乗ると携帯電話をいじっているヒトが半分以上いる。僕だってそうだ。(なるべくそうならないようにしているけれども。)でも、携帯とにらめっこしている人が僕の嫌いな雰囲気を作っているのではない。そういった雰囲気があるから、携帯電話を見つめることしかできないのだと思う。

電車のなかの雰囲気がどうすれば良くなるのか、ということを、僕の好きな後輩が前にブログに書いていた。勝手にリンクしていいかな?えーい、してしまえ。
音楽を聴きながら広がった妄想


そんなわけで、僕は毎日、雨がふってもカッパを羽織り、熱くなっても着替えとフェイシャルペーパーをカバンに忍ばせ、他愛もないことを考えながら自転車を漕ぎ漕ぎ大学へ向かうのです。








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