4/21/2012

留学と、本。

朝日新聞のbe内、「お金のミカタ」における岩瀬大輔さんの留学に関する意見より。
岩瀬さんはライフネット生命副社長。大学卒業後、コンサルティング会社を辞めて米ハーバード大ビジネススクールに留学をしている。
どれだけインターネットが発達し世界の現象が鮮明な映像で入ってくる時代であっても、自分の足でその地を踏みしめ、自分の目で建物や風景を見て、現地の人と会話を交わす体験には換えることはできない。でも、留学したからといって、誰もが貴重な経験ができるかといえば違う。
語学を習得するだけであれば「駅前留学」でも十分だ。数年前、カンボジアのアンコール・ワットを訪れた時、観光ガイドの語学力に舌を巻いた。(中略)彼の国では観光は数少ない外貨が稼げる産業であり、日本語の習熟に寄って収入が何倍も変わるのであろう。要はインセンティブ(動機づけ)の問題なのだ。 
私は留学をしたが、行くまでは、ずいぶん自問した。仕事の専門性を高めるなら、何も留学する必要はなかった。貯金をはたいての留学は、お金の面でも、割にあわないことはあきらかだった。 それでも飛ぼうと決めたのは、一足先に渡米した友人の言葉がきっかけだった。「人生は短距離走ではなく、マラソンだ。すぐに成果はないかもしれないが、世界を見ておくことは一生の財産になる」
留学でしかできなことがあるとすれば、世界から日本と自分を見つめなおすことだろう。自分は何者か。どこから来たのか。そしてどこへ向かっているのか。世界の中、歴史の中で自らを相対化することで初めて見えてくるものがある。これまで懸命に学んできたと思っていても、もっとも身近で大切な存在であるはずの自分自身についてはよりよく知る努力を怠ってきたことに気がつく。 
留学を、自分への「投資」になぞらえる人もいるが、仮に投資なら、そこで得られる配当は、自分という人間についてよりよく知ることなのである。
(以上、2012/4/21の朝日新聞記事より抜粋)
自分も、帰国後に友人から「留学はどうだったか」と漠然とした質問を受けることがあるけれど、岩瀬さんがこの記事内で書いてくれたような話をしたり、意見を持つようになった。
特に、

「世界から日本と自分を見つめなおすこと」
「もっとも身近で大切な存在であるはずの自分自身についてはより良く知る努力を怠ってきたこと」

この二つのフレーズは、僕がとくに留学後に強く心に刻み込んだことと全く一致する。
自分自身のアイデンティティを自分が所属する団体やグループで相対的に、客観的に、構築する日本という国。
そこで生まれ育った僕(そして多くの人)は、絶対的な「自分」というものが欠けている、と思う。
有名な大学に通っている、有名企業に務めている、テストのスコアが良い、友達がたくさんいる、歳上の彼女がいる、お洒落である、世間のことをたくさん知っている、お金持ちである、有名人である、名誉がある…
そういった類のアイデンティティは、留学をしていくうちに、そしてその後のバックパックをするうちに、どんどんと失われてゆき、残されたのは自分自身そのものだけであった。そこで、いちばん身近にあり大事であるはずの自分自身の弱さや空(から)であることに気がついた。

それはまるで、眼を引く装幀を持った一冊の白紙の本。周りにある有名で素晴らしい本にまじり、本棚に並ぶ。けれど、その本には何も描かれておらず、本を評価する上で最も大事なストーリーが欠如している。なんと悲しいことか。
帰国後、そして現在も、どうすれば自分自身のストーリーを書くことができるのかということを考えながら日々を生きている。
大事なのは見た目ではない。古くても、汚くても、小さくても、素晴らしいストーリーが綴られた一冊の本。そうなりたい。



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