3/30/2012

Engineers who don't seem to be Engineers.

SFでの留学中、そこには世界中からたくさんの留学生が集まっていたのだけれど、工学部を専攻しているのはたったの3人しかいなかった。
僕と、ドイツ人のTimo、イタリア人のGiorgio。
工学部なので将来の夢はエンジニアになることなのかという話をすると、3人とも揃って、「No.」という。
自分たちの将来がどうなるのかわからないけれど、自分の専門を楽しみながらも、疑問を持ちながら学んでいるという姿勢が本当に似ていて、3人で出かけたバンクーバーへのロードトリップ中には毎日毎晩語り合っていた。

Timoは今、SFで知り合ったアルゼンチン人のマリア(彼女とは僕もSFで知り合い、3人で3週間のロードトリップに出かけた程仲が良い)のもとにいる。
願わくばブエノスアイレスで働きたいとこの前スカイプをした時には言っていた。

そしてGiorgioも現在南米におり、チリで建築学部の論文のためのリサーチをしばらくおこなっていると聞いていた。
そんなGiorgioから昨日、一通のメールと添付された写真が届いた。
Hi Ryu,

hope that everything is doing well for you!
Timo told me that you were in India: sounds a great place for traveling.

I'm in South America now, doing the research for my thesis in Santiago de Chile.
Last weekend I went to Buenos Aires for meeting Maru&Timo. Timo in fact is traveling around South America and now is going to stay one month in Argentina.

Was incredibly great to see them again!!
We remembered the great time spent in SF, as well as the pasta contest that you without dispute won =)

I attached a photo that we snapped for you..
Keep in touch,
hope to see you soon!

All the best,

Giorgio

P.S.: Timo and I, we renovated the promise done in SF: sooner or later we will come to visit you in Japan!

SFでの素晴らしい時間が、また、戻ってきた。
次に彼らと会うのは日本になるのか、彼らの母国になるのか、南米になるのか…わからない。
けれどお互いが世界の何処にいても、つながっていられる。
そう思ったらすごく嬉しくなった。

3/29/2012

A lifelong friendship

My best friends from college days. 
Three of us are gonna start working from this April, and we will be separated temporally and physically.
However, we are together mentally at any time. A lifelong friendship, this is it.

電生で4年間、本当に毎日一緒に時を過ごした親友たち。
楽しいときも辛いときも一緒にいた仲間と言いたいけれど、このメンバーといて辛いときなんてまったくなかった気がする。全員キャラクターが異なり、優秀で、刺激し合える部分が多かったけれど、真面目な話をしたことなんか数えるほどしかなかった。
いつもただ、笑ってばかりいた。


俺が留学を志したときも「おう、行って来い」と送り出してもらって、帰ってきても「おう、おかえり」となにも気取らずにそこにいてくれた。
刺激しあうライバルとか同じ趣味を持つ仲間とか、友達のタイプは様々だけれど、ただいつもそこにいて自分のあり方を認めてくれる人。居心地の良い場所を提供してくれる人。彼らはそういった友達。そしてそんな彼らだから、きっとこれからもずっと付き合っていく一生涯の親友となるのだと思う。


昨日はみんなで泣きました。






3/28/2012

幸福

自分のことを、能力があると言われるのは嬉しい。
でも、それによって生き方やあり方を決められてしまうのはどうかと思う。何よりも怖いのはそういった第三者の意見によって自分の能力を過信して、虚栄で生きてしまうこと。

今、読んでいるショーペンハウアーの「幸福について」では、人間の行動規定で最も大事なものは"人のあり方"であると説く。それは所有物や第三者から抱かれる印象の与え方よりも崇高なもので、何事にも変えられないと言う。そうであれば、他人にとやかく言われなくても、判断されなくても、自分の生きたいように生きること。それが理想。

酔っ払った、
最近は哲学的な考えに触れ過ぎている気がする。いかん。
とにかく、今を、大事に生きよう。

3/26/2012

春は別れの季節である。

3月26日付けの日経新聞、春秋より。
春は別れの季節である。一緒に過ごした時間が長いほど、別離の寂しさは大きい相手が人ではなく、物であっても、その気持に変わりはあるまい。大正11年の改行から90年間走り続けた長野電鉄の屋代線が、3月末で廃線となる。
(中略、廃線となる屋代線を笑顔で別れ惜しむ人のエピソードと、 廃線後も世界の何処かで活躍する可能性があるという話。ブエノスアイレスで走る昔の赤色の丸の内線の車両のように。)
別れの悲しさとは、自分勝手な感情かもしれない。世が移れば、電車は巡りめぐって別の場所で役割を果たす。人間だって同じはずだ。自分の価値が高まる場所を見つけるのが、一番の幸せだろう。卒業や転勤で涙がでるのは仕方ない。さようなら。ありがとう。ほかの言葉は、そっと胸にしまいたい。
別れがあれば出会いもある。
別れは惜しむべきことではあるけれど、悲しむだけのことでもない。
今日は早稲田大学理工学部の卒業式。みんな、卒業おめでとう!

3/25/2012

semiglobalization vs. World-is-Flat-ism

今日の日経新聞中にある"日曜に考える"内の、「日本企業 世界で勝ち残るには」の記事を読んで。
同記事は、インド出身、ハーバード大学に16歳で入学した後に31歳で史上最年小で同大教授になった、各国企業のグローバル戦略に一石を投じてきたパンカジ・ゲマワット氏の話である。
「グローバル化は、いき過ぎて語られることが多い。インターネットなどの技術革新が国境の壁をなくして、『世界はフラット化する』とも言われていた。しかし、世界はまだ多様なままだ。」
「例えば交流サイト(SNN)の米フェイスブック。世界中の人と、あたかも隣人のようにつながって友人になれるというが、交流の85%以上は国内どうしてあり、増えたのは国内の友人だったという分析がある。」
「既存の人間関係や文化が持つ力は技術の進歩を上回る。少なくともあと数十年は、国境が意味を持たなくなるシナリオなど想像すらできない。企業がグローバル化を進める際もこのような『セミ・グローバリゼーション』という現実を意識しないと失敗する」 
パンカジ氏の話は、このあとグローバル化を見誤って失敗した企業や、日本企業がグローバル企業として生き残るためにはという話に及び、ビジネス論を展開する。
しかし、ビジネスはよくわからないので、自分が見て感じたことから「セミ・グローバリゼーション」と「世界はフラット化する」というキーワードについて考えてみた。

パソコンを開けば、世界中の知識が一瞬で手に入る。飛行機に乗れば、1日もあれば地球の反対側にだっていける。これは、間違いなくフラット化であると思う。
しかし、それでは世界は均一なものとなったのか。同じようになったのか。その答えを、僕は、強く否定したい。
今月初め、インドに行って来た。たった半日のフライトで行ける場所だった。別世界だった。文化も、人も、言語も、環境も。全てが日本とは違う。物理的にも情報的にもこんなに近くなったのに、世界は多様なままで在り続けているさまを感じた。
facebookが日本でも流行り始めた。たくさんの人が登録して、確かに、海外の友達と友人に馴れる機会は増えた。しかし、当たり前のことであるけれど、日本語で使い続けている限りそのポストを世界語である英語を使いこなす人ともつながることはできない。

「セミ・グローバリゼーション」な状態が続き、インフラと精神の両方が徐々に多様化していく過渡段階の世界で、僕達は生きている。
既存のガラパゴスに取り残されても行けない。幻のフラット化したグローバル社会に夢をいだいてもいけない。
現在の状況をしっかりと知り、体験すること。これがこの変化していく世界で最も大事な事なのではないかと思う。 

3/23/2012

素敵な人

涙をながすとき。
多くの場合は悲しい事が起きたときだけれど、本当に嬉しいことがあったときも。
とにかくあふれる感情が湧き出てきてしまった時に、横にいて、体に手を回してくれる。
そんなことが自然に出来る素敵な人になりたいと思った。

3/19/2012

真澄あらばしり

今日の新聞の朝刊の片隅に、友人宅のことが載っていた。といってもそれは、彼の実家が日本酒の醸造所で、今年しぼりたての生原酒が出来ましたよーという広告のこと。
長野は諏訪にある宮坂醸造が作る日本酒「真澄」。新聞広告の見出しには「純米満開」の言葉と共に今年1月に出来たばかりの「純米吟醸あらばしり」が掲載されていた。

すぐに友人にメールを送り、新宿伊勢丹で現品を購入。彼からの返信には、「今年はあらばしりを醸造するのは大変だった。それは今年はすごく寒くて、発酵がほとんどとまってしまい…」と実際にこの一本を作るのに携わっている彼や杜氏だから知っている話が。昨年の秋には実際に長野諏訪にある醸造所を訪れ、酒蔵を見学させてもらい杜氏の方から色々お話を伺い、夜には酒盛りをして楽しい時間を過ごして…そんなわけだから普通に飲んでも美味しいこの日本酒から、作り手の気持ちや物語も伝わってきて自分にとって特別なものとなっている。

きっと、これからもいろいろな酒を呑むだろうけれど、日本酒は、真澄。
これは一生かわらない僕の中のこだわりのモノ。

3/18/2012

なぜスペインには天才芸術家が多いのだろう

今日の朝日新聞の別冊、The Asahi Simbun Globeのコラムに載っていた内容。
約3週間をスペインで過ごしアートから文化まで様々なもの触れ合ったのは既に半年以上前。
そこで感じたセンスと乱雑さの混同したスペイン独特の雰囲気を、スペイン在住の芸術家・堀越千秋さんが伝えてくれている。
”美術以外の芸術分野にも、スペイン人はたくさんの天才を生んできた。何でなのか?まず、良くも悪くも自分勝手である。小学校で先生が「わかった人は手を挙げなさい」というと全員が挙げる。当ててみると、実は分かっていない。鬼ごっこをして捕まった子が「つかまっていない!」と強弁する。そのくせ、他人が本当に困ったり苦しんだりしていると、天使のように助けてくれたりもする。試しに、スペインの道で寝転んでみたら分かる。「どうしました?」と声がかかるだろう。日本なら親切な人が読んでくれた警察官が取り締まりに現れる。 ”
”欧米語で敬語があるのはスペイン語だけではあるまいか。つまり、自分勝手でありながら、他人に優しく、気配りと敬虔さがある。これが芸術表現を支える大きな心のもとではないだろうか。一見矛盾しているようでもあるが、芸術というのは、相反する二者を一つの中に昇華する仕事なのである。よく言われる、細心さと大胆さ、複雑にしてシンプル、男性的にして女性的、聖と俗、などなど。” 
 (The Asahi Shimbun GLOBE 2012年3月18日発刊 Artist's Eyeより)

ヨーロッパ周遊の話をするとき、必ず聞かれるのが「どこの国が一番良かった?」ということ。その答えに僕はたいてい、「住むならドイツ。楽しむならスペイン。」と答える。
日本で生まれ成長していては育まれないような、スペイン人の大らかさと明るさと適当さ。その気質がゆえに昨今の欧米経済危機で近隣諸国から多大なバッシングを受けているだろうが、間違いなく、当のスペイン人たちは気にする事無く毎日を楽しんでいると思う。
そうでなければゴヤ、ピカソ、ミロ、ダリといった天才たちがスペインから排出されることはなかっただろう。




3/17/2012

場所はいつも旅先だった

友人にプレゼントしようと思って、その前にもう一度読み返した。
"場所はいつも旅先だった" 松浦弥太郎
"遠い国へ行くことだけが旅ではない。旅とは物理的なものではなく、あくまでも精神的なものである。家にいようと、近所にいようと、ちょっとした工夫や心の持ちようで、自分だけの有意義な旅を作ることができる。"
"旅とは、自分自身を見つめる精神的行為であり、自分自身へと立ち返る行為である。要するに、独りになり、自分を取り戻すことが、旅の真意なのだ。ちなみに観光と旅は別ものである。"
"僕が好む単純な食生活とは、最低か最高そのどちらかの食事である。「プラザホテル」や「サラベス・キッチン」の朝食は最高であろう。我が家のトースト一枚、コーヒー一杯の朝食は、言ってみれば最低であろう。しかしどちらも僕にとってはうまいのである。一番まずいのは、そのどちらでもない中途半端な食事である。値段も味も中途半端というのが僕は一番気に入らないのだ。世の中には食事だけでなく、あらゆるものに対して中途半端なものが多すぎると思う。僕は最低の中から最高を見つけたい。もしくは最高をもって最低を知りたい。それはもちろん衣食住すべてにおいてである。中流意識が高い世の中と言われているが、自分が中流であると思うことほど、不幸な人生はないとわからないのが不思議である。 
最低で最高、そして「乞食王子」な暮らし。これが僕の生き方であろうと思う。 "

松浦弥太郎さんの生き方や考え方にはすごく共感する部分が多い。
今日もていねいに生きよう。

3/15/2012

Un Jardin en Mediterranee

10年ぶりに、人生で2回目の、香水を購入しました。エルメスの香水。
今まではいただきものをあまり考えもせずに付けていたり、むしろ付けないことのほうが多かったのだけれど、なんとなく購入。
エルメスの調香師の故郷であるチュニジアの、地中海に面した庭をイメージした香り。
どんな国なのだろう、チュニジアって。


Life is ...


旅先

旅先という魔法のことば。
この一言がつくだけで、すべてが素晴らしく感じる。

旅先の朝、旅先の出会い、旅先の食事、旅先の恋、旅先の音楽、旅先の一日、旅先のコーヒー

日本にいるときも、常に旅先にいるように毎日を過ごせたら、素敵なんだろうと思う。
人生は旅であるという有名な言葉がある。その言葉通りに従うのであれば、日本にいようが海外にいようが、僕たちはいつも旅先にいるということになる。
ようは心の持ちようなのだろうか。

3/12/2012

End of the school trip

卒業旅行 in Hawaii.
あいにくの天気で光り輝く太陽の下で泳ぐ!ということは実現しなかったけれど、
気の合う仲間たちと過ごした三日間は本当にかけがえのない時間。
常に笑顔が絶えることのないこの仲間たちは僕の一生の財産。
春から社会人となるのが二人、大学院へ進学するのが三人、そして学部に残るのが僕を含め二人。
次第に、そして着実に、自分たちの未来へと進んでいく。


Hawaii

ハワイでの三日間。
毎日のように曇りや雨、強風というハワイらしくない天気が続いた。
卒業旅行で一緒に行った友達はみな、海に入れずかなり残念がっていたけれど、自分は1人、懐かしのサンフランシスコを感じて楽しんでいた。
明るい現地の人々、涼しい天気、国のシステム。









3/06/2012

What a life.

昨日までは、汚く沙っぽいシャツとサンダルを履き、大きなバックパックを背負い、特定の目的も持たず心の赴くままに放浪していた。 それが今僕は、清潔なスーツに革靴、スーツケースを片手に持ち日本でも有数の通信会社の研究所へ向かっている。興味本位で訪れるのだけれど、気持ちの底には将来の就職のためであったりといった計算が少なからずされている。 まったく、なんという世界だろう。


3/05/2012

Back to my world, but...

今日の早朝は、インドのデリーでリキシャワーラーの勧誘と闘い、物乞いや地べたで眠る人々をかき分け、トラックが巻き起こす砂埃を浴びながら駅まで向かっていた。 今、日本に帰ってきて完璧清潔な電車に乗り、周りにいる人は誰一人僕に構うことなく携帯電話と睨み合い、見上げた宙づり広告にはインドでの1週間の生活費となりうる金額がかかれたテーマパークの入場料金が記されている。 日常に帰ってきた。 なのに、この物悲しさはなんだろう。この物悲しさは、一体なんだろう。

Hong Kong, Macau, India

香港、マカオ、インドを訪れた三週間の旅もついに終わり。
旅の終わりは毎回、もっと旅を続けていたいという気持ちと、日本に帰ってのんびりしたいという気持ちが複雑に入り混じる。
このまま旅を続けられたら、どんなに素晴らしいだろうか、どんな新しい出会いがあるのだろうか、知らないことを見聞きして感動出来るのだろうか…そんな思いを巡らせると同時に、旅という病気に煩わされ、治らなくなってしまう自分を想像すると恐ろしくもある。
いつかは訪れる旅の終わりに、帰るべき場所があり、待っている家族や大切な人がいて、帰属するグループがあることに本当に感謝するのもこの瞬間だ。



3/04/2012

A guy from Argelia

ナシム。
インド旅をしている時に、ふとヨーロッパバックパックをしていた時のことを思い出す。その時になぜかフランスで出会った彼のことを思い出す。

アルジェリアから来て、パリに住んでいる。音楽で一応生計は経てているようだけれどボロアパートに住む。そのアパートでルームシェアをしているのが僕の留学時代の友人であり、1週間ほど彼らの部屋に転がりこんでいた。

パリの一室で、彼が奏でるギターの音色と母国アルジェリアの歌。明日旅立つ僕のためにと作ってくれたクスクス料理と、フランスのワイン。そのお返しにと僕が作ったモヒート。
そうだ、確かそのとき3人で、ナシムの友達のインド土産だと言う葉タバコを吸っていた。
これ以上ない、最高の時間であった。

インドの街角から漂う香りが、遠い昔のパリでの一室での出来事を蘇らせる。なんとも奇妙で不思議で嬉しいことだろう。



3/03/2012

Meditation at Bodhgaya

ブッダガヤーに到着して、4回目の勤行。インド山日本寺では朝晩2回の説法と座禅の時間があり、到着してからその全てに参加している。
インドに来て、こんな静寂を得られるとは思っていなかった。しかし、座禅の際に心を無にすることがなかなか難しい。旅で起きた様々な出来事が脳裏に蘇り、亡くなった祖父のことを思い、日本での生活を考える。

旅も、もうすぐ終わりだ。




3/01/2012

A cup of chai

インドの国民飲料、チャイ
新しい街に到着した時に、僕がまず最初に行うのがその街一番のチャイ屋を見つけることだ。
そのためには、まず早起きしなければならない。インド人は朝起きたら、先ずはチャイを飲む。だから朝に混んでいるお店こそがその街で一番のお店だとわかる。
人気のある店には、いくつか理由がある。先ずは味。適当に作っているようで、どのお店もそれなりのこだわりがあるようで、スパイスの聞いてる店、やたら甘い店、水っぽい店。人気がある味は、ミルクの味がしっかりした、それでいてあまり甘くない店が多い。
次に、量と値段。コップなみなみまで入れてくれて、それでいて安い(10Rs以下)ときたら間違いなく人気がある。最後にお店の人の人柄。僕は気に入ったお店が見つかると、たとえそこが宿から遠くても毎日数回は通うことにしているのだが、そうするとお店の人が僕を覚えてくれる。へーい、ヤパニー!と言って注文しなくてもチャイを用意してくれる。少し多めにいれてくれたり、一緒に売ってるインド菓子をちょこっとくれたりする。

たかが数ルピーのチャイが見せてくれる、プライスレスな経験。是非インドにきた際には自分のお気に入りを見つけて味わって欲しい。