去年の夏に参加したIT会社でのインターンシップ。
その時の友達と会って話をするたびに、ネットサービスについて考えたり思いを巡らせたりする。
めまぐるしく変化するウェブサービス。それは僕たちの生活のかなり内側にまでしみ込んでいて、何か新しいことを考えようとするとまず最初に「インターネット」を思い浮かべることが多い。イノベーション、物事の効率化・最適化、よりよいサービス、お金儲けの方法、キャリア、趣味の拡充…
以前のエントリーで書いたように(→”20年後、自分の子供にどんな話をしたいのか”)、僕の世代はデジタルとアナログのバイリンガル世代。インターネットのなかったアナログ時代をなんとなく経験しているから、デジタルに対して完全な肯定もできず、だからといってデジタルサービスを断固拒否して生きていけるほど余命が短いわけでもなく、その狭間でなんだか時代に取り残されてしまったような虚しさを感じることがある。
巷ではインターネットによって新しくできるようになったことにたくさんのスポットライトが当たる。twitterによる災害時の安否確認、ウィキペディアによる人類の叡智の集合、facebookによる絆の増幅、googleによる無限の情報へのアクセス権…
僕がこうやってブログを書いて、誰かにむかって発信を行えているということもその中の一つ。もしもインターネットがなかったら、先に述べたような可能性はすべてなかった。そして、こういった変化に対して僕はできるだけポジティブでありたい。変化を拒み、受け入れず、とどまっていては見晴らしがよくて気持ちの良い場所にたどりつくことが困難になる。これは人生のすべてのものごとに共通する真理であると僕は思っている。
例えるならサーフィンのようなもの。沖に出て、海に浮かびながら波を待つ。いい波が来た!と思ったらすぐさまに全身を使ってその流れに乗るようにして、テイクオフを目指す。僕たちの生活のものすごく深いところまでしみ込んでいる、インターネットという目に見えない波がたくさん押し寄せてきている現代で、ハッピーに楽しく生きたいのであれば波にのっていかなければならない。お金儲けをしたいのであれば次のビッグウェイブを予測できなければならない。そして、この大波の中で大切な人が溺れないように助けたいのであれば泳げるようになっていなければならない。
インターネットがたくさんの光を浴びる一方で、その影となってしまったものの存在を僕たちはときに忘れてしまうことがある。インターネットによって変わらなかったもの、あるいは、インターネットのスピード感にまだまだついていけてないもの、そういったものもある。
例えば、二人称で考えられる人、こと、モノ。国境を越えて、海を越えて、世界中の不特定多数の人と自由につながれるような仕組みはできあがったけれど、僕たちはまだ「世界人」になれるような心の成熟を迎えていない。貧困で嘆き苦しむ人がこの地球上にいることを知っていながらも、彼らのことは三人称の誰かさんの悲しみでしかなくて、そんな彼らに対する僕たちの感情は悲しいかな、ものすごくドライだ。地球人はおろか、日本人にすらまだまだなれていない。アルジェリアで発生した邦人が殺害された事件も、きっと多くの人にとっては人ごとでしかない。
でも、就職活動をしていてプラント会社を志望していた人は今回の事件にものすごくショックを受けただろう。家族、あるいは親戚が異国の地で似たような境遇で駐在している人にとっても。それは、今回の事件が他人事=3人称ではなくて、二人称、あるいは一人称で考えることになったから。
僕たちは結局は自分自身が何よりも大事。そして、人間が人間として存在している何よりも素晴らしいことは、二人称の相手にたいして涙を流す心を持っていること。インターネットの成長のスピードに、僕たちの心の成長はまったく追いついておらず、そしておそらく、地球人になるための心の成長期は、宇宙人が襲ってくるか、環境問題が末期を迎えるまでやってこないだろう。悲しい。
心の成長といったような精神論以外にも、もっと物質的な問題もある。
忘れがちであるけれど、インターネットは電気を利用して存在しているものである。だから、有事の際にはデジタルの存在は消えてなくなる。日本が戦争に巻き込まれ、発電所を攻撃されて供給がストップしたら家の明かりは当然のこと、スマホもネットも使えなくなる。ウェブ業界の雄であるGoogleが自然エネルギー分野に投資を続けていることからその重要性がわかるように、電気あってのネット。そして、つなぐべき点があってのインターネット。
僕の好きな画像のひとつが、Nasaが提供する"Earth at Night"。
(出典:http://apod.nasa.gov/apod/ap121207.html)
地球の夜を衛星から写真に撮ったもの。
昨年5月にこの写真の存在を知ってブログを書いてから(→"The Earth At Night")、時折この画像を開いてみて、日本がすごく小さいことや、電気が存在する場所=インターネットが使える場所の少なさや、旅をしていた時に感じたインターネットのなかった街での日々を思い出すようにしている。
インターネットによって変わらなかったもの。
食べること、身体を動かすこと、恋に落ちること、笑うこと、泣くこと、眠ること、学ぶこと、教えること、傷を癒すこと、血が流れること…まだまだいっぱいある。
ネットだろうと、リアルだろうと、結局は「人間」あってのこと。
そんな当たり前のことを忘れていまいそうになるぐらいにインターネットは空気のように、人生のインフラとなって僕たちの身の回りに存在している。
ときには意識して息を止め、酸素のありがたみを確認してみる。
映画『インセプション』の中で夢と現実を見極めるトーテムのようなもの(僕のトーテムは上の写真や、亡くなったじいちゃんの写真とか)を眺めて、戻るべき場所に立ち戻ってみる。
そんな時間も大事ではないだろうか。
(映画『インセプション』より)
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