12/16/2012

ポケットには常にメモとペンを。

毎日を生きていて、ただの学校や職場と家の往復だけの日々であったとしても、僕たちはたくさんの言葉を目にしたり耳にしたりする。電車の宙吊り広告の言葉、テレビのCMのワンフレーズ、友達との何気ない会話、新聞のコラムの片隅、映画の台詞、歌詞の中…

「うまいこと言うなぁ……」
「わかる!」
「この言葉は深そうだぞ」

もしかしたらその中の一言が僕達の人生の一生を変えてしまうようなフレーズであったり、素晴らしいアイデアだったり、本物の言葉だったりするかもしれない。しかし、人間はその瞬間にはすごーく大事だと思ったことも、感じたことも、直感も、感情の移ろいとともにいつかは忘れてしまう。
失恋したときの心苦しさも、素晴らしい映画をみて泣いたときのことも、自分の思うようにならず悔しいと思ったことも、誰かとの話し合いの中で生まれた感情も。


忘れるということは、僕たち人間が持ち合わせている素晴らしい能力の一つである。それと同時に、忘れるということは、僕達を成長させるチャンスの芽を摘むものでもある。例えば、なにか失敗をしてしょげているときには、僕たちは酒を飲んで忘れたいと感じる。それはストレスを発散して次の事柄に移れるというプラスの面と同時に、その失敗を繰り返さないように行動を改めるチャンスを失ってしまうというマイナスの面もある。だから、忘れることも大事だけれど、忘れないことも同じくらい大事だろう。


忘れないためにどうすればよいのか。一つには、その出来事を誰かと共有するということがある。FacebookやTwitterなどのSNSを用いて誰かと共有するということもひとつの方法ではあると思う。しかし、僕の友達が以前、
「ほとんどの人にとってFacebookは自慢のSNSで、TwitterはぼやきのSNS。極端に良いこととつまらないことばかりが集約されていて、そこに価値を見いだせない。」
と言っていたように、そこに掃き出される感情には偏りが生じる。それに、忘れないでいたいと思ったこと、それはつまり自分自身が大事だと思ってもっともっと自分で考えたり悩んだりしなければならないと感じたことのはずなのだけれど、それを多数の人のLikeやRTによって成り立っている世界においてしまったら、周りの人の反応の数だけで出来事を判断するようになってしまう。
感じる、思う、考える、選ぶ、決める…そういった人生の根っことなることは、1人でしかできないし、1人でするからこそ意味がある。


共有する誰かは、自分が本当に信頼していて、大事だと思う人。これからもずっと付き合っていきたいと思う人にするべき。そういう人であれば、親身になって話を聞いてくれるし、よきアドバイスをくれるし、時がたっても相談したことを覚えていてくれる、かもしれない。だから、時間が経過しても、自分で話しておいてその当人は忘れてしまったことも、「そういえばあの時はお前は〜なことを言ってたよね。」なんて言って思い出させてくれる、かもしれない。自分の本音を語ることの出来る友、家族、愛する人がいることはとても大事で、彼らに語っておくことはコンピューターのメモリに残しておくという確実な共有方法ではない、「かもしれない」方法だけれど、それぐらいの方がいい。親友の心にも残せないような出来事は、実はきっとそんなに大切なことじゃないんじゃないかって考えて、忘れていいんだという判断基準にもなる。


全ての出来事を、心動いた時事や言葉を、誰かに話したり共有することには限度がある。だから、僕は、メモをとることにした。ロディアの小さなメモ帳と、4色ペンを常に携帯して出歩くことにした。そして時間のあるときにその言葉を振り返ってみると、
「俺はこんなことをメモしてたのか。そんなに大事なことだったのか。」
と振り返れる。それってすごく意味の有ることであると僕は思う。


僕は今年の夏から、とにかくそういった僕の心に響いた小さなことをメモに残すことにした。旅先で気づいたこと、新聞のコラムのワンフレーズ、本の中で感銘をうけた言葉、友達が薦めてくれた映画の名前。アイフォンのメモ帳にフリック入力するのではなくて、ペンで手書きで記しておく。この行為は、正直面倒だ。でも面倒であるからこそ、本当に大事だと思った言葉しか残さないようになった。どーでもいいことは、自然とフィルターされるようになった。なんでもかんでも残しておくのではなくて、自分自身がその一瞬だけでも大事だと思ったことをしっかりと手を動かして残しておく。まだ始めたばかりだけれど、雨が降っていて凄く寒かった今日のような日にそのメモ帳を読み返してみると、まだそんなに月日が経っていないのに忘れていた感情や出来事があることに気がつく。例えば、
「自分が生まれる前に起きたことを知らないでいれば、ずっと子供のままだ――。」
そんなどっかのコラムで読んだ共和制ローマ末期の政治家キケロの言葉を読み返して、「そうだ、もっと歴史を勉強した方がいいんだった…」と真剣に考えたことを思い出したり。


人は常に前に前に、先を先をみて生きてしまいがちだけれど、時に大事なことは一瞬立ち止まり、振り返ることであると思う。その振り返るときに、振り返るべきヒト、モノ、コトがあればそれはとても心強い。このブログも、僕の中では備忘録であり、自分自身で考えたことをしっかりと整理するための一つのツール。
日常の小さな出来事の中に、日々を豊かにする、僕らを成長させるたくさんのキーワードが散らばっている。それらをこぼれ落とさないために、社会人になってもおじいちゃんになっても、ポケットには常にメモとペンを持って生きていきたい。


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