辻仁成の"サヨナライツカ"という小説。この表題になっている詩がある。
サヨナライツカ
いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうが良い
愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある
どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない
愛なんか季節のようなもの
ただ巡って人生を彩りあきさせないだけのもの
愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ
サヨナライツカ
永遠の幸福なんてないように
永遠の不幸もない
いつかサヨナラがやってきて、いつかコンニチワがやってくる
人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトにわかれる
私はきっと愛したことを思い出す
この春に身近な人の死を経験してから、そして恋について考えることがあってから、こういった人類普遍のテーマ(といったら言い過ぎ?)に敏感になっている。
人間が死ぬときに考えることはなにか。
死ぬときに…なんて話をすると、 なーにをそんな先のことを、と思ってしまうかもしれない。けれど、当たり前の事実は、全ての生物は"mortal"(死をまぬがれない)ということ。
僕も、あなたも、父さんも母さんも、mortalだ。
普段は忘れているのだけれど、もしも、例えば、余命宣告を受けたり、自分の愛する人の死を目の当たりにしたときに、あるいは大好きなペットが死んでしまったということでもいい。
そんなときに、ふと、自分自身がmortalであるということを感じた時に、人間は何を思うのか。
僕の答えは、ヒトは、シンプルになるのだと思う。社会とか、所有物とか、外部的なものから得られる複雑な幸福をそぎ落として単純になろうとする。
そうやって削ぎ落とした結果、自分自身の中に残るものが、愛。そんな気がする。
愛とか、孤独とか、死とか、幸福とか
そういった人類普遍のテーマは、密接にリンクしている。
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