一昨年からずっと使い続けているのが、無印良品のシンプルな手帳。マンスリーでざーっと予定が見渡せればそれでいい。
家族の誕生日、じいちゃんの写真、友達の住所、忘れたくない言葉を背表紙に書き写し、2013年を向かえる準備をはじめる。それと同時に、今年の手帳を読み返してみる。
「あぁ、いろんなことがあったなぁ、いろいろな人と出会ったなぁ」
と、しみじみ感じ入る。書き写した好きな言葉を、読み返す。
"I'm a part of all that I have met."
「自分はこれまで出会ってきたもの全ての部分」
1年がまた終わる。
人はさまざまなことで悩んだり、失望したり、場合によっては死んでしまおうかとか考えたりする。特に年の瀬は普段と違って余計なわずらわしさがむかうからやってくる。気温の寒さと心の寒さが同時に襲いかかってきてきて、身も心も慌ただしくなる。さらに、就職活動が本格化するのがこの時期。僕の同期の大学の友達や弟の就職活動が始まった。友達からウェブテストのヘルプを頼まれたり、OB訪問やなんやの集まりから帰ってきた弟と夜中に数時間語り合ったり。ソーシャルネットワーク上には様々な情報が飛び交う。嫌でも人の動向が気になってしまう季節。情報収集をすることと、雑音に耳を傾けることは違う。その二つを混同していると、心に迷いが生じる。就活中も、日々の生活でも。
「隣の芝生は青い病」
昨日は久々に会った友達と街を歩きながら、こんな話をしていた。人間は誰でもエゴがある。現在の自分が置かれた立場や環境と、他人の状況を比較してしまって、なんだか悲しい気分になったりする。でも、それは当たり前のことだ。他人のことが気にならない人はいない。ようはそのエゴと、どうやって折り合いをつけて行くかということに尽きる。このエゴや欲望や煩悩というものは、人間が存在していいくための、新たな一歩を踏み出し続けるエネルギーにもなるから無視してはいけない。でもそれは同時に、人間を耐えず苦しめて、人生を台無しにするような負のエネルギーにもなりうる。そんな自分の身の中にある強く大きなエネルギーをコントロールすることが本当に大事で、それは同時に一生かけて行うとてもむずかしい作業なのだと思うけれど、具体的にはつねに誠実でいること、感謝の気持ちをもつこと、反省の気持ちをわすれないでいること、挑戦し続けること、そんな当たり前の日々のことを大切に行なっていくということの積み重ねであると思う。
週末に、久々に祖母を訪ね、仏壇の前に座り祖父に挨拶をした。
祖父が亡くなってから9ヶ月が経過したけれど、いまでもよく涙をながす。僕がいまここに生きているという当然は、祖父が存在していたから成り立っているだと考えると感謝の気持ちが溢れて本当に胸が苦しくなる。祖父の死以来、なにげない日常に涙することが多くなった。優しさと悲しさの涙が流れるところに、本物の幸せが存在する。僕の幸せはきっと大金持ちになることでも、誰かを騙すことでもなくて、みんながなにげない日常を幸せに生きていくようなものを築き上げることなのではないかと最近感じる。
言い古された言葉であるけれど、恋愛と就職活動は似ている。
でもそれは、自分に足りないものを補ったり欲望を消化するための薄っペらい恋愛とのアナロジーではない。本気の恋をすると、苦しくてもその人になにかを与えたくて仕方がなくなる。利他の心、無償の愛、キリスト教で言われる「愛」が生まれる。そういった本気の恋愛とのアナロジーだ。そんな気持ちを抱けるような、与えられるではなく与える側に将来的になれるような会社や団体で働けることが本当の幸せだ。
来年の就活になんとなく思いをはせながら、アナロジーで使われる恋や愛についても考えてみる。誰かを愛するってことは、誰かから何かを一方的にしてもらう・してあげるだけではない。さらにはただお互いの似通っている場所を見つめ合って共感するものでもない。共に同じ方向を見つめること、ベクトルの向きを合わせることだと思う。そのためにはやっぱり、同じ空間や同じ時間をなるべく共有している必要がある。そうでないと、人は毎日毎日ちょっとずつ、人生というベクトルの向きも大きさも変わってくるのだからその変化に対応できなくなる。遠距離恋愛なんかが難しいのはこういうところからだろう。
恋愛が苦しいのと同様に、就職活動も苦しいもの。でもそこから得られるものもたくさんある。妥協せずに、みんな頑張って欲しい。そして(おそらく)来年就活をする自分も、このブログを読み返して「こんなこと考えてたのか…」と振り返って、頑張って欲しい。未来へのエール。
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