5/29/2012

No rain, no rainbow.

今年は春一番が吹かなかった。

「春一番」は、気象庁が定めた幾つかの認定条件をクリアすると認められる。
立春から春分の間で、南からの風、風速〜(忘れた)m以上、前日より気温が高い…などなど。これらを全て満たした風が春一番と言われる。
それが今年は、条件を2〜3個満たしたものはあるのだけれど全ては満たさず、結果的に「2012年は春一番吹きませんでした。」となったらしい。

この春一番なしの年は、今までも何度かあったのだけれど、異常気象が観測されることが多いのだとか。
思い返してみれば今年は既に竜巻あり、アラレあり、そして昨日と今日は激しい夕立。なにかがおかしいぞ、日本。亜熱帯気候に突入したのではと思ってしまう天気が続く。東京の街には緑色の野生インコもたくさんいるし。

でも、昨日はそんな夕立のおかげで素晴らしいものが見れた。虹だ。
今朝の朝日新聞の一面にも大きく写真が掲載されていた。つい先日開業した東京スカイツリーと虹の写真。

写真を取り囲む記事には、原発問題の対応を巡る政治家の話や、欧州危機、地震、増税といったような気の沈むような内容のものばかり。
でも、雨が降った時に、「あー雨だ。嫌になっちゃうな。」って思ったり愚痴ったりするだけではなく、
「雨が降って涼しくなるかも。」
「綺麗な夕焼けを拝めそう。」
「虹がかかるんじゃないかな。」
なんていうような、その後に起こりうるであろうプラスの面も考えて、楽しむことができたら人生はもっと楽しくなると思う。

朝日新聞の誌面作ってる頭の良い人なんかも、
「社会は、日本は、世界は様々な困難に直面しているけれど、それらにはきっと理由がある。乗り越えれば必ず明るい未来がある。」
そんなメッセージを暗に示したくて、この写真を大きく一面に掲載したのではないかな、なんて思ったり。

ハワイの諺と、友達のメッセージがふと頭をよぎった。
"No rain, no rainbow. Every hardship comes by for a reason. "




5/27/2012

家族との時間は、僕達が考えているよりもずっと短い。

最近の自分の中でのマイブームは、公園でのんびりすること。
昨日は新宿御苑へ。ビニールシートをひいて青空と緑の芝生を眺めながら、友達とくだらない話をぐだぐだと話し続ける。
広い公園には、たくさんの家族やカップルや団体がいるのだけれど、新宿とは思えないぐらい静かだ。みんな思い思いにしゃべっているから水を打ったような作られた静けさではない。
でも、周りの人の話し声は地面や空に吸い込まれて遠くに聞こえ、アスファルトや鉄筋に反射した様々な都会の騒音に慣れてしまった自分の耳には、公園の音はとても静かで柔らかく聞こえる。

そんな公園での会話の中で、昨日は僕の家の「月例家族ご飯デー」の話になった。
我が家では、毎月一回、家族そろって外食をするようにしている。これはバックパックから帰ってきた僕の提案で、去年の秋から始まったもの。父の会社の福利厚生施設のレストランで美味しいものを比較的手頃な値段で食べたり、カジュアルでリーズナブルなイタリアンにいったり。ご飯と酒を飲みながら他愛もない会話をする。

僕は実家に済んでいるので、家族4人でご飯を食べる事自体はそんなに珍しいことではない。それでも、大学生の僕と弟は飲み会やアルバイトで夜は家にいないことも多かったり、父親も仕事が忙しいと帰宅時間が遅くなったりと、生活のリズムはバラバラ。だから、しっかりと「家族で御飯を食べる」という意識を持って、月に一回、家の外で集まる。そんな日を作った。それが「月例家族ご飯デー」。ご飯を食べるという行為よりも、家族で集まるというイベントをしっかり儲けようという意識が僕は凄く大事だと思っている。

このご飯デーをやろうと提案した理由には、いくつかの理由がある。
その中のひとつが、タイトルにもある通り、家族との時間は、僕達が考えているよりもずっと短いから。
現在、僕は22歳。父親は僕より約30歳年上。先日なくなったじいちゃん、父親の父親は60歳年上だった。つまり、こんなことを言いたくはないけれど、僕の父親、そして母親も、天寿を全うしたとしてもきっとあと30年の人生ぐらいしかない。大病を患えばもっと短いかもしれないし、不慮の事故というものはいつだって起こりうる。今日にも、明日にも。

でも、とりあえず、30年。この30年という期間を長いと感じるか短いと感じるか。数字だけを見れば僕だってかなり長い年月だと感じる。しかし、これからの人生の中での30年のうちで、家族と一緒に入られる時間ということになると、それはものすごく短いのではないかなと僕は思う。
僕はあと数年もすれば社会に出て働き始める。実家を出て、地方で働くかもしれないし、海外で働くかもしれない。そうすれば物理的に家族と出会える時間はすごく短くなる。
恋愛して、結婚して、家族ができるかもしれない。そうすればきっと自分の家族も大事にしたいと思うだろうから、精神的にも僕の父母家族との距離は遠くなる。

適当に数字をつかってみよう。
残り30年のうちに、例えば15年ぐらい海外や地方で働いたら、年に数回家族で会うことが出来ればいいだろう。20回ぐらいかな。
あとの15年も、僕が幼少期の時に家族で祖父母に会ったのは半年に数回というぐらいなものだから、僕の家族ができたら、きっと10年ぐらいは嫁さんや子供の顔を親に見せに行くぐらいの付き合いになると思う。そうだな、年に2回。これも、20回。
ラスト5年間。これは今からの3年間と、父親母親が死ぬ前の、2年間。「月例家族ご飯デー」みたいなイベントを設けて月に一回会うことにしても、1年は12ヶ月だから、5年で60回。
すごーーーくアバウトな計算だけれど、これで合計100回。
これからの人生で、もしかしたら、あと100回。「回」というよりは、チャンスかな。旅行とかすれば日にち的には一緒に入られるかもしれないけれど、それはあくまでも1度の機会を共にしただけ。だから、100チャンス。

家族との時間は、残り100チャンスしかないかもしれない。
そう考えたら、家族との時間をもっともっと大事にしなきゃとか、少し特別にしなくちゃって思いませんか。
これが、僕が「月例家族ご飯デー」やろう!って提案した理由。

ファッションや、キャリアや、恋愛相手は選べるけれど、生まれた家族はどうやったって選べない。絶対的なもの。だから、出来るときには家族の時間を大切にしましょう、親孝行しましょう、たった、それだけの話。

5/24/2012

お勧めの映画


自分の好きな映画を再度、見ました。
"Before Sunrise"と"Before Sunset"


僕はそんなにたくさんの映画を見る人ではないけれど、人が勧めてくれた映画はなるべく見るようにしている。

映画を見て、その映画についての感想をその人と語り合う。
何を感じて、何を思ったかということを一緒に話しているうちに、その人の価値観を知ることができる。僕が魅力的だと感じた人が勧めてくれた映画は、どれも素晴らしいものが多く、映画のストーリーと勧めてくれた友人の価値観というものがセットとなって僕の記憶に残り、現在の自分の生き方の一部になっていたりする。
この映画も、そのひとつ。
以前通っていた予備校で、僕に「旅」の素晴らしさや「英語」についていろいろと教えてくれた尊敬する友人のオススメ。いまでは僕のオススメにもなっている。

この映画は、ラブストーリーなのだけれど、主人公である二人の会話「だけ」で物語が進行する。
ハラハラドキドキするようなシーンはなく、淡々と自然な会話が続く。けれど、その中に真理を描いた言葉や奥深い意味をもったきれいな言葉がふんだんにちりばめられており、会話を通して二人の距離が次第に近くなっていく様子がとにかく良い。

"Before Sunrise"の9年後を描いた続編(実際に、映画が公開されたのも9年後。だから役者二人も9年の歳月を経ている)が"Before Sunset"。僕はこの二つの映画以上に、続編映画が完璧で素晴らしいものを知らない。

久々に見たこの映画は、以前に見たときよりも強く心に響いた。
それはきっと、自分の英語が以前より上達して、彼らが話す「言葉」をそのまま理解することができるようになったのと、彼らの世界観が以前よりも強く心に響いたからだと思う。

時間を作って、もう一度この映画をゆっくりと見てみたい。
そして誰かにこの映画をお勧めして、観た人といろいろと語ってみたい。


5/22/2012

鳥肌

金環日食を見て、鳥肌がたった。
実際には金環日食そのものというよりも、みんなが太陽を見上げているというその姿や、一体感に感動した。
久々の鳥肌だった。

金環となる2012年5月21日7時30分、その1時前から日課であるランニングに出かけた。
普段であれば段々と陽射しが強くなっていくところだけれど、次第に、夕方のような穏やかさ、嵐が起こるまえの静けさが強まっていった。木漏れ日が優しく揺れてた。それとともに、ベランダや道路から空を見上げる人々が増えてきた。
ランニングの終盤、僕は家のすぐ近くにある緑の多い公園を走る。7時15分ぐらいだったろうか。早朝であって、本来であれば爽やかであまり人がいない時刻。
でも今日は、たくさんの人が芝生の上に寝転んで空を仰いでいて、今か今かと金環を待っていた。

金環日食は、それは美しかった。ピークの時には少し肌寒くなり、暗くなり、太陽の偉大さを身に染みて感じた。
でも僕に鳥肌をたたせたのは、そこに集まった人のパワーだ。
僕の好きな陽気な先輩が、日食後につぶやいた言葉。
「なにが素晴らしかったってみんなの一体感ね!!神さんあざした!」
ほんと、その通り。
あざした!

5/20/2012

太陽と死と

明日は、いよいよ金環日食の日。
太陽の中に月がすっぽりと収まり、黄金のリングが空に映る。日本で観察できるのは173年ぶりとなり、次に起こるのは300年後だという。
そんなわけでメディアも大いに取り上げ、正しい観察方法なる注意が喚起されている。
「金環日食を観察する際には、必ず専用のグラスを着用して、太陽を直接見ないでください」
と。

そんな言葉を毎日見聞きする度に、ふと、思い出す言葉がある。
数週間前に読んだ本田孝好の「MOMENT」のなかのワンフレーズ。
「太陽と死は、直視できないからな。」
主人公の幼馴染で、2作目「WILL」の主役となる葬儀屋の娘・森野の言葉だ。
「WILL」「MOMENT」は人の死をテーマとしているがとても読みやすい小説。身近な人の死を経験したことがあるひとならば、心にグッとくる言葉が溢れていて、楽しく読みながらも考えさせられる。この「太陽と死は直視できない」という格言は、おそらく誰かが言った言葉の引用であると思うのだけれど、なんだか深いなぁと思い、心に残っていた。

これはつまり、太陽も死も、持っているエネルギーが強すぎて直接見るには辛すぎるということなのかな、と僕はかってに解釈した。

最近、一つの命がもつパワーやエネルギーの大きさに驚かされる事が多い。それは生きている間には気が付かないこと。僕がそれに気がついたのは、大好きな祖父を失ったからだ。当たり前に存在している間には気にしなくても何ら問題がないコト。
でも、いざ失ってみると、その失ったものの大きさに初めて気がつく。まるで、太陽が沈んで夜が訪れた時に、急な曇で陽の光が射さなくなった時に、初めて「当たり前にそこにある」太陽の存在に気付き、恋しくなり、大切だと思うように。

人間の死のイメージを人に問うたならば、十中八九「ネガティブ」な答えが返ってくる。反対に太陽のイメージは、「ポジティブ」だろう。
この陰と陽の両方が、直視できないとされている理由。眩しいから、実体がないからという答えも正しい。でもそこには、いつも身の回りに存在しているのに、気が付かない、気が付かないふりをしている、でもいざ、気がついてみるとその秘めているエネルギーに驚いてしまう、という共通点があると思う。それが、太陽も死も、きっとそれ以外の様々なものを、じっと見つめることができない理由なのかな、と。

明日の東京の天気は、生憎の曇り予報。
金環日食を拝むことができなくても、おそらく朝の7時30分、多くの人が空を見上げるだろう。そこにあるはずの太陽があってもなくても、普段当たり前に存在している太陽を気にかけるはず。

姿見えずとも、一言、感謝の言葉をつぶやきたい。
「いつも、いままで、お疲れ様、ありがとう。」

5/18/2012

僕が、朝の電車が嫌いな理由

東京の、梅雨前のこの時期の気候は本当に最高だと思う。
ランニングするときに日に日に濃くなっていく緑を見て、心が軽くなっていく。
好きな季節はなにか?というよくある質問。考えた結果に「春」「冬」と漢字一文字で済ませることが多いけれど、本当に素晴らしいのはこの漢字一文字一文字の間にある。「冬」かと「春」の間にある花の蕾がどんどんと膨らんでいくさまや、「春」と「夏」の間にある木も人も命あるもの全てが活動的になっていくこの時期。
物事にはすべて盛りと、そこに向かうまでの過程がある。ピークにむかっていくまでのゆっくりとした、でも確実に昇っていく様子は楽しい。文化祭とかが、当日よりもそれまでの準備日の方が楽しいように。季節に関してもそれと一緒。季節の移り変わりは本当に素晴らしい。


さて、僕は毎日大学までの片道10kmちょっとを自転車で通っている。所要時間30分ぐらい。音楽やニュースを聞いていたりすればあっと言う間に過ぎてしまう。
先日、かなり暖かかった日に汗ばみながら大学に到着した時に、友達に言われた。
「これからどんどん暑くなるのに、いまからそんなに汗かいてたら大変じゃない?電車で大学までくればいいのに。」
その通りだ。これからクソ暑くなっていく東京で、自転車を30分がっつりこいで行くというのは、無謀だ。僕の家から大学までの電車は乗り換えもなく、あまり混んでいない空調の効いた快適な地下鉄で 15分ほど。電車に乗らない手はない。
それでも、きっと僕は、汗をかきながら自転車をつかって学校まで行くと思う。
その理由を考えた。自転車が好きだから、というのはその通りだけれど、それ以上に僕は、朝の、東京の、電車が嫌いなんだと思う。
電車が嫌いといったけれど、例えばどこかに旅に出たときの何時間もの移動列車もそんなに苦ではない。むしろ電車は好きだ。
でも、朝の、東京の、電車は嫌いだ。それは混んでいるからとか風景が悪いからという物理的な理由ではなくて、そこにいる人々から放たれる雰囲気が嫌いという精神的なもの。

SFにいたときに、街を走るMUNI(電車&バス)に乗っているとたまたま隣に座った人が、
「その靴いいね!何処で買ったんだい?」
とか、
「おお、日本語の本を読んでるね。日本は素晴らしい国だよ。」
とか、
「SFジャイアンツの試合の結果、知ってるかい?」
なんてことを聞いてきたりすることがあった。それは他愛もない話で、そこから話がふくらんでなにか特別なことが起きるわけではない。二言三言話をして、それでバイバイ。毎回乗る度におきるわけではなくて、一ヶ月に一回あるかないか。それぐらいのめずらしいことだから、米に1年住んでいてもこんな経験はなかったという人もたくさんいると思う。
それでも、そういう風に、見ず知らずの人に話しかけても大丈夫だよ!という軽やかな雰囲気がMUNIの車内には充満していた。 横に座った人との心の距離が、近くて、心地良くて、暖かかった。

でも、朝の通勤時間の電車はどうだろう。身体がくっつく程近い距離にヒトはいるのに、話しかけることができない。話しかけてはいけない。心の距離が凄く遠い。誰かに決められたわけでもないのに、みんなが厳格にそれに従っている。それだから朝の、東京の、電車が僕は嫌いだ。
電車に乗ると携帯電話をいじっているヒトが半分以上いる。僕だってそうだ。(なるべくそうならないようにしているけれども。)でも、携帯とにらめっこしている人が僕の嫌いな雰囲気を作っているのではない。そういった雰囲気があるから、携帯電話を見つめることしかできないのだと思う。

電車のなかの雰囲気がどうすれば良くなるのか、ということを、僕の好きな後輩が前にブログに書いていた。勝手にリンクしていいかな?えーい、してしまえ。
音楽を聴きながら広がった妄想


そんなわけで、僕は毎日、雨がふってもカッパを羽織り、熱くなっても着替えとフェイシャルペーパーをカバンに忍ばせ、他愛もないことを考えながら自転車を漕ぎ漕ぎ大学へ向かうのです。








5/16/2012

安藤忠雄の言葉

今朝の情報番組に、世界的建築家である安藤忠雄が出ていた。
わすか20分弱のプログラム内であったけれどとても好感の持てる人柄。そして放つ言葉のひとつひとつが魅力的であった。
”日本人の心を開国させる”
”体の健康のためには歩くこと、精神の健康のためには本を”
”インターネットが普及しても体験が必要” 
”最近の人々はご飯を食べなさすぎる。朝ごはんを抜いて、昼もほとんど食べず、夜も食べない。そんなことだから日本は元気がなくなるんです。” 
そんな安藤忠雄さんが最近、本を出した。
安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書
最近は自分の好きな本に的中する率がとても高いのだけれど、この本も、なんとなく、自分の求めている本である気がする。

読んでみよう。 

5/15/2012

沖縄返還40年

今日は、沖縄が本土に返還されて40年の節目の日。
しかし、この日がただ手放しで「めでたい日」と言えないのは、昨今の米軍基地問題、2004年の米軍ヘリ墜落事故、1995年の少女暴行事件といった沖縄でしか起こっていない問題がたくさんあり、本土にすむ自分たちとのギャップがあるからだろうか。


昨年の9月に、沖縄に行った。そのとき居酒屋で友人と飲んでいたときに、隣に座った現地の人が観光客に話していた言葉を思い出す。
「もしも、街の中でアルファベットのナンバープレートつけた車(4ケタの数字の前に、普通はひらがなが一文字かかれている。が、沖縄には、そこにYとかの英語が書かれているものがある。)を見つけたら、気をつけな。それは駐留してる米軍関係の車で、その車と事故を起こしても保険がおりなかったり、基地の中に逃げ込まれたら俺達はなにもできないんだ。とにかく面倒だ。」
実際に街の中を 車で走ると、かなりの頻度でアルファベットを飾る車に出くわした。
「あぁ、沖縄の人は本土に住む自分たちとは違う日常を過ごしているんだ」と、感じた。


そもそも、「復帰」「返還」という言葉が違うのではないかと訴える人もいる。
沖縄は、もともと琉球という国で、それを本土・日本が明治時代に併合し、敗戦により米に移り、それがまた日本に戻った。元来、沖縄は琉球という国で、勝手に外部から沖縄にされて、日本に所属させられたのだと。
この言葉を使うことにはかなり抵抗があるし、間違っているかもしれないけれど、時の権力や外からの意志によって移ろい、本土に置きたくない基地を無理やり押し付けられ、そこで発生している問題が統治している国や人には伝わらない様は、さながら「植民地」ではないか。(やっぱり、この植民地という言葉をつかうのは、沖縄の方に申し訳ない。でも、そういう状況にある事実。そして統治しているような体でいて、そこで起こっている様々な問題に無関心な僕達本土の人間を戒めるためにも、使わせてもらった。怒らないで欲しい。)
植民地という言葉に、ポジティブな印象を持つヒトは誰もいないだろう。でもそんな関係があるという事実を今日の新聞を読んで感じた。

本土と沖縄の間にあるギャップ。それは、一言で言えば「無関心」だろう。
節目の今日、ニュースでも新聞でも沖縄のことが報道されている。それらを少しゆっくり考えながら読んでみる。
HYやモンゴル800といった沖縄出身のアーティストの音楽を聞いて、彼らの放つメッセージに耳を傾けてみる。
都内のどこにでもある沖縄料理屋の食べ物を食べて、異文化を堪能してみてもいい。

きっかけはなんでもいい。関心を持とう。
そこから何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
でも関心をもつこと、そうしようとすることは大事なことだ。

Indifference is not a virtue, for sure.



5/14/2012

"Love"と"Like"の違いから

滅多に見ないテレビをこの前見ていたら、天声人語のCMが流れた。
「Love」と「Like」はどう違うのか。
おお、なんと面白そうな内容ではないか。ということで、この天声人語を調べた。2010年11月10日の朝日新聞より。
 「Love」と「Like」はどう違うのか。何で読んだか思い出せないのだが、ある説明に感心して書き留めたことがある。LOVEは異質なものを求め、LIKEは同質なものを求める心の作用なのだそうだ。
辞書的に正しいかどうかはおいて、なるほどと思わせる。言われてみれば「愛」には不安定な揺らぎがあり、「好き」にはどこか安定がある。その安定感は、自分と同じものを相手に見いだした心地よさかもしれない—。そんなあれこれを、群馬のいじめのニュースに思い巡らせた。 
この後の内容も、いじめに関する興味深い「愛」と「好き」に関する考察であったけれど、ここでは割愛。
ここでの愛と好きの定義は、じゃあ家族愛や、ペットに対する愛はどうなの?安定を求めてるんじゃないの?という反駁の余地がたくさんあるけれど、とりあえず面白いし興味深い。本文にもあるけれど、辞書的な内容はどうでもいい。
さて、この元となった 文章はなんだろう、と思って調べてみた。
『深代惇郎エッセイ集』(朝日新聞社刊)に収録されているものらしい。以下に、その全文を引用。

 「LOVE」と「LIKE」はどう違うのかと聞かれて、「ラブ」は「ライク」より強いのだろうと答えたら「程度の問題ではない」、と人に教えられたことがあった。その先生は、「LOVE」は異質なものを、「LIKE」は同質の物を、求めること。そこが違うのだという説明の仕方をした。
このはなはだ哲学的な解釈が、言葉の説明としても正しいのか、どうかは知らない。しかし、聞いていて、なるほどと思った。 
 神への愛であれ、異性への愛であれ、「愛」には不安定な激しさが感じられる。それは、自分と異質なもの、対極にあるものに立ち向かうために起こる燃焼のせいかもしれぬ。これに対し「好きだ」ということには、何かしら安定感がある。自分と同質なもの、共通するもの、同一線上にあるものを知る喜びであるためのような気がする。
 いいかえれば、「LOVE」は、異質な相手と合体することによってはじめて自分が完全になれるという欲求だとすれば、「LIKE」は、自分と同じ物を相手の中に確認したい願望だといえようか。

以上は、天声人語に掲載された内容と一緒。面白いのは、この後。

 「愛」ももっとも深い、本質的な情念にして、人間が造られたのだとすれば、やはり驚嘆すべき造化の妙にちがいない。
 しかし、人間には、もう一つ「知恵」というものが与えられた。知恵があるので、一万メートルの空を飛ぶこともできるし、原子を破壊する秘密さえ知っている、知恵があるので、目標を立て、それを達成するためにもっとも効率のよい組織をつくり、もっとも便利な方法を編み出す。
 このようにして物事を合理的にしてゆくことで、さまざまな問題が起こってくるが、その一つは万物を数字にしてしまうことだろう。数量化しなければ物は合理的にならないが、数字にすれば、一つ一つの持つ意味や質は無視されることになる。
 あなたにとってかけがえのない人も、他の人とまったく同じように「1人」として数えられるにすぎない。「小鮒釣りしかの川」も、水量何トン、長さ何キロの川になってしまう、このようにして、人も物もすべてが「統計数字」になり、同質化されていく。
 「愛」が人間のもっとも本質てきな情念とされたのは、実は、異質のものと対することにより人間は自己発展することができる、という仕組みを内蔵させるためではなかったのだろううか。その意味で、人間の知恵は「愛のない世界」をつくることに一生懸命になっている。
 たとえば、日本全体が画一的になり、地方の個性が薄れて行くことがよくないのは、旅の楽しさがなくなるといったことからではない。異質なものがなくなることは、愛を喪うことであり、自己発展のエネルギーを失うことになるからである。 
 地方選挙で、国政をそのままコピーしたような選挙をみながら、こんなことを考えていた。

この哲学的で難解そうな話は、ほとんどの哲学的な話がそうであるように、しっかりと噛み砕いて読んでみると心にすっと染みこんでくる。タイプしながら、「なるほど」と考えて手を何度も止めてしまう。

感情の言語化や数値化は、人間がここまでの文明を気付き上げてくるのに必要不可欠なものであった。しかしそれと同時に、恋や愛といった感情も言語化され、理解してしまったような気持ちにヒトを錯覚させ、そして死や喪失というものも数値化され、機械損失やお金や数えられる時間でしか測れなくなった。
知恵というものの陰陽を、考えてしまう。

この文章を、もう一度読み返して飲み込んで、今日の備忘録とする。

5/13/2012

à la française

フランスの新大統領にフランソワ・オランドが決まった。
最近の誌面はヨーロッパの大国・フランスが担う欧州経済の重要性を説き、その舵取りをするオランド氏に注目している。

留学中にヨーロッパ各国の友人たちと友だちになったのだが、テニスがきっかけでフランス人留学生のコミュニティに(運良く)入り込むことができた僕は、フランスのお国柄と国民性をかなり身近に感じていた。
そしてそのフランス人に対する、近隣ヨーロッパ諸国の(大体が辛辣な)意見も色々と聞いて、苦笑いをすることが多かった。

そのお国柄というのは、僕がここで再び羅列する必要もないと思うけれど、「芸術家気取り」「気取っている」「ルーズ」「愛国心の塊」などなど。

さて、それでも世界は、フランスに一目置いてしまう。
芸術や麗しい国である反面、強い経済力があり、原発が58基もあり、軍事的・外交的にもかなりのプレッシャーを持つ脅威になりうる要素を持ちあわせている国。
であるのに、"à la française"(フランス風)という言葉に人々は惹かれてしまう。

フランスで大学入学試験をえるための全国入学試験にこんな問題が出たらしい。
夜更け、セーヌ湖畔で1人の娼婦がいままさに川へ飛び込もうとするところに出会う。君は言葉だけで彼女の投身自殺を止められるか。死を思いとどまらせ、ふたたびこの世で生きていく元気を与えるよう説得を試みよ。
こんな問題が出題されるところから、さすがフランスといったところなのだろうが、「ふふふ」に掲載されている解答はフランスそのもの。
後の作家アンドレ・マルローの合格したという解答はこうだという。
「『わたしと結婚してください』と説得するしかありません。」
フランスは愛に満ち溢れている。
愛とか恋とかそういったものは、昨日のエントリーでも書いたとおり人類普遍のテーマであり、定量的につかまえられるものではなく、複雑になりがち。
だけれど、フランス人はそれを気取らずに、おおっぴらに、シンプルに、 感覚的に、まるで呼吸をするかのように自然に取り扱っているようだ。
そんな様に、世界の目は「羨ましく、憎たらしくも、真似できない」。そんな感情を抱いているように思える。

感覚的な遺伝子を代々受け継いだフランスも、政治・経済という分野では定量的にしっかりとした成果をださなければならない。
感覚と定量、伝統と革新の間で揺れ動く、オランド氏とフランスの今後の言動に注目したい。

5/12/2012

サヨナライツカ

辻仁成の"サヨナライツカ"という小説。この表題になっている詩がある。

サヨナライツカ
いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうが良い
愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある
どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない
愛なんか季節のようなもの
ただ巡って人生を彩りあきさせないだけのもの
愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ 
サヨナライツカ 
永遠の幸福なんてないように
永遠の不幸もない
いつかサヨナラがやってきて、いつかコンニチワがやってくる
人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトにわかれる 
私はきっと愛したことを思い出す  

この春に身近な人の死を経験してから、そして恋について考えることがあってから、こういった人類普遍のテーマ(といったら言い過ぎ?)に敏感になっている。
人間が死ぬときに考えることはなにか。
死ぬときに…なんて話をすると、 なーにをそんな先のことを、と思ってしまうかもしれない。けれど、当たり前の事実は、全ての生物は"mortal"(死をまぬがれない)ということ。
僕も、あなたも、父さんも母さんも、mortalだ。

普段は忘れているのだけれど、もしも、例えば、余命宣告を受けたり、自分の愛する人の死を目の当たりにしたときに、あるいは大好きなペットが死んでしまったということでもいい。
そんなときに、ふと、自分自身がmortalであるということを感じた時に、人間は何を思うのか。
僕の答えは、ヒトは、シンプルになるのだと思う。社会とか、所有物とか、外部的なものから得られる複雑な幸福をそぎ落として単純になろうとする。
そうやって削ぎ落とした結果、自分自身の中に残るものが、愛。そんな気がする。

愛とか、孤独とか、死とか、幸福とか

そういった人類普遍のテーマは、密接にリンクしている。




5/08/2012

雑言

さて、ブログを開くと、今日は何を書こうかなーとか、何を残しておこうかなーって少し迷う。
昔は、そう思った時に、このブログを見てくれる人から自分がどう思われているかとかを第一に考えて、カッコつける内容や、あまりに変な話や感覚的な話はかかなかった。だから、一つの投稿を書くのに何時間も費やして、結局は「ダサい」と思って消してしまったり。
そんなオクラ入りの記事が、実は、いくつかあるのです。

でも最近は、誰かから自分がどう思われているかということをあまり気にしなくなったので、すごく自由に自分の意見を記して残すことができている。大体、一つのポストに費やす時間も、15分から30分ほどという短い時間(だよね?ほかのブロガーの人はもっともっと短いのかな。とりあえず過去の自分と比べると格段に短い)で済んでいる。
それと同時に、昔よりも感性が豊かになったのか、成長したのか、自分の中に芯と呼べるものができたのかわからないけれど、心に響く文章や出会いや考えと遭遇することが多くなった。
実はその心に響くものというものは、昔から好きなものであったり、それらと関係して自分の周りに知らず知らずのうちに存在していたものが多い。でも当時は、なぜそれが好きなのかわからず、「あぁいいな」という純粋な気持ちだけで愛でていた。
現在は、それが好きな理由とか、仕組みというものがなんとなくわかってきている気がいて、それで再発見や昔と現在がひとつの線につながっている様がわかって、また新たなものを愛でる余裕ができたり発見する力が湧いてきている。そんな気がする。

おやすみなさい。

The Earth at Night

日本経済新聞5月5日の"春秋"より、全文を転載。
宇宙から地球は見えない。宇宙飛行士の毛利衛さんが語った至言である。国境の代わりに、夜になると、地上にくっきり現れる絵模様があるそうだ。豊かな場所には明るい光があふれるが、貧しい土地は、静かに漆黒の中に沈んでいる。
偶然ではあるまい。宇宙から眺めた地上の明暗の風景は、子供の人口の分布を示した世界地図とぴたりと重なる。貧困な国は子供が多いからだ。14歳以下の子供の比率が高い国は、アフリカや南アジアに集まっている。これらの地域は、健康な生活を営むためのエネルギーがたりないため、暗く黒く見えるという。
はからずも日本では、こどもの日が「原発ゼロの日」に重なった。事故や汚染は二度と起こしてはならないが、電力不足も恐ろしい…。そんな国内のジレンマに苦悩する日本の姿は、途上国の目にはどう映るだろう。原子力の火が消え、日本人が暑さや冷房を気にする間にも、幼い命の火が 消えてい国がある。
原発を必要とする国が増え続けるも、世界の現実。中国は建設ラッシュに沸き、途上国への輸出も始まる。よその国の話だと知らぬ顔はできまい。国内だけでなく、世界に安全を呼びかけるのも、事故を起こした国の責任だろう。電力不足で暗闇の中にいる世界の子供に、日本は何ができるだろうか。

2000年のものであるけれど、これが本文中に出てくる宇宙から見た夜の地球の衛星写真。


これを見て、何を思うか。何を考えるか。何をしなければならないのか。
世界を救おうなんていう高尚な気持ちは生まれてこないし、僕はとにかく自己中心的な人間だから、そういったことをしている活動に参加したり奉仕しようという意欲も、正直、あまりない。
しかし、この地図のなかの暗闇が、ただ本当に「何もない」が故の暗闇であるならばいいのだけれど、そうではない。探したけれど出て来なかったが、世界の子供の人口分布を参照すると、この暗闇には本当に多くの―それはきっと、統計とかで国が、世界が把握してる数の何倍もの数の―子供が、いるという。

電気は、エネルギーは、国の「食べ物」だ。
そのエネルギーを得て動く国というシステムが、その国の中にいる力なき子どもを護る。
エネルギーたっぷりでピカピカ光ってる国の子供たちに与えられる「食べ物」が余っており、暗闇を生きる子供たちの「食べ物」が足りないという、わかりやすい現実を視覚的に訴えられているようだ。

もう一度言うが、こんなことを考えたり嘆いたりするけれど、何か行動をしなければならないという気持ちは生まれてこない。世界中を明るくさせようとか、明るすぎるところをもうちょっと暗く…という考え方は、正しいけれど、実現しないのではないかなと思ってしまう。光と影というものは一体で、光があるから影がある。これはどうしようもないことなのではないかな、と。
でも、その暗闇に何があるのかという好奇心と、直感的に、これは体験してみてみないと理解できるものではないという確信は、ある。

次の旅は、暗闇の中に足を入れて、目を凝らして生きてみたいと思っている。
そこから見た光り輝く国々がどう映るのか、それも同時に知ってみたい。

5/06/2012

東海道の旅路

Traveling the Tokaido.

東海道を進み、箱根の山を超え、愛知県は蒲郡へ。
今ではバイパス道路が増え、交通量の多い幹線道路となってしまった箇所が多い。けれど、中世からの旅路の趣きをところどころにのぞかせる。