12/14/2012

僕と情報と社会の距離感と関係性

近代から現代へと移り変わるなかで、新聞・雑誌や本にくわえて、映画・ラジオ・テレビなど、様々なメディアを通じて情報が伝達されるようになった。そしてインターネットの時代が到来し、僕達の身の回りには常に様々な情報が溢れかえっている。
そんな「情報」と自分自身が、どのような距離感を持ち、関係性を築いて生きていくのか。どの情報を重要だと思い、取捨選択していくのか。一人ひとりが意識しておくべき大切なことであると僕は思う。


一昨日、12月12日、北朝鮮が事実上の長距離弾道ミサイルを発射した。
発射の時期を1週間延期させるという報道があったために、日本政府や韓国、中国、近隣諸国は年内の発射はないのではないかと考えた矢先の発射と成功。不意を打たれた形での発射に、日本のメディアは大々的にこの事実を報じた。
しかし、この事実を僕が知ったのは丸々一日経過した昨日の朝のことだった。
最近、社会のことをもっとよく知っておこうとアンテナを張っていた(とくに国際関係に関して)にもかかわらず、隣国のミサイル実験の報道を知ったのは丸々24時間が経過してからだったことに軽くショックを受けた。 


でも、これは至極当然のことだった。というのは僕が情報源としているのは主に新聞であるからだ。おそらく、twitterやテレビといったものを情報源としている人は、発射の数分後には緊急ニュースのテロップや誰かからのRTによって即時的にこのニュースを知ることが出来ただろう。朝刊をがっつりと読むことにしか情報収集の労力や時間を割いていなかった僕には、スピード感のある情報が届かなかった。


同じ日に、研究室の尊敬する友達と、
「新聞とインターネット・メディアのどちらが優れているのか」
というトピックで議論をした。
彼は、ものすごくコンピューター&情報リテラシーが高く、SNSを利用した情報収集もただ集めるだけではなく自分なりに活用している。GunosyやTweetedTimesなどの情報収集アプリも利用し、偏りのない情報を集められているようだった。
しかし、僕はインターネットを用いた情報収集には今はまだ懐疑的で、どちらかというと新聞派であり、彼との議論はちょっとした言い争いとなった。


僕の考えをまとめて言うと、
「インターネットは情報媒体としては最高かもしれないけれど、それを使う人間がまだそれを使いこなすレベルにまで到達していない。だから、今はまだ、古臭いけれど普遍的な情報媒体(新聞など)にも眼を通すべきじゃないか。」
ということ。


インターネット上には無数の情報が存在するけれど、人がそこから情報を取り出そうとすると、とにかく自分の好きなものに偏ってしまう。Gunosyのようにユーザーの傾向を読み取りバランスよく情報収集したとしても、それは結局自分だけのオーダーメード新聞ができあがるだけであって、全く同じ生地を何百万人という『社会』と共有しているわけではない。最近聞くようになった「キュレーション」も、一緒。情報が集められると、それは『個人』にとっての最適な情報とはなっても『社会』にとってのそれとは異なってくる。


わかりやすくするために、グラフにしてみた。



面積の広さや位置はかなり適当。でも大体こんな感じではないだろうか。
つまり、「情報収集する!」と言ってインターネットを開いたり、自分のために最適化されたキュレーションサービスを利用したものばかりに頼っていると、自分の関心ばかりに眼がいってしまう。その結果、そこにある情報だけで地球が周っているような感覚に囚われてしまう。Apple製品やGoogleの最新サービスは確かに今後の未来の社会を作り出すものかもしれないけれど、現実に目を向けるとインターネットを利用していない人・できない人が日本にも世界にもたくさんいる。そういった『社会』がまだ存在する以上、インターネットだけを情報源とするのはまだ時期尚早な気が僕はする。


もちろん、新聞が最高のメディアであるとは僕も思っていない。社会の関心をつかむためにはよいけれど、専門性を深めることはできない。北朝鮮のニュースから僕が痛感したように即時性もない。より自分自身の興味関心が強いものを知りたい時にはインターネットの情報や本、テレビ、ラジオを利用することも必須であると思う。


自分自身が、今、必要としている情報はどのようなものなのか。それには何を使うべきなのか。それをしっかりと考え理解し、使い分けること、取捨選択がとても大事。


人びとを楽しませたり虜にすると同時に、民衆動員の手段でもある各種メディア。
それらとの関わり方は、真剣に考えて対峙しないと煽動され翻弄され知らぬ間に社会の上にある大きな権力や、自分の中にある小さなぐうたら心に操られてしまう。
僕と情報と社会の距離感と関係性は、情報があふれて自由自在に手に入る時代になったからこそ、今まで以上に真剣に退治するべき大事なことではないだろうか。


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