12/25/2012

"Is There a Santa Claus?"

クリスマスイブの朝、12月24日付けの日本経済新聞朝刊のコラム「春秋」が素晴らしかったので、全文を引用。

 どんなに小さい嘘でも、なにか大事なものを守る善意の嘘でも、嘘をつくときには、人の心はチクリと痛むものだ。これほど平気で堂々とつける楽しい大嘘は、ほかにない。「サンタクロースは本当にいる」。世界中の大人たちが、喜び勇んで子供をだますのが今夜だ。
 米国のかつての大新聞ニューヨーク・サン紙は、社説で「愛や寛容、献身が存在するのと同様に彼も存在する」と格調高く論じた。8歳の少女の投書に答える形で「本当の真実とは子供にも大人にも、目で見ることはできない」と書いている。質問を出した少女はやがて学校の先生になり、47年間子どもたちを教えたそうだ。
 ほしい物を手紙に書かせたり、夜空に叫ばせたり。家庭によって流儀はさまざまだろう。サンタは日本語を読めるのか、どこで買い物したのかと疑心暗鬼は膨らむが、幼い妹や弟のために、ひそかに演技を続ける子もいる。いつの間にか、大人が子供にだまされている。
 世の中には、子供だけが知っている真実がある。愛しているつもり。優しいつもり。一生懸命のつもり。でも大人は、ちっぽけな自分の欲のために、もっとも大事な何かを忘れることがある。子どもたちは大人よりずっと幸せに敏感だ。小さな子供は日経新を読まないと思うけれど、もしこれで嘘がばれたらごめんなさい。
同じく、僕のブログを読んでいる小さな子供は いないと思うけれど、もしこれで嘘がばれたらごめんなさい。


クリスマスは冬の季語となっている。iPhoneにダウンロードした辞書「大辞林」の季語でも、「熊手」の次にくるものが「クリスマス」「クリスマスイブ」。日本にしっかりと根づいた素晴らしい文化の一つと言っていいのではないだろうか。
日本のクリスマス事情は世界のそれとは少し異なる。先日、1頁を使って日本の少し変わったクリスマスの祝い方を祝福している記事がWall Street Journalに掲載されていた。記事の見出しは、
"In Japan, a Valentine's Day on Dec. 25"
「日本では、12月25日はバレンタインデーのようなもの」
日本では クリスマスは彼氏彼女のものだということを少しの皮肉と僕も知らなかったような事実・知識を交えながら伝える。
"Everywhere you go, you are constantly reminded that you don't have a girlfriend'"
「『どこにいっても、常に彼女がいないんだってことを思い出される』」
"While just  2% of Japanese are Christian, Tokyo is done up with Santas and candy canes for the holidays, with all the atmosphere of a high-school prom."
「日本人のわずか2パーセントがクリスチャンであるにもかかわらず、東京はホリデーを祝うためにサンタやキャンディーケーン(これは、僕の知る限りでは日本では余り見られないけれど。赤と白のシマシマのミント味キャンディ)で飾り付けられ、 高校の卒業ダンスパーティのような浮かれた雰囲気が充満する。」
"She will bring a homemade Christmas cake, which looks like a birthday cake but has become a staple of the holiday in Japan."
「彼女は、自家製のクリスマスケーキを持って(彼氏の家に)やってくる。クリスマスケーキは米国で言うバースデーケーキのようなもの。めでたい日には日本の過程ではしばしば登場する欠かせないものとなっている。 」
クリスマスにクリスマスケーキを食べるのが日本では常識となっているけれど、実はこれはイギリスとか旧英連邦国に残っている文化なのだとか。日本以外の国では、有名なところではドイツのシュトーレン、フランスのブッシュドノエル、イタリアではパネットーネといった季節特有のお菓子を作ってホリデーを祝う。我が家でも今夜はブッシュドノエルを母さんが買ってきた。僕が今年のゴールデンウィークに住み込みで働かせてもらったパン屋のオーナーからは、特製のずっしり重いシュトーレンが届いた。世界各国の祝い方や美味しいところを上手く融合させる。それが日本流のクリスマス。


先に引用した「春秋」のコラム。
その中に紹介されている8歳の少女の手紙、本文はこれ。社説の原文と訳がこの頁に全文掲載されている。(→"Is There a Santa Claus?")
嘘をつくのは悪いことだ、と多くの人は言う。でも、それがサンタクロースのように小さな子どもに夢を与えるものであったら。大切な誰かの命を守るためのものだったら。真実を伝えたがために誰かの涙や怒りが増えるのであれば、真実ではなくて、心をこめた嘘をつくことも必要なときもある。そんな難しくも大事なことを思い出させてくれる。


年を重ねるにつれて、信じるということが少なくなっていき、そのかわりに理解が増えてくる。それが人間の成長である。しかし次第に、世の中には理解できないこともたくさんあるということに気がついて途方にくれる。方程式や公式によってただひとつの最適解に落ち着くことは少ないということ。みんなが納得のいくものが得られることは少ないんだということ。理解していたと思っていた一番身近な自分自身のことですら実はなにも知らなかったと気づくこと。そんな時に、人は目に見えない何かを信じたくなる。愛、献身
、寛容、友情、絆、そしてサンタクロース。小さな頃には溢れていたこの「信じる」という感情の崇高で素晴らしいことに気がつく。


僕はクリスマスが好きだ。商業クリスマスであろうと、少なくともクリスマスやサンタがない世界よりも、街にも人々の心にも温かさが溢れている。すぐ後にやってくる年末やお正月というのは、日本では実家に帰ったり、本家や祖父の家に集まったり、あるいは家族と駅伝を見たりと、なんとなくおきまりのパターンに落ち着く。しかし、クリスマスには、どんなイルミネーションにしようか、何を食べようか、そして誰と何をして過ごそうかという創意工夫をみんなが考える。家族、友達、彼氏彼女のことを考えながら。そういった小さな創造が溢れているからこそ、このホリデーシーズンはなんだか街が温かいのだと思う。


思い立って、深夜から始まる立教大学の聖餐式へ行って来た。多くの人が集まり、聖書や聖歌を歌う。僕は大きな神様は信じていないし、クリスチャンでもない。それでも、そこに集まる人々の「信じる」という心は、なんだか暖かかった。


メリークリスマス!




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