1/13/2013

Gay, Lesbian, Bisexuality, Transgender

本日、1月13日付け日経新聞朝刊の「日曜に考える」の中で論説委員・小林省太氏が書かれた『「結婚」はどこへゆく』の記事を読んで。
日本では理解がすすまないGLBT(ゲイ, レズビアン, バイセクシャル, トランスジェンダー)。その存在すら認められていなかったりマイノリティを排除するような傾向が強い日本ではほとんどの人が無縁であるように思っているのではないだろうか。けれど、そのGLBT同士の結婚という難しいテーマに、世界の人々はすでに直面している。
以下、記事より引用。

 きょう13日、パリを中心にフランスでデモがある。(中略)スローガンは「同性婚反対!」である。
 昨年誕生した左派政権は11月、男性同士、女性同士の結婚を認める「万人のための結婚」法案を閣議で決めた。その前、夏ごろから、宗教、哲学、医学などあらゆる分野を巻き込む是非論争が続いている。 
 同性婚を認める動きはフランスにとどまらない。米国では昨年5月、賽銭を目指したオバマ大統領が同性婚指示を表明。(後略)
 英国でも北アイルランドを除く地域で、同性婚を認める法案を議会に提出する準備が進む。(後略) 
 そしてこのテーマは度の国でも社会の大きな変革につながるとみなされ、賛否が拮抗する激しい意見の対立が起きているのである。
 すでに同性婚を認めている国はある。主要8カ国(G8)ではカナダ。欧州連合(EU)のオランド、ベルギー、スペイン、スウェーデン、ポルトガル、デンマーク6カ国などだ。 
 しかし米仏英という国々で相次ぐ動きをみると、改めて結婚とは何か、平等とは何か、を考えさせられる。
 結婚にはタブーがある。日本の民法は年齢んお除権のほか、重婚や近親婚の禁止をさだめている。多くの国に共通する事項だろう。ただ、結婚は男女でのみ成立する、というのは長く、言わずもがなの前提だった。
 ところが、その前提はもはや通用しない。
(以下、世界で起こっている同性婚賛成と反対の意見をかいつまみ、問題提起をする)

僕が留学していた米・サンフランシスコは、世界でも有数のゲイコミュニティを抱える街だった。大学にも街中にもゲイやレズの人はたくさん見かけたし、仲の良かったアメリカ人の友達にはゲイやバイセクシャルの人もたくさんいた。
しかし、そんなSFであっても、同性婚は認められていない。
約2年ほど前に書いたブログの記事の中で取り上げたが、宗教的理由、政治的理由で同性婚禁止反対の条例"Prop8"が2008年に可決している。(→"The Kids Are All Right")


引用した記事の中にもあるけれど、同性婚は宗教、哲学、医療といった難しい問題を包括している。だから、僕の仲の良い友達がゲイであったとしても、それだけを理由に「同性婚に賛成!」と安易に声をあげてはいけない。


例えば、医療に関して。山中教授の功績により一躍日本のリーディングイノベーションとなったiPS細胞を用いれば、男性が卵子を、女性が精子をつくることも理論上は可能となるそうだ。そうなると、結婚という概念に透けて見える「子供のいる温かい家庭」というものは、異性同士による生殖がなくても成り立つ。上のリンクの中で述べた映画"The Kids Are All Right"のように女性同士のカップルが精子ドナーを受けるという例もある。しかしこれは、子供を作る大人のエゴであって、生まれてきた子どもたちにとって、片方の性の親しかいないということが問題になるかもしれない。フランスの反同性婚でもには、「僕にはパパとママが必要だ!」など子の立場で書かれたプラカードが目立つという。


こういったことを考えていくと、「結婚ってなんだろう」という問題にいきつく。僕と同い年ぐらいの女性は既にそういったことを意識して漠然と考えたりしている人も多いと思う。男であっても、就職活動の自己分析なんかで自分の将来に思いを馳せたときに、家族とか子供のいる未来を想像するのであれば、なんとなく結婚→家庭→子供というステップを思い浮かべるのではないだろうか。結婚を当然のことであると考えていて、そこに子供も当然要るべきと無意識にでも思ってしまうのであれば、子供を作ることができずに大多数とは異なった家族をつくり上げる同性婚に対して、否定の感情を将来抱くかもしれない。


「人はなぜ結婚するのか」「そもそも結婚とはどのような役割を担っているのか」そんなことが書いてある哲学書を少し読んだこともある。完璧には理解できなかったけれど、僕の中では結婚というものは社会的生活を営むために結婚という法律によって規定された枠組みが必要なのだと思っている。無人島で誰かと2人で愛しあって自給自足するのであれば、結婚なんて制度は全く必要ない。しかし、僕らは社会の中で生きている。この社会の繋がりの中で幸せを見つけて生きて行く選択を(無意識にでも)するのであれば、結婚という選択は、現状では多くの国、社会、世界というシステムを動かすのに欠かせない歯車の規格となっている。


しかし、こういった『愛』に関するテーマに寛容で人々の関心も高いフランスでは、事実婚にも多くの社会的保障を与えている。少子化がすすむ日本では、フランスを見習って事実婚に対する保障をもっと高めろといった論説や識者の意見も聞こえ始めたけれど、どうなのだろう。


正直、この同性婚や結婚をとりまく今後日本に住んでいる僕達も直面するであろう問題について、僕はまだあまり知識がない。だから、賛成だ!反対だ!を安易に言ってはいけないと思っているし、今後も僕のスタンスは変わる可能性は充分にある。
しかし、今の僕は、同性婚には賛成だ。それはゲイやレズの友達を僕は持っていて、彼らの男性とも女性とも言えないユニークな価値観は人間の進化だと思うから。進化を受け入れる社会は、異端児を抑えこむ社会よりも複雑で流れる涙も多いだろう。けれどその先にあるもっと自由で新しく楽しい社会を作れると信じたい。だから賛成。精神論で全くロジカルではないけれど。
その第一歩として、僕は同性婚問題に関してはポジティブなスタンスで考えながら、ネガティブな情報にもしっかりと耳を傾ていきたい。


San Franciscoの街のいたるところで見かけられた、ゲイの象徵であるレインボーフラッグを思い出した。

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